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第一章

 うららかな昼下がり。

 太陽の光はやさしく世界を照らし、青々とした葉の上の水滴がそれを受けてきらきらと輝く。

 程よく暖かく穏やかな気候を喜ぶかのように、小鳥たちが軽やかに歌っている。

「……ということになります、だから、地上で肉体を失った人々の魂が空へと上がり……」

 どこからか、人の声が聞こえた。

 おそらく男性のものだろう。穏やかさの中に凛とした力強さを秘めた、そんな感覚を抱かせるような声。

 誰かに語りかけているのだろうか、声は途切れることなく言葉を紡ぎ続ける。

「……つまりは、人の記憶というものが、魂をわれわれの姿に形づくっているとも言うべきで……」

 声は、小鳥たちが歌う木々の傍らにある、古い建物の中から聞こえてきていた。

 古い、しかししっかりとした石造りのその建物は、森の中に静かにそびえる教会であった。

 教会の一室、窓から心地よい陽光が差し込む部屋に、声の主は立っていた。

 学校の教室を思わせる部屋の端に置かれた教壇の上に立ち、黒い革張りの分厚い本を片手に、穏やかな表情で言葉を紡いでいる。

「……というわけで、われわれ天使は、人間の記憶によって存在しているのです。……ミカエル、聞いていますか?」

 声の主――黒い僧衣に身を包んだ男性が、部屋にいるもう一人に声をかけた。

 部屋の中にいたもう一人、ミカエルと呼ばれた少年は――机に突っ伏して眠っていた。

 確かに、窓からの優しく暖かな陽射しを受けて、部屋の中は程よく心地よい眠りを誘う空気を漂わせている。

「……はぁ」

 教科書の上によだれをたらしながら豪快に寝息を立てる少年の姿を見て、僧衣の男性はため息をついた。

 相変わらず表情は穏やかだが、白い顔のこめかみに血管が浮き出ている。

 僧衣の男性はそのまま、ツカツカと少年の眠りこける机の方に歩み寄った。

 そして、無言で、手にしていた分厚い本をミカエルの頭の上に振り下ろす。

 ゴンッ。鈍い音。

「いっ!!」

 突然頭を襲った衝撃に、ミカエルが飛び上がって、そのまま頭を抱えてしまう。かなり痛かったらしい。

「なにす……」

 突然の暴力に抗議の声を上げようと、顔を上げたミカエルの視界に入ったのは、僧衣の男性の満面の笑みだった。

 天使の微笑とも言うべき非の打ち所のない穏やかな笑み――のように見えるが、こめかみに浮き出た血管が、その内心を主張している。

「授業中に居眠りをするな、といつも言っているでしょう」

 あくまでも、穏やかな声。だが、彼が穏やかであればあるほど恐ろしいということは、ミカエルには身に沁みてわかっていた。

「あなたは、明日のクリスマスに大切な仕事を仰せつかっているのですよ。もっと自覚を持ちなさい」

「は、は〜い、ラファエル先生」

 急にしおらしい態度になって頭を下げる。あんな笑い方をするときの先生には、逆らわないのが一番いい。

 僧衣の男性――ミカエルの上司であり先生でもあるラファエルも、ミカエルが素直に謝ればそれ以上怒るつもりはなかったらしい。

 くるりとミカエルに背を向けて、元通り何事もなかったかのように教壇に上がる。

 その時、がらんがらん、と荘厳な鐘の音が響いてきた。授業の終わりを告げる教会の鐘の音だ。

「今日の授業はこれでおしまいです」

 ラファエルはそう言って、手にしていた分厚い本――“Holy Bible”と書かれている――をパタン、と閉じた。

 そしてミカエルの目を覗き込むようにして、こう付け加える。

「ミカエル。明日に備えて、今日は早く寝るのですよ」

 ミカエルはというと、そんなラファエルの言葉が聞こえているのかいないのか、慌しく勉強道具を白い革の鞄の中に詰め込んでいた。

 そして詰め終わるや否や、ガタッ、と大きな音を立てて椅子から立ち上がる。

「よっしゃ! 授業終わりっ! 早く家に帰って『ファイナルクエスト5』の続きやろうっと!」

 そう言いおわる頃にはすでに走り出している。煙でも立てそうな勢いで、瞬く間に教室から走り去った。

「やれやれ……しょうがない子だ」

 一人残されたラファエルは、誰にともなく呟いた。

 その表情はあきれながらも、ミカエルに対する惜しみない愛情を感じさせる、優しさに満ちたものだ。

「おや?」

 ラファエルが、何かに気づいたようにその身をかがめた。その手が床に落ちていた紙切れのようなものを拾い上げる。

「これは……指令書? ミカエルが忘れて……」

 小さく折りたたまれていたそれを、何気なく広げて眺めたラファエルの眉が、不意にひそめられた。

「これは……!」

 そのまま何かをいぶかしむような表情をその顔に貼り付けて、目だけが紙切れの文字を追う。

 紙切れに書かれた文字を読み終わったラファエルは、心を落ち着けるようにしばし瞑目した。その表情は先ほどまでの穏やかなものとはうって変わって、その眉間には深い溝が刻まれている。

 不意に、ラファエルがその顔を上げた。部屋の天井を通してさらにその上を見通すように、その瞳が頭上のただ一点を見つめる。

「……主よ、これはあなたが彼に与えた試練なのですか」

 視線の先の、見えない存在に訴えかけるように、祈るように、ラファエルの唇は言葉を奏でた。

 それからゆっくりと目を閉じ、再び開かれた瞳は部屋の扉の向こう――ミカエルの出ていった方向を見据えていた。

「ミカエル。頑張るのですよ」

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