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光を綴る少年、命を唄う少女  作者: タチバナ ナツメ
第一章 銀狼と紅い月
8/9

新米騎士の憂鬱・2

「未明から昼頃にかけて、西門付近と南西の港付近で一つずつ。それから日暮れ以降に、北西の墓地と北門付近で一つずつ。これまでの人狼の目撃談をまとめると、計四箇所での目撃、あるいは被害状況が報告されているわけですが」


 静まり返った議場に、透明な音が響いている。

 相も変わらず耳に快いヨハンの金声は、芝居の前口上を彷彿とさせる流麗さを帯びていた。


「君が言ったことは、先ほど私が第四師団からの彙報として提出した情報ばかりだが――それがどうかしたのか」


 僅かに眉根を寄せたテオドールの零した台詞は、上っ面こそ“俺の言ったことに何か文句があるのか”とでも言いたげな、棘のある言い回しのようにも思える。

 しかし、ヨハンとソルとの間で、彼がその切れ長の瞳を何度となく往復させている様子を見る限り、凛然たる面差しとは裏腹に、内心は酷く動揺しているであろうことが窺えた。

 持ち前の鋭い双眸で、ひとたび睨みをきかせてやりさえすれば、あのいかにも自信のなさそうな小声にドスを利かせることなど、造作も無いことのように思えるのだが。

 私は何か、間違ったことを言ってしまったのか?

 せわしなく右往左往を続ける深緑の瞳は、明らかにそう訴えていた。


「これはおそらくどれも、ジークヴァルト騎士団長の変異した人狼(ワーウルフ)によってもたらされたと考えられる被害情報ばかりですね。目撃された人狼の外見的特徴などから推測すればほぼ間違いないかと思います」

「何が言いたいのだ、はっきり言え」


 苛立ちや焦燥といった負の感情が圧力を帯び、静かに漂っていた空気を押し流しながら、ピリピリとこちらに届いてくるのが分かる。圧力の発生源となっているのは、テオドールの後方に佇むソルであった。

 ヨハンのじれったい言い回しに痺れを切らしたのか――それとも、いつまでも挙動不審な態度を改めようとしない師団長(リーダー)の様子に苛立ちを覚えてしまったのか――くっきりと眉間に皺を刻んだソルは、不機嫌さを露わに腕を組んでいた。

 しかし、対するヨハンにはやはり、左団扇を崩す気配がない。


「この他にも、私が独自の調査によって掴んだ目撃情報と被害情報が存在します。それも、その数は一つや二つではありません」

「何だと?」


 考えの読めない喜色満面を続けたまま、派手な腰巻ストールをごそごそと探ったヨハンは、丸めた羊皮紙の束を取り出すと、得意げにそれを指で弾いてみせた。


「どれもこれも、あなた方に捨て置かれた情報を拾い集めたものばかりです。“取るに足らない情報だ”と思われましたか? しかしながら真実とは、得てしてそういうところに存在するものだと思いますが」


 がたん、と激しい音が鳴り響くのを聞いた途端、アレイオンは思わず身を硬くしていた。

 瞳だけをそっと動かし、そのけたたましい音のした方を見てみると、テオドールの側にあった会議椅子のひとつが、暗緑色の絨毯の上に仰向けに転がっている。


「貴様、口の利き方に気を付けろ。我々の仕事を馬鹿にするなら、ただでは――」


 会議椅子を弾き飛ばし、掴みかからんばかりの勢いでヨハンに詰め寄ったのはソルであった。

 口調こそ何とか落ち着きを保ってはいるものの、その怒りに満ちた形相を見る限り、腰に佩かれた剣に手を掛けてもおかしくない勢いだ。


「待て、ソル。ヨハン殿の話を最後まで聞け」 

「団長――」


 しかし、憤慨するソルを制止したのは、意外にもテオドールであった。

 唖然呆然と、成す術なく立ち尽くしているものとばかり思っていた彼は、驚くほど冷静に――と言ってしまいたいところなのだが、彼の様子は明らかに落ち着いているとは言えない状態である。

