第12話「静電の指、粉の息」
朝の工房は、いつもより明るかった。
——乾かしすぎた。白い粉に香草の粉が重なって、空気が薄く甘い。光の筋が見えるほど、粉が舞っていた。
「火薬ではなく、粉」
ノアが窓を開きながら言った。声は低いのに、粉の中でよく通る。
「粉塵爆発は“火が強い”から起きるんじゃない。粉が細かすぎて多すぎて、空気に混ざりすぎて、場所が狭すぎて、でもって、静電気が手をつなぐから起きる」
「つまり、悪い合奏ですね」わたくしは手帳を開いた。
見出しは太く、角をさらに太く。
「粉管理規格・初版——換気・静電・拍“静”」
章立ては三つ。
一:換気(風の設計)
二:静電(帯電の管理)
三:粉(濃度・粒度・散布の手順)
そして、“拍”に新記号を追加する。
「静」——一拍分、手も口も止めて静止。旗は白の円に細線。触索は無結びを一つ。
「規格が好きな顔してるね、課長」ギータが鼻で笑う。
「好きです。今日は工房が“火の噂”で揺れる前に、噂の代わりに手順を出します」
◆
一:換気(風の設計)
板に工房の平面図を描き、風筋を入れる。
吸いは低く、吐きは高く。入口は風下、作業台は風上に対して斜め。天井に小窓、床に抜け道。
ノアが補足する。「風は歌を嫌がらないが、粉は歌に乗る。歌道(道歌の通り道)は吸いから外せ」
「入口で拍を刻む子ども、場所をずらしましょう」
「静の旗を立てる。吸いの手前に静区」
二:静電(帯電の管理)
リースが布を掲げる。「兵の槍は稲妻を呼ぶが、布は火花を呼ぶ。麻か綿に統一。毛皮は外」
ジュードが髭をさすり、「接地線ってのを打つ。触索の親戚。銅線を地面に落とし、作業台と人の腰紐を**“触接”でつなぐ」
ハンクが乗ってくる。「印刷機の角にも接地を回す。紙が擦れる音、今日は歌じゃなく静**で消す」
三:粉(濃度・粒度・散布の手順)
強く混ぜると粉が舞う。だからこその折り混ぜ。
粉濃度は目測ではなく、紙測。
わたくしは**「粉の息計」を出した。竹筒に貼った薄紙が呼気で揺れる角度を目盛る。
基準:紙が四十五度以上揺れたら“静”。十呼吸の静で粉を落とす。
ふるいは三番/五番で固定。粉の逃げ道を箱**の端に作り、布の蓋で吸わせる。
「火の噂を先に規格で殴る、か」ジュードがニヤリとする。
「殴るのは違反だけです」
「そうだったな」
◆
午前、読み合わせ。
掲示板の前、人が集まる。女たちの前掛けは麻、子どもは綿。毛皮は入口で回収、灯は芯を短く。
旗の新顔、静の白円がひらひらと目に優しい。
「静は怠けではない」サト婆さんが最初の一言を取った。
「静は休拍の姉妹。耳が休むときと同じで、粉も十呼吸で落ちる。静を見える化しな。見える休みは、怖さを連れてこない」
粉管理規格・初版の掲示を指で追い、逸脱空白を太くしておく。
逸脱例(見本):「折り混ぜで粉の息が斜め四十五超。静→換気→触接再確認。名:セリーヌ」
ハンクが「見本」の札を付け、角をまた太らせた。「角は今日、さらに太くだ」
そこへ、火の噂が入る。市場の角で旧ギルドの若造が囁いたらしい。
——「辺境の工房は爆ぜる。香草は火の餌。王都の“香味塩”は安全」
ギータが鼻で笑い、帳を一枚掲げる。
「安全は噂では作れない——“静”の運用公開」
公開運用だ。吸い/吐きの風筋、触接の結び方、粉の息の十呼吸。歌ではなく、静で見せる。
◆
午後、公開“静運用”。
工房の中央で、折り混ぜの班が拍を一旦止にし、静の旗を上げる。
粉の息の竹筒が四十五度を越え、白円の旗が十呼吸漂う。
吸いが低く唸り、吐きが高く吐く。触接の銅線が床の杭へ落ち、触索は壁へ沿う。
十呼吸後、竹筒は二十に戻る。静の旗が降り、短長短が戻る。
噂を聞いた客の顔が、半分は安堵、半分は面白がり。安全は見世物でよい。見えれば、手伝う手が増える。
「火の種が来たら?」港務所のハーシュが問う。
「火は拍で歩く」とノア。「行き場を指定する。焚き場を遠く、火入れは**“静+短短長”。火のCRCを持たせる」
「火のCRC?」リースが眉を上げる。
「最後に必ず指でひと弾き**(チ)をする。火入れ報告の確認拍。抜けたら、要確認。——火は言葉に弱い」
ジュードが腕を組む。「粉掃除の手順も紙に。乾と湿で分ける」
「乾は静の旗を立てて布の巣で吸い、湿は粗塩水で落とす。塩は水に友だち。粉は塩に親戚」
ギータが笑う。「家系図が混み合ってきたね」
◆
——と、その時だった。
ぱち。
いつもの塩の音。だが、次に来たのはぱちぱち。
静電だ。香草の乾いた繊維が擦れ、手と木がささやかに火花を呼んだ。
粉の息の竹筒が四十五度を越え、五十に近いところで止まる。
白円の旗が上がるより一瞬早く、ノアが触接の結びをもう一段締め、わたくしは静を宣言する。
静!
