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江戸の公家 (ある下級公家の日常編)

公家の実態を理解する為の基礎知識は書いたので、どんな日常を送っていたのか見てみましょう。公家の日常で重要な事は、日記を書く事です。これは平安時代から江戸時代まで変わりません。

近衛家に伝わった藤原道長の『御堂関白記』、藤原忠実の『殿暦』、藤原実資の『小右記』、藤原行成の『権記』など、様々な公家日記が当時の生活を伝えてくれます。

これらの日記は、宮廷行事に於いて、どのようにふるまい、ドレスコード、出費の額や謝礼の内容などを詳細に記録しています。この日記の積み重ねが、公家として正しい振る舞いの為の資料となります。 説明がずっと続くのもつまらないので、江戸末の架空の下級公家の視点でみてみましょう。 描写力の拙さはどうぞご寛恕下さい。 時代は江戸末 宝暦の頃で、幕末のきな臭さが漂う少し前の、古き良き時代です。

麿(従五位上右近衛少将 源雅家)の家は、下級公家である。 家格は羽林、武官である五位近衛少将より始め四位中将で終わるのが普通な平堂上ひらとうしょう、長生きして門流の一条様に気にいられれば中納言を兼任して三位の公卿となることが出来るが、俗に言う「三日中納言」、すぐに退官し前中納言で公卿成りの隠居である。 その後も昇進し大臣になれる清華様とは比較するまでもないが、最後に公卿になれるか、なれないかは、その後の生活にも関わるので、いつかは三位にはなりたいものだ。

というのも、当家の家禄は御蔵米三十石、役付になり役料を貰う事がなければ生活も出来ず、内職で短冊を書くにせよ、父(源 雅綱)は五位少将のまま病で退官したので、煌星堂(出入りの道具屋)は銀一匁しか寄越さぬ。その点 御隠居様(祖父:源雅惟)は、三位前中納言なので銀二匁五分は寄越す。その上、和歌の名手でもあるので、歌の内容が良ければ一朱(銀四匁弱)はもらえる。 とは言え、煌星堂はそれを三倍の値で旦那衆に売っているので羨ましいものだ。 当家が歌会を開けるくらい立派な屋敷ならば、直接 旦那衆から謝礼をもらえるのだが、桂宮様の御殿の一部を間借りするような小さなボロ屋敷(二百坪)では、旦那衆をがっかりさせるようなものだろう。屋敷は官人として朝廷様より賜った土地に、徳川殿よりの馳走で屋敷が建っている。とは言え、日々の修理や庭の手入れなどは金も無いので行きとどかない。某家のように、屋敷を賭場にして、荒稼ぎが出来るのも、場所の良さと広さがあっての事である。 当家の場合には、無理に賭場でもやろうものならば、鉄火場の騒動は周囲に丸聞えで、宮様の家司より「すぐに辞めよ!」と怒鳴り込まれる事であろう。そんな貧窮生活でも、とりあえず四位中将となり侍従を兼ねられれば、役料もあり月に数度は干魚が夕食に上がる事が様になろう。とりあえずは、四位侍従になれるまで、日々の勤めに励もう。当家には侍(さむらい:公家に仕える用人で、通常の武士姿、但し町人からでも読み書きなどマネージメント能力があれば採用された。 )が三谷の一人しかおらぬが、富裕の商家:三谷丹後(下駄屋)の三男で無給でも実家からの仕送りまで当家に使ってくれるのは有難いものだ。受領名をやったくらいでは申し訳ないくらいだ。近衛の中将になれば、朝廷より下役の官人を付けてくれるので、参内の行列も様になるだろう。 今は三谷だけでは足りぬので、店の丁稚に白丁(はくちょう:下働き 武家の足軽に相当)の借着と、借り物ばかりで何とか凌いでいる。


昨今は、国学はやりで、一部の公家は古事記、日本書紀などという書物を読み、日ノ本は皇土で、吾妻の将軍に貸し与えただけだと忘恩の声が流行りのようだ。真偽はともあれ、戦国の世では朝廷の威は地に落ち、公家の領地は失われていたのを、今日の如く日々の方便たつきが立つようになったのは、徳川殿によるものであろう。蔵米取りなら公卿と言えども、幕府の御蔵からの米がなければどうにもならぬ。朝廷には大蔵卿から受領まで、様々な役は居るが何もせぬ。 村方から年貢を集め倉入れをして管理するのは幕府の口入役員がおらねば、何も進まない。若い公家などは、徳大寺様の山県某なる侍に焚きつけられ良い気になっているが、日々の苦労を知らぬ故気軽なものである。 誰が、日々の米や金をもってくるか考えれば、飼い猫だろうが恩は知るものである。 特に新家(江戸になってから出来た公家の家)ならば、将軍家の加増により出来たのだから尚更である。 

