第21話「旧ギルド最終手——“白を黒にする紙”」
朝の光は薄く白いのに、港の空気はどこか煤の匂いを含んでいた。
——白の顔をして黒い仕事をする、そういう日だ。
港務所の戸口に、見慣れない白札が数枚差し込まれていた。紙は上等、角は薄い。文字は綺麗すぎて歌わない。
「委任状」
「標準準拠証」
「善意の連帯票」
——名を薄め、責を他所へ送り、条を空洞にする、白い黒。
「来たね、旧ギルドの最終手」ギータが白札を一瞥して鼻で笑う。
「白を黒にする紙。綺麗な字で名を剥ぐ」
「角を太らせ、歌で穴を開けます」
わたくしは机を外へ引きずり出し、角をさらに太くした。紙の見出しは、白に対して黒々と太字。
「白黒審・初版——名護符/逆委任/条鑑/歌孔」
章は五つ。
一:名護符——名を剥がせない札
二:逆委任——委任状の矛先返し
三:条鑑——条文の“顔色”検査
四:歌孔——紙に音を通す穴あけ
五:公開角審——審と祭の中間、見せ物の裁き
ノアが水位棒に掌を置いた。「白は光を通し、黒は熱を抱く。歌はどちらにも通る。穴が要る」
「刃は違反へ。穴は詩へ」リースが剣の柄をコツンと鳴らす。
◆
一:名護符
名に鎧を着せる。
名護符は小さな布札。布出典票の親戚。
- 表:名、耳印/白点/翻点/利根返角の合算“温度”。
- 裏:“書替不可”の角太印と、“委任は帯で”の赤い糸。
- CRC:触りCRC——角を指でなぞると“チ・チ”と二度短く鳴る(糸芯に鈴糸)。
委任は紙でなく帯(名帯)にだけ許す。帯には刺繍の名。解けば糸がほどけ線になり、再縫には翻署が要る。
——名は持ち運ぶが、切り離さない。
サト婆さんが目を細める。「名ってのは温度だ。護符は温度計にもなる」
◆
二:逆委任
委任状は便利だ。だから紙に黒が潜る。
逆委任は、委任の矛先を出典へ返す仕組み。
- 要件:委任状に**“名帯番号/名護符番号/利根本票番号”の三番号がないと無効**。
- 逆流手順:番号がない/偽なら、“逆委宣言”=短短長+小チ。帯旗の棒に逆矢印の小札を掛ける。
- 効果:責は委任元へ戻り、条に赤小脈で記録。事情欄が開き、名を求められる。
紙に逃げ道を描くなら、紙で道を戻す。
ギータが口角を上げる。「剣の返しじゃなく、紙の返し。気分がいい」
◆
**三:条鑑**
条にも顔色がある。
条鑑は条の血色を見る鏡。
- 拍診:条末の小チが人歌か。機歌なら青白。
- 墨診:角太墨は乾く音が短。光沢墨は長で滑る。
- 注診:注欄に汚い字があるか。無ければ流用条の疑い。
- 触診:紙の裏骨(繊維)を指で追い、拍の節があるか。
条鑑票を条の端に貼り、「甲(人)/乙(薄)/丙(借)/丁(偽)」を刻む。丁は公開角審へ。
ジュードがうなる。「角のない条は、拳で殴る前に歌で倒れる」
◆
四:歌孔
紙が歌を通せば、嘘は詰まる。
歌孔は小さな穴。道札の穴の子。
- 孔割:短=丸小/長=丸大/チ=楕円を列にする。条の主旋律を孔で写す。
- 孔検:机下の風を通し、孔が拍に鳴るか。機歌の紙は鳴らない。
- 孔署:孔の脇に**“歌孔署”の名欄。翻署や為署と同列に責任を置く。
白黒は目の世界。歌孔は耳**を連れてくる。
ノアが頷く。「水は孔を通ると音になる。紙も同じ」
◆
五:公開角審
審だけでは固い。祭だけでは甘い。
角審は審と祭の真ん中。見せ物であり審。
- 舞台:基準拍塔の前、斜光灯と風箱(今回は音を通す箱)を並べる。
- 手順:白札→条鑑→歌孔→逆委宣言→名護符の確認→公開“条読み”→判断旗(白=通、黒=止、薄群青=やり直し)。
- CRC:角打ち(角を指でチ)、孔鳴、帯引(名帯を軽く引いて縫いを確かめる)。
怒りは角で受け、拍で刻んで、笑で冷ます。
◆
初の角審は昼を跨いで始まった。
列の先頭、黒髪の商人が**「標準準拠証」を掲げる。印影は綺麗、角は薄い。
条鑑——墨診:光沢長、拍診:小チが均質(機歌気味)、注診:空白、触診:裏骨に節なし。
判定:丙(借)寄り。
歌孔を穿つ。丸小・丸大・楕円の列。風箱で息を送る。
——鳴らない。
ギータが肩を竦める。「歌わない標準は、喉がない」
わたくしは薄群青のやり直し旗を上げ、「条を注から育て直し」**と掲示。汚い字は、強い。
二つ目、「委任状」。
三番号が無い。
逆委宣言——短短長+小チ。
帯引で名帯がほどけ線を晒し、翻署なしが露見。
責は委任元へ戻り、事情空白が開く。
