第13話「名の地図、税の川」
朝、港の潮はゆっくり膨らんで、すこしだけ粘った。
——税の匂いがした。
紙の匂いではない。金庫と判子と、誰かの喉の奥に住む咳払いの匂い。
掲示板の端に、朱の帯の封筒が刺さっていた。王都財務官署・関税局。封蝋は几帳面で、文字は痩せている。
「港湾通行税 見直し案(草案)」。
要点は三つ。
ひとつ、通行税の一律上げ(小口も大口も同率)。
ふたつ、“香味塩”の類別を“嗜好品”へ繰り上げ(税率が跳ねる)。
みっつ、“相互監査による免除”の条項削除(三者印の効力を弱める)。
ギータが封筒をひっこ抜き、齧ったような笑いをした。
「逆進税の匂いだね。小さい名ほど苦しくなる。——王都の帳尻は合うけど、こっちは倒れる」
「税の川をこちらで引きます」わたくしは机を外に出し、角を太くした紙を広げた。
見出しは、少し気取って長い。
「税流設計・初版——道歌と三者印に合流する“階段税”と“免旗”」
章は四つ。
一:名の地図(納税者地図)
二:階段税(段別・免税段)
三:免旗と税CRC
四:読み合わせと公開計算(税の見世物)
「税の川って、流せるのか?」ジュードが眉を上げる。
「水は高いところから低いところへ。税は名の重さと道の傾斜で流します。逆進にしない。小さい名を潰さない。——階段にする」
ノアが頷いた。
「段があると、拍が揃う。川音は段で変わるが、崩れにくくなる」
◆
一:名の地図。
机の上に大きな布地図を広げ、港—市場—工房—畦を結ぶ道名の線に、名を刺していく。
産地の名、運ぶ名、売る名、監査の名。白点や歌点や耳印の記録を小さな記号にして散らす。
色紐の経路は青い線。三者印の交差点は丸い印。道外の空白には、寄り道の理由が細い字で生きている。
地図の端には**“脆い場所”**の注釈。
——小瓶だけで食いつないでいる家。
——香味塩に乗り換えてまだ三日の工房。
——夜警だけで白点を稼いでいる若者。
こういう名に、一律の重い税が落ちると、骨が折れる。
「名の地図を財務官にも見せるの?」リース。
「見せます。名は温度。冷たい机に置くと、温度が伝わる」
ギータが鼻を鳴らした。「ついでに**“税の見出し”**を作るさ。“名の地図に税が通う”。——見た目は可愛いけど、角は太い」
◆
二:階段税。
段は五つ。
第零段(免):名の小さい者と立ち上げ三十日は免除。
第一段:小口(日量小瓶十未満)は薄い。
第二段:中口(十〜五十)も薄い。
第三段:大口(五十〜二百)は標準。
第四段:特大(二百超)は重いが、“寄付点”で下げる。
寄付点は白点/歌点/耳印の合計でつく。共同の筋肉に税の重さを還流させる仕掛け。
香味塩は嗜好品ではなく付加価値食品として、第一段から。ただし**“香りの署名”(鼻印)を掲示していない店は一段繰上げ**。
ジュードが板に太字で書く。「“免”は怠けじゃない。“立ち上げ”は投資。」
ノアは段の境界に赤い糸を結んで、「段差には拍の確認を入れる。**税のCRC**だ」
「免は旗にしよう」とわたくし。「免旗。白地に薄い青の斜線。——免は名の上に堂々と立つ。隠す免除は、逆進の温床になる」
ギータが口笛。「“免を見せる”は見せ物になる。妬まれず、拍に吸われる」
◆
三:免旗と税CRC。
免旗は道札と同じ木札に小さな旗布をつける。段ごとに旗の端に小印。第零段(免)は青白、第一段は緑白、第二段は黄白、第三段は赤白、第四段は紫白。
税のCRCは納税歌。
短短長+チ:免/第一段。
短長短+チ:第二段。
長長短+チ:第三/第四段(最後にチを二回)。
視旗も合わせ、星旗のとなりに**“税旗”を立てる。
印交換は三者**:港務所/公社/料理組合。徴収票は角太。
税外の空白もある。事情を記す欄。病/喪/事故。——事情は免罪ではない。免旗の理由だ。
リースが兵に配布する指示書をめくり、少しだけ笑った。
「旗だらけの夕暮れになりそう。休/静/税。——色と形で迷子にならないよう、子ども隊に“旗係”を」
サト婆さんが即答。「耳は旗の音を覚えられる。旗の棒に小さく拍を刻みな」
◆
四:読み合わせと公開計算。
昼、天幕の下に計算台を出した。目の前で計算する。噂は見える数字に弱い。
板には段ごとの税率、寄付点の換算、免旗の期間(立ち上げ三十日)を大書。
見本で一件、わたくしが自分の名を入れる。
「セリーヌ工房:本日 香味塩“中” 12小瓶(鼻印掲示)→第二段。白:8小瓶→第一段。寄付点:白点+歌点+耳印=38→-一段緩和(第二→第一)。合計税:○○」
ギータが「見本」の札を付け、角をさらに太くする。角はもう、握ると気持ち良い武器。
列の先頭は、先月、“事情”で偽ラベルを自首した若者ラスクだった。
「立ち上げ三日目。母の看病をしながら小瓶六。免旗、いいのか?」
「いい。免は誇り。旗は名の上に」
彼は青白の旗を頭より高く揚げ、小さく笑った。笑いは拍を速くする。
二組目は港の婆さん・トメ。
「わしは税を払うよ。歌見張りで白点が貯まってる。寄付点? 使ったほうがいいかい」
