再び日本刀:神話を越えて?
知り合いと飲み会をした時に、日本刀の武器としての殺傷能力が話題になり、ある人は三人くらい、ある人は「三人は世間に流布した神話」だと言い、議論になっておりました。
これに対して、私なりの見解を書いてみます。日本刀と言えば、あの美しい刀身を想像する人が多いのですが、今回は、武器としては拵え(外装)が重要だというお話です。
武器として日本刀を考えれば、折れず、曲がらず、良く切れるという事を求める事は当然と思います。 一方で、日本刀は殺傷能力が低くせいぜい三名くらいと言う意見も良く聞くし、一方では「まともな日本刀」は、そんな役立たずではないとの意見もあります。 私なりの結論を始めに述べれば、どちらも間違いではなく、見解の相違は、前提条件の違いだという事です。
1.三人説のオリジナル
私が知っている範囲では、殺傷能力三名程度を明確に提示したのは山本七平氏が、日中戦争の戦意高揚記事「百人切り競争」(1937年 東京日日新聞(現在の毎日新聞))に対しての、事実無根の創作記事の根拠として挙げたもので、手に入れやすい本では『私の中の日本軍』(文春文庫)で、書かれており、百人切りが出来ると思うのは戦争の実相を知らない人が一般化した状態だと書いています。 ちなみに、山本氏は、青山高商(現在の青山学院大学)卒業後に、陸軍甲種幹部候補生として、従軍した経験があり、その体験を踏まえた日本刀の能力から考えれば「百人切りは出来るはずがない」、せいぜい三名程度だから記事は事実無根の記者の創作としています。
「百人切り競争」は、日中戦争における陸軍将校によるものとして報道されていますので、その状況は、日中戦争に於いて、将校の装備品である軍刀(日本刀)による戦時における記事だと考える事が出来ます。
2.三人説の反証
一方で、日本刀の能力はもっと高いと言う人は、居合をする人に多いようです。
それは当然の事で、現代では実戦で日本刀を使う事は不可能ですから、それを据物斬りなどで代用して確認するしかありません。その中で実験してみれば、三名などというレベルでは無く、より多く斬る事が出来て、刀身には異常も無いと報告しています。
私は、このいづれも正しいのだと信じています。 賢明な読者の方々には、すでにお判りの通り、二つの事項では前提条件が違うのです。
とりあえず、便宜上 前者を山本説、後者を居合説として、その相違点を述べてゆきます。
3.二つの説の、前提の相違
山本説は、「百人切り」への反論なので、刀は 当時の将校の標準的な装備である軍刀としています。また、使われる状態は、戦闘状態、つまり敵兵との戦いとしています。 なぜ私が戦闘状態とするかと言えば、報道された記事が戦闘時としており、当時の報道管制を考えれば、戦闘時の活躍以外の報道は有り得ず、非戦闘員や戦闘時では無い虐殺では報道不可だからです。(裁判では、戦闘時以外の処刑の疑いありとして被告に不利な結果になりましたが、私の話ではこの前提は問わず論じません)
居合説では、使用する刀は軍刀では無く、居合用として整備され、適切な拵えをされたものです。 場合によっては、非常に高価な名刀です。 実戦は出来ませんから、いくら牛肉と牛骨などを使おうが、据物斬り(静止対象を斬る)になります。私も居合を齧った事があり、昭和刀と呼ばれる高価では無い刀身でも、しっかりとした拵えをした日本刀では、藁束斬りを五つくらいしても、全く損傷は無い正常な状態でした。 但し、私は下手なので、静止目標に対してでも手元が狂って刀身を曲げて、六つ目で終わりました。 刀身が曲がったまま、斬り続けると、曲りがひどくなり、全く斬れなくなります。 刀身が曲がれば、どんな名刀だろうが斬れなくなります。となると、有る程度のレベルで、斬るインターバルが短くて、再整備が可能ならば、「三人説」は十分否定出来る事は明白だと思います。
