微かな違和感
メアリーの案内でやってきたのは、この城にある客間の一室だった。凡そ、戸建てのリビングくらいの広さがあるそこには、クローゼットに机と椅子、ベッドと生活に必要な最低限度の物が揃えられていた。
「この部屋の中にあるものは、自由に使っていただいて構いません。鉛筆や羽ペンのインク、ボールペン、衣類など補充の必要がありましたらお申しつけください」
「鉛筆に、ボールペン?」
「あれ、ご存知ないですか? 過去にいらした勇者様がもたらした、偉大な発明品なんですよ。よろしければ、使い方をお教えしましょうか?」
まさか、異世界から持ち込まれたものが定着しているとは思わなかった。文明レベルが中世なのに近代のものがあることの違和感が拭えないが、他にもそういったものがあったら活用するとしよう。
「いや、大丈夫。見知ったものがあったから、反応しただけ。彼女の部屋は?」
「左隣になります」
「姫神、もうちょっとだから我慢してくれよ」
「……うむ」
彼女が僕の首に回す力が若干だけど強くなった気がする。もしかして、既に動けるようになっているのではないかと邪推したが、今更降りろというのも変な話だし黙っておこう。
メアリーの案内で隣の客間に移動し、彼女をベッドに横たわらせた。その際、何故か首に巻き付いた腕が中々ほどけなくて苦労したが、今まで起きていたはずの彼女が静かな寝息を立てていたのを見て納得した。
「どうやら、お疲れだったようですね」
「僕のために力を使おうとしていたし、慣れない環境でずっと気を張っていたから緊張が解れて安心したのかもしれない。今日は、このまま寝かせてあげよう」
「かしこまりました」
僕とメアリーは部屋を出て、すぐに彼女とは別れることになった。
「私は仕事がありますので、これで失礼致します。ご夕飯は三時間後、大広間にて行われます。時間になりましたら、お部屋までお迎えにあがりますね。御用がありましたら、このベルを鳴らしてください」
「ベル?」
僕は彼女からホテルのカウンターでよく見かけるベルを受け取った。一見するとただのベルだけど、持った瞬間に何か力の流れを感じることができた。
どうやら、ただ鳴らすだけのお飾りではないようだ。
「これには魔法の力が込められています。体内の魔力に反応し、慣らした際、予めベルに登録した人物に自身の居場所を知らせてくれます」
「その居場所を知らせるっていうのが、呼び出しのサインになるのか」
「その通りです。まあ、入浴中や着替えの際はすぐに行けないこともありますのでご容赦ください」
「別にいいよ、それくらい。元々、僕たちの世界にメイドさんみたいなお世話する人はいなかったし、大抵のことは自分でできると思うから」
「それでも、きっと必要になるはずです。肌身離さず、持っていてください」
僕としてはありがたい反面、これが僕自身を追跡する発信機のような役割を果たすのではと警戒している。登録されているのが彼女一人分なのか、それとも複数いるのか……。
ともかく、いざとなったら破棄することも視野に入れておこう。気にし過ぎかもしれないけれど、警戒するに越したことはない。
「それでは、今度こそ失礼致します」
彼女は笑顔でお辞儀をすると、廊下の向こうへと消えて行った。見たところ、ここ一帯もまた客間になっているようだが人の気配がしない。
他のクラスメイトたちは、こことは違う場所にいるということか。他者との関係を配慮してのことだろうが、余計なお世話というか、逆に助かるというか……複雑な気持ちにさせられる。
そのとき、僕の背後で何かが蠢く気配がしたので振り向いてみる。しかし、廊下には誰もおらず、自分の陰がこちらを睨み返すばかりで特に異変らしいものもなかった。
……廊下で一人突っ立っていても仕方ないし、部屋に戻るとしよう。考えて分からないことは、たぶん考えても分からないだろうから。
その後の夕食会、参加したはいいが席を分けられていた。クラスメイトたち一行と、僕、それから姫神の席。
因みに、姫神はまだ寝ているらしいので今日は僕一人だけがやってきた形なので、より疎外感が強調される形となった。
「僕と……たぶん、姫神の席だけ離れているのは、やっぱりそういうことなのかな?」
「申し訳ありません、カナタ様。ヒデキ様方からのご指摘で、カナタ様とモモカ様を離れた席にしてほしいと。何とか食事の席だけでも一緒にできないかと試みましたが、メイド長も彼らの意見を優先するようにと。申し訳ございません」
「メアリーが謝ることじゃないよ。これは、僕のせいだからね」
後ろに控えていた彼女が申し訳なさそうにしているのが、逆に心苦しいと感じた。しかし、僕の一存で彼女を解雇したなら、勇者の一人も世話できない使用人というレッテルを張り、むしろ彼女の立場を悪くしてしまうだろう。
現在進行形で、西城たちが僕に向けている嘲るような視線や笑みを……彼らについているメイド集団もまた、メアリーに対して向けている。
これだけは断言できる。メアリー・メメントモリもまた、僕らと同じ日陰の者だ。それに対して同情したりとか、必要以上に庇ったりするようなことはしないだろうが、自分のお世話を請け負ってくれている人の様子は気にかけておこう。
結局、その日の食事は見たこともない異世界の料理の味を楽しむことができなかった。何だか、砂利でも食べているんじゃないかというくらい味気なく、修行中の精進料理と霞の味を思い出させられたのだった。