猫にも劣るとは呆れたものだ。古の朝廷の夢を見るのは勝手だろうが、それも日々の勤めや家の道(各家の家職:この場合は神楽)を務めての事である。御神楽(みかぐら:宮中で行う神事、但しこの頃は、戦国時代で絶えてそれほど多くない、この後 光格天皇が即位し故実復興運動で、より多くの宮中行事が再現された。)を無事に努めるには、神楽歌、三管(篳篥、龍笛、笙)、糸物(箏と琵琶)を、一通り身に着けるには一生かかる。 神楽宗家の綾小路様にも御礼も必要であるし、習熟には楽人衆(雅楽の専門職で、朝廷では地下官人なので位階は公家よりも下)に習う必要があり、いつになっても学ぶ事は絶えない。


一方で、最近の剣術を学ぶ者が増えているのは、羽林が武官である事を考えれば喜ばしいものである。宮中の行事にても、弓の扱いは言うに及ばず、太刀の扱いなどは知っておきたいものだ。近衛の官人でも、弓や太刀の扱いを知っているものは、武官束帯での姿をみるだけでも違う気がする。 一方で、高貴の身でも弓、太刀の扱いを知らねば、思いもかけぬ不覚を取り、恥をかくものである。先日、内府様が大将を兼任された時に、お供に弓を持たせていたが、神前で御自身が御弓を扱う時に、如何にも不慣れな様子で、最後には取り落とされたようである。皆は内府様の面目もあり見ぬふりをしていたが、左府様は声にも出して大笑いされていた。定めし公家衆の日記には「可笑、可笑(笑うべし、笑うべし)」と書かれた事だろう。


昨今では、公家衆と大名との縁組も増えてきたのは、娘を持つ家には嬉しいものだ。

近衛様の御息女が御簾中として江戸に行かれ天英院殿(徳川家宣の正室)となられてより、公卿方の御息女が大名衆の御内室となられるのが増えて来た。 当家のような平堂上では御内室は難しいかもしれないが、御付きの上臈にでもなれれば、大名衆から禄も貰えよう。それには、和歌だけでなく、茶、華、香などを教授出来るようにしておく必要もあり、宗家の公家衆(和歌、茶、香、華などを家元として教えている公家)に習わせる謝礼も必要だ。京大阪の商家や町衆の娘は、公家衆の貧乏を知っているから奉公など嫌だと言うが、江戸では富裕な商家の娘は大名家や将軍家大奥での奉公を、持参金を付けても望むと聞く。

吾妻振りとは、公家の世界では、悪しきものの如く言われてきたが、いまでは有難いものとなったようだ。内職の源氏絵や、伊勢物語の臨書なども、大名衆や江戸の商家の嫁入り道具と聞く。 叔父上は、絵も書も巧みなので、娘の指導もお願いしよう。


いつまでたっても源雅家の独白は尽きないので、とりあえず終わりにして補足説明です。

当時の下級公家では、長子相続ではなく、兄弟で家督を盥回しにする事も多かったのです。その理由は、能力を実地で試し、最も能力のあるものを見極めるのと、朝廷の経験がある方が他家へ養子に入るのも容易だったからです。 下級公家の家では、兄弟、叔父などが厄介扱いではなく、当主の代理、養子要員、家職の指導者、内職要員、果ては 参内の時の家来役(さすがに同じ家では体裁が悪いので他家と相互協力)になっておりました。ちなみに、公家の系図や日記で「実子」と書いてある場合には養子です。血のつながりがないので、却って実子だと記載したのでしょうね。

貧乏な家の方が、兄弟姉妹が仲良く協力しあうのは、武家でも農家でも同じですね。

江戸時代の公家日記を見ると、家に叔父や兄弟が居て協力しており、他家に養子にいった兄弟と協力していた事が判ります。 協力の内容は、朝廷の故実の不明点を聞いたり、必要な道具や装束を借り合ったりしています。



時代劇に出てくる公家は、幕府転覆を企んでいますが、江戸末でも宝永くらいまでは幕府のお蔭という意識が普通でした。 これが光格天皇の即位で、その御方針で朝廷故実の復興が進んで行きます。大名家でも養子の大名の方が改革に熱心だったように、光格天皇は 閑院宮の出身で、四代遡らないと天皇が居ない前天皇とは血が遠い宮家のご出身でした。それだけに朝議復興に熱心で故実研究が進み、その中で朝廷は幕府を任命する立場だという近代の常識の基礎が、公家にも芽生えてきます。それは、やがて尊皇攘夷運動とも結びつき、朝廷の中でも、門流を飛び越えて帝と結びつく「朝臣」という意識になってきます。

幕末の尊王攘夷運動は、武家と同様で、失うものが少なく、貧乏が身に染みている下級公家ほど熱心になります。これが、薩摩、長州など、大名の運動とも結びつき、保守派である公武合体派との主流争いになりました。ですから、幕末の各藩の主流争いは、朝廷でも同じようにあったのですね。 

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