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書く気持ちを維持する為に

すでに小説を書き、投稿している人の多くは、書く気持ちを維持する為に様々な取り組みをされているのではないでしょうか? 全ての人に当てはまるかは判りませんが、私の体験と対策を書いてみます。

私の体験で恐縮ですが、これが一番 説明しやすく、かつ自分にとっての事実なので、これに基づき説明します。 全ての人に当てはまらない事は判っていますが、なるべく一般化して書き、少しでも参考になれば幸いです。


1.書く事に困らなかった時

子供の時には、作文は得意で、また 色々な話をつくったり、ゴッコ遊びの類で設定を考えて、それで遊ぶことが好きだった人は多いのではないでしょうか。 そんな子供のような気持ちを維持できて、それが周囲に受け入れられるものならば、誰も書くことに悩みません。

それが出来ないのは、まず書いたものが人に受け入れられるという要求があるからです。 子供が大人になるには、自分の世界と、他人の世界が異なる事を知る必要があります。 その境界を広げて、なるべく周囲の世界と上手くやってゆく事が社会性とか、社交性と呼ばれ、大人として社会でやってゆくには必要な事になります。 これは小説でも同じで、読者が受け入れられる世界をつくり、そこで表現される事象は理解可能で、かつ小説としての楽しさ、面白さ、恐ろしさ、怖さなどのエンタテイメント性が必須であり、加えれば何等かの主題や作者が持っている主題やコダワリなども構成要素して考えられます。このような、自分以外の多くの人が共感できる価値を表現できる事が、自分以外の人が読める小説として必要なものになります。

もちろん、ある特殊な価値観や狭い世界を、小説で描く事も可能ですが、狭い世界になればなるほど、そこで求められる特殊性も先鋭になり、狭い世界だから書きやすい事もないし、広く受け入れられる価値観を目指すからと言って それが困難な訳ではありません。 結局は、対象とする読者に対して、自身の書くものが嗜好に会っているかが重要であり、読む人や受け入れる人の多寡は、小説 そのものの価値というよりは、商業的な価値や、小説の評価結果だと言えるかもしれません。


2.自分の中で書こうというネタがあった時

私は、今でも会社務めをしており、20-30代の頃は、仕事の上で異常な体験をしました。 当時 技術者であった私は、突然 業界団体の日本側代表の役割を仰せつかり、米国の業界団体と数年に渡り交渉するはめになりました。特に英語が得意でなく、技術の事もソコソソしか判らない若造にとって、あまりにも過酷な仕事でした。

併せて、当時の私の上司は、これを余計な仕事と断じて、上司には最悪の評判で、他の部署や他社からは評価が高いという、変な状況にいました。

当然 会社員ですから、上司の評価が現実で、ストレスの毎日でした。

 そんな異常な状態の時は、自分の状況や、体験を、書いてみたいと思う気持ちが、自然におきます。その状況では、書く事がカタルシスにもなるし、状況を整理する助けにもなります。 当時の事を、ある技術雑誌に書いた事がありますが、意外に受け入れる人が多く、本にもなり稿料も貰い、これが私の始めての物書き体験となります。

 このような、異常体験、過酷な体験など、非日常な世界は、広くではありませんが、それなりに受け入れられます。 例としては、冒険小説、戦記小説、災害でのルポ、ノンフィクションなどです。

それは、異常な状態の中で、自分をシュミレーションしたり、安全な自分の位置を確認できる事が、受け入れ易い価値観だからです。ですから、「小説をよもう」でも、仮想世界への転移ものは、定番の位置を築いています。それはファンタジーとして空想世界に遊ぶものではありますが、同時に異常な体験による緊張を伴っています。

一方で、書く側にとっては、自身の非日常な体験を材料にすれば、自身の中のストレスを加工し、文章として再構築する事で、それを発散し、見つめなおす事が出来て、精神的な安定を得る事が出来ます。 ですから、自身の中の緊張状態を解消する事が、そのまま小説を書く行為に繋がります。 このようなストレス状態の時には、書くモチベーションに困る事はなく、むしろ原稿の量を気にしたり、内容が特定の事項に偏らない事に注意するような状況で、筆がどんどん進んだ事が記憶に残っています。


残念ながら、このような異常体験による、煮えたぎる小説への動機は、書けば収まるので、長く続くものではありません。もし波乱万丈な人生がずっと続いていたら精神が持ちませんし、人は いかなる刺激にも慣れてしまうので、いつかは非日常が、日常になってしまうのでしょう。ですから、そんな特殊な体験をネタに出来る機会があれば、運が良いと考えるのが合理的なのかもしれません。 この場合の結論を言えば、異常体験をしたら、熱い記憶のある内にネタにしようという点です。何かしら書いておけば、後で材料に出来ますし、書けない時のネタにもなります。


