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光を綴る少年、命を唄う少女  作者: タチバナ ナツメ
第一章 銀狼と紅い月
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胡乱な静寂・2

「おかしい……」


 すっかり日の沈んでしまった空には、僅かに欠け落ちた赤い月が浮かんでいる。

 大通りを全速力で駆け抜けたアールは、著しく欠乏した空気を喘ぐように吸い込みながら、キョロキョロと辺りを見渡していた。

 城塞都市ティル・ナ・ノーグは、中心部に存在する噴水広場から、東西南北に向かって大通りが伸びており、限りなく真四角に近い形をした街を、十字型の広小路が整然と四分割している。

 自然豊かな北東の高台は、領主や貴族達の居住エリア。

 緩やかな丘岡の広がる南東は、一般住民の居住エリア。

 最も海抜の低い南西は、港や交易所、商店の建ち並ぶ商業エリア。

 北西のエリアは、いわゆる“街外れ”で、広い霊園や、街の城壁を守る騎士たちの詰め所など、普段はあまり一般の住民が立ち入ることのない施設が多く集まっている。

 天馬を追いかけてアールがやってきたのは、北西の街外れなのだが、元々それほど人気のない区画であるせいか、そこには光源となるものが極端に少なく、ひどく薄暗かった。

 天馬の降り立った地点は、高い煉瓦の塀と、生い茂る樹木に囲まれた広場である。

 広場の入口と思しき門扉からひょいと中を覗き見てみると、そこはどうやら霊園のようであった。


「薄気味悪い場所だな……本格的に人影もねえし」


 ティル・ナ・ノーグは、王国内では最も温暖で過ごしやすい地域だが、さすがに日没後ともなれば、薄着で過ごすのには少々辛いほどの外気温となる。

 肩掛け鞄からマントを取り出したアールは、てきぱきとそれを体に巻きつけると、中途半端に開きっ放しになった門扉を押し退け、夜の帳の向こうへと、静かに足を踏み入れていた。


 静寂に包まれた霊園の空気は、心なしか重たく湿っているように感じられた。

 視界の端が妙に霞んで見えるのは、闇色に移ろう薄霧が、霊園の到るところをふわふわと漂っているからだろう。

 じわりと鳥肌の立つ心地がしたのは、寒さのせいなのか、それとも――

 刹那。

 規則正しく墓石の建ち並ぶ、言わば霊園の“メインストリート”と呼べる区画とはやや離れた場所に、小さな人影がうずくまっているのを見つけた。


「あれは――」


 空から静かに降り注ぐ赤い月の光が、霧の中で乱反射している。

 ようやっと暗がりに慣れてきた眼でじっくりと観察してみると、月の輝きを散りばめた霧のカーテンが、まるでアールの凝視から逃れようとするかのように、すごすごと引いていくのが見えた。


「誰?」


 鈴の音のような声が響く。

 薄霧の向こうでこちらを振り返ったのは、一人の少女であった。


「あなた、こんなところで何を――」


 穏やかに差し込んできた一陣の風が、少女のしなやかな柳髪を舞い上げる。

 月の煌めきと交じり合い、虹のような光彩を生み出す艶やかな髪は、いつか遠い街で見かけた、満開の夜桜を思わせる色をしていた。


「え、と……」


 不意に、湿り気によって厚ぼったくなっていた霊園の空気が、ふわりと軽さを帯びる。

 けれど、肩に()し掛かる重みが和らいだのと同じ分だけ、胸の内側に加わる圧力が倍掛けで増幅されたような気になり、アールは狼狽していた。


「いや、あの。天馬が下りるのを見かけたから、追いかけてきたんだけど」

「天馬?」


 晴空の下に敷かれた海の色を髣髴(ほうふつ)とさせる、澄んだ碧眼をいっぱいに見開いて、少女はこちらの全身をくまなく観察している。おそらく、警戒しているのだろう。

 咄嗟のことであったとはいえ、もう少し言葉を選ぶべきだったか――考えてみれば今の言葉は、取りようによっては酷くキザな台詞のように聞こえても仕方のないものだったかもしれない。