十呼吸。
吸いが低く、吐きが高く。
手は止まり、口も止まり、目と触索だけが動く。
十呼吸目に、竹筒が三十に戻る。静解除。
——爆ぜない。
爆ぜなかった。
規格は、噂より速かった。
「見たかい?」サト婆さんが客に言う。「怖いのは知らない静けさ。知ってる静けさは友達だよ」
◆
夕方、掲示板に紙が増えた。
「粉管理規格・初版(掲示)」
「触接の結び——図説」
「火入れCRC・試行」
「静の旗・運用」(白円/触索無結び/十呼吸)
逸脱空白には今日の書き込み。
「静電発生。触接の結び浅し→二段締めで改善。名:ノア」
「粉掃除“乾”で鼻むずむず→“湿”でやり直し。名:ミナ」
「火入れCRCのチ**、忘れかけ→子ども指弾で助け船。名:リース」**
——汚い字は、強い。強い字は、怖さを物語に変える。
ハンクが紙束を抱え、「角、今日は角ばり過ぎて手が痛え」と笑う。
「偽は爪で折れる。本物は指で歌う。静は指で止まる」と彼は言い、香るラベルの在庫を数えた。
ギータは**“静の運用公開”の札を市場へ運び、口上をつけた。「怖い話より、静かな見せ物」**
旧ギルドの若造は、遠くで舌打ちだけ置いて去った。舌打ちは音だ。音は拍に吸われる。吸われれば、怖くない。
◆
夜。
灯が短長短で点き、静の白円がところどころふわりと上がる。
休と静は似ている。休は行進のための呼吸、静は工房のための呼吸。
触索は壁を巡り、触接は床に落ちる。接地の杭は名が刻まれ、誇りで土に沈む。
監督官ヴァレンが、また現れた。紙の束は小さく、目は少し柔らかい。
「火の噂、王都にも届いている。——だが、噂は紙の前で弱る。きみたちの**“静”を王都の工房にも入れたい」
「CRでどうぞ。歌と静の並立**。三十日の実地試験、KPIは粉濃度と静遵守率」
「名は?」
「火のCRCには名を」
彼は短く笑って、チをひとつ打った。
期限は、拍の親戚。静は、その親戚の中の穏やかな従姉妹だ。
◆
その後も小さな事件は起きた。
粉の息が四十五を越えたのに、旗が上がるのが一拍遅れた。静が怠けと取られそうになった瞬間、子どもが**「静!」と叫んだ。
——静は階級ではない。資格でもない。誰でも出せる止めだ。
掲示板に追記。「静の宣言は最寄りの目。名は後でいい」**
罰ではなく、誇りの所在。名は後からでも、いい。
また、香草粉の比率が高いロットで静の回数が増え、作業が遅れた。
ギータが計算して言う。「値は落とせない。白の在庫で穴埋めするか?」
ノアが首を横に振る。「静は遅延だが、事故は停止だ。遅延は千呼吸まで許容。安全KPIは塩のKPIより上位」
わたくしはKPI板に新しい列を足した。
「安全層指標」——“静”遵守率/粉濃度超過件数/火入れCRC遵守率。
数字は、物語の背骨になる。背骨があると、走っても折れない。
◆
夜半。
工房の灯が落ち、触索の結び目が月で鈍く光る。
サト婆さんが軒先で湯を啜り、若耳がその隣で同じ湯気を鼻に通す。
「婆さん」若耳が言う。「静って、怖いときに出すの?」
「怖いから出すんじゃないよ。静が先にあるから、怖さが小さくなるんだ」
「なんで?」
「歌だけだと、息が切れる。静が入ると、歌が長生きする。名が書ける時間もできる」
若耳は頷き、チをひとつ打った。婆さんは笑ってチを返した。確認拍。
——確認拍があると、人は安心する。安心は、続ける仕組みの燃料だ。
◆
翌朝、掲示板のKPIは少しだけ音が良かった。
粉濃度超過は6→2、静遵守率は91%→97%、火入れCRCは抜け0。
塩産出は前日比で微減。だが、誰も眉をひそめない。白は今日も白い。香りは今日も残る。名は今日も増えた。
リースが剣の柄を軽く叩く。「夜番、静の旗も持ち回り。星の横に白円、見た目がやさしい」
ジュードが刻印台で**“静”の図柄を彫り、「相互監査札にも小さく押す。安全は誰の担当でもある印」
ハンクが紙束を掲げ、「角、もう削れないくらい太くした。噂は紙の角で削る」
ギータは御者台で帳面を閉じ、「見出しは決まり。“噂は爆ぜず、静が残る”」
ノアは触接の結びを撫で、「指が音**を覚えた」と言った。
靴は今日も汚い。白と黒と土に、薄い**緑(銅の錆)**が加わった。
なら、やっぱり、正しい。
【辺境KPI / 第12話】
塩産出量:0.75 → 0.74(静導入で作業ペース調整/事故ゼロ)
用水稼働率:49% → 49%(変化なし/換気設計で夜間安定)
安全層指標(新):静遵守率 97%/粉濃度超過 2件/火入れCRC遵守 100%/触接導入率 92%
住民満足度:+0.87(公開“静運用”参加 131/耳学校 “静”課程受講 56)
治安指数:65 → 66(“火の噂”の無力化/安全手順の公開と相互監査押印)
市場指標:王都工房 “静”試行合意 1件/“香味塩”上代 5.2枚(安全運用掲示店で+0.1)
次回予告:「名の地図、税の川」。王都が関税見直しをちらつかせる。道歌と静で組んだ鎖に、税の流れを合流させる。逆進税を避け、小さな名を守るための階段税と免旗。紙の角、さらに太く。