一方で、戦闘時ならば、相手も動いて抵抗しますので、据え物斬りのような事は出来ません。日本刀で切る場合には、相手の正中線を斬る唐竹割などは、実戦では不可能ですから、おのづと斜めに切る「袈裟斬り」か突きになります。 この場合には、刀の刃の方向と、移動方向が完全に一致していないと、その無駄な力が刀身を曲げてしまいます。
野球に例えればジャストミートしたライナーの打ち方、ゴルフならば左右にぶれないナイスショットを常に要求されている事になります。
ですから、実戦で三人説を否定できる斬り手は、ジャストミートを普通に連続出来る上手さを持っているのだと思います。
4.二説の違い
ここまで書いてみると、二つの説の前提条件の差異は明確になってきました。
山本説では一般的な軍刀を戦闘状態で使う事を前提としています。
居合説では、居合用にしっかりと拵えをされた、品質の良い日本刀を、実戦を想定した試し斬りをすれば、ある程度以上の技量の人ならば三人限界説は否定できるという事です。
ここまで、説明すると、私が始めに書いた、どちらも正しいという事は、ある程度ご理解頂けると思います。 蛇足ですが、B級戦犯を裁いた「百人切り」裁判でも、被告が日本刀で戦闘中に百人斬ることは不可能と認めました。しかし皮肉にもその結果として「被告は戦闘状態でない時にまで捕虜や民間人を処刑した」と判断され、有罪となり死刑になっています。
5.残った話題
残った話題として、昭和の軍刀の実力と、日本刀の威力を発揮する為の重要な点についてお話して終わりたいと思います。
1)昭和の軍刀の実力
居合をやる人の中でも、日中戦争以来 陸軍士官の装備品として大量に作られた、軍刀の評判はあまり良くありません。 これは、ユーザーでもあった山本七平氏が近代兵器としては欠陥品だと言い、殺傷力三人以下と百人切りを否定した事からも明確です。
私が習った居合は、戸山流という旧陸軍が採用した近代の流派で、当然に例の軍刀による据え物斬りを何度か見ています。 この場合には、刀身には、評判の悪い昭和刀、造兵刀(工業用鋼を使った量産品)も使いましたが、古来の日本刀と比べて全く遜色なく、とても良く切れたのが印象に残っています。
ならば、なぜ昭和の軍刀は、評判が悪かったのでしょうか?
それは、刀の本体(刀身)ではなく、拵え(外装)の問題だと思っています。
外装が良くないので、何度か斬ると、柄が壊れてしまったり、目釘が折れてしまうのです。
(とりあえず、私のようなヘボが刀身を曲げてしまう問題は除外し、構造上の問題に絞って論じます)
(2)昭和刀問題の原因
当時の軍刀は、軍服、拳銃も含めて、士官の場合には、自費購入です。 ですから、よほどのお金持ちでもない限り、出来合いの量産品の軍刀を購入して、装備としました。
古来の日本刀は、刀身だけでなく、拵えにも費用と手間を惜しんでいませんでした。
柄には、良く乾いた良質の木を用い、良質な鮫皮を撒き、丈夫な柄紐でしっかりと巻き、一つ一つ丹念に調整してありました。
一方で、量産された軍刀の拵えは、柄には柔らかい朴の木を用い、粗悪な鮫皮、堅牢でない紐と非常に粗悪なものだと類推できます。(類推と言うのは、私は当時のままの軍刀を使った事が無く、仮にあったとしても経年変化による破壊の可能性があるからです。)
この拵えの問題は、前に「戦いを描く事」について書いた時の参考書として引用した成瀬関次著『実戦刀譚』『戦う日本刀』にも書かれています。
著者の成瀬関次は、刀工で、実戦における日本刀の実態をつかみたいと中国戦線に従軍し、軍刀の補修をした人です。 ですから、日本刀の専門家による、戦場で使われた日本刀の実際という点で、貴重な記録だと思います。
成瀬氏は『実戦刀譚』の中で、軍刀の故障を次のように述べています。
