ネタな町:ネルトリンゲン(南ドイツ)
アニメ 『進撃の巨人』の壁の都市のモデルになった町があるのをご存知ですか?
今回は、そんな町を旅してネタを探してみます。
昨今 流行っているアニメに「進撃の巨人」があります。
これは、西洋の中世風な街並みが舞台で、壁に囲まれた中世の町に、巨人が理不尽な攻撃をし、人間を喰らい、人々は怯え、巨人に対抗する主人公達の物語です。
日本のみならず、海外でも人気があり、2013年末の紅白でも主題歌が登場しました。
そんな『進撃の巨人』に出てくる壁に囲まれた町のモデルだとアニメファンの間で言われる町があるのをご存じでしょうか? 昨年秋に、私は旅行で訪れたので、どんな町なのか少し見てみましょう。その町は、ネルトリンゲンと言います。
ネルトリンゲンは、南ドイツ バイエルン州にあります。
ドイツは、北と南で随分と風習が異なり、北ドイツはプロテスタントが多く真面目で厳格な感じ、南ドイツはカソリックが多く、その為 聖人毎の休日が多く、何となく大らかな感じがします。 バイエルン州は、かつてはリヒャルト・ワーグナーを庇護し「狂王」と呼ばれたルートヴィヒ2世や、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后で「バイエルンの薔薇」と呼ばれたエリーザベトとも所縁がある歴史を持ち、『ルードウイッヒ 神々の黄昏』という映画を見ると、これらの登場人物が描かれており、また西欧風のお城の代表「ノイシュバンシュタイン城」(明治以降に作られたのにご注意)でも有名です。
工業面では、かのBMWの本社がある事でも知られています。
ネルトリンゲンに行くには、鉄道で行くか、車でロマンチック街道を利用して行くのが便利です。 鉄道好きには、ネルトリンゲン駅にある鉄道博物館(なぜか開館日が日曜だけだった)も、お勧めで、様々な蒸気機関車や客車の動態展示を楽しめます。
現在のネルトリンゲンを訪れて、一番 初めに気付くのは円形の城壁に囲まれている事です。 外からみると、壁ばかりで、外周道路からは円形かは判り難いのですが、壁の中に入り、壁上部に設けられた回廊に上がれば、壁が弓型になっている事が良く判ります。
壁には、一定の距離で塔が付属して、ここに上ると、中世の街並みを残した市街が良く見えて、私は空中機動をしている気分を妄想しておりました。
壁の中に入るには、昔からの門から入る必要があり、門には櫓がついて楼門になっています。現代でも、5つの楼門と、11の塔、そして壁から外に張り出した堡塁が2つ残っています。 堡塁は、巨人で出てきた「シガンシナ区」のようなもので壁の外側に張り出した部分ですが、それほど大きくなくて 日本の城郭の桝形程度の広さです。
町の中心には、ヨーロッパの中世都市でお決まりの、広場と、教会の大伽藍、そして見張り塔の役割をもった塔(ダニエルという名がある)があります。この塔に登れば、この町が正確な円形を描いている事が、良く判ります。 円の直径は1kmくらい、周囲は3km強ですから、歩いて全て回るのも容易です。 私は駅前のホテル(壁の外は安い)に泊りましたが、1泊で十分 壁の中を見て楽しむ事が出来ました。壁の中には、小川もあり、小さいながらウオールマリアから避難する時の川の雰囲気を妄想できます。(大きさは、アニメとは異なり実物は小川程度)
どうやってこれほど大きな壁を円形で作れたかと言えば、15万年ほど前に落ちた 隕石のクレータの上に町を作ったからです。 クレータの外周部は直径15kmくらいあるようですが、内部には1km程度の小クレータがあって、この隆起にそって壁を作ったのだと思われます。
何故 現在まで残る、こんな大規模な壁が作られたのかという理由は、町の歴史によれば宗教戦争です。ドイツの中世都市をめぐれば、必ず出てくる三十年戦争は、プロテスタントとカソリックの勢力争いに、各地の諸侯と外国軍が結びついて大規模な戦争に、更にペストの大流行まで加わり ドイツ国内の人口を半分以下まで減らした言われた大厄災です。
ネルトリンゲンは、当時は皇帝フリードリヒ2世から都市権を与えられた帝国自由都市でしたが、南ドイツには珍しいプロテスタント側についた都市で、1634年にハプスブルク皇帝軍に包囲され、抵抗の甲斐もなく降伏しました。とは言え、賠償金の支払いで、大規模な略奪や破壊を免れたのは、皇帝軍側が自領内への経済的影響を損害と見たからなのでしょう。 同様に、南ドイツで、帝国自由都市でプロテスタント側についた都市に、ローテンブルグがあります。 この町は、ネルトリンゲンよりも大きく、更に多くの中世風の建物と町、門や回廊のある壁を残しています。 この町では、町を救った市長の伝説が残っています。皇帝軍に包囲され敗北し、今しも町の略奪が始まろうとした時に、市長が攻撃側の司令官に巨大ジョッキ(3.5リットリ以上)のワインを差し出したところ、これを一気に飲み干したら略奪は勘弁すると言われ、その通りに飲み干して町を救ったという話しが残っています。 南ドイツの諸都市は、皇帝軍側からすれば自領内で、宗教的な立場は異なれ、破壊すれば結局は経済的に困るのですね。 ですから、攻撃側の司令官も何か劇的な略奪禁止の言い訳が欲しいのは本音で、それに上手く市長が提案したのだと、私は推測しています。
もちろん、それが容易な事ではないのは、宗教戦争における様々な残虐行為や略奪が当たり前だった事から明白です。
実態はともあれ、この一気飲み伝説は、今でも祭りにも残り、市庁舎のカラクリ時計にも残され、観光客を楽しませています。 ローテンブルグも、ネルトリンゲンも、第ニ次大戦では空爆され、少なくない被害が出ています。 しかし、ドイツ人は、それらを元のように復元し、どちらの町も、中世の雰囲気を残す史跡として、世界中から観光客を集め続けています。
壁が出来た理由は、宗教対立による大戦争を乗り越える為で、カソリックが主流の南ドイツで、プロテスタントの都市として生きてゆくには必要な防壁だったのでしょう。
しかし、それ以上に見事なのは、負けた後 勝者と交渉して略奪を逃れた粘り強い交渉や、そして何度も戦果にあっても、元の通りに修復したドイツ人の粘り強さを感じました。それがあったから、私たちは 今でも中世の雰囲気を旅して味わう事が出来ます。
歴史をひもとき、都市を旅行すると様々なものに出会います。
皆さんは、こんな都市をネタにして、何かお話を作ってみませんか?




