稀代の悪女・キャロリエンヌ・アーバンへ
私がノルンの妻となり、ワンダルフォンを名乗るようになってから。
私はノルンと週に一度、二人並んでデートをする。ノルンの私室──今となっては私達夫婦の私室だけれど……には、毎日代わる代わる私を訪ねて男性たちが姿を見せた。月曜はブルズメイカー様、火と金曜は誰も来なくて、水曜はイエロオーク。木曜はワイゲイ警備隊長。土日は私に助けを求める弱き者たちが来訪するのだから、ノルンは私が誰かに取られてしまうのではないかと気が気ではないようだ。
誰にも邪魔されないのは、火曜と金曜だけ。「リアムは我のものであると知らしめなければ」とノルンは張り切っているようで、私は彼と密着して火曜か金曜に王城を歩くのが日課になっていた。
「リアムは人気者だな」
弱きものを助けると宣言してから、私の元にはたくさん相談が舞い込んできている。私が直々に出ていく必要がないものから、私が出ていかないと事態の収集がつかないものまで様々だ。
ブルズメイカー様の婚約者を名乗る女性が5人も私の元へと別々にやってきて、「私を本当の婚約者として認めてください!」と懇願してきた時はどうしようかと思ったけれど……。
ブルズメイカー様が一人一人と話し合って全員にお別れを言い渡した結果、彼の頬には5個の紅葉が浮かび上がって酷いことなっただけで済んでよかったと思う。第一王子に女性達が代わる代わる手を上げたのだから、全くよくはないけれど。
「私は人気者ではないわ」
「いや。リアムは人気者だ。リアムが声を掛けてきた相談者へ優しく寄り添うからこそ、相談者達はリアムを信頼して我の私室に姿を見せるのだ。リアムが人気者でなければ、相談する者は現れなかっただろう」
「……私に相談してくる子達は、あと一歩が踏み出せなくて泣いてる子が多いだけよ。私でなくたって、手を差し伸べてくれる人がいれば……事態は好転する。弱きものに手を差し伸べてなければ、誰も見向きなどしないわ」
「我は、どんなリアムでも愛おしく思うぞ」
「ありがとう、ノルン」
誰も見向きしないと言うのは言い過ぎだったかもしれない……。ノルンはずっと私だけを求めてくれたもの。私が軽々しく自らの行いを否定すれば、ノルンが傷つく。私のことを愛してくれるノルンが。
それは、私の意図する所ではないわ……。
「リアムの美しさを理解する同士が現れたのは、大変喜ばしいことではあるのだがな……。恋愛面でリアムを求める男が多すぎるのが問題なのだ。特に、警備団長のワイゲイ。あの男は一体何を考えている。リアムを恐怖のどん底まで叩き落した女の甥であるにもかかわらず、リアムを求め……踏んでくれ、など。よく言えるものだな」
「踏むのは構わないのよ。減るものではないし……。ただ、踏んだ後が問題で……」
ワイゲイ警備団長は、謝罪をしにきた際。私が背中に腰をおろした時のことが忘れられないらしく、ことあるごとに「踏んでくれ」「俺の背中を椅子として利用しろ」と懇願してくるようになってしまった。望み通りにしてやると、彼は脂汗を額に滲ませて喜ぶので、私は複雑な気持ちで彼との時間を過ごしている。
「特殊性癖に目覚めた男など、放っておけば良い。リアムに手を出すようならば、戸惑いなく下半身を蹴り上げるのだ」
「そう、ね……。そのつもりだけれど……。今度はそれが癖になってしまわないかが心配だわ……」
私が悪女とは何たるかをキャロリエンヌから聞き、実践した結果。
まさかこのようなことになるとは思っていなかった私は扇を開いて口元を覆った。
実は、私が背中を踏みつけているのはワイゲイ警備団長とリアムだけではない。もう一人、実験台になった人物がいるのだ。絶対に加害されても文句を言えない、手頃な実験台となれそうなおすすめ人間。それがランクだった。
私は付き人として控えているランクを見遣る。彼は潤んだ眼差しで期待をするようにこちらを見つめていた。
──キャロリエンヌ……。ランクも、安心安全な実験台ではなさそうよ……。
「ワイゲイ警備団長を踏むのに抵抗がないなら私にもお願いします」と期待を込めた目線を向けられても、困ってしまう。私は扇でへの字になった口元を隠すと、不思議そうな顔をするノルンと視線を合わせた。
「リアム、どうしたのだ。我には言えない思いでもあるのか」
「いえ、違うのよ」