「昨年の二月従軍するまでは、軍刀の損傷は刀身が大部分で、その他は極めて僅少なものという見解を抱いて行ってみて、さて実際にぶつかって驚いたのは、全くその正反対な事実であったことである。 激戦地の部隊に行けば行くほど外装の故障の多かったのには、ただ驚く他は無く、九ヶ月間の修理記録を精査して統計をとってみると、外装の故障七割その他の故障三割という比であった。」
つまり、殆どの軍刀の故障は、刀身ではなく、外装(拵え)にあったという事なのです。
では評判の悪い「昭和刀」の刀身はどうだったかと言えば、次のように書いています。
「陸軍の工廠でつくる造兵刀、即ち新村田刀が相当使用されていたが、これも洋鋼素延の軍刀であって、刀剣家にいわせると、昭和刀の定義内に含まれ、錵も匂いもなく、砥石で磨ってそれをあらわしたもので、研ぐと直ちに消滅してしまう。 この造兵刀は相当数に達し、部隊長級にも二、三見受けたが、 やはり折損したものはなかった。 こうした刀の持ち主中には、かなりな激戦を経てきた者が少なくなく、まったく天佑であったかも知れぬが、内地での悪評判ほどではなかった。 但し、切れ味とかその他は別個の問題であって、 ここには折れる折れぬを述べたまでである。」
昭和刀だろうが、折れないという事ですし、実用には十分耐えたようです。
(3)拵え(外装)の重要性
一方で、昭和の軍刀の外装の問題については、実に具体的に指摘しています。
「激戦中に柄糸が切れてほぐれ、続いて糊づけにした鮫皮がはがれ、細工に便利な柔軟な朴の木で造った柄木がすっ飛び、やむなく包帯用の白布で中心の部分を巻いて闘ったが
武運つたなく討死した某少尉。 白兵戦中に柄が中央からポッキリ折れたため、一撃に敵を倒さんとして果たさず、しかも己の右手に負傷した某少尉。たった一本の目釘が抜けていたばっかりに、 刀がすっ飛んで長蛇を逸した話。」
つまり、どんな名刀を刀身に入れていようが外装が駄目ならば、駄目な武器となってしまうという事です。そして、昭和の大戦争で使われた日本刀の殆どは、このようなものだったという事が推定できます。前述の山本説は、正に この状態を指摘したのだと判ります。 山本氏は、自身を大卒から速成教育された腰掛士官だと自身で言っており、持っていた軍刀も、特に金を掛けていない量産品と言っています。
一方で、居合説や、私が戸山流で体験した良く切れる状態は、昭和刀のような刀身が工業製品だろうが、外装がしっかりしていれば、斬れるだと判ります。
さて、成瀬氏は、自身の体験から、軍刀に対して次のように言っています。
「百七十円の刀身を求めて三十円に外装を値切るよりも、むしろ百五十円の刀身に五十円の外装を施すのが賢明である。」つまり、ここから判る事は、日本刀を武器、道具として使うのならば、拵えにも金を掛けろと言う事です。(昭和15年当時の物価と、平成24年の消費物価を比較すると、当時の1円は、約3000円から5000円に相当します。 )
そして、拵えを軽視した事が、昭和の軍刀で、武器として大きな問題を引き起こしたことが判ります。
6.まとめ
日本刀が広く実際に使われた日中戦争において、昭和刀の評判は非常に悪いものでした。
非常に説得力のあるものは、「百人切り裁判」における、山本七平氏の実体験からの反証:殺傷力三人でした。その一方では、昭和刀を実際に使ってみると、かなり斬れるという体験をし、また周囲にも昭和刀でも切れるのだという人がいて、その話の相違がとても気になっていました。
何故だろうかと疑問を抱えたまま、長い期間を置いてしまいましたが、刀工という専門家の身で従軍した成瀬氏の著述を見直してみると、条件の相違がある事が判りました。
日中戦争は、日本が総力戦に突入して行く時代で、大量生産の装備(武器)としての軍刀が求められた時代です。 成瀬氏自身が告白しているように、現場をみるまでは、日本刀の故障の殆どは刀身だろうと思っていました。 私も、日本刀と言えば、美しい波紋を持ち工芸品としての美しさを持つ刀身をまず想像し、拵えは 鞘の蒔絵の美しさ、金物の象嵌の美しさに目をとられ、道具として重要な役割を持っている事を忘れていたのです。