 どうやらテオドールは、ヨハンの謎めいた語り口に心を躍らせ、すっかり聞き入ってしまっているらしい。まるで、“もっと話を聞きたいから、横槍を入れないでくれ”とでも言いたげな表情だ。

 これにはさすがに、男勝りの気迫をみせつけていたソルも、(ことごと)く火勢を削がれてしまったようであった。


「やれやれ、はっきり言えと仰ったのは貴女の方なのに。ですが、やはり怒った顔も素敵ですね」


 苦虫を噛み潰したような顔で押し黙ったソルを尻目に、皮肉めいたしたり顔を浮かべたヨハンは、小さく肩をすくめてみせた。


「話の腰を折ってしまってすまなかった、ヨハン殿。続けてくれ」

「さすがシャルデニー師団長殿。やはりよく出来たお人柄でいらっしゃいますね」

「止してくれ、私など――」


 本心からの言葉かどうかは怪しいものの、一応のところヨハンはテオドールに賛辞を贈っている――はずである。

 それにも関わらず、対するテオドールの態度はまるで褒められることそのものに“怯えている”とも取れる様相だ。

 文武両道に秀で、騎士としては最高クラスに値する才覚を持ちながら、極度の人見知りで、極端なほど自分に自信がない。噂には聞いていたものの、その薄弱振りを間近にしてみると、とても残念な気持ちが湧き起こってきてならない。

 あれ――?

 しかしながら、同時に湧き起こってくるこの奇妙な思いはなんだろう。

 それはある意味同情であり、親近感にも似た何かであるような――


「ヨハン、こいつをおだてたところで、出てくるものは本当に何もないぞ。たとえあったとしても、気弱でいじけた発言だけだ。構わずさっさと話を続けろ」

「あ、姉上……」


 そうした胸の内を当然知る由もない姉は、未だにぼそぼそと自虐的な言葉を呟き続けるテオドールに一瞥もくれず、きっぱりと言い放っていた。

 姉の辛辣な言葉の矛先がテオドールであるということはよく分かっていたのだが、何故だか自分の胸の中心を抉り取られるような感覚をおぼえたアレイオンは、目眩にも似た浮遊感が起こってくるのを感じていた。


「そうですね、それほど時間もないことですし」


 ペルセフォネに急かされたこともあり、ようやく話を進める気になったらしいヨハンは、手の中の紙束をいそいそと卓上に広げながら、テーブルを囲む一同の面差しを順繰りに見回した。


「難しい問題に直面された折は、いつ何時も、多角的に検索を行われることをオススメします。正面からまっすぐに見つめるだけでは、見えてこないこともたくさんありますからね」


 ヨハンの広げた羊皮紙は、どうやら街の見取り図であったらしい。

 すぐさま見取り図を取り囲むように人だかりが出来るのを目の当たりにし、テーブルから少し離れた場所に立っていたアレイオンは、慌ててそこへ駆け寄った。

 見晴らしの良い特等の席は、既にことごとく陣取られてしまった後である。

 仕方なしにアレイオンは、どうにか上背を生かしながら、こっそりと卓上を覗き込む。

 見取り図には、やけに毒々しい赤色のインクで、いくつもの書き込みがされていた。


「これらは街に外出禁止令が出された後、正体不明の存在によってもたらされた、何らかの被害報告を地図上に書き出したものです」

「正体不明の存在?」


 言われてすぐにアレイオンは、ヨハンの細長い指の示す軌跡を追いかけた。


「被害の大きさとは無関係に書き出しているので、事件への関連性が疑われるものもありますが――これらは全て、ジークヴァルト騎士団長が失踪されてから残されたと考えられる痕跡ばかりなのです。興味深いことだとは思いませんか」


