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江戸時代の公家社会:組織編

江戸時代の公家の実態を描く前に、基礎知識として どのような身分社会で役割があったのかを書いてみました。

内容は、「幕末の宮廷」(下橋敬長)を基本に、関連の資料で補足しています。

すでにお読みの人や、資料や細かい話がお嫌いな人には不向きです。

江戸時代のお公家さん


前話で書いたように、江戸時代の初めまでは、武家と公家の間の壁は低かったのです。

しかし、禁中並公家諸法度が、幕府と公家間の合意の元発行されると、公家社会は大きく変革しました。 それまでの公家社会は、独立した国家行政組織:律令体制が形式上はあるのですが、実質は防衛・司法加えて人事の一部まで、時の権力者:幕府に依存する体制でした。 (余談ですが、このような外部依存体制は、現代日本の安保体制も、公家社会と幕府の関係に似た点があります。)

ところが、これからは自立して、一国二制度を行う事になったので、自前の組織を持って自立して動ける必要に迫られました。そこで、まず朝臣を構成する各家を再編成して、家格と役割を明確にします。


1.公家社会の基本知識

江戸時代の公家社会を理解する為の基本的な用語を解説します。 

説明が嫌いな人には、苦手な内容です。


1)家格

武士の世界も同じですが、世の中が平和になると身分制の確立の為に、家格と呼ばれる家のランクが固定します。 公家社会も旧来から家格の定めがありましたが、江戸時代は次の通りです。 基本的には、どの家格でも五位の殿上人(昇殿宣旨を受け 殿上の間に上がる資格を持つ)から始まりますが、その後の昇進は家格により大きく異なります。


摂家せっけ

近衛 ・ 鷹司 ・ 九条 ・ 二条 ・ 一条 の五家で、藤原摂関家の嫡流

公家社会のトップの家柄です。筆頭は近衛です。

五位昇殿からスタートし、大納言、内大臣、右大臣、左大臣を経て、摂政・関白、太政大臣まで登る事が出来ます。藤原氏の長である藤氏長者は、この五家から選ばれました。


前にも書きましたが、公家社会は天皇の下に横並びに公家がいるのではなく、「門流」という派閥の長の元に公家がついています。(門流に入らない無所属の公家も少しあり)

本来、門流は党派の如きものなので、移動可能でしたが江戸時代に定着し移動が出来なくなりました。摂家の五家は門流のトップでもあります。配下の公家は、節季のあいさつ、婚姻、昇進などの節目には、門流の家にまず挨拶に行きます。

つまり、配下の公家にとっては、門流こそ主人でしたし、非藤原(源、平、菅原など)でも、藤原氏である摂家の門流に属しました。この関係は武家の組頭に似ていますが、職制上の上司は別にいるので、二重の統制が存在しています。 門流の固定は、幕府にとっては摂家を抑えれば公家の殆どを統制でき、かつ門流を越えて朝廷が一つに団結しにくいので都合が良いものでした。 朝廷内部でも、門流所属の公家に独立性がない事は、組織運営の面では五摂家で運営可能なので、調整の面倒が無く保守的な組織になりやすいですね。

会社に例えれば、強力な取締役会が仕切って、管理職の殆どは各取締役の統制下で、社長(天皇)からは直接 命令を受けられない状態です。


清華せいが

今出川(菊亭) ・ 大炊御門 ・ 花山院 ・ 久我 ・ 三条(転法輪三条) ・ 西園寺・ 徳大寺 ・ 醍醐・ 広幡 の九家 武官のトップ近衛大将に任官可能で、兼任で内大臣、右大臣、左大臣、太政大臣まで登る事ができます。 清華家では、久我、三条、徳大寺、広幡家は門流には属しません。今出川、大炊御門、花山院、西園寺、醍醐は一条家の門流です。

久我こがは村上源氏で、将軍家が源氏長者にならない場合には、源氏長者となりました。広幡は正親町源氏で、それ以外の七家は全て藤原氏。

江戸時代の宮廷では、「華族」というと、この家の出身者を指しました。

醍醐(一条家からの分家)、広幡の両家は江戸期に出来た「新家」、それ以外は、平安時代からの流れの「旧家」です。 公家というと、平安時代から代々続くように思われがちですが、このように上位の家でも、江戸時代に出来た新家は多いのです。その理由の一つは、室町時代の戦乱で、かなりの公家が絶えてしまった点と、朝廷を組織として上手く動かすには新しい人材が必要だったからです。 江戸時代後半に、幕府から公家領が増えた時に、さらに多くの公家が誕生し、これらの家は「新々家」と呼ばれます。このように、公家社会は、ガチガチな固定世界ではなく、ある程度 入れ替わりや変化のある世界でした。

