第16話「蓄は設計、熱は通貨」
朝の空は薄い鉄の色。塩皿の水面は針のように静かで、指先に触れる空気が固い。
——冬が来る。
塩は保存の筋肉。けれど冬は、熱で筋肉を動かす季節だ。熱の道、熱の通貨、熱の規格。やる。
「薪が足りない、って顔だね、課長」
ギータが御者台で手をこすりながら笑う。
「足りないのは、薪じゃなくて設計です」わたくしは机を外に出し、角をさらに太くする。紙の上の見出しは長く、でも寒さに強い。
「冬支度・初版——“蓄”の設計/熱の道歌/湯権と免湯」
章立ては四つ。
一:薪規格・炭規格(乾き/密度/灰の出典)
二:蓄熱器の規格——“塩湯壺”と“石床”
三:熱の道歌(焚→湯→食→眠 の四拍)
四:湯権と免湯旗、暖簾台帳
「熱にまで歌をつけるの?」ジュードが半笑い。
「歌は骨。冬は骨が痛むから、骨を先に置きます」
ノアが水位棒に手を当てる。「水も熱を運ぶ。道歌に湯を入れよう」
◆
一:薪規格・炭規格
掲示板にでかでかと出す。
「薪規格・初版」
- 長さ:肘一つ分(※子どもは二つで一本)。
- 含水:“粉の息”の竹筒を逆用、息を当てて紙が二十以下。越えたら**“静(白円)”+乾き棚**。
- 密度:沈み試験(桶に入れて半分沈むが合格)。軽すぎは火力弱、重すぎは水もらい。
- 皮:痛み皮は剥ぐ、守り皮は残す。
- 灰の出典:焚いたあと灰の色・触り・音(握ってサラサラ)を記録。灰印を灰袋に押す。
「炭規格・初版」
- 火持ち:拍で測る(短短長×十を一持)。
- 割れ:“チ”で指弾、澄んだ音は合格。
- 灰:白灰は塩湯壺へ再利用、黒灰は畦の凍み止め。
サト婆さんが鼻で笑う。「灰印なんざ聞いたことないけど、いいねえ。灰にも名の居場所が要る」
ハーシュが港務所から樽を転がしてくる。「沈み試験の桶、十個持ってきた。印交換は港・公社・炭焼きの三者印」
◆
二:蓄熱器の規格
塩湯壺と石床を設計。
塩湯壺:厚い陶壺に薄塩水を満たし、底に石。昼の焚き火で温め、夜に湯気で放熱。湯印を壺の肩に押す。
石床:薄い板石を床下に敷き、昼の日と酒場の火で温め、夜は足へ返す。触接で静電を逃がす。
「蓄熱器 規格・初版」
- 湯印:温印を導入。手の甲を湯気に当て十呼吸後、温・熱・透の三段。印は指形。
- 湯のCRC:“ぽん”(手の平を壺に軽く叩き、水音が二度返ること)。抜けは要確認。
- 石床:脈で温む(短長短で温脈)。温印が透以下の日は薪×一束を追加。
- 安全層:静(白円)と無音窓、換気、触接。火は水灯準拠。
「“ぽん”て音、正式に入れるの?」リースが苦笑。
「声は資産です。冬は舌より手の**“ぽん”が信用されます」
ノアが頷く。「水の音速は温度で変わる。“ぽん”はCRC**になる」
◆
三:熱の道歌
板に大書する。
焚→湯→食→眠。
焚:短短長+チ(火入れCRCと同じ)。
湯:短長短+“ぽん”(確認水音)。
食:長長短+チ(基準拍塔の灯が脈)。
眠:静(白円)+小“チ”(就寝確認)。
——四拍の熱循環。昼に蓄えて、夜に返す。
道札の裏に熱の穴を追加。穴は丸(湯)と四角(焚)と三角(食)と無結(眠)。触っても読める。
ギータが口上を作る。「見出しは“熱は通貨、湯は署名”」
ジュードが木槌で壺の縁をぽんと叩く。「音が腹に気持ちいいな」
◆
四:湯権と免湯、暖簾台帳
冬の弱い名を守る仕掛け。
湯権:昼の焚→湯の回に壺を共用する権利札。帯旗(税旗)の隣に湯旗(薄茶の円)を掲示。
免湯旗:白地に薄茶の斜線。立ち上げ三十日/乳飲み子/病に免。免は誇り。