その日は与えられた部屋のベッドでぐっすりと眠り、疲れを取ることができた。精神的な疲労が残っているせいか、若干肩が重い気がしたけれど大した問題じゃない。着替えを済ませたのとほぼ同じタイミングで、部屋の扉がノックされた。
「おはようございます、カナタ様。メアリーです。入ってもよろしいですか?」
「いいよ」
「あら、もう御着替えは済ませたのですか? 私が着替えを手伝って差し上げようかと思っていたのですが」
「元々、朝は早い方なんだ。今日はいつもより遅かったけど、あと一時間は早く起きて早朝訓練をするから」
「そうだったのですか。訓練なんて、元の世界では魔物と闘う戦士だったのですか?」
「いや、魔物なんていうのはいないよ。単に、住まわせてもらっている家が武家だから剣術や体術の修行の一環でやってるだけ。明日からは、ちゃんと訓練を再会するよ」
「でしたら、私も早起きをしないとですね。ご主人様よりも早く起きるのが、一流のメイドとしての嗜みですから」
「別に、付き合わなくてもいいのに。昨日も言ったと思うけど、元々お世話係なんていないんだから」
「そういうわけには参りません。カナタ様が私のことを気遣ってくださっているのは分かりますが、これだけは譲れません」
どうやら彼女の意思は固いらしく、何を言っても聞かなそうだ。彼女は自分の仕事にプライドを持っているらしく、それを主人となっている僕が摘み取るのはあまり良くないことだろう。
「……分かったよ」
「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは、私はモモカ様を起こして参りますね」
「いや、彼女もたぶん起きていると思う。ほら、噂をすれば……」
「おはよう、奏多! ……と、メアリーだったか。寝ていた私を、世話してくれたのだろう? 感謝する、ありがとう」
「いえ、これくらいは当然のことですから」
「何かあったのか?」
「実は、起きたら体が綺麗になっていたからな。もしかしたら、寝ている合間に私の体を拭いてくれたんじゃないかと思ってな」
「一度、起こしてはみたのですがぐっすりでしたので。僭越ながら、剥かせていただきました」
「剥くって言うのか、生々しい」
姫神は朝早起きだけど、一度眠ると例え象が踏んでも起きないくらい眠りが深い。敵意があれば、寝ながらでも反撃するので自衛に関する点は心配していないけれど、魔法という因子が存在するような異世界では絶対に安心できるものとも言えないか。
姫神には、あとでこっそりと引き続き警戒を怠らないよう釘を刺しておこう。本来なら僕ではなく、自分の身を最優先に考えるべき状況なのだから。
「あら、カナタ様は何を想像されたんですか? 年頃の乙女のあられもない姿を想像するなんて、エッチさんですね」
「そんなこと一ミリたりとも考えてないんだけどな」
「考えてないのか……」
おいおい、どうして姫神が落ち込むんだ? それを考えることの方が普通は不愉快だろうに。
「あ、乙女を傷つけるなんていけないんですよ? カナタ様は罰として、モモカ様をギュッとしてあげてください。きっと、お喜びになられますよ?」
「ななな、何を言い出すんだメアリーは!? か、奏多にそんなことされたら私は……」
顔を真っ赤にして否定しているが、どうして口の端が上がっているのだろう。そんな疑問が浮かんだが、あまり聞いてはいけないような気がしたので特に触れないでおこう。
「しない。二人とも、朝食の時間だろうから行くよ」
「そんな~……」
「カナタ様って、意外とガード堅いですね……。これは手強い……」
「……もう突っ込まないかならな」
二人の茶番もそこそこに、僕たちは朝食の席へと移動した。相変わらず席は分かれていて、姫神が何か物言いたげな顔をしていたがそこはしっかり宥めておいた。
また昨日みたいに足元で動けなくなられても困るし、向こうが干渉してこないなら、こちらも干渉しないのが得策だ。
そうして朝食を食べ始めた頃、僕はある一つの違和感を自覚することになる。
「美味しいな、奏多! こっちの肉も、野菜も……。うん! これなら、異世界も多少は悪くないと思える!」
「あまり急いで食べて喉に詰まらせるなよ」
「分かっている! バクバク!」
女の子らしからぬ食べっぷり。修行が終わった後の料理で、姫神だけ門下生の中では最も大食らいだったっけか。
修行中には手合わせのとき以外で話す機会はそうなかったはずなのに、こうして向かい合って同じ食卓を囲み普通に話しているのが奇妙であると同時に、少しだけ楽しいと思えてならない。
「あ、しまっ……」
姫神があんまり美味しそうに食べるので観察していたら、右手に持っていたナイフを落としてしまった。落ちる前に拾わないと、そう思って反射的に右手がナイフを追いかけると不意に誰かに手を掴まれてナイフの柄を握らされた。
「ありがとう、メアリー。ナイフ、拾ってくれて」
彼女が拾ってくれたのだと思って立っているはずの背後に声をかけながら視線を向けたが、そこには誰もいなかった。
「あの、カナタ様。私はここにいますけど……」
メアリーは、僕が向けたのとは反対側に立っていて、とてもじゃないがナイフを拾える距離にはいなかった。だから余計に、違和感を強く脳裏に焼き付けられることになった。
「……どういうことだ?」
確かに、誰かにナイフを拾ってもらったはずなのに。まるで、狐にでも化かされたかのような気分だった。
しかし、それ以外は特に変わったことはなく、昨晩よりかは美味しい食事を堪能することができたのだった。




