第8話「改定手順は盾、署名は刃」
朝いちで、公社の机に赤い封筒が落ちた。王都監督官ヴァレンの紋章。封蝋は元気いっぱい、やけに厚い。
中身は、さらに厚い。「統一塩規格(暫定)v0」。見出しの文字はご立派で、本文は……薄い。いや、薄いのに重い。現場を踏んだ紙ではないから、薄くて、でも権威だけで重い。
要点は三つ。
ひとつ、粒度と含水の等級を王都式に統一。
ふたつ、相互監査を王都検査官の巡回に置き換え。
みっつ、出荷価の固定を推奨に格下げ。
つまり、わたくしたちの筋肉を飾りに変えたいわけだ。
「紙の敵は、紙だな」ジュードが舌打ち。
ギータは斜め読みして鼻で笑った。「“前例”の上から塗った薄化粧。汗に弱いね」
ノアは定義の欄を指で叩く。「“白”の定義が光源未指定。朝と夜で評価が変わる」
リースは罫線の隙間を指さす。「“監査人の名”の欄がない。責任と誇りが入らない紙は、風で飛ぶ」
わたくしは深呼吸して、手帳を開いた。改定手順のページ。
「仕様は殴らない。
殴るのは“改定手順違反”だけ」
「——ヴァレン殿に**“公開差分審査会”を申し入れます。紙と紙を同じ机に置いて、差分を読み上げる。盲目試食と出典照合**、工程の再現も同時。拍で進行時間を管理。署名で責任を刻む」
「正面衝突、やるのね」リースが口角を上げる。
「避けられない衝突は、早く、小さく、明るい場所で」
◆
昼、公開差分審査会。
天幕の中央に長机を並べ、左側に辺境塩規格 v2.0(現行)、右側に統一塩規格 v0(王都案)。机の前に差分板。
板の列は四つ——定義/測定/監査/価格。それぞれの行に**“=(一致)”、“±(許容差内差異)”、“×(矛盾)”の欄。
客席は料理人、商人、役人、住民が混ざる。拍はわたくし。短長短が発言開始**、長短長が締め。
ヴァレンは遅れて現れた。立ち姿は美しい。言葉は冷たい。
「現地の努力は認める。統一は国益だ。巡回検査官の育成計画も立っている」
「名の温度はどう扱います?」とわたくし。
「手続きで扱う」
「名は手続きじゃなくて温度です」
会場の空気がすこしだけ揺れた。詩は役人にも効く。
進行。定義の差分から。
ノアが前に立ち、板に**×を書いた。「王都案、“白”の定義が光源指定なし**。現場は朝と夕で色が変わる。拍で回す運搬の時間帯にも影響」
役人席でざわめき。ヴァレンは顎を引いた。「補足で済む」
「補足は改定です。改定手順に回しましょう」
差分板の「改定要求票」にCR-01を記入。“白の評価光源:朝の直射/昼の拡散/灯の等級二”。立会に相互監査人と王都検査官候補の名を配する。
次、測定。
ギータがふるいを掲げる。「王都案の“等級二”が市場流通のふるいとズレてる。卸の現場じゃ三番→五番が普通。新しいふるいを買わせるの? 誰が?」
ヴァレンは短く答えた。「補助を検討」
「検討は遅延です。千呼吸以内に紙で」
差分板にCR-02、“ふるい互換表”。許容差を広げ、市場既存資産の保護を明記。署名欄は王都/辺境/卸の三者。
監査の行に来て、ハーシュが立つ。
「王都案、“巡回検査官”のみ。三者印がなくなる。印交換は夜を強くした。名の欄がない紙は、夜で滑る」
ハーシュの名札が、少し自慢げに光る。港務所の役人は、昨夜から名の重さを覚えた。
ヴァレンは眉をひそめた。「統一のためには簡素が必要だ」
「簡素は空白と違います。空白には**“だいたい”を書ける欄がいる。逸脱を黙らせると、事故は隠れる**」
ハンクが印刷機から引き抜いた見本を掲げた。“逸脱空白”の欄は太い。角は固い。
差分板にCR-03、“相互監査(並立)”。三者印の継続/巡回検査官の相互監査参加。署名は巡回隊長の名も必須。
価格の行——ここが刃だ。
ジュードが板の前に立つ。背はまだ猫背だが、声は腹から出た。
「王都案、“出荷価固定”を推奨に下げる。推奨は裏切りの前兆だ。出荷価が溶けたら、先渡しは罠になる」
会場に低い唸り。住民の目が熱い。
ヴァレンは声を固くした。「市場は自由だ」
「自由は前提の一致の上にある。規格が台所の筋を作った。筋を切って“自由”と言うのは乱戦です」
差分板にCR-04、“出荷価固定(半年試行)”。価格の骨を残したまま市場の筋肉を動かす。半年後に黒字決算で再評価。署名は監督官/公社長官/料理組合。
審議を拍で刻んで進め、盲目試食に入る。
調理台には同じ鍋、同じ水、同じ火。工程は規格どおり。
B-17(辺境 v2.0)とK-α(王都 v0)。
匙が舌に触れ、目が一瞬だけ伏せられる。
「B-17は中央で開いて消える。K-αは舌先で刺さる」若い料理人の淡々とした判定。
役人席でも**±と×が増える。書き漏れ、前提不一致、用語未定義。王都の薄化粧に汗**が浮く。
最後に、わたくしは机の中央へ**“改定手順”そのものを置いた。v規格のvよりも先にある、“どう変えるか”の規格**。
「改定手順(提案)」