3.頭の中に書く事が湧いてくる人

とても稀ですが、そのような人はいます。

「小説をよもう」でも、毎日更新、時には一日に数作、それも半端でない量を書いている人もいます。頭の中に書きたい事が湧いてきて、書かずにはいられないようです。

音楽家では、モーツォルトがそのように言われていますが、一方で社会性では随分と欠陥もあったようです。 ですから、そのような人は天才であり、努力では届かない人と考え、そうなれる事は期待しないのが良いでしょう。

また、そのような天才や能力のある人は羨ましくもあり、書かずにいられない事は当人には大変とも思い、いづれにせよ凡人の私には参考に出来ません。


4.書けなくなった体験

私は、書く事が本業でないので、書けないと食えないという、厳しい状況にはありません。 そんな甘い状況でも、連載を受ければ、締切という現実に向き合い、何とか自分を掻き立てながら書いた体験があります。 何とも書けないという情け無い経験をした事もあります。 そんな体験から、自分流の対処法をまとめます。


小説を書き始めた頃は、その事自体が楽しくて書く動機にもなるし、ちょっとしたコメントや評価でも、大いに励みになると思います。 また、20-30代くらいは、体も無理が利いて、とにかく書く事が出来ます。

ところが、30代後半、40代になり、更に50代になれば、体の無理はきかず、

その一方で、若い頃や、駆け出しの頃の初々しい気持ちは失われ、何等かのモチベーションを維持するか、自然体で書けるスタイルを身に着けないと書けなくなってしまいます。 自然体で、無理なく書くには、モチベーションを掻き立てるのではなく、モチベーションを落とさない工夫が重要だと思います。


「小説をよもう」でも、とても良い作品が、完了せずに放置されている場合を見かける事があります。 その人は、始めの頃は、自分の中にある構想を小説にして、人が読んでくれて、感想を寄せてくれる事が大いに励みになっていたのでしょう。 作品の回が進むにつれ、色々な感想がよせられ、その中には嫌なものや、作者の意図を理解していると思えないものもあります。 そうしたものに向き合うにつれて、書く気持ちが失われていたのでしょう。 出版社と組んで著作を出す場合には、編集者が作者のモチベーションを落とすような感想や、無理解な感想は、スクリーニングしてくれます。 しかし、ネット小説の場合には、読者の感想に、作者は直接向かいあう必要があります。 この中には、厳しい評価だが有用な感想もあるし、全くの誤解や思い込みで書かれている中傷もあります。 もちろん、褒めてくれるものもありますが、その中には正しく作者の意図を理解していないものもあるでしょう。 そうした、不適切な感想やコメントは、作者のモチベーションを下げる障害です。 こうした障害にいかに向き合うべきかと言えば、作品は作者のものである事を忘れない事です。

そして、感想や批評は、作品 そのものに影響を与える事は出来ない点も忘れてはいけません。

読者が、作者の感情や人生を、正確に理解する事は、絶対にありえません。

同時に、読者の思入れは読者のもので、作者にも一部しか判らないのです。

ですから、感想は、良かれ悪かれ読者の気持ちであり、作品への理解度を示しているものでしかありません。感想が作者の意図するものならば、それは作品の良し悪しではなく、作者の意図が理解されたと考えるべきです。 そして、無理解な感想や、無礼な感想は、自分の作品を理解して貰えなかったという証拠ではありますが、その批評の存在は、すでに存在している作品 そのものを変えるものではありません。

酷い感想は、「このように書くべき」などと、作者の意図に反した指導をしてきますが、これは無視するに限ります。 なぜならば、面白かろうが、つまらなかろうが、それは作者の責任であり、作品は作者のものなのです。

唯一の例外は、誤記や誤りへの指摘で、それが存在している場合には、素直に感謝し受け入れ、修正するのは当然なのです。そうした指摘をしてくれる読者は、その作品が好きなのだと思います。 そして、もう一つの例外は、プロとして作品を請け負っている場合の、編集側との意見調整だけです。

ネットなどで受ける直接の感想(悪いものだけでなく良いものも)に、過度に向き合う事は、書く意思を失わせる危険もあります。良いものも危険と言うのは、それがたまたま少ない場合に、作者の不満の原因になるからです。


5.それでも書けない?