 小麦の入った袋が、鋭利な刃物のようなもので多数切り裂かれる。

 地面のぬかるみに、人ではない何かの足跡。

 精肉店の食糧倉庫が、根こそぎ荒らされる。

 店の看板に、巨大な引っかき傷状の痕跡。

 巨大な力で叩き潰されたと思われる、市場の屋台。

 無数の咬傷を負い、(はらわた)を引き裂かれた犬の死骸。

 情報提供者のヨハン本人も言っていたように、被害の度合いは様々あるようだが、いずれも人の残した痕跡であるとは考えにくいものがほとんどを占めている。タチの悪い嫌がらせや、火事場泥棒的な匂いのするものも見受けられることは確かだが、一日足らずの間に、見取り図のほぼ全面を赤い文字が埋め尽くすほどの被害が挙がっていることには、甚だしい異常性を感じずにはいられない。

 市中に外出禁止のお触れが出ていなければ、住人にまで被害が及んでいたかもしれないことを思うと、アレイオンは全身の怖気(おぞけ)立つ感覚を抑えきれなくなっていた。


「念のため、魔法使いの仕業という可能性も考えたのですが――」

「それは有り得ん。今のところ、“魔眼”からは何の報告も受けていないからな」

「そのようですね。フォルトゥナート殿から特に目立った報告はなかったとお聞きしたので、ひとまずその可能性は除外しました」


 ペルセフォネの言う“魔眼”、ヨハンの言う“フォルトゥナート”とは、この巨大な城塞都市を、魔法の力の脅威から守護し続けている魔法使いのことを指している。

 本来ならば、彼もこの会議の席に姿を現すはずだったのだが、ペルセフォネほどではないにしろ、ジークヴァルトに怪我を負わされていたフォルトゥナートは、現在街一番の名医が集まるといわれる“グラッツィア施療院”の院長直々に、施術をほどこされているところなのだ。

 確かにこれらの元凶を、人智を超えた力を持つ“精霊”と契りを交わし、彼らの力を操る術――いわゆる“魔法”と呼ばれる力のことだが――を身につけた“魔法使い”であると考えたなら――一介の人に出来ない所業ではないかもしれない。

 けれど、それが到底有り得ないことは、きっとこの街の住人であれば誰にでも分かる。

 何故なら、この街で魔法の力を濫用することは、魔法使いとしての優れた力をみすみす捨て去ることと同義であるからだ。

 城壁の内側で発生する魔法の力は、フォルトゥナートの“魔眼”によって、始終絶え間なく、精密な監視が行われている。市中で魔法の力が悪用されることがあれば、それを感知したフォルトゥナートが、直ちにその魔力の源となるものを封じ込める。それは彼が眠りに落ち、意識を手放した後でさえも、途切れることなく続けられている。

 魔眼によって魔力を封印された者――または“物”――は、封魔を施した術者本人であるフォルトゥナートによって術を解除されない限り、永久に魔力を封じられたままになってしまう。しかしながら、封魔を解除してもらおうと城へ出向いた瞬間、そのまま犯罪者として牢屋に放り込まれることが確定してしまうのだ。

 このように、魔力による犯罪に対しての防衛機能が完璧に張り巡らされている、王国で最も安全な都市――それが、ティル・ナ・ノーグなのである。


「これだけの数の痕跡が短時間のうちに残されたとなると、“正体不明の存在”とやらが複数居る可能性は否定できないな――いくら何でも、ジークヴァルト一人でこれら全てを引き起こすのは不可能だ」


 じっと押し黙ったまま、赤い走り書きに埋め尽くされた地図を眺めていたテオドールが、不意に顔を上げた。

 それに呼応するようにして、腕組みをしたまま何度も首を捻っていたソルも、たどたどしく声を上げる。


「となると、可能性が高いのは、外部から侵入した魔獣や怪物の類でしょうか? まれに飛行型の獣や、監視の目を逃れた怪物が、城壁を乗り越えて入り込んでくることはあると思いますが、ここまでの数の侵入を赦してしまうというのは……」