- 差分提出:CR票で提出。出典・影響範囲・逆適用計画を必須。
- 公開読み合わせ:拍で時間管理。名を残す。逸脱空白への書込み可。
- 実地試験:小区画でA/B運用。KPIを出す。三十日。
- 採択:三者署名。王都/辺境/流通。署名は刃。
- 告示:印刷と掲示と読み合わせ巡回。
- 廃止:明確に書く。“臨時”は必ず終わる。
「紙同士の争いは、手順で終わらせます」
静寂。
先に口を開いたのは、思いがけず——ヴァレンだった。
「……(長い一拍)CR-01〜04、受理。実地試験に回す。三十日。王都検査官候補を派遣する。私の名も署名欄に入れよう」
会場の空気がひとつだけ緩んだ。名は重い。重い名は、紙の刃になる。
ヴァレンはなおも続ける。
「ただし、半年後の再評価で国全体の最適を取る。数字で説得してくれ」
「数字は、嘘を嫌います」わたくしは一礼した。「——拍で、走らせます」
◆
審査会の後。
天幕の陰で、ヴァレンがひとり空を見上げていた。
「きみの“名の温度”の話は詩的だ」
「詩は、拍がなければ倒れます」
「きみは拍を持っている。——私は、期限を持っている」
「期限は、拍の親戚です」
わずかに、彼の口端が動いた。
「半年だ」
「黒字で殴ります」
◆
夕方、掲示板に差分一覧が貼られ、CR-01〜04の写しがぶら下がった。相互監査人の名の横に、王都検査官候補の名——若い女、アリナ。
ハンクの印刷は早い。角は固い。角で風を切るように紙が捌ける。
ギータは街路で読み合わせを始め、リースは拍で人の行き来を管理。ノアはA/Bの区画に杭を打ち、ジュードはKPI板を磨いた。
——紙は、殴らない。
——殴るのは、手順違反だけ。
◆
A/Bの実地試験は、筋の勝負になった。
A(辺境 v2.0):三番→五番ふるい、三十呼吸含水、相互監査+三者印、出荷価固定。
B(王都 v0+CR適用):光源指定入り、互換表適用、巡回検査官+相互監査(並立)、出荷価固定(試行)。
夜は拍で巡回、昼は盲目炊きで舌を見、夕方は読み合わせで紙を通す。KPIは毎夕掲示。
一週間で見えてきた。
Bは、Aに肩を並べ始めた。CRが効いた。巡回検査官アリナは素直で、名の重さをすぐ覚えた。逸脱空白の欄に自分で汚い字を残す。「午前の光が弱い日に“白”の評価、誤差増」。
——汚い字は、強い。王都の字でも。
二週間目、旧ギルドが価格の刃をもう一度振ってきた。“推奨”を盾に、出荷価の裏取引。
ギータが受け止め、ハーシュが印交換で挟み、ジュードが掲示板に名を上げた。事情のない名は影。
短い騒ぎで済んだ。紙が先に立っていたからだ。
三週間目、B区画の盲目炊きで、料理人の点がAをほんのわずかに上回る日が出た。互換表が効き、卸経由の歩留まりが改善した。
ノアは水位棒の糸を結び直して言った。「筋が合った」
わたくしは頷き、**“採択”**の欄に鉛筆を置いた。
“辺境 v2.1(王都互換)——採択候補”
◆
三十日目。
天幕の下にまた長机。今度は採択の席。
署名欄が三つ。王都/辺境/流通。名は刃。
ヴァレンが先に立ち、筆を取る。
名が紙に落ちる瞬間、ほんのわずか、風が止まった。
ギータが続き、わたくしが最後に書いた。
「辺境塩規格 v2.1(王都互換)——採択」
**“出荷価固定(半年試行)”**も同時採択。黒字決算で再評価。
拍——短長短。会場のあちこちで返ってくる。
ヴァレンは筆を置き、短く言った。
「数字を、用意しておけ」
「胃袋と紙で」
「いいだろう」
彼が天幕を出ていく背中は、朝より薄く見えた。権威は薄く、手順は厚く。名は重い。
◆
夜、掲示板の下で読み合わせ。
改定手順の最後の行を、子どもが音読する。
「廃止は、明確に書く。臨時は、必ず終わる」
拍——短長短。
わたくしは手帳を閉じ、空を見上げた。星は変わらない。拍は変えられる。紙は増やせる。名は育つ。
ノアが肩に並び、低く言った。
「水は、国に合流した」
「筋は、こっちが引いたまま」
「名があるからだ」
「名があるからです」
リースが剣の柄を軽く叩き、ギータが財布を叩き、ジュードが掲示板を叩く。拍が揃って、夜が少しだけ明るくなる。
【辺境KPI / 第8話】
塩産出量:0.68 → 0.71(A/B試験で歩留まり改善/互換表導入)
用水稼働率:46% → 47%(運用継続・監査の並立で停止時間減)
住民満足度:+0.72(公開差分審査会参加 180名/“改定手順”読み合わせ巡回 5回)
治安指数:58 → 60(出荷価固定の“試行”掲示/裏取引抑止・掲示板での名公表)
ガバナンス指標(新):CR提出 4→7(採択 4/継続審査 3)/逸脱空白記入 39件(王都検査官 11件含む)
次回予告:「薬草×塩=保存と価値」。一次産業の魔改造、第二段。乾いた白に香りを足す。女性たちの仕事が生まれ、付加価値が育つ。旧ギルドの新しい牙は——偽ラベル。名と香りと地図で剥がす。