暖簾台帳:湯屋・飯屋・酒場の暖簾の名と出典を記す。旧ギルドの“暖簾売り”対策。
- 暖簾印:角太の布札。“のれん”の裂け・色・匂い・端の縫いを記録(布出典)。
- 連署:店主/仕込み人/相互監査+料理組合。橋印は扉に焼く。
- 偽暖簾は**“音”がない**(布を弾く音が弱い)。**“笑線”**の読み合わせで公開検分。
ミナ女主人が腕を組む。「暖簾売りね。“名の外注”は味を薄くする」
「味は時間の投資。暖簾は時間の布。出典を書けば、借りても薄くならない。借りを隠すのが悪です」
ハンクがにやり。「布出典票、刷っとく。角は分厚いぞ」
◆
読み合わせの人垣に、冬の吐息が混じった。湯旗の薄茶は目に温かい。免湯の白茶は胸にやさしい。
そのとき、港から二つの知らせ。
ひとつ、薪の寄進の列。寄付点がたっぷり付いた束。
もうひとつ、旧ギルドの“暖簾売り”の口上。
——「王都直伝“暖簾”。温印不要。“名”も不要。一幕三枚、即日開業」
名のない暖簾は影だ。影は冬に長い。
「見せ物にしましょう」わたくしは言う。「暖簾検分」
笑線の隣に暖簾線。布を指弾して音、香るラベルを擦って匂い、端の縫いで指の引っかかり、布出典票で名。
最初の偽暖簾は、音が弱かった。ぽそ。
次の正規暖簾は、角が歌い、糸がちりと鳴った。
群衆は笑いながら学び、拍で記憶する。
——学びは笑いに似て、速い。
◆
昼、熱の道歌——試運転。
焚(短短長+チ)。薪の含水が二十を切っているかを粉の息で確認。
湯(短長短+ぽん)。塩湯壺の温印は温、湯のCRCのぽんは二返。
食(長長短+チ)。香味塩“弱”で粥を回す。鼻印が浅で並ぶ。
眠(白円+小チ)。石床の温脈、短長短が静かに通る。
湯権の札が行き交い、免湯旗の下で子どもと老人が一緒に湯気を撫でる。湯の詩は目に見える。
ジュードが壺を軽く叩いて笑った。「ぽんで安心すんの、不思議だな」
ノアは指を湯気に通す。「音は温度の影。影の形が規格になる」
リースは兵に火見張りの交代を回し、触接の結びを二段に増やす。
◆
——夜、事件は湯屋から来た。
偽暖簾の店が免湯旗を勝手に掲げ、湯権を売った。
「免は売り物じゃない」とギータ。
わたくしは**“切”を一拍だけ出して列を止め、公開検分へ切り替える。
暖簾線で布を弾く。音が弱い**。
湯印を求める。温印がない。
湯のCRCのぽんを打たせる。一返のみ。要確認。
暖簾台帳を開く。——名がない。
「名をください」
店主は唇をかみ、やがて汚い字で書いた。「名:ビオ。暖簾売りから買った。湯は薄い。旗で客は来ると思った」
「事情は紙に。罰は灯と湯壺運び。店は閉。免湯は真正の湯屋に振替」
群衆の怒りは一拍で笑いに変わり、「ぽんが一つ足りなかったね」と誰かが言った。
笑いは手順の味方。怒りは最初の燃料。
その脇で、旧ギルドの男が暖簾売りの札を配ろうとした。
ザハラの鼓番が**“喪”回避の旗を上げ、基準拍塔が長長短+灯脈で掲示**。
リースが**“集”で囲い、“止”で締め、橋印の扉に男の名を紙で残す。「名:ディレ。事情は台帳へ」
刃は違反にだけ向く。詩は抱える**。
◆
翌朝、王都監督官ヴァレンが来た。吐く息は白いが、声はいつも通り冷たい——拍に合っている。
「冬支度、数字を見せてくれ」
「KPI板と**“熱層”です」
新しい列が並ぶ。温印“温以上”率、湯のCRC抜け、薪含水>20%の是正率、免湯旗 発行数、暖簾台帳 記入率。
ヴァレンは頷き、「一律の“冬税”案を撤回する理由にしやすい。湯権と免湯の公開が効いている。——数字を続けてくれ」
「期限は?」
「冬の間。黒字で越せ」
「湯と紙**で殴ります」
