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悪女に憑依して貰ったら、少し気持ちが晴れたような気がするわ

 私はキャロリエンヌの姿を忘れぬよう、毎日のようにキャロリエンヌの肖像画を前にしてぼんやりと佇んでいる。その表情からは感情が抜け落ちていて、まるで亡霊のようだと王城内ではすっかり噂になっているらしい。私のことを骸骨令嬢だと陰口を囁いた次は、亡霊令嬢か。どいつもこいつも。噂のレパートリーにだけは事欠かないようだった。


「毎日のように彼女の肖像画を見た所で、表情が変化するわけでもあるまい。リアムとは縁もゆかりも無い女だろう。何をそんなに見つめる必要があるのだ」

「……縁とゆかりしかないのよ」

「この女がなんと呼ばれていたか、リアムもよく知っていうだろう。此奴は、希代の悪女と呼ばれていたのだぞ。魅了魔法で男を誑かす希代の悪女。なんと忌々しい存在か……リアムとは似ても似つかぬ」


 忌々しい存在ですって。失礼ちゃうわ。


 いつもならば耳元で囁くキャロリエンヌの声は聞こえなかった。肖像画の前では、なぜだかキャロリエンヌは姿を見せてはくれないのだ。忌々しいと呟いたキャロリエンヌの霊と会話できることや、たくさんの悪知恵を教えてもらったのだと知れば、ノインは発狂しかねない。


 私のことが好きなら。全部自分一人の力でやりたいと。一歩足を踏み出す私の背中を見守っていて欲しいのに。

 彼は私が一歩踏み出すことを拒絶している。ずっと自分の側にいてほしい。ノインの側にいることこそが、私にとって一番安全だと本気で思っていなければ。このような態度は取らないだろう。


「……私は……もう……。誰かに自由を奪われ、誰かに悪意を向けられたくないのよ」

「……リアム?今、何を──」

「私はいつまで、あなたに自由を奪われ続けるの?」


 キャロリエンヌは、きっと私の姿を見ていてくれるはずだわ。

 彼女の肖像画が、ノインと立ち向かう勇気をくれる。ずっと隠していた本音を、口にする勇気。

 何を言っているのかわからないと。ノインは焦るかと思いきや、私の言葉を反芻したノインは顔を青くした。どうやら自覚があるらしい。


「リアム、我は……」

「私はずっと奪われてきた。あの女とその娘に。時間を奪われ、人間らしい生活を奪われ、加害され、虐げられて生きてきた。死んだ方がマシだと思うくらい酷い状態で、死ぬギリギリの状態で放置され続けたの。私がいざ、ノルンに助けを求めたら。あの女、なんて言ったと思う?死ねばよかったのに、と言ったのよ」

「私の首を締めて自ら過ちを犯す勇気もなく。ただ衰弱死するのを待ち望んでいたあの女たち。私はあの女が許せない。あの女だけは許さない。私にとって、あなたも同罪よ。ノイン」

「……な、何故だ……」

「私はずっと祈っていたわ。どんなにつらいことがあっても、悲しいことがあっても。生きてさえいれば、いつか必ずノインに会える。ノインが助けてくれると信じて、私は待っていた。けれどあなたは毎年私の誕生日に足を運んでいたくせに。門前払いを食らって、追い返されていた。何度も何度も。5年ですって?その話を聞いたとき、私は怒りに支配されたわ。あなたがもっとはやくに助けてくれたら。私はこんな惨めで辛く悲しい思いを抱くことはなかったのに!」


 私のどす黒い感情に反応して、黒い靄がぐるぐると私の周りを囲み始めた。

 それらは私の悪意を増強し、魔力を得るために私の身体を包み込み始める。


『もっと、もっと』

『魔力を寄越せ』

『身体をヨコセ!』


 黒い靄は人間の顔を形作り私へ襲い掛かるが、悪意の塊に押し潰されるほど私は弱くない。

 私は私の言葉で最後までノインに本音を告げる。邪魔するな!


 カッと靴底を鳴らして一歩足を前に出した私は黒い霧を払うと、勢いづいた私は必死にノインへ訴えかけた。


「やっと助け出されたと思ったら、あなたは私を縛り付けて自由を奪った!顔を合わせてそうそう婚姻を迫り、私を部屋に閉じ込めて!」

「閉じ込めたわけではない!これは保護だ!」

「私にとっては殴られないだけで、似たようなものだった!身の安全は保証されているかもしれない。外でたった一人取り残されて生活するよりもずっと恵まれた環境で生活しているとわかっているわ!わかっているけれど……っ。私は、悔しくて堪らなかった……!うまく声が出せない。身体が言うことを利かない。あなたは私の弱さに付け込み、自分の都合がいいように扱ったのよ!」

「違う!我はあのような者たちとは違うのだ!聞いてくれ!我はリアムの身を案じていた……!」

「わかっているわ!そんなこと!私のことをどうでもいいと思うならば、私を王城に連れて来たりしない!寝食を共にしたりしないとわかっているっ。素直にあなたの優しさを受け止めきれない私が悪いことくらい!私はもう、戻れないのよ。あの女に、私の未来は奪われた。もう、私は……。あなたの隣にいる資格など……ない……!」

「リアム!思ってもいないことを言うな!それ以上、その続きを紡ぐことは我が許さん!」

「あなたの気持ちを押し付けないでよ!私はもう、誰かに加害されるのはうんざりなの!私は生まれ変わるわ!弱いから付け込まれるの……っ。弱いから虐げられる……!私は、キャロリエンヌ・ワンダルフォンのような……っ。立派な女性になるのよ!泣いてばかりで、誰かに虐げられる私で居続けるのは嫌!」


 キャロリエンヌの名前を出せば、黒い靄は霧散する。ノインにも悪い霊の集合体であるこの黒い靄が見えるのだろうか?私の方に手を伸ばしていたが、私はその手を強い力で叩き落とす。


「な、第二王子に何たる無礼な……!」


 廊下で第二王子と婚約者が揉めていれば、当然騒ぎにもなる。気がつけば廊下にはたくさんの人だかりができていた。私の後ろには、キャロリエンヌの肖像画が立て掛けられた壁がある。逃げ場はない。


 違う。私はノインの手を叩いてなどいないわ!


