便に悩む男
善弘さんは夫婦二人暮らし。長年自営業をされ、90歳を超した今も杖なしで歩ける健康体だ。認知症と難聴があり、可愛いという印象を持たせるおじいちゃんだ。
そんな善弘さんが悩むのは便秘。高齢で家から出ない生活を送っており、食も細い。こうともなれば排便回数が減るのもむべなるかな。高齢者では排便が数日おきの人も少なくない。
しかし、善弘さんは便が1日ないと酷く気にする。
仕事を引退した今は、特にすることもなく気にし過ぎてしまうのか。認知症のためなのか。認知症高齢者に見られる鬱傾向なのか。
もちろん、便秘薬を朝晩で処方されていて、頓用の下剤センノシドもある。センノシドは訪問看護時に飲んでもらっていたが、そのうち毎日自主的に3錠も内服するようになっていた。
それでも毎日は出ない。いや、腸音は良好で腹部も柔らかいので、出ているかもしれないが忘れているのかもしれない。
便が一日出ないと、そわそわしてうるさいのだと、奥さんの仁美さんは呆れた顔で言う。
仁美さんも普段から、「一日、二日出なくったって死にゃあせん!」と説得しているらしいが、そわつきは到底収まらない。
夜中の2時に、便が出ないと騒いで、タクシーで総合病院の救急外来へ駆け込んだことも一度や二度じゃない。
訪問看護の緊急電話に連絡してくれと頼むものの、仁美さんも年相応の物忘れがあるためか、善弘さんの収まりがつかないためか、こちらには連絡せず救急外来に行ってしまう。
訪問看護介入している身としては、恥ずかしさ倍増だ。救急外来に行ったと情報を掴むたび、先輩看護師と「ひええーー、またぁ〜?」と声を裏返して顔を見合わせる。
便騒動が顕著な数ヶ月前のある日のこと。
善弘さんを訪問すると、落ち込んだ様子。
「便が…出ないんです……。」と憔悴した表情をしている。
今回はさぞ何日も出てないのかと思い尋ねると、昨日からだと。
「昨日から、ですか…」
思わず言葉に詰まる。
隣に座っている仁美さんは、諦めているのか、慣れてしまったのか、何ともない顔で庭を眺めている。
善弘さんは「あぁ〜〜…あぁ〜〜」と悲痛な声で、言葉通り両手で頭を抱えて項垂れる。まるで人生の終わりかのような様子。
面白いと言っては失礼だが、私は項垂れる善弘さんを笑いそうになるのを堪えて見つめていた。
何か気が紛れることがなければ、ずっと落ち込んだままだ。
「今朝は散歩に行かれたんですか」
毎朝欠かさない日課の散歩を尋ねると、珍しくも昨日、今日は行っていない。
これだから余計に便秘に囚われるし、出づらくもなるのだ。
「善弘さん、今日は心地のいい天気だし、今から!散歩行きましょう!」「便秘には散歩が一番です!」
歩行だけでなく、水分摂取、腹部マッサージ、諸々大切なことは他にもあるが。とにかく気分を変えてもらわなくては困る。
「一緒に行ってくださるんですか」
存外に善弘さんは散歩に乗り、すぐに上着を着込んだ。
冬の初めの青い空、暖かい日差しの中、善弘さんと仁美さんと3人で歩く。善弘さんの悲壮な顔色は少し和らいでいた。
今晩は救急外来は行かず、できたら緊急電話も鳴らないことを願う。
訪問看護は色々だなぁと改めて感じながら、のんびりと歩く時間を満喫していた。




