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息子のことを考えると、出るはずもない涙が出るような気がするんですわ。息子のためにあと三年、三年だけ生きたかったと思いましたわ。たった三年、そのくらいなら贅沢違いますやろ。
わしは六十四で、春にはやっと年金暮らしになるとこでね、それが、今年高校に行く息子を持ってるっちゅうのは、随分、遅いと思わはるでしょう。
息子は、女房の連れ子なんですわ。わしは女運が悪うて、最初の女房は初めてのお産で赤ん坊と一緒に死んでしもうて、二度目の女房は金遣いが荒くて、借金だけ残して、男と逃げたんですわ。
親父や兄貴にはそのことで散々言われました。お前はもう結婚するなとまでね。そやけど、一人は寂しいもんです。働いて稼いでも喜んでくれるもんもない。そやから、女房に出会った時、今度こそと思いました。三度めの正直ですわ。
年は少し離れてましたけど、女房は別れた亭主がろくでなしやったみたいで、スーパーのレジ打ちをしながら、苦労して一人息子を育ててました。閉店間際に駆け込んで、買い物しているうちにぽつぽつ話すようになりましてね。
息子がおると聞いた時は、嬉しかったです。自慢やないけど、わしは昔から動物と子どもには好かれますねん。昔は、女房、子どもがおって、犬でも猫でもおってと思うてたのに、気づいたら一人でした。職場で同僚たちが、子どもや孫の話をしてるのを聞くと羨ましいとは思うても、正直諦めてたんです。最初の女房と子どもをお産で亡くしてるからね、怖かったんですわ。
そやから、こんな年になって、息子ができると思うと、何ていうか、ほんまに嬉しかったんです。再婚した時、息子は小学校三年生でした。すぐに仲良うなるて思うたんですが、これが、なかなか。まったくあきませんでした。
小さくても、やっぱり男ですな、母親を守ろうと思うてたようです。いきなり現れたわしにはなかなか懐きませんでした。
おんなじ男として気持ちはようわかるから、ゆっくりいこうと思うてました。
その息子がね、野球が好きやったんですわ。そやけど、母一人子一人の時は、チームに入りたいって言えんかったみたいでね。習い事は何でも金がかかるから、子ども心に遠慮してたんでしょ。そやから、一緒に暮らしはじめてすぐの頃、全部買ってきましてん。
新品のグローブ、バット、スパイク、練習用の白のユニフォーム、帽子、くつ下一式。ほんまに上から下まで全部です。大きな荷物抱えて帰ったらさすがにびっくりしてましたわ。全部開けてみ、と言うたら、母親と二人で一つ一つ包み紙はがしていきました。最後までありがとうとは言わんかったです。そやけど、まだ小さかったあいつの顔が、真っ赤になってたのを覚えてます。嬉しかったんやと思うんですわ。その週の日曜日から、さっそく少年野球にはいりました。買ったのが無駄になるともったいないとかそんなこと言うてました。ええんですわ。何でも。わしも野球が好きで、息子ができたらやらせようと思うてました。
わしは貧乏農家の次男坊でしたから、できんかったです。わしの若い頃はちょうどONの全盛時代ですわ。あの川上さんがV九をやってた頃で、ほんま強かった。わしらの憧れでした。無理してテレビを買ったのも巨人の天覧試合の時でね、まだテレビがない家もあった時代でした。それでも我慢できんでね、貰った給料握りしめて電気屋に飛び込んで、一番安いのを担いで帰りましたわ、四畳半のちゃぶ台一つしかない部屋に、でんとテレビを置いて、試合を観たもんです。幸せでした。天覧試合で長嶋のホームランも観て、震えるくらい感動したもんです。いつか自分に息子ができたら、絶対に野球をやらせようと夢を見てました。その夢が叶ったんです。