「寄付点は税を軽くする権利。でも権利だから、使わない選択も誇りです」
トメはがらりと笑った。「じゃあ使わない。若い衆の番だね」
三組目、旧ギルド系の商人が薄笑いで来た。
「第四段か。寄付点? そんな遊びに付き合ってられん」
ジュードが板を指でチと弾いた。
「寄付点は遊びじゃない。夜警と道歌と静に筋肉を出した記録だ。筋肉は税の骨を守る」
男は舌打ちだけ置いて、票にサインした。舌打ちは音、音は拍に吸われる。拍は怒らない。角が怒る。
◆
午後いっぱいで、税流設計は街に浸みた。
王都から監督官ヴァレンが現れた。靴はきれいだが、今日の顔は風に当たって柔らかい。
彼は名の地図を長い指でなぞり、免旗の布に触れ、税のCRCを耳で聞いた。
「数字を見せてくれ」
「KPI板に“税の川”を」
板には新しい列が並ぶ。免旗数、段別件数、寄付点使用率、税外“事情”記入率、税のCRC抜け数。
ヴァレンは目を細くして頷いた。
「逆進は抑えられている。免が偏っていないか、王都でも監査する」
「三者印でどうぞ。王都検査官も相互監査に入れます。名を残せば、刃になる」
彼は短く笑って、「刃は手順違反に向けること」と先に言った。
「わたしたちは詩で殴ります」
「理解している」
◆
翌日。
王都財務官署・関税局の役人たちが視察に来た。帳尻で歩く人たち。
ギータはあえて見世物を仕立てた。「公開計算——税の川」。
道歌の納税歌を刻み、税旗と免旗を掲げ、計算台で数字を紙に置く。角太で。
役人のひとりが言った。
「免旗など、示威では?」
サト婆さんが、その役人の鼻先で優しく言い返した。
「免は弱さの旗じゃないよ。育ち盛りの旗だ。花壇に棒を立てるだろ? あれだ」
役人の背中が少し緩んだ。詩は、背中にも効く。
別の役人が、香味塩の類別について問うた。
「嗜好品では?」
女主人ミナが前に出た。
「香味塩は保存の延長です。白に香りを抱えさせる。十呼吸で味が戻る。冬の台所に、時間を貯める品」
彼らは互いに目を見合わせ、紙に何かを書いた。角が太ければ、紙も勇敢になる。
◆
その日の夕方、ちいさな事件があった。
免旗を掲げた若い母親が市場で舌打ちを浴びた。「免はズルだ」と。
列の後ろで、わたくしは短長短を一打だけ刻み、母親の隣に立った。
「免はズルではありません。段は公平の形です。あなたの寄付点が増えたら、免は次の名へ渡ります」
目撃していた子どもが、母親の免旗に白点の小印をぽつと足した。「夜警の巡、五回」
母親は泣き、それから笑った。笑いは拍を速くする。速い拍は、噂より早い。
◆
夜。
港門で納税歌が短短長+チを打ち、道札の穴が税CRCの節を増やした。
税外の空白には、「喪:七日」「病:三日」「事故:触接切れ→再結び」と名が並ぶ。
罰ではなく事情。事情は詩。名が温度になるまで、詩は冷えない。
ノアが触索に指を置き、低く言った。
「水位棒に税を刻むつもりか」
「川は合流で太る。税が道歌と静に合流すれば、噂ではなく手順で流れる」
彼は短く頷いた。「拍が多くなった。確認拍が多いのは、安心が多いということだ」
「確認拍は、続ける仕組みの燃料です」
ジュードは刻印台で税旗の小印を彫り、リースは旗係の子どもたちに夜食を配る。
ハンクは角をさらに太くし、「角が太すぎて、もう武器だ」と笑った。
ギータは御者台で「見出しは決まり」と帳面を叩く。
「名の地図に税が通う——免旗は育ちの印」。
◆
翌朝、王都から返電。
「一律上げは見直し。香味塩の類別は“付加価値食品”。相互監査の免除条項は“辺境モデル(試行)”として存置」
——紙は殴らない。
——殴るのは手順違反だけ。
名は、刃。詩は、盾。拍は、骨。角は、拳。
掲示板の下で読み合わせ。
最後の行を、子どもが音読した。
「免は、隠さない。段は、崩さない。事情は、書く」
拍——短長短。
わたくしは目を閉じ、税の川の音を聞いた。水は高いところから低いところへ。税は、名の温度から道の拍へ。噂の入る隙間は、狭い。
靴は今日も汚い。白と黒と土に、青白(免旗の糸)の粉が付いた。
なら、やっぱり、正しい。
【辺境KPI / 第13話】
塩産出量:0.74 → 0.75(免旗で小口の流通維持/嗜好品類別回避で需要安定)
用水稼働率:49% → 50%(納税歌の導入で港門の滞留減)
住民満足度:+0.89(公開計算参加 167/免旗発行 24/段別相談 58)
治安指数:66 → 67(税外“事情”記入率 41%/舌打ち→拍変換の場面 5)
供給鎖指標:税のCRC抜け 0/道外+税外の連結記入 29/歌見張り・税旗対応 7門
財務指標(新):段別件数 免24/一72/二39/三18/四7/寄付点使用率 53%/納税遅延(千呼吸超) 0
政策動向:王都案の一律上げ撤回/香味塩=付加価値食品採択/相互監査免除・試行存置
次回予告:「名を外へ——遠市の交渉」。王都の外の都市へ、道歌/免旗/静を持って“遠い市場”へ。遠距離の沈黙、他所の拍、そして言葉の互換。歌の翻訳と名の連結、やる。




