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住む世界が違う人と暮らすには

『貴方は私の意志を継ぎ、次代の悪女となるのよ。人は優しくされるとつけ上がる。この女は自分より下、加害してもいい存在だと認識されたら、絶対に逆らえないと認識させるには暴力か権力に頼るしかなくなる。優しさは捨てたほうがいいわね』


 キャロリエンヌはああでもないこうでもないと耳元で囁くようになった。

 指図されることを嫌う私に配慮をしているのか、命令系ではないけれど。


『大切なのは相手につけ入る隙を与えないことよ!どいつもこいつも、亡霊令嬢、生きる屍、歩く死体と見下して来るけれど、使用人の分際で!わたくしのかわいいリアムをバカにするなんて!正気とは思えなくてよ!』


 キャロリエンヌは私の耳元で怒っていることが多かった。

 亡霊令嬢、生きる屍、歩く死体──

 悪口のレパートリーに事欠かない私は、王城の数百人と働く使用人や貴族の間で時の人となっているらしい。


 シンヘズイの家に閉じ込められていた時は、あの女狐と娘だけが敵だった。女狐さえどうにかすれば、私は自由になれる。そう思ってあの監獄のような狭い空間から抜け出したけれど、私は自由になどなれなかった。


 二人の敵は数えきれないほどに増殖し、この王城で私に好意を抱くものはキャロリエンヌくらいしかいなさそうな雰囲気だ。生きた人間だけなら、私の味方になってくれる人など存在しそうにない。ノルンは見かねて私を私室から外に出さないようにしているけれど、閉じ込められる場所が広いか狭いかの違いでしかなかった。


 外に出て、走り回りたい。

 もう閉じ込められるのは嫌。

 解放してほしい。


 ノルンが私の為を思って私にしてくれることは、すべて裏目に出ていた。


「握力のない手では器具を握るのも難しかろう。口を開けよ」


 ノルンに助け出されてから数ヶ月後。衰弱し切った身体は口から食事を受け付けず、最初の数ヶ月間は点滴や錠剤などで栄養を取っていた。

 やっと医者から流動食の許可が出た際、ノルンは喜々として私の代わりにスプーンを手に持ちスープを掬って口元に持っていく。


『あら。食べさせて貰うの?恋人達の甘いひとときね』


 まさか。この私が、施しなど受けるはずもない。女狐と娘はかつて、私に食事を持ってきたが、その際スプーンやフォークを持ってこなかった。


 スプーンとフォークは人間が使うもの。あんたみたいなノロマ亀に人間と同じ道具を使っ食事をするなど許されない。そう言われた私は、長らく上品にスプーンやフォークを使用して食事を取ることから遠ざかっていた。


「リアムは猫舌なのか。温かい方が、身体は温まるぞ。早くしないと冷めてしまう」


 ノルンは私がいつまで経っても食事を取らないことが気に食わないようで、相変わらず青白い顔で私に口を開くように告げる。

 点滴や栄養剤のお陰で、助け出された当初よりは若干肉付がよくなっては来たものの。私はまだまだ今にも死にそうな生ける屍だ。ノルンが青白い顔で私の傍にいるのは無理もない。


 ノルンは後悔しているのでしょう。

 5年も放置していたこと。助け出した私が今にも死にそうな顔で生き続けている姿を見て。見捨てようものなら、私と縁が切れると思っている。

 実際その通りなのだけれど、恐怖を感じながらも普段と変わらぬ様子で私に接しようとするノルンの優しさが、私にとっては逆効果だった。


 私の容姿を気持ち悪い化け物だと。口に出すか出さないかの違いですらない。下手に隠して見えないところで陰口を叩かれるより、見えるところではっきりと口にしてくれた方が私にはありがたかった。


『そうよね。彼はまだ大人になり切れない坊やだわ。自身の感情を押し殺し、上辺だけの引きつった笑みでリアムを安心させることこそが最適解だと信じ込んでいるんですもの。甘い顔で愛を囁く男が実は悪人だったと気づくよりも、最初から悪人の男を愛した方が、よほどいいと思うけれど』


