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あなたを許せるかしら

 王城の中を歩くのは5年ぶりのことである。今まではノルンと肩を並べて王城を歩くのが楽しくて仕方なかったけれど。今では、使用人から向けられる視線が恐ろしくて堪らない。


 第二王子の隣にいる、頭からすっぽりとローブを羽織った不審者は誰だ。


 道を歩く使用人達は、私の姿を不躾にジロジロ見つめて去っていく。頭のローブが外れてしまったら、何を言われるかわかったものではない。私はノルンのマントを握り締めながら、一歩一歩足を踏み締めて外に向けて歩いていく。


「リアム、やはり歩いて外へ行くのは無理があるだろう。まだ病み上がりなのだ。我が抱き上げ移動しよう」

「……っ」


 それは嫌だと何度も首を振り、私は一歩ずつ足を踏み締めて歩く。

 ずっと寝たきりの生活だったせいで、思った以上に体力が落ちているわ。私が弱っている姿を長々と晒せば、ノルンをよく思っていない第一王子の派閥に目をつけられて危機にさらされる可能性だってゼロではない。ノルンはきっと、その心配をしているのだ。


 本当に自分のことしか考えていないのね……。


 少し歩いただけでも、息が上がってしまっている。外に続く扉までは、長い階段を降って1階を経由しなければならない。どう考えても無謀としか思えない挑戦だ。


「リアム。あまり口うるさいことを言いたくないのだが……。外に行きたいなら……」

「…………」

「リアム?」

「キ…………ン…………」

「ああ。キャロリエンヌ・ワンダルフォンの肖像画だな。リアムは目にしたことがなかったのか。ずっとこの場所に展示されていたぞ」


 美しい金の髪、勝ち気な黒曜石の瞳。美しい白い肌──希代の悪女キャロリエンヌ・ワンダルフォンに贈る、と書かれた肖像画が壁に展示されていることを知った私は、思わず立ち止まる。美しい真っ赤なドレスに身を包んだ彼女は、生前このような姿であの妖艶な声を発していたのか。誰もが見惚れ、惚れ惚れとするのは当然のことだろう。肖像画だけでも彼女の美しさが伝わってくるのだから。本物はもっと素晴らしい美少女だったに違いない。


「……リアム?どうしたのだ。具合でも悪いのか」


 いつもならば耳元で囁いてくるはずのキャロリエンヌは姿を見せなかった。肖像画の前だからだろうか?この肖像画についてなにか思うことがないのかを聞きたかったのだが……。このままじっとキャロリエンヌの肖像画を前にして佇み続けていると、医者を呼ばれそうな雰囲気だ。今日の目的はキャロリエンヌの肖像画ではなく、外の空気を吸うことだ。私はその姿を焼き付けるように上から下までしっかりとキャロリエンヌの肖像画を見つめると、ノルンの胸に抱きついた。


「うむ。賢明な判断だ。しっかり捕まっているのだぞ」

「…………」


 具合が悪いのかと言う問いかけには首を振ってからノインに飛びついたからだろう。彼は私を抱き上げると、右の道を進み階段を降り、外へ続く扉を目指した。ノインに抱き抱えられている状態ならば移動は楽ちんだが、ノインの部屋から外までは随分な距離があった。

 これなら足腰を鍛えるよりも先に握力を付け、ロープか何かで窓から1階に降りた方がノインの部屋から脱出するには確実な方法かもしれない。


 足腰の筋力を取り戻すよりも握力を最優先に身に着けるのが先決だなんて……。女性としてはどうなのかしら。

 うまく発話できない状態では、トレーニング機器がほしいとノルンに伝えるのも一苦労だわ。ああ、でも。握力がつけばペンを握れるし、文字で意思を伝えるのもそう難しいことではないかもしれないわね。


「リアム。外についたが……。どこか行きたい場所があったのか?」


 ノルンが私を抱き上げたまま外に続くドアを開け、城の外に一歩足を踏み入れた。シンヘズイの窓から飛び降りノインに抱きとめられ、一度だけ外に出ているが。こうして大きく息を吸い込む暇もなかった。


「リアム!?どこか痛いのか!?」


 やっと外に出られた。

 悲しいわけでもないのにじんわりと涙溢れ、頬を伝って落ちていく。静かに泣く私を覗き込んだノインは、ハンカチで私の頬に付着した涙を拭い。来た道を引き返そうとするので、襟元を掴んでこの場に留まるように伝える。