幕末に活躍する三条実美は、清華の出身です。 往年の名女優:久我 美子さんは、久我家の出身です。


<大臣家>

三番目の家格は、大臣家です。極官を左右大臣とし、近衛大将を兼ねることはできません。

正親町三条(藤原氏:明治以降「嵯峨」と改める)・ 三条西(藤原氏)・ 中院(村上源氏) の三家。これより下の家格は、大臣にはなれません。 大臣と、それ未満は、ご主人様とその家来くらいの、大きな扱いの差がありました。

昨今の大河ドラマは、公家社会を出してくれるのは結構な事ですが、近衛、一条などの摂家の大臣と、宮中で一般の公家が同じ座で話している風景を見ました。 これは江戸の宮廷では有り得ません。大臣は宮家よりも上座で、下の身分のものから直接話しかける事も出来ませんでした。


羽林うりん

武官の家で、近衛少将から中将に上ります。兼任で、参議、中納言、大納言(家により上限あり)まで上がる事が出来ます。 幕末時で六十六家ありました。 岩倉具視(村上源氏)は、羽林の出身です。 江戸の宮廷では、大納言、中納言は、正確には「権大納言」、「権中納言」ですが、文中では 便宜上「権」は省略します。岩倉具視は、羽林の出身です。


名家めいか

学芸をもって仕える文官の家。 弁官、蔵人から始まり、参議、中納言まで上がる事が出来ます。幕末期で二十八家、その中でも日野、広橋、烏丸、柳原、竹屋、裏松、甘露寺、葉室、勧修寺、萬里小路、清閑寺、中御門、坊城家を、十三名家じゅうさんめいかと呼び、大納言まで上ることが出来ました。

藤原氏二十五家に加え、交野、 長谷、 平松の三家は桓武平氏です。


羽林でも同じですが、中納言が極官(家として登れる上限)の公家が中納言になると、すぐに辞職して前中納言さきのちゅうなごんになります。この為、「三日中納言」と呼ばれました。家格が上の公家もスタートが五位からで同じなので、更に上へ出世できる公家へ定員を譲る為です。


<半家>

専門職を持つ家、及びその分家です。 幕末で二十六家あります。

家の家職等に応じた官につきます。以下にいくつかユニークな家を紹介します。

高倉家(藤原氏):装束、有職故実(宮中で着付けを指導、江戸にも道場を開き大名が江戸城で装束を付ける場合の出張指導をした)

土御門家(安倍氏):安倍氏嫡流、ご存じ安倍晴明の子孫。家業は天文・暦道・陰陽道。暦の発行権、御師の元締め収入で裕福でした。

土御門泰福は、映画『天地明察』にも出てきますが、天文学者:渋川春海と協力し、天文観測の結果を導入した正確な暦の導入を行いました。


竹内家(清和源氏):弓箭の家で宮廷の武術指南役、竹内流武術もありました。

白川家(花山源氏):代々 神祇伯を務める、この家の当主は代々「王」を名乗る事が出来ましたが、明治以降 は皇族以外の王号が禁止になりました。

維新後は神仏分離を進め神道の権威向上に努める。

吉田家(卜部氏):兼好法師の子孫を称す(最近の論文では疑問視されています)、唯一神道(吉田神道)を創始した新興宗教?の教祖様

高辻家(菅原氏):菅原氏嫡流。菅原道真の子孫、家業は紀伝道、代々の文章博士

五条家(菅原氏):相撲の始祖:野見宿禰の子孫の権威で、相撲の行事司として興行のライセンス収入で代々裕福だったが、後に権威を熊本細川家が支援する吉田司家に奪われて辛い状況に。


錦小路家:丹波氏嫡流。家業は医道、代々 典薬頭 


以上が「公家」と言われる家々です。

これらの家は、明治維新後 華族になり子爵以上の爵位を、家格+維新の功績に応じて持ちました。原則として、摂家は公爵、清華は侯爵、大臣家は侯爵または伯爵、羽林、名家、半家は子爵です。公家の役割は、宮中祭事の運営です。宮中行事を、舞台公演に例えると、大臣と近衛大将達が主役、大納言、中納言などが準主役、それ以下の公家は端役で主役たちを支えて、殿上という舞台を作ります。端役と言えども、舞台に乗れるのが公家です。この後に、説明する地下官人は、舞台を支える裏方たちで、華やかな舞台も裏方の力が無ければ成り立ちません。


これら公家の他に、摂家、清華、宮家、門跡などの高位の家に専任の家令として仕える(家老か執事の如きもの)「諸大夫」、宮廷の実務を切り回す「地下官人」などが官位を持っていました。特に摂家に仕える諸大夫は、宮中の身分は公家よりも下ですが、門流の権威を背負っているので、非常に力がありました。摂家の諸大夫の一部は、維新後に男爵となりました。摂家諸大夫や一部の地下官人の家は、五位から始め三位まで昇進できました。ですから、公家より「位階だけ」は高い場合もあります。地下官人で業績を重ね職位が上がり、三位になると僭越として職を退きます。 このような場合も、諸大夫となり、宮家や門跡寺などの家令となります。