 ノルンは自分をよく見せれば、私があの女狐とその娘と出会う前に戻れると本気で信じているのだろう。

 そうでなければ、取り繕ったりしない。

 容姿が醜いことに関しては、いずれもとに戻る。今だけ我慢すれば、私が美しい少女であったことはノルンの脳裏にもよく焼き付いているのだろう。

 それほどまでに私を欲する理由はよくわからないけれど。

 ノルンはノルンにしかできない、私を傷つけない対応をしているつもりなのだ。それが私にとって、とても理解し難い行為であることに気づきもせずに。


 私とノルンは、住む世界が違う。


 公爵令嬢と第二王子。身分だけで見れば、私の肩書に不足はなかった。適切な教育を受け続けていたら、もしも第一王子に何かあればと。条件付きではあるが、国母だって夢ではないほどに。私は環境に恵まれていた。


 けれど今では。私の扱いは平民以下だ。閉じ込められていた5年間と公爵令嬢時代の生活を比べれば、かろうじて公爵令嬢時代が長いけれど。

 私はもう、ノルンと釣り合う公爵令嬢ではなくなってしまった。


「リアム」


 ノルンの手からスプーンを奪い、震える手でスープを飲み干せばいいだけだとわかっているけれど。私は上辺だけの優しさを享受するつもりはなかった。


 ノルンが私に差し出してきたスプーンに口つけることなく、私はよろよろと上半身を屈め。ちょうど膝の上においてある食器まで顔を近づけていく。

 ノルンは理解しがたいと慌ててスープの盛り付けられた皿にスプーンを入れて両手で持ち上げる。私は限界まで首を下げることなく、胸元あたりでスープに口づけた。


「ああ、リアム……」


 王子の前で出される食事に、毒が混入されていれば大きな騒ぎになる。私は舌でスープを舐め取り、口の中に少量運んで味に問題ないことを確認する。

 その後溢れないように気を使いながら、直接食器に口をつけてスープをゆっくり飲み込んでいく。


 まるで魔獣が水を飲むような飲み方に、ノルンは絶句していた。


 スープはスプーンを使って飲むもの。

 パンはナイフとフォークで一口サイズにカットしてから口に運ぶ。小さな頃からさんざんテーブルマナーを叩き込まれて来たのに。私に優雅な食べ方は許されなかった。


 女狐が、あの娘が。みすぼらしく汚れた姿のまま私が令嬢らしく振る舞うのを嫌がったから。

 令嬢らしく振る舞えば叩かれる。

 女狐とあの女がいなくなっても。どこで私を見ているかなどわかったものではない。


 もしもノルンに促され、昔のように令嬢として相応しい身の振り方をしたとして。もしもまた女狐とあの女に加害されるようなことがあったら、どうなると思う?私はまた嫌な思いをする。苦しくて辛い思いを。


「リアム……っ。もう、いいのだ。我の前では、そのような食事の仕方をしなくとも……」


 ノルンと婚姻するつもりならば、早く筋肉をつけて令嬢らしくお上品に振る舞うべきだとわかっている。けれど、私にはもう。その気力もなければ、一度植え付けられた恐怖心を、すぐに切り替えることはできなかった。


 ノルン。私と貴方はもう、交わり合うことなどできないのよ。


 お願いだから私を解放して。自由にしてほしい。あれほど幽閉されていたクローゼットの中から出たいと。ノルンに助けてほしいと叫んでいた私が、助けてもらった途端に彼とずっと一緒にいるのが苦痛になり始めていると知ったら。きっとノルンも怒り出すわ。


『わがまま令嬢?言わせておけばいいのよ。虫も殺せないような顔をして、誰かに加害されるよりずっとマシだわ。リアム。どうしても欲しいものは、自分の手で掴み取るの。願うだけでは何も変わらないわ』


