第8章――預言者の呪い
来る。
そうわかった瞬間、ハルは身をすくめ、目をぎゅっと閉じた。
——そして。
……何も起きなかった。
静寂。
恐る恐る片目を開ける。
マネキンの拳は、ハルの顔すれすれでぴたりと止まっていた。
試験は、終わった。
「悪くないわね、タダシマ!」
軽やかな声と共にスカイラが部屋に入ってきた。軽く拍手しながら、どこか小悪魔的な笑みを浮かべている。
ハルは苦笑し、後頭部をかく。
「見せ場を作ろうとしなきゃ、もう少しマシだったかも」
「見せ場を作るのが目的だったのよ、ハル」
彼女は冗談めかしてウインクしてみせる。
そして間髪入れずに——「ついてきて」
踵を返し、スタスタと歩き出す。ハルは息を整えながらその背を追った。
ほどなくして、すぐ近くのメインオフィスに到着。
そこには、すでにレオニダスが待っていた。
「よくやったな、坊主」レオニダスが迎える。「また新しい技でも覚えたか?」
「うん。アニメって、いい先生だよ」
スカイラは黙ってデータパッドをソウタに手渡す。
机から顔を上げたソウタは、一瞬だけ瞬きをし、それから少し照れくさそうに微笑んでハルに手を差し出した。
「初めまして、ハル君」
ハルも笑顔で握手を返す。
「初めまして。えっと……ソウタ、さんで合ってる?」
「そ、そうです」ソウタは眼鏡を直し、やや緊張した声で続けた。
「一応、アークナイツ科学部門の責任者をやっています。別に大した肩書じゃ——」
「卑下すんなよ、ソウタ」レオニダスが軽く遮る。
ソウタは気まずそうに首の後ろをかき、黙り込んだ。
「気にしないでいいわよ、ハル」スカイラが軽く言う。「このボス、人付き合いはちょっと苦手だから」
ハルは温かく微笑んだ。「大丈夫です」
ソウタは咳払いして、話を切り替える。
「では……君のアセスメントに移りましょうか」
「お願いします」
ハルは案内され、大型モニターの前の席に座る。
レオニダスは隣に腰を下ろし、スカイラは机の端に軽く腰掛けてじっと見守っている。
「ハル君」ソウタが改まった声で問いかける。「アークナイトのランキング制度にある十二階級……知っていますか?」
ハルは正直に首を振った。「いや、正直あまり」
「教えとくべきだったな」レオニダスが頭をかく。
ソウタは小さくため息をつき、モニターを起動。
画面にはピラミッド状に積み重なる十二の区分が映し出された。最下層が十二階級、最上層が一階級。
「第十二階級は《ヌル》。マナをまったく持たない者。理論的には不可能……だが、ウォッチャーズが項目として残している以上、存在するのだろう」
「第十一階級。人口の大多数。マナを持ってはいるが、その存在に気づかず一生を終える者たち」
「第十階級。稀少。マナを感知する本能や直感を持つが、扱い方を知らない」
「第九階級。マナの存在を知り、ある程度操れるが、基礎制御は不安定」
「第八階級。基礎制御を完全に確立し、自分固有のマナの性質を理解している者」
「第七階級。専門家レベルで、マナを精密かつ効率的に運用する者」
「第六階級。常識を超える高みへ到達し、能力を進化させた者」
「第五階級。その限界すら超越し、可能性を塗り替える力を得た者」
そこでソウタは一旦言葉を止め、画面の最上段にある黒いシルエットを示す。
「そして……その先、第四、第三、第二階級。存在は示唆されているが、到達した者は誰一人いない」
「第一階級は——《神性》。全マナの源。多元宇宙の起源にのみ許されたとされる力」
そして苦い表情で付け加えた。
「第五階級にすら到達したのは、ただ一人。《ゼイン・ザウレリアス》だけだ」
その名には重い空気があった。レオニダスも、スカイラもわずかに表情を硬くする。
「しかも、その瞬間はほんの一刹那。空間時間の一瞬……二度と再現されていない」
「気負うなよ、坊主」レオニダスが軽く笑う。「お前の親父ですらそこまでは行ってない」
ソウタは話を進める。
「君は今、第九と第八の間くらい。制御は安定してきている。あと少しで第八に届くだろう」
「本来なら第八以上でないと任務には出さないが……君なら、チームと組めば問題ない」
ハルは息を吐いた。少し誇らしい気持ちが胸に広がる。
「マナは人によってまったく異なる。魂と密接に結びついているからだ」ソウタが身を乗り出す。
「君の能力……どういう仕組みだと思う?」
その声色には、すでに仮説を持っている者の響きがあった。
「感覚……かな」ハルは口を開く。「普段は眼鏡が必要だけど、能力を発動すると目が金色になって、マナがあふれる」
言葉を探しながら続ける。
「周囲すべてを“感じる”みたいな……鳥の視点で見てる感覚に近い。強いときは予知に近いこともある」
「普通の視覚じゃあり得ないものまで見える。遠くや壁の向こう、人の中を流れるマナ……世界の深層みたいな、誰も見てない層が」
「時々、夢や空想で過去や未来の断片を垣間見る。小さいことばかりだけど——鍵を落とした場所とか、誰かが入ってくる数秒前とか」
「制御はできない。そのおかげで、自分のマナも見えて、操り方を早く覚えられた。子供の頃からずっと……親父がオンオフのやり方を教えてくれなかったら、多分潰れてた」
長い説明だった。自分でも初めて言葉にした気がする。言ってしまえば、不思議と肩の荷が下りた。
ソウタはじっと聞き、頷く。
「……後で追加の検査をしよう。ところで、その能力、名前は?」
ハルは少し考え——一つの言葉を思い出した。聖書の中で妙に心に残っていた一節。正確な説明じゃないかもしれない。
でも、響きがいい。
そして、何よりもしっくりきた。
「——《予言者の呪い》」