◆
CRも増えた。
CR-12:塩湯壺の塩度の幅(0.8〜1.2)。
CR-13:石床の脈の最小回数(短長短×二十を一夜)。
CR-14:暖簾布の“角”に鈴糸を一本(音で真贋)。
CR-15:免湯旗の浮遊(御者台の上/子守の傍)
角太の束は、冬に手を温める。
◆
中旬、雪が一度落ちた。
熱の道歌は息をし、湯権の札は手から手へ、免湯旗は子どもの背でひらひら。
石床が冷えた夜、温印は透へ下がり、“薪×一束”の追加が基準拍塔から灯脈で告げられた。
湯のCRCは抜け0。ぽんは二返。
暖簾売りは減り、暖簾台帳には汚い字の布出典が並ぶ。——汚い字は、強い。
ラスクが小瓶を抱えて湯屋の手伝いに入り、トーベンが石床の触接を締め直し、カイが薪棚の含水を粉の息で測って回る。
サト婆さんは若耳に手を当て、「静と眠を間違えるなよ」と笑った。静は止め、眠は受け渡し。詩の違いは骨の違い。
◆
遠市からも風が届いた。
鼓番の家々に塩湯壺が入り、ぽんはツの横で通貨になった。
香珠と鼻印は冬に静を好み、湯の上で香りを一瞬だけ返す儀式が増えた。
——香りは証、湯気は通訳。
ザハラから翻署の紙が届く。「湯の“ツ”は二返で良し。喪には近づけない」
STTの冬版に**“ぽん↔ツ”**の注釈が太字で追記される。
◆
終盤、旧ギルドが最後の牙。
偽“温印”の焼き印を出回らせた。壺の肩に温の字を焼いて偽る。ぽんは一返。
ギータが肩をすくめる。「音と紙に勝てる焼印はないよ」
公開“湯検分”——ぽん二返/温印の手形/湯旗の位置/湯権の帯/布出典。
偽温印は音で潰れ、紙で乾いた。
事情を書いた若者の名はベン。「名のない暖簾に憧れた。名のある湯に戻る」
汚い字が強く、冬は少しだけやさしくなった。
◆
夜。
塩湯壺の湯気が短長短でゆっくり脈打ち、石床が足の裏から眠の拍を返す。
基準拍塔は薄く灯り、長長短で食の片づけを締め、最後に白円が一枚ふわりと浮いた。
湯旗の薄茶が月の下で温度を持ち、免湯旗の白茶が子どもの肩で揺れる。
——熱は通貨になった。通貨は歌で数え、紙で残る。名は重心。
ヴァレンが壺のぽんを一回、無言で確かめた。
「黒字で越せそうか」
「ぽん二返が続けば、黒字です」
彼は珍しく、ほんのわずかに手をこすった。「詩で殴るのを、湯で癒やすのだな」
「刃は違反へ。湯は人へ」
彼はチを一度、静かに打った。
靴は今日も汚い。白と黒と土に、薄茶(湯旗の糸)と灰の粉が付いた。
なら、やっぱり、正しい。
【辺境KPI / 第16話】
塩産出量:0.77 → 0.78(冬前の在庫回転最適化/熱の道歌で作業時間平準化)
用水稼働率:51% → 52%(塩湯壺の補水サイクル整備/石床の熱回収で夜間搬出安定)
安全層指標:湯のCRC(ぽん二返)遵守 99%/薪含水>20% 是正 94%/静・眠 混同行為 0
住民満足度:+0.95(免湯旗 発行 61/湯権 配布 203/暖簾検分 参加 412)
治安指数:70 → 72(偽温印摘発 3→事情化/暖簾売り排除 4)
供給鎖指標:熱の道歌 実施率 92%/湯旗掲示店 37/暖簾台帳 記入率 88%
財務指標:冬税案 撤回見込み(根拠:温印・湯権・免湯の公開KPI)/燃料寄付点 使用率 61%
文化・技術:温印(手形)普及/**ぽん↔ツ(冬STT)**採択/布出典票 運用開始
次回予告:「春の利根——貸し借りは“名”で回す」。冬を越えたら前貸し/後払いが動く。先渡しの罠を**“利根票”で解体し、信用を拍と角で可視化。そこへ旧ギルドの“影貸”**。名の温度で、利を澄ます。