 そうだ。今までずっと、神に祈りを捧げて裏切られてきた。


 お父様とお母様は私を置いて命を落とし。ノルンは私が助け出されるその瞬間まで、必要以上に私を助けようと行動することはなかった。


 一人になりたい。自由になって、誰も私のことを知らない土地で、静かに暮らしたかった。


 私は独りぼっちだけれど。

 姿は見えないが、私にたくさんのことを教えてくれるキャロリエンヌがついている。彼女がいれば、他には何もいらないわ。彼女さえ居れば。彼女だけが、今の私が信頼できる唯一の──


「外に行きたいのか」

「…………」


 スープを飲み切った私を抱きしめたノルンは、あれから私に対する過保護度が上がったような気がする。体調がいいときはベッドから上半身を起こし。窓の外を見つめる私を見た彼は、私を横抱きにして部屋の外へ連れて行こうとした。


 一歩一歩、よろよろと。支えがなければ歩けないけれど。抱き上げられなくければ移動できないほど弱っているわけではない。何より練習にならないし、私のみすぼらしい身体を覆うのは布切れ一枚のワンピースだけだ。

 これでは老婆のようにも見える私のげっそりとした顔を使用人たちへ曝け出すことになってしまう。私はまだうまく声が出せないので、必死に抵抗した。


「……っ!……っ、……!」

「こら、暴れるでない!それほど嫌なのか。我に触れられるのが……」


 ノルンだからこの程度で済んでる、の間違いだ。

 ノルン以外の人間であれば、無理にでも否定の声を出して床に転がっていた。私があまりにも暴れるので、ノルンは不満そうに唇を噛みしめると足を床にぴったりとつけて離してくれる。


「……っ」


 まだ、まっすぐに一人で立つのは難しい。私はノルンの支えを失った瞬間床へ倒れそうになって、ノルンは背中から羽織っているマントにぎゅうっとしがみつき支えにした。


 今はノルンがいるからいいけれど……。体力と筋力がつくまで。支えになるような杖が欲しいわ。


「大丈夫か」

「…………ん……」

「よかった。ベッドに戻るのなら……」

「…………ぁ…………」

「嫌なら、どうしたいのだ」


 私は首を左右に振ってから、マントの裾を握り直し窓の外を指差した。外には行きたいけれど、この醜い姿を使用人に見られて陰口を叩かれるのは嫌だ。


『そのマントを貰えばいいのよ』


 キャロリエンヌから、ノルンが羽織っているマントを奪って頭からかぶれば、すっぽりと身体と顔を隠せるとアドバイスされる。私はか弱い手の力で、くいくいとマントの裾を掴んで引っ張った。


「リアム、どうしたのだ。早く外に行きたいのならば、やはり抱き上げた方がいいだろう」

「………………ん、ん…………」


 ノルンにはうまく意味が伝わらなかったようだが、ずりずりと一生懸命引っ張り続けていれば、腕に通していないマントはパサリと床に落ちた。

 私は網引きの要領でマントを手繰り寄せると、ごそごそと自らの肩へマントを羽織る。


「我のマントを着たかったのか……。それだと大きいだろう。肩からではなく頭からすっぽり被れば、ちょうどよい丈になる」


 私は最初からそのつもりだったのだけれど。力がなくて肩に羽織ることしかできなかっただけだ。

 ノルンは私の肩からマントを一度外すと、頭からすっぽりと身体を覆い隠すようにマントを着せてくれた。

 私はペコリと頭を下げると、ノルンの手にしがみつき直して、出入り口のドアを指差した。


『あらあら。リアム。もうお外に出るの?お外は危険がいっぱいよ。慌てなくたって、本調子になってからでもいいでしょうに……』


 キャロリエンヌは耳元で呆れた声を出すけれど、本調子になるまでノルンと暮らし続ける保証などどこにもない。ある日突然襲われても逃げられるように。退路を確認しておかなければ。


『退路の確認を怠った教訓かしら?いいわ。好きになさい』


 キャロリエンヌは私の意志を頭ごなしに否定しない。彼女はノルンの手を借りて外に出ようとする私を止めることなく、好きにしろと耳元で囁いて姿を消した。

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