第一章【5】
「で、乃愛は何して遊びたいんだ?」
俺は乃愛に尋ねる。
この屋敷の敷地はかなり広い。
屋敷も大きいがその何倍もの広大な敷地が庭として広がっているのだ。
写真でしか見たことがないようなバラの美しい庭園から、ちょっとした公園くらいある芝生の広場なども整備されていて、まるで外国にいるようだ。この庭でやれないことはおよそないだろう。
「うーんとねー、まずはキャッチボールしよ!」
「ま、無難だな」
乃愛はインドアな茉姫、白雪と違い身体を動かすのが好きらしく、とにかく運動系の遊びに付き合わされることが多い。
女の子らしくはないと思うが、男の俺としては弟ができたみたいでちょっと楽しいのだ。
が、少々問題が。
「いっくよー!」
乃愛が元気よく声を上げる。
片足を上げ、流れるような所作で身体と肩を十分に捻りながら体重を移動。
その運動エネルギーがムチのようにしなる柔らかな肘と手首から指先へと伝わり、空中にそっと白球がとき放たれる。
まさに乃愛のパーフェクトな投球フォーム。
俺が構えたグローブに吸い込まれるように球が流れ込む。コントロールも完璧だ。
ズパァアアン!!!
「イッ…………てぇえええ!!!」
左手に伝わるあまりの激痛にボールを落としてしまう。
「あはは! アオ兄ぃまたボール落としてる。へたっぴだー」
そう。
乃愛があまりにも運動神経が良すぎるのかセンスがありすぎるのか、何をするにもハイレベルすぎて俺がついていけないのだ。
これは他の二人が乃愛の遊びに付き合えないのも頷ける。
というかプロでも呼んだほうが良いんじゃないの。
「乃愛さん、もうちょっとだけ優しく投げられませんか……」
「ダメダメだな~アオ兄ぃは。男の子なんだから痛いのは我慢して」
「せ、せめて痛くない捕球の仕方教えてくれないか」
「そんなのない、よっ!」
「ひぇえ!」
運動のことになると妙にスパルタ体育会系になる乃愛に、その後もみっちりキャッチボールにつきあわされ、五十球を数えたあたりでようやく乃愛が手を止めた。
「ふー、投げた投げた」
側で控えていたメイドから渡されたタオルで乃愛が汗を拭う。
「手の感覚がないんだが」
グローブから外した左手は真っ赤を通り越して少し青みがかり、力を込めようとしてみてもなんの反応も示さない。
どうやら俺の左手は死んでしまったようだ。ごめんな、守ってやれなくて。
「さーてと、次は何して遊ぼうかな~」
「まだやる気なの!?」
「こんなの序の口、乃愛たちの冒険は始まったばっかりだよ。お昼までは乃愛の時間なんだからアオ兄ぃにはい~っぱい遊んでもらわないと」
「つ、次はもうちょっと楽なのにしてください……」
乃愛は何をするにも悪気がないし素直だしとても良い子だとは思うんだが、いつも全力過ぎるせいでついていけないことが一番のネックだ。
そして悪気がないからこそ手に負えないことがしばしば起こる。
「もう疲れちゃったの? じゃあポチっと」
「あはひぃぃん♪」
例えば首輪のおしおき機能を何の迷いもなく使うこととか。
あの……メイドさん。顔を赤らめて目をそらすのやめてもらっていいですか。
「これでおっけーだよね。じゃあ次は虫取りしよ!」
「む、虫取りくらいなら」
運動系じゃなくて助かった。
そう思っていた時期が俺にもありました。
「アオ兄ぃ! もっと上だよ!」
「そんな事言われても急に背は伸びないから!」
「そこは気合いだよ!」
俺は乃愛を肩車しながら乃愛の指示に必死に従っていた。
右へ左へと移動し、しかも乃愛を落とさないように気を使うため、乃愛自身は重くはないが、かなり足に負担がかかってしまう。ぶっちゃけ足が辛い。
なぜ肩車なのかそれは俺にも分からないが、乃愛はどうしても高いところの虫が取りたいらしい。
地面のありんこで我慢しようよ、ありんこ可愛いよ?