例えていうと、大企業の地方工場で長年勤め、叩き上げで現場の長になると、その後 本社のスタッフ部門の課長(但し部下無し)になる感じでしょうか。 このように三位になる功績を重ねる人が三代でると、家格が上がり公家になる事が出来ました。


地下官人とは、広い意味では朝廷から位階を貰うが昇殿資格のない人々を指します。

狭い意味では、朝廷で実務を行っているが身分は公家未満の人々を指します。

本文では、区別の為 前者を地下、後者を地下官人と書き分けます。

公家をキャリア公務員と考えれば、地下官人はノンキャリア公務員で、現場で仕事を回しているのはノンキャリア公務員である点も、現代と似ております。

 地下官人には、事務職である外記方げきかた官方かんがた蔵人方くろうどがたの三催があります。 外記方は少納言の下で文書を作り行事の運営をします。会社に例えれば、総務課のような役割です。外記以外に、衣料を整える縫殿寮ぬいどのりょう、酒の管理をする造酒司みきのつかさ、食事を作る大膳職、馬寮うまのつかさなどがあります。外記方は文官ですが、馬寮の官人は例外的に武官扱いで帯剣します。外記方のトップは世襲の押小路家で、大外記となり三位まで上れます。

押小路家は、格別の家として維新後は地下官人にも関わらず男爵となりました。漫画「龍-RON-」の主人公:押小路龍は、これをネタにしたのでしょうね。


官方は、人事を主に行います。会社に例えれば人事、営繕です。

トップは世襲の壬生左大史、従五位下から正三位まで上れます。例によって三位になると職を辞して諸大夫になります。維新後に壬生家は男爵になりました。

人事部門なので、宣命や口宣案という人事通達の書類を作成します。これを受けとると、担当へ相当のお礼を払う慣習ですが、公家は謝礼を惜しんで口頭のみで書類を貰いたがりません。 一方で武家(大名や旗本)は、積極的に書類を欲しがり喜んで謝礼を払ってくれるので、これが役得になりました。 また、七位以下の官人の任官も、ここに頼み込めば便宜を図ってくれます。 七位の図書寮史生や受領の大掾(伊勢大掾とか、近江大掾など 国司の三等官)には、お金を使えばなれました。任官できると、旦那衆は家に菊紋入りの提灯を立て装束を来て悦に入ったようです。受ける側のメリットもあり、末端でも朝臣ですから町方役人は踏み入る事が出来ませんでしたし、お客にはご用達であるかのようなブランドになりました。今でも老舗和菓子店や、刀匠で受領の名乗りがあるのは、この伝統を踏まえたものです。

人事課の「吏」以外には、出納官吏の大蔵省、施設の修理や管理を行う木工寮もくりょう主殿寮とのもりのつかさ、ガードマンの内舎人うどねりなどがありました。内舎人も役目柄 帯剣が許され、武士からの転身組を多かったようです。

蛇足ですが、昭和の宮廷に内舎人は陛下の護衛役として役職が残り、戦前は護衛の為のピストルを携帯できたそうです。昭和20年8月15日の宮中で反乱がおきた時には、陛下の近くをお守りした所も伝統の通りでした。


事務三催の最後は、蔵人方。トップは世襲の平田出納家、正六位上より始め従四位上まで上がります。平田家のみ、他の二家より一段下で三位の諸大夫になれません。維新後も華族に入れず、士族に編入されました。蔵人方には、の図書寮や主水司、内蔵寮など約六十家の地下官人があり、これを統括しました。


最後は、以上の事務三催の支配を受けない独立の専門職の地下官人です。

まず、雅楽の専門家である楽人:宮中祭祀や行事での演奏、舞を行います。 一番古い南都方が十六家、天王寺(大阪の四天王寺)方二十一家、京都方十九家(平安期以降成立)、加えて江戸時代に出来た在江戸楽人が十家(京の各家からの分家:紅葉山楽人)です。女性に人気の雅楽貴公子:東儀秀樹は、紅葉山楽人の末です。

朝廷の治安担当:検非違使が七家、警備部隊として滝口、北面などがあります。

北面には西行の子孫:山形家(佐藤から改姓)がありました。

これらの他にも様々な職がありますが、以上が大まかな世襲の役割を持つ家です。


このように、朝廷も公家だけで成り立つのではなく、その活動を支える様々な裏方により成り立っていました。また、全て公家ががオジャルな存在ではなくて、武官や警護役もいれば、医療、天文などの専門職もいるのです。

そして、朝廷を組織として運用するには、当然のように現場の実務官として地下官人の働きが欠かせませんでした。

基礎知識として、収入の事も書きたかったのですが、組織について説明するだけで長文になってしまいました。 収入や席次、装束の事を少し書いた知識編のまとめを次話予定とします。

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