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音楽について(純正律と平均律):その2 平均律

前後の分量のバランスが悪いのはご容赦を。

現代 音楽の基本:平均律についてのお話です。

4.平均律:ピアノから始まった音楽革命

西洋音楽が、バッハが代表する古典派から、ベートーベンに始まるロマン派へ移るにつれて、楽曲は複数の転調を繰り返し、交響曲ではクラリネット、トランペットなど、様々な新しい楽器が登場し、大きな編成になってゆきました。 複雑な楽器構成と、音楽の繰り返される転調を考えると、転調しないで済む音楽は無理なものになり、発想の転換をして 転調しても調律不要な楽器、音階を使おうという革命がおきます。

それを実現したのが、ピアノであり、平均律:Equal temperamentという音階です。 ピアノの調律は平均律に基づいており、転調をしても再調律が不要なように調律されています。 私達は、学校の音楽ではピアノを用いて音階を指導され、作曲も平均律が当然のものとして用いられ自由に転調が行われています。 ですから、平均律は、現代人にとっては当たり前のものなのですが、この平均律とは何かをお話します。


再度 前の話しに戻り、純正律やピタゴラス旋律は、音階が整数比(つまり自然数)で表せると説明しました。 一方で、平均律は、無理数(ルートの概念)を導入した音階です。

前の説明を思い出して頂くと、1オクターブの差は、弦の長さが1/2(二分の一)になる関係と説明しました。 そして、1オクターブに12の音階をあてはめるのが音階と説明しました。 この点は音階の大原則で平均律でも共通しています。 違うのは、1オクターブに割り付ける音の間隔、割り付け方です。 平均律では、各音を等間隔に割り付けます。 音階を等間隔に割り付けるには、隣り合う音との弦の長さ(波長:周波数の逆数)の比を、常に同じにする必要があります。 この比率が平均律では、無理数になります。(一方で、純正律では整数比)

その比率は、2の1/12乗(12分の1乗)となり、近似すると1.059463094…という数値になります。これは無理数ですから、どこまで行っても限りがありません。

疑問に思う人は、上の数値を12個掛け合わせてみると、ほぼ2になる事で確認できると思います。

つまり、ピアノの弦では隣り合う半音の関係の弦は、1.059463094…の長さ(周波数)の比になっているという事です。 ピアノを実際に作るには、音楽理論だけでなく、強力な弦の張力に耐えられる鉄の強固なフレームが必須で、同時に残響を残せる微妙なタッチできる機構を全ての鍵盤に取り付けるだけの工業的な技術の発展も必要でした。それが数学理論の発達と同時期のベートーベンの時代だったのも、技術的な必然だったのかもしれません。


この平均律の導入により、曲中で 何度転調しようが、再調律をしないでも演奏が出来て、楽曲の表現が広がりました。 現代の私たちが、カラオケでキーを上げ下げしても曲の旋律が崩れないのも、ボーカロイドが正確な音程で歌えるのも、この無理数の計算が瞬時に演算できるからなのです。


平均律で、等間隔に割り付けた音階の名前を、ド、ド#(またはレ♭ 以下同じなので#で代表)、レ、レ#、ミ、ファ、ファ#、ソ、ソ#、ラ、ラ#、シとして、これを五線譜で記載する事になったのが、現在 私たちが習っている音階の基礎です。ですから、五線譜で記譜された音楽は平均律が前提で、平均律を用いない邦楽や雅楽では音が異なるので原則として五線譜は用いません。


5.まとめ: 平均律の登場がもたらしたもの

平均律は、無理数の導入により、音が等間隔になり、転調しても元の旋律が崩れない、つまり再調律が不要という、作曲上の自由を実現しました。


平均律の導入は、曲から調や基音を無くしてしまいました。

平均律 登場以前の音楽では、調に応じた調律をする手間がありましたが、おのずと響きのよい音:基音を選んで曲は作られていました。


平均律により、基音が無くなる事で、楽曲は自由に転調してゆきますが、どこか落着きを失います。それは同時に、音楽の在り方を変えてゆく事にもつながります。

西洋でもルネサンス以前の楽曲は、基本的には8つくらいの音で構成されてとてもゆっくりしたものです。 音楽の変化は少なく素朴ですが、美しい響きがあります。

雅楽の曲も、十二音と言いながら、曲で使われるのは8つくらい、主音は3-4程度です。

こうした音楽は、ゆったりとして変化に乏しいのですが、どこか人を眠いような、良い気分にいざないます。

一方の平均律が登場した以降の音楽は、華麗で様々な変化に満ちています。


これは、どちらが良いという問題ではなく、基本的な原理原則が異なっているという事なのです。 しかし、私達は、音楽教育を平均律に基づくピアノで行う事で、平均律が当たり前の世界にいます。 一方で、古典楽曲を、純正律やピタゴラス旋律で演奏してみると、美しい響きが得られる事が判ります。 散々書いてきて、何が言いたいかといえば、現在の平均律以前に、異なる音楽があり そこでは異なる理論で音楽が作られていたという事です。


ピタゴラスは、この世は数学で出来ていると言ったそうです。

その意味は私には不明ですが、美しい響きは整数比から生まれるという事実に接してみると、感慨深いものを感じます。

孔子は、周の音楽を尊重し、その音楽理論を学ぶ事に食事を忘れるくらい熱中したとありますし、論語には様々な音楽の逸話が出てきます。 数学理論と音楽の繋がりというのは、音楽が単なる感性の世界ではなく、理論的に体系づけられる事が、孔子にとっては重要だったのではないかと想像しています。 

現代に生きる私達は、平均律に基づいたピアノという音階の基準器が当たり前に存在しています。ピアノの登場には、複雑な機構と、強固なフレーム、鋼鉄による恒久的な弦など、工業の発達が必須でした。現代の私達は、それらが当たり前に存在するので、理論を意識せずに、その成果だけを利用し、自由な感性で音楽を楽しむことが出来ます。

一方で、それらが無かった時代には、曲に合わせた調律を行う事自体が重要な技能だったのです。ですから、音楽を演奏する事、作曲する事は、自身の中に明快な音楽理論が必要だったのです。もちろん、それは感性の世界で行ってもよいのですが、人に伝えたり、儀式用に大編成のオーケストラを演奏するならば、何等かの理論は必要だったのです。

そして、古代は、音楽や歌は神との交流であり、それが理論として説明できる事は、非常に重要な知識だったと思います。


音楽と数学の関係、自然数の純正律と無理数の平均律の関係、皆さまは如何思われるでしょうか?

どんどん、御話から遠い 理屈に話になってしまいました。


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