それにしても、乃愛のふとももが……。
乃愛が虫を取ろうと身体をよじるたび、乃愛の健康的なふとももが俺の顔を挟み込み柔らかさがダイレクトに伝わってくる。
さっきの運動で汗をかいたからなのか、ほんのりと香ってくるミルクのような甘ったるい香りにも頭がくらくらしてしまう。
乃愛の今日の格好がスカートでなかったのは幸いだが、やっぱり今の状況でもギリギリアウトかも。
くそっ、俺は変態じゃない変態じゃないぞ。
自分の置かれている状況に顔がじんわり熱くなるのを感じて思わず首を振った。
「んっ、あはは。アオ兄ぃ。髪がくすっぐたいよぉ!」
「うわっ、ちょ、暴れるな倒れる!」
乃愛が上で暴れたせいで俺はバランスを崩し、二人もろとも倒れそうになる。
「うわぁ!」
「乃愛っ!」
このままでは乃愛が地面に叩きつけられる。
そう思った俺はとっさに地面を蹴って乃愛を抱き寄せ、自分がクッションになるように倒れ込んだ。
「いてて、乃愛、大丈夫か?」
なんとか抱えることに成功し、すっぽりと腕の中に収まっている乃愛に話しかける。
乃愛が動かないので怪我をしていないか少し心配だ。
「乃愛?」
反応がない乃愛の肩を叩く。
「……ふぇ?」
腕の中から俺を見上げる乃愛の顔は真っ赤で、潤んだ瞳を丸くしている。
なにかがおかしい。
「どうした、やっぱりどこか痛いのか?」
近くにメイドさんもいるし、怪我をしているならすぐに対応してもらったほうがいいだろう。
「だだだ、大丈夫だにゃ!」
「にゃ?」
猫?
「噛んだだけ!」
乃愛は飛び跳ねるくらい勢いよく俺から離れると、バッと背中を向けてしまった。
よく見ると耳まで真っ赤だ。
しっかり立ち上がれているところを見ると、特に怪我はしていないようで良かった。
でもやっぱり何か変な気がする。
「あの……その……アオ兄ぃ」
乃愛が真っ赤な顔のまま、もじもじしながらこちらをゆっくりと振り向く。
「なんだ?」
「乃愛と結婚……したいの?」
「……………………………………ん?」
聞き間違いだろうか。結婚って言った気がしたんだが。
「だって、乃愛のことぎゅってしたから……」
乃愛は人差し指同士をちょんちょんしながら、消えいりそうな声でごにょごにょと言う。
「どうしよう。言っている意味がわからない」
あまりの急展開に脳みその処理が追いつかない。
あの天真爛漫で男勝りな乃愛が、普通の女の子っぽく恥ずかしがっている反応なのも余計に頭を混乱させる。
「男の人が乃愛にぎゅってするのは結婚したいからだってお母さんが言ってた……から」
「お母さぁあああんー!?」
平気で人のことをペット扱いするくせに、小学生レベルの知識も持ち合わせていないって金持ちの情操教育はどうなってんだよ。
いや、上流階級の箱入り娘ならありえるのかもしれない、と思わせてしまうのがハイソサエティの怖いところだ。
「アオ兄ぃと遊ぶのは楽しいけど、でもアオ兄ぃは乃愛たちのペットだし……」
ごめんね、と申し訳無さそうに頭を下げる乃愛。
「でも、もし乃愛だけのモノになってくれるなら、考えても……いいよ?」
「考えなくてもいいし、乃愛のモノにはならないから! 大体なんで俺がプロポーズしたみたいになってんのよ!?」
告白もしてないのに勝手に振られて、しかも、あなたとは付き合えないけどお友達からはじめましょ、みたいなお情け妥協案まで出されて俺全然そんなつもりないのにめっちゃダメージでかいんですけどぉ!?
そこから変な勘違いをしてしまった乃愛への誤解を解くのに小一時間。
俺が乃愛に求婚した、なんていう噂が立ってしまったら茉姫たちになんて言われるか考えるだけで恐ろしい。
完全に誤解が解けたとはいい難いが「なんかよくわかんないけどわかったぁ」という乃愛の心もとない言葉を今は信じるしかないだろう。
まぁ、楽しそうにお昼ごはんを食べている乃愛を見ていると、この出来事にそれほど興味が続くようにも思えないので俺も忘れることにしよう。
昼食はサンドイッチ。
風通しの良いテラス席で穏やかな陽の光を浴びながら食べるランチは信じられないほど美味かった。