「……まさか、リアムも男の身体を踏みつけることが癖になっておるのか……。ふむ、リアムにならば、我も身体を差し出すと誓おう。人目のある場所では問題だが、二人きりであるならば夫婦の密事として収められる範疇である。リアムは背中を踏むのがうまいからな。我も、リアムに背中を踏まれるのは……。き、嫌いではないぞ」
「ち、違うのよ。ノルン。積極的に背中を踏みたいわけではなくて……。キャロリエンヌが……。悪女は男を誑かすものと聞いたから……」
「まだそのようなことを言っておるのか」
しまった。ノルンの前で「男を誑かす
」はNGワードだったわ。単語を紡いだ後に後悔しても遅い。私はどう取り繕えばいいか分からず、廊下のど真ん中で抱きしめてきたノルンを受け入れる。
「リアムは俺の妻である。今更、男を誑かして何になると言うのだ。不倫は許さぬ」
「ふ、不倫なんてしないわ。悪女たるもの、男を手玉に取ってこそだとキャロリエンヌが言うから……。私は女性らしい身体付きではないし……」
「リアムの肌は白く美しい。どこからどう見ても女性ではないか。卑屈になる必要などない」
「卑屈になっているわけではないのよ。肌が白い女性なら、どこでもいるわ」
「いや。リアムはこの王城内で一番美しい女性だ。だからこそ、男たちがリアムを求めるのだろう。もっと自覚してくれ。リアムはとても美しく、魅力的な女性であると」
本当にそうかしら……?
私が首を傾げていれば、ノルンは続けて私の耳元で囁く。
「我の背中では不満か」
「い、え……っ。滅相もありません……!」
「うむ。気分を変えたい時は、我の背を踏むがよい。無言でも良いぞ」
「わ、わかったわ……?」
おかしい。私は否定したはずなのに。
まるで背中を踏むことに快楽を覚えている人のように勘違いされている。私が戸惑いがちに頷けば、ノルンは満足そうに身体を離して歩き出す。
「キャロリエンヌ・アーバンの手記をみたいと言っていただろう。書庫を探してみたのだが、書庫にはなかった。聞くところによれば、どうやら兄者の私室にあるようだ。今日は兄者の元へ行こう」
「ブルズメイカー様の私室に……」
5股騒動の一件があるので、あまり顔を合わせたくはないけれど……。私はノルンと共に、ブルズメイカー様の私室を目指した。
「やあ、リアムさんにレッド。夫婦揃って、僕に一体何の用かな」
ブルズメイカー様は笑顔で威圧してくる。5股を精算したので、彼には現在婚約者が存在しないのだ。いちゃいちゃを見せびらかすなと言いたい可能性が高かった。私は引き攣った笑みを浮かべながら、さり気なくノルンを盾にして背中に隠れた。
「兄者。怖がっているではないか」
「僕は今フリーだから。この後どうかな?リアムさんとなら、素敵な一夜が過ごせそうだよ」
「我が許すと思うのか」
「許さないとは思うけど、心が手に入らなくても身体で──」
「兄者。冗談では済まされぬぞ」
「はいはい。相変わらず怖いなぁ、レッドは。そうだ、リアムさん。ことあるごとにグユンに懇願されて、背中を踏みつけているんだって?大変だね。僕もグユンが変態だって思わなかったなぁ」
「な……」
「嬉しそうだったよ。心が手に入らなくても。愛する女性の奴隷になることが、この上ない喜びであると知ったとか」
そんな喜び、生涯知る必要がないだろうに……。ワイゲイ警備団長の考えていることは全く理解不能だ。勘弁してほしい。
「兄者……」
「どうかな。僕もリアムさんの奴隷なら、だ」
「兄者!我とリアムは、キャロリエンヌ・アーバンの手記を探しに来たのだ!」
「キャロリエンヌ・ワンダルフォンの?ああ、リアムさんは彼女に憧れて悪女を目指しているんだっけ」
「ええ……。そ、うですけれど……」
「彼女の手記は、人間掌握術の宝庫だ。あまり人目に触れて欲しいものではなかったから、僕が管理していた。リアムさんなら喜んで貸し出すよ。ただし、この部屋からの持ち出しは許可できない」
「兄者!」
「あはは。何も二人きりの時だけしか見せないとは言っていないよ。レッドと二人で顔を見せればいいじゃないか。顔を突き合わせて見るような手記ではないけれどね」
ノルドレッド様は、黒い背表紙の本を取り出して私に見せてくれた。本を受け取った私は、早速邪魔にならない部屋の隅っこに腰を下ろすと、ノルンと二人で肩を並べて本を開く。
──悪女の心得