 そこまでを言ったところで、ソルはいかにも“まずいことを口にしてしまった”と言わんばかりに口許を手で覆い、ちらりと“()の人”の様子を覗き見ていた。

 その一連で、会議の同席者のほぼ全員が、ソルの脳裏に()ぎった思いを読み取ることが出来たようで、皆が一様に同じところを凝視しているのが分かった。


「おい、アレイ。ジークが失踪した後の城壁の見張り役が誰だったのか、今すぐ調べろ」

「そ、それを調べてどうなさるおつもりなんですか」

「決まっている。事件が解決するまでの間、絶対に逃げないように拘束しておくんだ。今からの見張りは、全て第四師団所属の騎士たちにやらせる」


 また、この人は――

 半ば(すが)めるようにアレイオンを睨んだペルセフォネの表情は、苛立ちに満ちていた。

 このままではおそらく、見張りの片っ端からを罪人に仕立てあげ、尋問でも始めかねない勢いだ。

 止めなくてはならないのは分かっていたが、明らかに苛付いた様子の姉を前にして、小心者の自分にそんな勇気が出せようはずもない。

 誰か、この人を止めてくれ――

 額に滲んだ汗を拭う余裕もないまま、瞳だけを動かして四方を見遣ったアレイオンは、心の中で何度も懇願していた。


「ああ、そのあたりはたぶん大丈夫だと思います。皆さん、立派に見張りのお仕事をこなされているようでしたよ」


 長い長い逡巡の後。

 凍りついたように止まっていた時間を見事なまでに融かしてくれたのは、陽気という言葉そのものを具現化したような、ヨハンの金声であった。救いを待ち侘びていたかのように、再び一同の視線が、そこへ集まる。


「どういうことだ」

「情報屋という職業柄、街に出入りする人や物の流れは、いつでも正確に把握できるよう努めていますから。妙なものが入り込んできた時には、それはもう、誰よりも早く分かるようになっているんですよ」


 相変わらず、肝心要の部分を誤魔化しに塗り固めているような発言ではあるものの、この際それは気にしないことにする。兎にも角にも、ペルセフォネの興味を“部下への八つ当たり”以外のところに逸らすことが出来れば、今は何でも構わないのだ。

 安堵に胸を撫で下ろしたアレイオンは、体中を蝕んでいた山のような緊張感を、ようやく手放すことができていた。


「まあ念のため、見張りの方々に直接お聞きしたりもしましたが」

「貴様……まさか見張りの騎士に手荒な真似をしたわけではないだろうな!」


 おそらく自分も、ソルと同じ考えに至っていた。

 言葉と共ににっこりと微笑んだヨハンの表情は、一点の曇りもなく“綺麗”であったのだが、その美しさが妙に無機質さや冷酷さを帯びているようにも感じられて、不意に鳥肌の立つような思いがしたのだ。

 けれど、既にソルに詰め寄られる展開に慣れっこになってしまったのか、ヨハンは彼女の醸す圧力をのらくらと()なし、尚もにこにこと愛想を振り撒き続けている。


「いえいえ。罪もない方々に手荒な真似をするのは、私のポリシーに反しますので――知り合いの何人かを連れてお邪魔しただけですよ」

「し、知り合いって?」


 すぐにヨハンが、屈強な強面(こわもて)の一団を連れて街を闊歩する様子を想像したアレイオンは、膝が震え出すのをどうにか(こら)えながら、恐る恐る尋ねた。


「そうですねー、日が暮れてから開く店の、とても麗しいお兄さんとお嬢さんたちです。貴方もいずれご一緒にどうですか? 楽しいですよ」

「遠慮します……」


 けれど、良くも悪くも、彼の真実は予想外のものだったようである。

 何者なんだろう、この人。

 というか普段、どういう生活を送ってるんだろう――

 複雑な思いがもやもやと起こってくるのを感じながら、アレイオンは再び長嘆息を漏らしていた。




「では、気を取り直して続きを話しましょう。もう一つ、重要な情報があるんです」


 どうやら現在、この議場においての主導権(イニシアチブ)は、すっかりペルセフォネからヨハンへと移ってしまっているようだった。

 平時であれば、何人(なんぴと)にも付け入る隙を与えない“独裁者”であるはずのペルセフォネが、ジークヴァルト以外にその独裁権を譲り渡す人間が現れようとは――やはりこのヨハンという情報屋、相当に侮れない人物のようである。