  ある程度、作品を書いていると、どうしても書けない状態になる場合があります。

  例えば、前作が上手くいって、それ以上のものを期待されている場合です。

当然、その期待が、自分自身にもジワジワと無言で忍び寄り、それが書く事へのプレッシャーになり、ついには書けなくなってしまいます。


こんな書けない状態は、車のオーバー・ヒ-トに例えられるかもしれません。

暑い夏に、車で山を登っていると、エンジンの力が落ちてくる事があります。

これがオーバー・ヒートの前兆です。 ガソリンエンジンは、燃料を爆発させ力に変えるので、動くほどに発熱します。 それを、エンジンの力の一部で、冷却水を循環させ、ファンを回して冷やしています。 ところが、発熱量が大きすぎると適切な爆発が出来ず、エンジンに力が出なくなり、それにより冷却能力が失われ、更に発熱するという状態になります。 この場合には、車を停止させ、エンジンは止めずに冷却が出来る状態を維持する事が最適の対策です。 エンジンを切ってしまえば、冷却装置も止まるので、自然に熱が放出する為にとても時間がかかります。 また、無理にエンジンを回し続ければ、ついには部品が高熱になり、故障の原因になります。 つまり、まったく動けない状態になります。


書けない状態も似ていて、全く書けない状態が突然起きるのではなく、筆が進まなくなったのを、頑張って何とか少しでも書くうちに、ついに筆が止まるのはないでしょうか。 または、書いては戻り、書いては直しの状態になり、停滞すると思います。

ですから、車のオーバー・ヒートと同じで、全く動かなくなる前に、無理に書く事を止めてしまう事です。 動かなくなる前に、止まる事で、煮詰まった頭やアイディアを整理したり、気分転換に努めるなども重要と思います。

この対処法は、作品を書く事だけでなく、仕事にも共通します。 鬱病は、多くの企業で問題になっていますが、会社に来られなくなる前に 予兆をつかみ休養させたり、職種転換を図るなどの手が打てれば、鬱病で出社拒否、会社に行けない自分に幻滅という負のスパイラルを回避できる可能性があります。 他人の鬱病よりも、自身の書く事のモチベーション低下をつかむ方が容易と思います。 ぜひ、書けなくなるまで自身を追い詰めない様に、注意しましょう。


6.気持ちを維持する為に

ある流行作家が、書く気持ちを維持する為の心がけとして、言った話があります。

「私の作品は、私自身によるのではなく、天からアイディアが降りてきて、それを捕まえるのだ。 それを逃さずに捕まえたら、忘れない内に書き留めている内に作品が出来上がる」 実際には、その作家の中で、アイディアがひらめき、それを咀嚼して作品を構築しているのだと思います。 しかし、作品のアイディアが、自分のものではなく、「天からの啓示」と外からやってくるものと考える事で、書けない状態が自分のせいではないと楽になる事が出来ます。 書けない状態が、自分にせいだと考えれば、その気持ちは、更に自身を追い詰め、書けない状態へのスパイラルに突入してゆきます。 それを、「天からの啓示」が無い状態だと考える事で、自身の心の負担を楽にする事が出来ます。これは何もせずに待つのではなく、資料の調査やアイディアの整理、全体の構成の見直しなど、やるべき事は、様々にあるはずです。 車のオーバー・ヒート対策に例えれば、車を停止してもエンジンをアイドルさせる状態を維持するのに似ています。 この状態は、釣に例える事も出来ます。 書けない状態でも、何もしなければ、アイディアは捕まえられません。 準備をして、釣糸を垂れて、感覚を研ぎ澄ます事で、やってきた魚を逃さず釣り上げる事が出来るのです。

妖怪漫画家の水木しげる氏は、「僕が妖怪を書くのではなく、妖怪が書いてくれと頼んでくる。 だから、僕は妖怪の声を聴いて、書いて欲しい妖怪を書いている」と言っています。 これも、似たような考えで、次に何を書くかを自分の中で煮詰まらせるのではなく、妖怪という自分の外の意図に従ってしまうのです。 この妖怪の意思が、本当に存在するのか、それとも自身の無意識の反映なのかは不明ですが、水木しげる氏が、未だに現役で、戦前から現在まで長期に渡って創作活動を続けている事も事実です。 

 売れる小説や、連載を書いている作家が、ある段階になると「登場人物達が、自分で勝手に動き始める」という事を言っています。 これも創作能力に基づく話と考える事も出来ますが、一方で自分自身の外に アイディアや創作意欲の根源を出してしまう事で、「書けない自分」に気持ちを陥らせない工夫にもなっています。


書きたい気持ちの源泉は、人により、作品により、様々と思います。

しかし、長期に渡って創作活動を続けたり、長期の連載をしっかりと完成させるには、自分の気持ちを落とさない為の工夫が必要です。

 その方法は、様々にあると思いますが、私は「天の啓示」のように、アイディアはどこかからやってきて、それを逃さず捕まえるのが作家の役割と考える事が、自分の創作意欲を維持できるように思います。 そして、何よりも、どのような感想や、酷評を受けようが、作品は作者のものであり、書き続ける事は何よりも重要なのです。

名作を作れる人にも、駄作はあります。 大事なのは、名作が出来るまで、書き続けられる事なのだと思います。


皆さんは、如何に思いますか?


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