女に近寄る男たちは、全員大なり小なり好意のある男として見るべし。
狙った獲物は逃さない。
獲物がいい男か悪い男の判断は、早急につけてリストアップせよ。
外見がよくても、中身が悪ければ損切り。
多少外見が劣っていたとしても、優先すべきは純真な心。
性的魅力で誘惑できない男は、暴力で支配しろ。
息をするように嘘を付き、嘘を真実に作り替えたものだけが真の悪女として名を残すだろう──
キャロリエンヌの霊と話をする前にこの手記を見ていたならば。なんてひどい女なのだろうかと、私は彼女を恐れ拒んでいたかもしれない。
私の知っているキャロリエンヌは、数百年間彷徨い続けて随分と丸くなった霊体であったらしい。私の知るキャロリエンヌが純度80%の悪女なら、この手記に書かれているキャロリエンヌはいい所が全くない。正しく希代の悪女と呼ばれるに相応しい内容の手記だ。
「本当に、彼女が書いたものなのかしら……」
キャロリエンヌが空に還る前に、聞いておくべきだった。彼女は手記の存在を私に告げることなく天に還ってしまったのだ。生前どれほど非業の行いをしたかを語らず、ただ希代の悪女と名乗っていたキャロリエンヌのイメージとは大きく乖離する手記の内容に私は困惑していた。
「あの美しい肖像画からは想像もつかない悪女っぷりだよね。最初に見たときは僕も驚いたよ」
「…………キャロリエンヌの名を騙る誰かから見た、彼女の印象ならば……よくわかるのだけれど……」
「本当に本人が書いたかどうかをはっきりさせる必要があるのかい」
「それは……」
「兄者。リアムをいじめるのはやめてもらおうか」
「キャロリエンヌ・ワンダルフォンはとうの昔に亡くなっている。彼女がこの手記に記された通りの想いを抱いて生活していたかどうかは、彼女本人にしかわからないよ。僕達は読み物として、これを読み込んで参考にするなりすればいい」
手記を一度閉じると、拳を握りしめた。キャロリエンヌのことを知らないから、そんなことが言えるのよと。ブルズメイカー様に怒鳴りつけてしまいそうだった。私を導いてくれた心優しき大切な存在が、悪く言われている。
『我慢する必要はないわ。言えばいいのよ。はっきりと。ずっと我慢してきて辛かったでしょう?苦しかったでしょう?もう、我慢する必要などないのよ、リアム』
キャロリエンヌはそうやって私を勇気づけてくれた。第一王子だからなに?黙って彼の言葉を受け入れる必要などないわ!
「キャロリエンヌは希代の悪女などではないわ」
「リアムさん?」
「希代の悪女と呼ばれているけれど。彼女は心優しき女性だわ。私が尊敬にする女性の名を騙り、このように悪評を弘めるのは我慢ならないの。私はもう、我慢しないと決めた。ブルズメイカー様。機会があれば、私の知るキャロリエンヌの話をしますわ」
「へえ?面白そうだね。聞かせてほしいな」
私は後日、ブルズメイカー様の私室でキャロリエンヌがいかに素晴らしい女性かを語った。ブルズメイカー様は耳にタコができるほど私の溢ればかりのキャロリエンヌ愛を聞き、「もういいよ。わかったから……」と私の言葉を遮った。酷いわ。まだ5%も語れていなかったのに。
「リアムは、本当にキャロリエンヌ・アーバンが好きなのだな」
「好きよ」
キャロリエンヌの霊と会話をしたことがあると知っているノルンは、ブルズメイカー様の前では5%しかキャロリエンヌの魅力を語れていないと話をすれば目を見張った。ノルンも一緒に聞いていたけれど、兄弟揃って時間が経つに連れてそわそわと青白い顔で席を立とうとしてたものね。無理もないわ。
「キャロリエンヌ・アーバンがこの時代に生を受けた女性でなくてよかった……。我は彼女に勝てる気がせんぞ……」
「ふふ。来世は大変ね?きっと、キャロリエンヌは私のお姉様として。ノルンと婚姻すれば、もっと私に相応しい男がいると囁くような気がするわ」
「冗談でもそのようなことはリアムの口から聞きたくない。我は絶対に手放しはしない。何度生まれ変わろうともだ!」
「私もよ、ノルン」
大好きで大切なお姉様になるかもしれないキャロリエンヌと同じくらい、私だってノルンを愛しているもの。きっろ、これからも。私達の周りは毎日ドタバタと騒がしいかもしれないけれど──
二人で手を繋いで歩けば、きっとどんな困難も乗り越えられると、信じているから──