「実は、地図上に示した場所には、気になる共通項が存在していまして」

「共通項?」

「ええ。この赤い印の場所には、共通して同じ痕跡が残されていたんです。これが、その痕跡の一部ですが」


 重々しい音とともに卓上へ転がされたそれは、何かを追い求めるように宙へと伸ばされた、皺だらけの老人の手――などではなく、どうやらねじくれた樹木の枝切れのようであった。

 樹の枝くらい、街の中ならどこにでも落ちていそうな気がするけど。

 しかしながら、それを口に出していいものかどうか。

 自分には何の変哲もない枝切れにしか見えないが、これがヨハンの提出してきた情報の一部であることを考えると、おそらく何らかの深い意味があるのだろう。

 軽はずみなことを口にすると、また姉にどやされるかもしれない。

 ぐっと口をつぐんだアレイオンは、目いっぱい思索に(ふけ)る振りを続けながら、ペルセフォネの横顔をちらと覗き込んだ。


「これは――寄生樹だな」


 耳慣れた声が鼓膜に届いた途端、アレイオンは、枝切れを見つめる姉の横顔を、思わず二度見してしまっていた。

 ぱっと見ただけで、そこまで分かるものなのだろうか?

 他の誰も、枝切れの種類までを特定できた者はいなかったらしく、皆が一様に言葉を失っているようである。


「葉の形がとてもよく似ている。ただ、枝の色味が従来のものとは少し違っているような気はするが」

「ご名答。さすがペルセフォネ副長は博識でいらっしゃる。地図に示した場所には、ほぼ全てと言っていいほど、高確率で寄生樹の断片が落ちていたようなんです。犯人の残した何らかの痕跡と見て間違いないでしょう」

「ということは、犯人は寄生樹の侵食を受けた者――サキュバスか、もしくはアルタムだということですか?」


 そういえば自分も、今までに何度か、街中で見かけたことがある――

 サキュバスとアルタム――名称は異なるが、これらは元を辿れば同じ“エンテレケイア”という種族で、サキュバスはその女性体を、アルタムは男性体を指す言葉である。

 彼らはキルシュブリューテ近郊に暮らす亜人種だが、万物の創造主たる“空の妖精ニーヴ”の被造物とされる“エルフ”や“コボルト”といった他の亜人種とは違い、人間と寄生樹とが共生関係を結ぶことで後天的に誕生した、新人類ともいうべき種族なのである。

 何度も代替わりを重ねたことで、彼らは蝙蝠(こうもり)のそれに似た巨大な翼――正確に言えば、これに翼としての機能は備わっておらず、どうやら太陽のエネルギーを取り込むための、巨大な双葉であるらしいのだが――を背負っていることの他は、ほぼ人間と変わらない外見にまで進化を遂げている。

 でも、頭に花が生えてたり、体のあちこちから枝が突き出してるようなのも見た事あるな――

 彼らの植物的な外見と人間的な外見の比率は、どうやら個体によって差があるらしい。それを思うと、こんな風に体の一部を落としてしまっても気が付かないほど、植物的な外見の比率の高い者が居てもおかしくはないかもしれない。