「何を伝えたいのだ?」

「………………ぁ…………。ぃが…………と……」

「……ありがとう?礼には及ばん。本当に、大丈夫なのか?具合が悪いのならば、部屋に戻った方が……」

「の、る…………」

「ああ。我はここだ」

「さ……ぽ……」

「散歩?散歩がしたいのか?」

「ん…………」

「そうか……。わかった。では、少しだけだぞ。手を繋いで……そう、ゆっくりだ……。ゆっくり、一歩ずつ、足を……」


 私が散歩をしたいと伝えれば、ノルンは私を地上に下ろして腰を抱く。しっかりと手が離れないように恋人繋ぎまでする徹底ぶりだ。私はこんなことをしなくともと冷めた感情を抱きながら、久方ぶりの外を満喫しようと意識を切り替える。


 草原の匂い、風を切る音。大地の感触が心地良い。


 幼い頃はノルンの手を引いて、色んな場所を駆け回った。ノルンは外の世界を知らなかったので、私が森に連れて行ったり、湖で遊んだ。あの懐かしい日々が思い起こされて、私は悲しくて仕方なかった。


 どうして私がこんな目に合わなければならないの?

 こんな酷い目に合わなければ。ノルンの優しさも素直に受け止められるはずだったのに。


「リアム!?」


 膝からかくんと崩れ落ち、地面に尻もちをついた私に引っ張られるようにしてノルンもバランスを崩してしまう。

 しかし、さすがは王子だ。繋いだ手を離すことなく両ひざを曲げることで衝撃を殺したノルンは、尻もちをつくことなく私を見下ろしている。


 なんて惨めなのかしら。


 婚約者に優しくされて。それを素直に受け取ることもできず。見下されていると思い込み勝手に傷ついている。いつから私の心はこれほど醜くなったのだろう。いつになったら、私は私を取り戻せるの?いつになったら。いつまで生きれば。


「ぅ、ぅ……」

『全て壊してしまえ』

『目の前にいる男を始末すれば、お前は自由だ』

『恨め、すべてを』

『お前の身体が欲しい。寄越せ、ヨコセ!』

「ぅ、あ……!」

「リアム、大丈夫か!?」


 嫌だ、怖い。恐ろしい声が耳元で囁いてくる。キャロリエンヌの声は恐ろしいと思ったことなどないのに。その声は私の身体を寄越せと囁き、ノルンを害せよと命令してきた。


 これがキャロリエンヌの言っていた悪い霊?


 キャロリエンヌはこの王城で一番強い霊だと言っていた。彼女が側にいれば、悪い霊は寄ってこない。悪い霊達はいつでもどこでも私の周りをうろついて、虎視眈々と私の魔力を狙っている。


 ノインには今、土の上に座り両耳を塞いで座る私のことがどう見えるのだろう。私にはモヤモヤとした黒い靄が纏わりついているように見える。その黒い靄は、時折不気味な男の顔になったり、悲鳴を上げる女の顔になった。私はその靄が視界に入らないよう身を屈めると、ぎゅっと目を瞑る。


「リアム……っ!」

『ギャアアア!』


 身体を丸めた私の背中に、ノインの手が触れた瞬間のことだった。黒い靄が恐ろしい断末魔を上げると、霧散したのは。


 私はキャロリエンヌの言葉を思い出した。闇属性の魔力を持つ私は悪意を持った霊と相性がいいけれど、ノインは光属性の魔力を司っているので相性が悪い。ノインは魔力を使えないと言っていたけれど、火事場の馬鹿力で魔力がどうやら発動出来たようなのだ。そのお陰で、私の周りに集まっていた悪い幽霊達は霧散して……。


「リアム!部屋に戻るぞ!」


 丸まっていた身体をゆっくりと起こした私の顔を覗き込んだノルンは、一言断るとすぐに腰へ手を伸ばして抱き上げる。ドタバタと音を立てて全速力で王城の外から自室に戻るべく第二王子が血相を変えて走る姿を見た人々の視線が痛い。


『あらあら。愛の力は偉大ですこと』


 ノインの腕に抱かれ、ぐったりと青白い顔で身体を預けていれば。今まで何処に消えていたのか、笑い声と共にキャロリエンヌの声が響く。彼女はふわふわと浮かび、金髪の美しい長い髪を靡かせ空を泳いでいた。

 くるりくるりと回るキャロリエンヌは、私が彼女の姿を認識していることに気がついていない。


『どうするの?リアム。このままあなたが心を許せば、うまく話が進みそうよ?』


 まさか。この程度で心を許すなどありえない。悪い幽霊を退けてくれたことは感謝するけれど、5年間放置していた恨みつらみが帳消しになるわけでないのだ。具合を悪くした私に血相を変えて対応してくれた優しさには感謝するけれど。それが愛されている証拠だと受け取る気には到底なれなかった。