 ――しかも、女の子のことをたとえるのに、天馬って何だよ天馬って。

 やましい気持ちがあって声をかけたわけではないにしろ、せめて“妖精”くらいは言っておくべきだったかもしれないと思う。

 こうなれば、真意を受け入れてもらえるかというところはさて置くとして、要らぬ誤解は早めに解いておかなくては。

 (はしこ)く思案を巡らせたアールは、気を取り直して精一杯の笑みを作ろうとする。

 しかし、再び彼女の様子を目に入れた途端、そんな鷹揚じみた考えは跡形も無く吹き飛んでしまっていた。


「君、大丈夫? もしかして、具合が悪いんじゃないのか?」


 少女の肌が、元より雪のように白いことは一目瞭然である。

 けれど、そうであったとしても、この色は異常だ。

 よくよくその様子を改めてみると、土気色に染まった少女の顔には、幾筋もの冷汗が伝っていた。


「わたし、は――」


 そうするうちに、とうとう膝から崩れ落ちた少女は、苦しそうに胸元を押さえつけ、荒々しく肩を上下させていた。


「おい、しっかりしろよ!」


 慌てて剥ぎ取るようにマントを脱いだアールは、足元にうずくまる少女の真正面からそれを被せると、再び彼女の土気色の顔を覗き込んだ。


「なあ、このあたりに病院はないのか? 俺まだこの街に着いたばっかだから、何がどこにあるのか、さっぱり分かんねえんだよ! 連れてってやるから、場所を教えてくれ! 頼む!」

「――駄目」

「えっ?」

「逃げて」


 消え入りそうなほどの脆弱な声を漏らした少女が、その小さな手で、(すが)るようにアールの腕を掴んだ瞬間のこと。

 張り詰めた闇を切り裂くような、甲高い“音”が鼓膜を掠めてゆくのを感じた。


「獣の、遠吠え――」


 抑圧、牽制、拒絶。他を撥ね付ける鋭さと同時に、どこか哀愁じみたものをも漂わせるその長音には、はっきりと聞き覚えがあった。

 頭の奥の奥が、じんと熱くなるのを感じる。

 気が付くとアールは、後背の低い位置にぶら下げた愛剣へと、静かに手を伸ばしていた。


「何処だ」


 静寂が、重く冷たく(とばり)をもたげる。

 生唾を飲み下す音がやけに大きく響いていた。


「何処に居るんだ――」


 見晴らしの良い霊園の中央部に、怪しい気配はない。

 指先に触れた剣の柄をゆっくりと引いてゆく。

 微かな刃擦れの音を漏らし、鞘からの束縛を逃れた愛剣が、(くれない)の月明かりをてらてらと弾いていた。

 刹那、矢庭に顔を上げた少女が、大きく息を呑む音が聞こえた。

 生き肝を抜かれるような思いを何とか喉の奥に押し遣ったアールが、少女の見開かれた碧眼をちらりと側めると、鏡のように澄んだ瞳の中に、見慣れない“何か”が映り込むのが見えた。

 続けざま、背後に何かとてつもなく大きな気配が迫ってくるのを感じる。

 振り返る暇など、あるはずもなかった。

 体の奥底から湧き起こってくる戦慄を押し込めるように、渾身の力で愛剣を握り締める。

 尚も四肢に纏わりつこうとする恐怖心を、逃げ出したくなる衝動を、ありったけの雄叫びで相殺すると、アールは力の限り、その刀身を横一閃に薙ぎ払っていた。

 ――何だ?

 きらきらと月光を翻し、細長い銀糸のようなものが宙を舞っていた。

 掌を伝って返ってきたのは、空しく風を切り裂く感覚だけである。

 外した――!

 巨大なシルエットが、視界の端でちらつくのが見えた。

 どうやら敵は、驚異的なスピードで真横に跳躍し、アールの一撃を回避したようである。

 敵影に喰らいつこうとしていたはずの視点が、ぐるりと明後日の方角を向いていた。剣を振り抜く勢いで、前のめりにバランスを崩してしまったらしい。

 舌打ちを漏らしたアールは、柄から離した左手で地面を押し返すと、どうにか体勢を立て直していた。

 焦燥を噛み潰し、アールは再び前方を見据える。

 すると、そこに在った敵影の正体は、想像だにしない姿かたちをしていた――


ここまでお読みくださってありがとうございます!

今回の更新分には、加藤ほろさん考案・デザインのペルセフォネ、アレイオンと、緋花李さん考案・デザインのアイリスをお借りしました。


お子さんを貸してくださった皆様、ありがとうございました!

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