 ――しかし。


「残念ですが、はずれです」


 我ながら的確な答えを導き出せたとばかり思っていたのだが、彼の見解は違っていたようである。

 艶やかな紅髪をふわふわと揺らし、左右に首を振ったヨハンは、皮肉げに口許を歪め、アレイオンに向かって(あお)るような視線を投げている。


「エンテレケイアは数自体がかなり少ない種族ですし、とても目立つ外見をしています。ですから、複数のエンテレケイアが街に入ってきたとなると、我々でなくとも多くの住民が気付くはずではありませんか」

「でも、だったらあの痕跡の意味はどうなるんですか? 寄生樹自体はあくまで一般的な植物ですし――エンテレケイアのように人に取り憑かなければ、自由に動き回ることすら出来ないはずでは?」

「寄生樹が自由を得るためには、人の体が必要。まさにアレイオン殿の仰る通りです。それが答えですよ」

「え、でも……」


 自分がそれほど的外れな方向に思索を巡らせているとは思わない。

 それなのに、いつまでたってもヨハンのペースに追いつけないのは何故なのだろうか――

 いつの間にかアレイオンは、ここが情報交換の場であるということも忘れ、彼の見解を覆そうとすることにばかり、躍起になってしまっていた。


「もういい」


 刹那、重たい沈黙が波状を描いて広がる。

 ペルセフォネがたったの一言を投じただけで、そこに飛び交っていた雑多な音の全てが、一瞬にして払い除けられてしまったのだ。


「これ以上遠回しな問答を続けるのは、時間の無駄だ。この愚弟にも、ちゃんと分かるように説明してやってくれ」

「ぐ、ぐてい、って……」

「お前以外に誰が居ると言うんだ。悔しければ、少しは柔軟な思考性を身につけろ」

「は、はい……すみません」


 もう、自分の考えを口に出すのはやめよう――

 考えるよりもずっとずっと早く、ほとんど反射的なスピードで謝罪の言葉を口にしてしまったことが、情けないやら悔しいやら。

 再びアレイオンはがっくりと肩を落とし、長い溜め息を漏らしていた。




「難題にぶつかった折には、多角的な検索を。これは先ほども申し上げたことですが」


 そう言って、ゆっくりと半ばほど瞼を据わらせたヨハンからは、先ほどまでずっと付いて回っていた軽薄な雰囲気はすっかり消え失せてしまっていた。


「とりあえず、寄生樹が街に現れて以降のことについて考えるのは、後にしましょう。まずはそれよりも、キルシュブリューテ近郊にしか自生していないはずの寄生樹が、如何にしてこの街にやってきたのかということを考えるべきです」

「やはり寄生樹は、外部から持ち込まれたものだということなのか?」


 黙り込んだアレイオンに代わって、ヨハンとの対話役を買って出たのは、いつの間にかテオドールと同じく、すっかり彼の話し振りに心を奪われた様子のソルであった。


「そうです。この際ですから、寄生樹という植物のことも、一旦忘れてしまった方がいいかもしれませんね」

「どういうことだ?」

「簡単なことですよ。ソル殿が遠いところから珍しい花をどこかへ運びたいと思い立ったとき、最も手軽に運ぶためにはどうしたらいいかということを、お考えになればよろしいのです」


 しばしの逡巡。

 だんまりを決め込むと思い定めた瞬間から、どれだけ間違えても誰にも文句を言われないという安堵が生まれたせいなのか、アレイオンの頭の中には、走り湯のように次々と、たくさんのアイディアが湧き出していた。

 手軽に運ぶという事は、どういうことを指すのだろう。

 花を持ち運ぶのに最も一般的なやり方は、切り花のように茎のどこかを手折って持って行く方法だろう。

 けれど、これでは別段“手軽”であるとは言えないかもしれない。

 だったら、茎の部分を出来るだけ短くして、小さくしてしまえばいいのだろうか?