映画やドラマでも、日本刀が良く登場しますが、整備不良状態を意味する鍔鳴りがしたり、はてはヤクザが白鞘の刀を振りまわす風景を眼にします。 白鞘は、刀身を保管する為で、あれでものを斬ろうとすれば、柄がバラバラになってしまいます。 それが作品内で非常識とならない所に、日本刀がロマンに満ちた存在でありながら、実態が知られていないのだと感じます。 それは、昭和の従軍した士官も同じで、多くの士官は拵えに金を掛ける重要性をしらず、現地で大変な体験をして、それが昭和刀や軍刀の悪評につながったのだと思います。悪評を聞いた人は、根本原因を知らず、昭和刀の外装の問題は、いつのまにか刀身の問題、工業製品の刀の問題にすり替わったのかもしれません。
私は、過去 従軍者の聞き取りをした事がありますが、実際に軍刀を使った人は例外なく、刀身の曲り、柄紐の緩み、目釘の折れ、鍔のガタツキなどを指摘しました。 加えて実戦で軍刀を使った人も非常に稀でした。 使った場面は、前進の時に有刺鉄線を除いたり、邪魔な枝を切り払ったり、かかってきた敵に自衛的にかざした場合などが殆どで、積極的に敵を斬る行為をしたと語った人は稀です。 実際に切ったと言われた方は、戦死した同僚の遺体の一部を形見として切り取った場合と、壊死した患部を切り取る為にと、外科道具の代用をした軍医で戦闘とは無縁でした。そんな使い方でも外装の問題があったのです。ですから、外装の問題も言わず剣豪のような活躍を自慢した人がいれば、多分 勘違いをしているのだと思っています。 一人、居合の経験があり、しっかりとした拵えの軍刀を誂えた人がいましたが、そのような人は、自身の活躍は決して語りませんでした。
さて、恒例のチートネタです。
もし自分が転移でもして、武器としての日本刀を使うならば、安い工業製品の鋼にして10万円で身を作り、後の10万円を外装にかけます。 そして、予備用を持つでしょう。
美術品、工芸品としての日本刀の美しさは、私も大好きですが、いくらなんでも百万円越えの工芸品を、実用にはできません。 武器としてならば、百万円以上の手間がかかった美術品の一本よりは、ヘボで曲げる私には、予備を含めて二本で四十万円の量産品が似つかわしいのです。
とは言え、それではロマンがありませんから、小説では、好きにお書きになれば良いのだと思います。 それでも気づいて欲しいのは、美術品と道具は違うし、日本刀では あの美しい刀身が全てでは無いという点です。美しくて斬れるのも凄いけれど、美しさと切れる事は、必ずしも一致していないのです。工業製品として作られた鋼でも使えたという話は、砂鉄で作る玉鋼に手間暇かけるだけが斬れるために必須では無い事を語っています。 そして刀身は、それを包み衝撃を吸収してくれる柄と、柄を包む鮫皮、それを固める柄紐と、その他の金具があった上で、刀として機能できるのです。
江戸以前の日本では、日本刀の職人は分業しており、刀身を作る刀工だけでなく、拵え、鞘、金具、紐を作る専門職が存在していました。 そのような職人は今でもいるのですが、忘れられがちです。私達は、日本刀と言えば刀身とそれを作る刀工だけに注意が行きがちですが、武器とは柄、鍔、鞘など、構成する様々な部品が、バランス良く組み合わさってこそ、機能できるのだと思います。 それは日本刀に限らず、他の武器でも共通なのだと思います。
自分の気付きをまとめてみたら、またもやロマンの無い内容になりました。
それでも、私は日本刀が好きなだけに、事実も知った上で、好きになってくれる人がいると嬉しいです。
とは言え、小説は事実と異なって良いのです。創作の翼を広げて、素晴らしいお話は楽しみにしております。 記録された現実に夢がないだけ、ロマンのある話は花開くのかもしれません。




