第10話「道に名を、物語に鎖を」
港の潮がゆっくり吸い込み、吐き出す。白い皿は朝の光を拾い、工房は香りを抱え、畦は二重堤の肩を組んでいる。
——港—市場—工房—畦。点は増えた。線も引いた。けれど、線は誰かの悪意で途中から別の線にすり替えられる。
鎖が要る。しかも、読むための鎖だ。
「“道の名”を刻む」
わたくしは掲示板の空白に大見出しを書いた。
「道名:運搬経路証明・初版」
内容は三層。
**一:色紐/印交換(従来)に“道札”を追加。
二:各区間で拍による“道歌”**を一節ずつ刻む。
三:「名の温度」を最後に束ねる。道を歩いた名の列。
道札は掌の板札で、角を太く、表に地図、裏に名の列。各地点で小刻印を焼き付け、拍を示す小さな穴を数で開ける。
道歌は三音。「短短長」「短長短」「長長短」を、区間ごとに入れ替える。歌の順番が、道の順番。
印の通貨は要。歌は糸。名は布の目。これで、途中のすり替えに物語の歯を立てる。
「歌まで付けるのか」ジュードが半笑い。
「紙は読めないふりができる人にも届きます。拍は、足が読む」
ノアは道札を手で撫で、「木目が歌いそうだ」と言った。
ギータは御者台で指を鳴らす。「王都の旦那衆、道歌がツボだよ。行列は音があると崩れにくい。値も崩れにくい」
リースは兵を見渡し、「軍隊も行進曲で歩く。筋は同じね」と頷く。
◆
午前、道名の読み合わせ。
港務所のハーシュ、印刷職人のハンク、料理組合の若旦那・女主人、相互監査人たち。
掲示板に**「港→市場→工房→畦」の道地図を貼り、各区間の歌順**を決めていく。
「港→市場は“短短長”で始める。港は始まりが多いから、肩が軽い拍」
「市場→工房は“短長短”。混み合う場所は“集の拍”が強い」
「工房→畦は“長長短”。止で終わり、受けで渡す」
合わせて、色紐は緑→赤→青へ。印交換は各地点で三者印を必ず交わす。
道歌は板札の穴で視覚化。穴が三つで一節、並びが拍の順。手で触れても読める。
——目、耳、手。三経路で同じ話を語らせる。
「途中で別ルートに寄り道させて抜くなら?」とハーシュ。
「**“道外”**という欄を道札の裏に作ります。逸脱空白。寄り道は悪ではない。書かない寄り道が悪です」
ハンクが笑う。「空白は太くしとく。だいたいを書け。名を置け」
◆
昼、道歌の初運行。
第一便は小瓶二十、香味塩六。ラベルは香る。道札は新木。
先頭の御者はギータ。左側にリースの兵、右側に相互監査人。後ろにジュード。
わたくしは御者台の横で拍を刻み、ノアは風と傾斜を見て負荷を読む。
港の門で短短長。
市場の門で短長短。
工房の門で長長短。
畦の縁で、短長短に戻して受け渡し。
各門で印交換、道札に焼印、穴を一つ。
歌が進むたび、群衆が高い位置で拍を返してくれる。拍は波。道は、その波で見える。
途中、古い柳の下で、荷の片側が軽くなった。
ギータが手綱を止めるより早く、ノアが言った。「片荷」
御者台の下から、何かが落ちた音。
リースが兵を“止”で止め、ジュードが荷の場合分けを始める。色紐、印、香るラベル、そして道札。
「道札の穴、逆だ」ジュードが指先で板を弾いた。
穴は三つ。順番は短短長/短長短/長長短のはず。ところが、二節目が長短短。
「歌が違う」
わたくしは板の裏を指で撫で、焼印の熱の残りを取る。本物は熱に層がある。偽物は表面だけ。
ハンクが板の角を爪で弾く。音が、薄い。
ギータは御者台から軽く笑って、荷車の下へ腕を突っ込む。引っ張り出したのは、印のない小瓶が五。
「途中でのすり替え、一回目。はい、見せ物の時間」
市場に引き返さず、その場で公開検分を開く。道歌の穴を皆に触らせ、香るラベルを擦らせ、塩の音を二拍鳴らす。
偽物は、音がない。香りがない。歌が違う。
群衆の拍が一度、怒りで強く鳴り、次の拍で笑いに変わった。
怒りは燃料、笑いは推進。二拍で道は前に進む。
その影の外れ、柳の根本から走る足。
リースが追う。剣は抜かない。“集”で囲い、“止”で締める。
捕まったのは、あの空き井戸のアーヴィン……ではない。別の若者。袖に古いギルドの糸。
「名をください」
若者は青い顔で喉を鳴らし、「カイ。道歌を逆さに刻めば、儲かるって……」
「事情の窓口があります。罰は灯と道札の削り出し。名を紙に」
彼はこくりと頷き、汚い字で名を書いた。汚い字は、強い。
——影は名になり、名は温度になる。
◆
夕方、道名・二版を掲示。
追記:
- 道歌の逆刻による**“途中すり替え”対策。穴配列に小さな欠刻を追加。
- 門ごとの“歌見張り”(各門に耳のよい当番**)。
- 道外記録の空白を倍に(寄り道を書きやすく)。
- 偽札の音のチェック(角を弾くと出る二種の音)。
ハンクが板に欠刻を入れ、ハーシュは港門の歌見張りに「耳のいい婆さん」を二人雇った。婆さんは鼻も強い。鼻印の最終確認係にも向いている。
ギータは王都の荷主と道歌の契約文を交わし、「歌を潰した荷は受け取らない」を条項に入れた。