 地面すれすれの部分ではなく、もう少し上の部分をちょん切ったとしたら。最悪、花弁の部分だけでも残っていれば――いや、そんなものはもはや花であるとは言えないのではないか。

 遠いところから花を運ぶとするなら、そもそも切り花を持ち込んだのでは、目的地に到着した頃には枯れてしまっているかもしれない。出来るなら、根の部分も切らずにおいた方がいいのは確かだし、そうすると土もあった方がいい。

 しかしながら、そんな鉢植えと変わらないものを持ち歩くのが、果たして“手軽”だと言えるのだろうか。それなら目的地で花を買った方が早いことは確かだけれど、珍しい花というくらいだから、それはきっと街では手に入らない花なのだろう。だとすればむしろ、“最初から”始めた方が――

 そこまでを思った瞬間、体の真ん中を電撃が疾り抜けたような感覚をおぼえたアレイオンは、たった今自らに課したルールのこともすっかり忘れ、“それ”を口に出してしまっていた。


「もしかして、“種”か……?」


 こちらを振り返ったヨハンが、ペルセフォネが、揃って驚いたように両眼を見開く瞬間を目の当たりにしたアレイオンは、思わず大きく背中が仰け反りそうになるのを何とか踏みとどまっていた。

 もしかして、また間違えたのか……?

 これではまるで、先ほどのテオドールと大して変わらない状況ではないか。

 しかしながら、同じ状況に立たされて初めて分かる――自信の持てない人間にとって、周囲の注目に晒されるということは、ただただ恐怖でしかないのだ。


「あの――す、すみませ――」


 すぐさま姉にふいと目を逸らされてしまったことで、誤答を確信したアレイオンは、またも反射的に謝罪を口にしようとしていた。

 けれど。


「ご名答。ようやくですね、アレイオン殿」


 しばし見入られたように瞬きを繰り返すばかりだったヨハンが、にっこりと面差しを和らげている。

 まずい。素直に嬉しい――

 はちきれそうなほど、胸の中の喜びが膨れ上がっていくのを感じたが、ともすれば緩みそうになる表情筋にぐっと力を込め、アレイオンはとにかく必死に黙り込もうとしていた。


「寄生樹は、成長した状態ではなく、最も人の目に触れにくい“種”の状態で街へ持ち込まれたのです。それを宿主となるものに植え付け、発芽させることが出来れば、街へ入ってからいくらでも動く寄生樹を作ることができますからね」


 しかし、喜びも束の間。

 ヨハンの発言をそのまま脳裏に思い描いたアレイオンは、膨らみきった喜びを相殺するかのように、グロテスクな妄想が広がっていくのをどうにも止められず、思わず口許を覆っていた。


「だが、そんなことをすれば……! 種を植え付けられた人間は、ただでは済まないだろう」

「その通りです。寄生樹が自由を得るためには、宿主となる“母体”を調達する必要がある。外見にもかなり目立った変化が出るはずですから、複数の街の人間にそのようなことが起こっているとしたら、誰も気が付かないのは妙な話です。それに、栄養状態にもよりけりですが、寄生樹が母体を侵食し尽くすまでにはそれなりの時間を要しますから、その間誰も気付かないというのは、ますます妙な話ですよね」


 何だろう――

 まるで、見る間に晴れ空を覆っていく暗雲を、じっと見上げているような気持ち。

 ヨハンの言葉を理解しなくてはならないと思う気持ちと、理解したくないと拒絶する気持ちとが、胸の中心でせめぎ合っているような感触がする。


「では、またここで考え方を変えましょう。あなたがもし、誰にも気付かれないような形で複数の母体に寄生樹を取り憑かせ、その種を発芽させたいとするなら――どんな手段を考えますか?」


 言いようのない不安感が、体の奥の奥で、じわりじわりと淀みを広げているような心地がする。

 この感覚は、何だ――?

 するりと頬を伝いゆく一筋が、やけに生ぬるい温度を孕んでいた。

ここまでお読みくださってありがとうございます!

今回の更新分の執筆にあたり、たくさんのアドバイスをくださった佐藤つかささん!本当にありがとうございました♪


なるべくペースを上げて執筆できるように頑張りますー!

次回もよろしくお願いします♪

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