 私は震える手をぎゅっと胸の前で重ね合わせると、身体全体を震わせて唇を噛み締める。

 違う、こんなつもりじゃ。思ったよりも大事になってしまった。私はただ、ノインに知ってほしかった。理解してほしかっただけなのに。どうして?私はやはり、誰かに自分の意見を伝えてはいけない醜い人間なの?生きていてはいけない人間だと、みんな思っているから。私を怒鳴りつけ、拘束しようとするんだわ。


『お困りのようね。力を貸してあげてもよくてよ』


 肖像画の前では絶対に姿を見せることがなかった彼女が、私の前にふわふわと浮かんでいる。背後に展示された肖像画との違いは、座っているか宙に浮かんでいるかの違いしかない。妖艶な彼女は、金色の美しい髪を靡かせて私に微笑みかける。


「よい!リアムに指一本触れてはならぬ!これは命令だ!」


 私を拘束しようとした警備隊の面々に喝を飛ばしたノルンは、すぐにはっと青い白い顔で私の様子を窺う。咄嗟に

 喝を飛ばした際の表情が恐ろしくて堪らなかった。その形相は、あの女狐と娘が私に良くする表情だったから。


 何を恐れているの?私は生まれ変わったのよ!


 怯える必要などない。私は絶対的権力者としてこの場に君臨する。希代の悪女と名高いキャロリエンヌのように。

 誰からも虐げられたくないと願うならば、誰もがひれ伏すような傲慢な女になればいい。虐げられる苦しみを知る私ならば、虐げられる側の苦しみをよく理解できるから。やりすぎることはないはずだわ。


 頭ではわかっているはずなのに、身体が言うことを聞かなかった。

 怖い、恐ろしい。死にたくない。殴られたくない。優しくしないで。私は一人で生きていく。誰かに加害される人生は、もう終わりにするの……!


「し、しかし……」

『少しだけ、力を貸してあげるわ』


 唇は強く噛み締め過ぎて、口元から床へと血が滴り落ちていく。

 覚悟を決めた私の意志に反して、身体がうまく動いてくれない。その様子を見かねたキャロリエンヌが、私に声をかけてくれる。


「すまない、リアム。驚かせたな。ここで言い争っていれば、何事かと城のものがあらぬ視線を向けてくる。二人でゆっくり話をしよう。話し合えば、分かり会えるはずだ。我はリアムを加害するつもりなどない。いつだって我は──」

「そうやってわたくしの気持ちを受け止めたつもりになって、自分の気持ちを押し付けるのね?」


 言うことを利かない身体をどうにかして。


 私の言葉に頷いたキャロリエンヌは、くすくすと耳元で囁き。私のどんなに動かそうとしても動かなかった口を動かし、まずはノルンに向けて言葉を紡ぐ。


「坊やはこれだから困るわ……。わたくしを誰だと思っているのかしら。わたくしは第二王子ノルドレッド・ワンダルフォンの婚約者。カメリアム・シンへズイですわ」

「な……」

「皆様、お騒がせして申し訳ございません。これは……そうですわね。演技の一貫ですの。わたくしが何を考えているかわからないと言うから、希代の悪女キャロリエンヌに見立てて普段不満に思っていることを口にしただけですわ。思った以上に大事となってしまい、わたくしとても反省しておりますの。今日はわたくしの身体に免じて、見逃してくださらない……?」

「なんと……っ、はしたない行いを……!」


 私の身体に乗り移ったキャロリエンヌは、胸元を緩めると警備隊の男性によく見えるよう身を屈めて上目遣いで懇願した。かっと顔を赤くした警備隊の男性は後ろに一歩下がる。骨と皮の状態だった私の真っ平らな胸を、少しだけ曝け出すことにより。男性の性的興奮を刺激する……さすがだわ。これが悪女の魅了テクニックなのね。


「お前は誰だ……」


 婚約者の前で他の男を誘うような素振りなど一度も見せたことがない私に驚いているのだろうか。黒い靄が悪いものだと理解しているノルンだからこそ、もしかしたら私の身体にキャロリエンヌが乗り移っていることに気がついているのかもしれない。彼は私に鋭い視線を向けて非難する。


「あら?わたくしはあなたの婚約者。カメリアム・シンへズイでしてよ?どこに疑う余地がありまして?」

「違う……っ。貴様は違う!リアムを何処にやった!?」

「嫌ですわ。大事になってしまい、混乱していますのね。お互い冷静な判断ができぬようでは、いくら話し合っても無駄ですわ。一度休戦と致しましょう。わたくし、外の空気を吸って参りますわ」

「ふざけるな!リアムの姿で、リアムの声で!リアムを騙るな!」

「第二王子!?落ち着いてください……!」


 ノルンは私の身体を動かすキャロリエンヌを見て、私との違いをすぐに理解したようだ。リアムの中から出ていけと叫ぶノルンの声には、魔力が宿っているらしい。これ以上は無理だと私に訴えかけてきたキャロリエンヌは、軽やかにその場を後にし。私の身体を中庭まで動かすと、私の身体から抜け出て行った。

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