 ノインに対する信頼は、地底の奥底まで沈んでしまった。これから地上まで上がってくるには、私をあっと喜ばせるようなことが起きなければ難しいだろう。過去に戻って私を助け出してくれるような行いをしない限り、私は昔のように彼を好意的な感情で見ることはできなくなってしまっていた。


 いちいち顔色を窺わないで。鬱陶しい。


 私は言葉をうまく口にできたなら、そう口走っていたであろう気持ちを押さえ。ノルンがいなかったらあのままどうなっていたのだろうかと考えながら瞳を閉じる。


『坊やがいなくとも、わたくしが魔を払えばいいだけのことよ。まぁ、でも……。あれはあなたの弱みに付け込み、強大な悪意の塊となって姿を見せた。亡霊同士では追い返すことはできても、消滅はさせられない。あのまま強大な悪意に飲み込まれ、リアムの意志に反して坊やを傷つけることもあったでしょうね』


 ノルンを傷つける。

 言葉ではなく、暴力で。


 強い怒りと悲しみ、憎悪の感情が増強されると、私の意志に関係なく手や足が出る。私の魔力を利用しようと集まってきた悪い霊が私の身体を使って悪さをしようとするからだ。

 憎悪や言いようのない思いを我慢しないと決めたけれど。大した理由もなく暴力に訴えかけることなど、してはいけない。私が誰を加害するときは、自分の身に危険が迫った時だけだ。


 そう強い意志を持って生活していないと、弱った身体では。キャロリエンヌやノインの力を借りなければ悪い霊達を退けられない。


『人間としてまともな生活が送れるようになるまで、もう少しの辛抱よ。あの坊やに思うことがあるのならば、充分に体力を回復させてから言えばいい。そうでしょう?』


 そうだ。私が元気になったら、悪い霊に利用されることなく。大きな声でノインへの不満をぶつけられる。あの女狐と娘に痛めつけられた傷が癒えていないから、私はうまく抵抗できないだけなのよ。本調子に戻ったならば。ずっと口にできなかったことを、口にすればいい。それだけのこと。


 それから私はじっと耐え忍び続けた。

 ノインははじめて外に出た日以来、私を必要以上に面倒を見るようになる。心配で心配で仕方ないと言うように。第二王子の私室は広い。私が普段生活している場所は客間で、ノルンが普段寝起きしているベッドは隣の部屋にあるようだ。最近は寝ているときに何かあるのではないかと不安で、私を抱き上げて寝室まで私を連れて行くようになった。


 私が寝首をかくほどノインを恨んでいたらどうするつもりだったのだろう。

 王族のことをよく思っていない悪い霊達は、ノインが私の身体に触れていない時。耳元で囁いてくると言うのに。


『首を落とせ』

『復讐しろ』

『紛い物の感情に惑わされるな』

『優しくしてくれるのはお前が弱っているからだ。全快すれば、お前のことなど気にも止めない。どうせすぐ裏切られる。裏切られる前にお前から裏切れ』


 光属性の魔力を持つノインが私の身体に触れている状態では、悪い霊は私に囁いてはこなかった。彼は私を都合のいい抱きまくら程度にしか思っていないようだけれど。私にとってノインは、悪霊ホイホイでもあり、悪霊避けの道具でもある。


 私達は婚約者として、お互いに愛を育むこともなければ愛を囁くこともなく。1年の時を過ごした。


「リアム」


 365日、1日3食与えられ、毎日身を清め。必要以上の治療を受けたならば。嫌でも人は変わる。女狐とその娘に監禁される前の健康的な身体を取り戻した私は、ノインに問いかけられたら問題なく解答できるほどに回復していた。


「……ノイン……」


 呼び名は昔のままだけれど、声や容姿を取り戻しても元の関係には戻れそうにもない。私がいつまで経っても他人行儀なのが気に食わないのか、ノインは四六時中人目を憚らずベタベタとするようになった。私のことを好きだと口にすることはないくせに。トイレに席を立つだけでも不安そうな視線を向けてくるのだから手に負えない。


「またここにいたのか。部屋を出る際は、一言声を掛けよと言ったはずだが」


 四六時中私のことをどう認識しているかわからない得体のしれない人間にベタベタと身体を触られ、密着される生活は疲れる。私が唯一自由でいられる時間は、トイレの為席を立つ時と、その後部屋から出てきたノインが私を探して声を出す瞬間までだ。


 私はトイレの為席を立つと、決まってキャロリエンヌの肖像画を見に来ていた。


 キャロリエンヌの霊は呼べば私の耳元で囁くし、最近ではこの肖像画とまったく同じ容姿で私の前に姿を現すようになった。どうやら幽霊とは、イメージが物を言う概念であるらしく──私がキャロリエンヌ・ワンダルフォンはこの肖像画と同じ人物だと考えれば、その通り姿を見せるらしい。

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