ジュードは相互監査の札に**“道歌合格”の小刻印を足し、子ども夜拍隊は“歌の先生”**に昇格。白点がまた増える。
◆
そこへ、見慣れた赤い襟章。監督官ヴァレンが、現場に来た。
靴はきれい。目は疲れていない。期限は背筋で歩いている。
「“道名”、見に来た」
「紙を机に置くより、歌を耳に置くほうが早いです」
わたくしは短く短短長を刻み、港門の婆さんに目配せする。婆さんは「はいよ」と頷き、同じ拍を返した。
ヴァレンは目だけで笑った。「手続きの詩に、歌詞が付いたか」
彼は道札を取り、角を弾き、穴をなぞり、裏の名を読む。
港:ハーシュ
市場:ギータ
工房:女主人ミナ
畦:ジュード
監査:相互監査人 3名
最後に小さく、“歌見張り:婆さん二名(名あり)”
——名が重い。紙は、重いほうが飛ばない。
「国全体に広げるなら、“歌”の標準化が必要だ」
「拍は三つしかありません。順番を設計すれば、道の数だけ歌ができます。CRで“歌順”を管理します」
「期限は?」
「三十日。歌見張りの育成、道札の供給、法律の“受け皿”へ条文を移す」
ヴァレンは短く頷いた。「名は?」
「最後の行に、必ず」
「……いいだろう」
◆
夜。
道歌が辺境の暗がりを縫う。港—市場—工房—畦。拍の波が静かに往復し、灯の筋がその波に線を描く。
掲示板の前で、“夜の名”の横に“道の名”の板が増えた。白点の下に歌点。十回、二十回、百回。
トーベンの名の横に白点が一つ増え、アーヴィンの横に**“歌補助”の小さな印。カイの名は“事情”欄に入り、灯と道札削りの労が刻まれる。
——罰は見える**。褒賞も見える。名は温度を持っている。
ギータが肩を回す。「王都へ歌の荷。明日は商館の前で**“歌検分”をやる。見出しは“道は歌い、名で届く”」
ハンクが札束を揺らす。「角厚、在庫足りてる。偽は爪で折れる。本物は指で歌う」
ハーシュは港門で婆さん二人に鼻印**の餅を配り、婆さんは鼻で笑った。「わしの鼻は餅じゃ養えんが、名が養う」
ノアは空を見上げ、「風は歌を嫌がらない」と繰り返した。
「拍は道の骨。歌は道の筋。名は道の皮膚です」
彼は目だけで頷き、「皮膚があると、痛みがわかる」と言った。
「痛みは仕様を変えます。笑って開けるを覚えたように」
◆
翌朝、王都。商館前。
天幕の柱に道札を吊り、歌順を示す穴の列を見せる。台の上で公開“歌検分”。
歌を刻まずに通った荷は、受け取らない。鼻印が浅い香味は日付で戻す。印交換は三者が揃わねば無効。
王都の客は最初、眉をひそめ、次に耳を傾け、最後は手で穴をなぞった。
読むとは、信じる準備をすること。穴は、準備を手に作る。
監督官ヴァレンはそこで短短長を打った。
「採択の前哨だ。三十日の試行、道歌で行く。報告は拍で時間管理、名で署名」
彼の声は冷たいが、拍に合っていた。期限は拍の親戚。家族喧嘩も、同じ家だとわかった。
◆
夕刻、辺境に風が戻る。
掲示板に新しいKPI板を打ち付ける。“供給鎖指標(新)”。
道歌遵守率、道外申告率、偽札検知、歌見張り配置、歌点。
数字は、歌ったあとで読むと、少しだけ音楽に見える。
わたくしは手帳に今日の成果と課題を書いた。
成果:道名・初版運用開始。途中すり替えの即時検知/公開検分。王都試行合意。歌見張り配置。
課題:長距離歌での拍の狂い(疲労)。婆さん不足(耳の人材)。道外の記述がまだ薄い。
次工程:歌の交代手順(疲労時に拍を崩さない交代)。耳の学校(子ども→婆さん候補)。道外を集めた**“逸脱の地図”**づくり。
リースが剣の柄をコツンと叩く。「歌の護衛、楽じゃないけど、楽しい」
ジュードが木槌を回し、「俺は“内堤班長兼歌方”だな。字は汚いが声はでかい」
ギータは財布を軽く叩く。「歌は値を守る。これ、本物だ」
ノアは静かに言った。「水はもう、うちの歌を覚えた」
靴は相変わらず汚い。白と黒と土に、今日は木の粉が足された。
なら、たぶん、まだ正しい。
【辺境KPI / 第10話】
塩産出量:0.73 → 0.74(ロス減:途中すり替え即時検知・公開検分による抑止)
用水稼働率:47% → 48%(道歌導入で搬出入の停滞短縮/港門の歌見張り配置)
住民満足度:+0.81(“道名”読み合わせ 102名/歌見張り登録 19/子ども→歌先生 11)
治安指数:61 → 63(途中すり替え摘発 1件/事情化 1件/偽札押収 5件)
供給鎖指標(新):道歌遵守率 94%/道外申告率 18%(空白拡大により増)/歌見張り配置 7門/歌点累計 153
市場指標:王都にて歌検分会開催(参加 210)/**“歌条項”**付き契約 12件
次回予告:「耳の学校、婆さんの未来」。耳は技術、声は資産。子ども→婆さん候補の育成と、長距離歌の交代手順。そして、旧ギルドの新手——沈黙。歌を奪うのではなく、耳を疲れさせる。休む手順で勝つ。




