第5章――87
ハルはナルクルの向かい、柔らかなソファに腰を下ろし、手には繊細なティーカップをそっと抱えていた。
紅茶はあまり好きではない。昔からそうだ。
だが母は違った。イギリス生まれの彼女は幼い頃から紅茶文化を身につけ、それをハルにも教え込んだ。
優しくかき混ぜること、音を立ててすするのは厳禁なこと、そしてカップを品よく持つ方法――人前で恥をかかないための作法。
今、それが役に立っている。
ナルクルは背もたれのあるベルベット張りの肘掛け椅子に腰かけ、両の鉤爪でカップを持ち、紅茶を一口すする。
「さて、坊や。」大統領は温かな声で口を開いた。「手続きに入る前に、何か質問はあるかね?」
「ええ、あります。」ハルは背筋を伸ばし、咳払いをして、ついでに小指をわずかに立ててみせた。わざとらしい上品な声で続ける。
「えっと……両親とは、どういう関係だったんですか?レオニダス叔父さんは、二人がアークナイツの中でもとても重要な存在だったってことくらいしか教えてくれませんでした。」
ナルクルは小さく笑い、モノクルが陽光を反射してきらりと光る。
「ふむ……それは正しい。だが、氷山の一角にすぎん。」
ハルは身を乗り出し、耳を傾ける。ナルクルはもう一口、紅茶をすする。
「さて……どこから話そうか。」ナルクルは顎に爪を当てて考える。「君は我々の組織について、どの程度理解している?」
ハルは自分の知っていることを説明した。
トリアズムを敬っていること。マナの基本――それが何で、どう機能するのか。そしてアークナイツが多元宇宙を守り、志願ではなく選ばれる存在だということ。
だがそれ以上は、ほとんど霧の中だと。
「なるほど。」ナルクルはゆっくりと頷く。「レオニダスは君がここに来ることに乗り気じゃなかったようだ。その気持ちは理解できる。この道は険しい。昔からな。」
彼はカップを丁寧に置き、膝の上で手を組んだ。
「我々にはランキング制度がある。アークナイツは二つの方法で順位を上げられる……戦闘と支援だ。高難度任務をこなしてポイントを稼ぎ、上位五百位に入って初めて正式なランク持ちと認められる。」
ハルは黙って聞き入る。
「君の父上はな……アークナイツの歴代ランキングで第一位だった。純粋で濃縮されたマナを用い、神造級の武器や装備を作り上げる天才。まるで奇跡の職人だった。」
ハルの目がわずかに見開かれる。
「そして君の母上は第二位。同じく天才だが、彼女の才は癒やしにあった。自身や他者のマナの波長を感じ取り、それを操作して回復・支援・強化を行うことができた。唯一無二の存在だった。」
その表情は、思い出に柔らかさを帯びる。
「二人は最高中の最高。アークナイツの象徴だった。その座を十年以上、誰にも奪われずに守り続けたのだ。そんなこと、普通はありえない。大抵は入れ替わりがある。しかし彼らは……揺るがなかった。」
ハルの胸に、重みがのしかかる。
彼にとって二人は、ただの両親だった。
育ててくれた人。教えてくれた人。守ってくれた人。
だが、多元宇宙にとっては――
最強の守護者であり、最高の英雄だった。
「二人がいなくなってから、この組織も変わった。」ナルクルは紅茶を揺らしながら続ける。
「何年もかけて均衡を取り戻したが……その影響は今も残っている。ミヴツァルの中央公園には、君の両親の像が立っているほどだ。」
ハルは視線を落とす。
「残念ながら、坊や。」ナルクルは小さくため息をつく。「君にはおそらく、最も高い期待がかけられることになる。それに耐えられるか?」
ハルは黙り、やがて視線を窓の外へ向ける。
果てしなく広がるミヴツァル――光と奇跡の都市。
「わからない。」彼は正直に答える。「期待に応えられるって胸を張って言えればいいんだけど……正直、自信がない。」
再びナルクルを見る。
「父よりは母に似てるけど、それでも二人のように自信満々じゃない。野心はある。欲望もある。いつかは一位になりたいと思ってる。……いや、なれるはずだと信じてる。でも、その道筋がまだ見えてない。わかります?」
ナルクルはしばし彼を見つめ、柔らかく微笑む。
「よくわかるとも。」
「一歩ずつ進めばいい。期待や可能性の話は後でだ。まずは足場を固め、この世界に慣れることから始めよう。いいな?」
「はい。」
「では……始めようか。」
ナルクルは最後の一口を飲み干すと、カップを置く。
「君の後見人はもちろんレオニダスだ。訓練も育成も彼が担当する。」
そして手を合わせる。
「だが私も協力しよう。今から君に番号を与え、この建物の地下にあるラボでデータを調整させる。そして最初の任務を渡す。軽いものだ、慣らしとしてな。」
「ありがとうございます。」
「当然のことだ。……さあ、両手を前に出して。手のひらを下に。」
ハルが従うと、ナルクルはその上に両手をかざす。
彼の右手の甲には、シンプルな数字――0。
大統領。始まりの数字。
ゆっくりと目を閉じると、二人の間に光輪が現れ、古代の瞳を象った紋様が刻まれていく。瞳が瞬きをし――
開いた瞬間、ハルはそれを感じた。
左手の甲には無限の記号。これは五百位以内に入るまで正式なランクが付かないという意味だろう。
そして右手の甲に刻まれた数字――
87。
「……はちじゅうなな。」ハルがつぶやく。
「面白い。」ナルクルは口元を歪める。「七は父上の数字。八は母上の数字。まさに二人の融合だ。」
「君の可能性を疑うつもりはないよ、坊や。」
ハルは小さく笑い、心の中で――これはきっとセイサクの導きだ、と感じた。
「ところで叔父……じゃなくて、レオニダスが言ってました。数字を意図して口にすると、ここのあらゆるものにアクセスできるって。本当ですか?」
「半分本当、半分嘘だ。」ナルクルは答える。「できることは多いが、制限もある。この部屋のように、許可がなければ入れない場所もある。」
右手を上げる。
「見せてやろう。――ゼロ。」
その瞬間、ハルの右手に刻まれた数字が淡い金色に輝く。
マナ転送。
何度見ても、マナの使われ方には驚かされる。
「これで君は私に直接連絡できる。呼び出しも、メッセージも、この部屋へのアクセスも可能だ。」ナルクルは片目をつむる。
「だが他の者には内緒だぞ。贔屓だと思われたら困るからな。」
人差し指をくちばしに当てて「しーっ」のポーズ。
ハルは笑い、頷いた。「ありがとうございます。」
「さあ行きなさい。レオニダスは待たされるのが嫌いだ。」
ハルは立ち上がり、軽く頭を下げて扉へ向かう。
最後に振り返ると、ナルクルがカップを掲げて微笑んだ。
ハルはロビーへと歩き出す。
――右手の87が、淡く光を放ちながら。