男は唇を噛み、「名:ヘル。書き方を教わってない」と汚い字で書いた。
サト婆さんが笑う。「書き方は叱るより教えるほうが速い」
罰は**“歌孔署”の穴あけ手伝い**。紙に音を覚えさせる側へ。
三つ目、「善意の連帯票」。
——名を薄め、責を分散、誰も責めない体裁。
ジュードが角を弾く。「角が歌わない」
条読みを公開で行う。
「善意」の語が三度。事情欄は空白。遅拍の規定なし。喪越への配慮なし。
判断旗=黒(止)。
代替として「寄点・小票」への置換を提示。善意は制度へ繋げ、紙ではなく点で残す。
列の後ろで舌打ちが一つ。音は拍に吸われた。
◆
午後、事件は王都側から来た。
「王都様式・条文写経」と名乗る旅の書師が、美しい条を束で持ち込む。歌孔を穿つ前から拍が整いすぎている。
斜光灯で透かすと、紙の裏に微細な金粉。
孔鳴は鳴る——だが均質。機歌の匂い。
ノアが水滴を落とし、耳を寄せる。「水の“ぽん”が返らない。紙が水を嫌っている」
条鑑=丁(偽)。
公開解体で裏咲きした金粉を剥がし、“音の通り道”が偽の孔であることを示す。
書師は震えて名を書いた。「名:カンナ。王都で“音の良い紙”を教わった」
ギータが頷く。「音の良いは歌が良いとは限らない。揺れがない音は詩を嫌う」
罰は**“条墨”の練習と喪越の読み手。均質な声は喪の前で小さく**なる訓練が要る。
◆
夕刻、旧ギルドの最後の札が出た。
「総委任状——全権移譲」。
——名を一枚に束ね、白で黒を塗りつぶすつもり。
条鑑は丁。歌孔は鳴らず。三番号は虚偽。
しかし、持ち込んだのは若者だった。
名:オルガ。
事情欄に薄く「父の借/家の喪」とある。
喪越を置く。白布符/小脈/黒糸。
逆委宣言は保留。
公開で**「逆委の代替」——「共帯」を提案。
共帯:名帯を二重にして外側を共に、内側を個に。外側は寄点で支え、内側は利根で返す。切ると外側だけ外れ、個は残る。
オルガは泣き笑いして頷いた。汚い字で共帯の名を書き、共の外帯に寄点の印をもらい、個の内帯を自分で結んだ。
——白を黒にはしない。白を薄群青**に連れて行く。
◆
王都監督官ヴァレンが現れた。
角審の舞台を一巡し、条鑑票を撫で、歌孔の列を覗き、名護符の触りCRCでチ・チと鳴らした。
「数字を見せてくれ」
「白黒KPIを新設しました」
わたくしは板を指さす。白札流入/条鑑“丁”検出/逆委宣言数/歌孔合格率/名護符発行/共帯移行。
ヴァレンは頷き、薄く笑った。「法は包む。包むには孔が要る。音の抜ける孔だ」
「詩は孔の名前です」
彼は小チを一度、穏やかに打った。
◆
夜の読み合わせ。
条に注が増え、条鑑の**“丙→乙”が何枚も掛け替わる。
歌孔署の名柱に汚い字が増え、孔鳴の列が塔の灯と寄り添う。
共帯の外側を子どもが触り、名護符の角でチ・チと鳴らして笑う。笑は仕様**だ。
ジュードは刻印台で逆矢印の小札を増やし、ハンクは孔具の針先を研ぎ、ハーシュは条墨の余白を整える。
ザハラは鼓でツを一つ、「遠市でも歌孔を翻する」と翻署に書いた。
ノアは水位棒に孔の刻みを加え、「水が鳴った」と言った。
靴は今日も汚い。白と黒と土に、薄群青(やり直し旗)と赤糸(逆委宣言札)の粉が付いた。
なら、やっぱり、正しい。
【辺境KPI / 第21話】
塩産出量:0.78 → 0.80(角審による流通混乱の短期収束/先渡し再設計の定着)
用水稼働率:54% → 55%(白札処理の動線を“無音窓”に寄せ、搬出入の詰まり解消)
白黒指標(新):
- 条鑑 判定:甲 61/乙 37/丙 12/丁 5 →角審
- 歌孔 合格率 89%(孔鳴一致)
逆委宣言 14(三番号欠落 11/虚偽 3)→責の逆流 成功 14
名護符 発行 102/触りCRC 抜け 0
共帯 移行 9(白札総委→共帯 7/委任解体→再縫 2)
治安指数:77 → 79(偽“標準準拠証”解体 4/旅書師の“金粉紙”摘発 1→事情化)
ガバナンス:白黒審・初版 採択/条鑑票・歌孔署 運用開始/逆委宣言 標準化
文化・教育:条墨 読み合わせ 参加 458/孔具 研ぎ手 31/共帯の結び教室 7
次回予告:「法制化と逆風——中央の風穴、こちらの歌孔」。
王都の本採択に逆風。条の本文から拍を外す試み。孔を塞ぐ紙、風穴を空ける議場。**“条の舞台”**を王都へ持ち込み、詩で通す。




