頼るべき人は誰?
『坊やはリア厶をどこへ連れて行く気なのかしら』
さぁ。どこに行くかなど、私が聞きたいくらいだわ。
ノルンが触れた状態では光の魔力によって存在をかき消されてしまうのか。キャロリエンヌの姿はどこにも見当たらずに、ただ耳元で囁く声だけが聞こえる。耳元で囁かれるキャロリエンヌの声は、どこか弱々しかった。
『リアム。無理だと思ったら、すぐにわたくしへ助けを求めるのよ。男は狼。この場が野外でも、その気になればすぐにでも男は手を出すのだから』
希代の悪女として名高い彼女は数々の修羅場を乗り越えてきたはずだ。経験者の言葉が重く伸し掛かり、私はノルンの腕に抱かれたまま憂鬱な気分になっていた。
彼に身体を捧げる覚悟など一切できていないのだけれど……。デートと称して二人きりで王城を歩くと、そうした雰囲気になるのかしら……?
『先程坊やの弟に迫った場面だって、そうした雰囲気になることは充分あり得たのよ?坊やの弟は、リアムが兄の婚約者であると自らを律し続けたから、リアムが無事でいられただけですわ。堪え性のない坊やがどうなるかなど、火を見るよりも明らかでしょう。覚悟しておくことに越したことはないわ。それじゃあ、あとは若いお二人に任せますわね』
光の魔力がうざったいと言い残したきり、キャロリエンヌの声は聞こえなくなってしまった。きっと、ノルンが私の身体へ手を出した時、反撃するため力を蓄えているのだろう。私はキャロリエンヌへ頼ることをやめ、私を抱き上げ目的地へ向かうノルンを見上げた。
ノルンの表情は至って普通だ。
イエロオークを壁際に追い詰めて唇を奪おうとしていた私を見たノルン、とても怒っていたけれど。私の唇を奪って腕に抱いた後からは、怒りで一杯になっている様子は見受けられなかった。
このまま何事もなくデートを終えられたらいいのだけれど……。
「どうした。我の顔になにかついているか」
「……いいえ。先程まで怒っていたようだったから……。不安になっただけよ……」
「リアムに対しては怒っていない」
「イエロオークには怒っているのね」
「当然だ。イエロオークは矛盾している。リアムが我の婚約者であると知りながら、あのような至近距離で拒絶することなく長時間密着しているなど、信じられん。リアムは我の婚約者だぞ……?」
「……イエロオークを悪く言わないで。私から誘ったのよ」
「リアムから誘ったとしても、イエロオークはいくらでも対抗できただろう。それをしなかったのが許せぬのだ」
「……普通の男ならば、そうですわね。イエロオークは人間に触れることを恐れていますわ。怪我をさせてしまったことがあるんですって?」
「幼い頃、乳母を亡くしている」
ノルンは浮かない顔でイエロオークの過去を語った。母親がオークであるとわかってすぐのことだったらしい。彼が5歳の時、イエロオークの手が乳母の頬を叩き──そのまま乳母は亡くなったのだと。
「……そう……。自分のせいで母親代わりの女性が目の前で亡くなれば、人間に触れるのを恐れるのもよくわかるような気がするわ……」
「うむ。早く力のコントロールができるようになればよいのだが」
半分しか血が繋がっていないとしても。ノルンにとってイエロオークは弟だ。大切な、がつくのかどうかは怪しい所だが。長男のブルズメイカーと一切交流がなかったと言っていたイエロオークは、ノルンとはそれなりに交流があったと証言している。ノルンは混血のオークとして生まれたイエロオークを、どう思っていたのだろうか……。
「ついたぞ」
ノルンが私とのデートに選んだ場所は、私とノルンが初めて出会い、愛を誓いあった場所──王城の中庭だった。この場所には、カメリアの花が咲き乱れる石垣がある。ノルンは私をカメリアの花が咲き乱れる石垣の前で下ろすと、カメリアの花を見つめた。
「ずっと、この場所に。カメリアの花が咲き乱れるのを待っていたのだ。満開の花を咲かせたのならば、リアムと共に見ようと……」
赤、白、ピンク──色とりどりの美しい花を咲かせる石垣を見つめてた私達の元へ、突如として強い風が吹き荒れた。私は思わずスカートの裾と髪を抑えるが、石垣にて咲き乱れるカメリアの花々は誰かに押さえてもらうこともできず。風に攫われてぽとり、ぽとりと花弁ごと土の上に落ちてく。
「私もあの花のように。首を落とした方が、よかったのかしら」
カメリアの花は縁起が悪いと言われている。
咲き乱れる花の状態で。ぽとりと土の上に落ちる姿が、人間の首が落ちる姿によく似ているからだと聞いている。ノルンはそんなことないと強く否定するとわかっていても、吹き荒ぶ強い風に負けて落ちていく花々を見て。ずっと心に秘めていた思いを、留め続けることなどできそうになかったのだ。
「何を言っているのだ……。リアムの首が落ちる所など、考えたくもない。りあは、死んだほうがよかったなどと考えているのか……」
「……どうかしら。今となってはよく、わからないわ……」
私が生きていたからこそ、イエロオークの生活環境を改善できた。私があのまま死んでいたら、イエロオークは今もまだ見張り塔で一人寂しく化け物王子として生活し続けていただろう。
私が生きているからこそ。
ノルンは笑い、些細なことで怒り。
イエロオークは化け物王子から、第三王子として存在を認められつつある。あとは私が素直になるか、ノルンと婚姻をすれば。みんなが幸せになれるハッピーエンドは目前だ。
ハッピーエンド?何を言っているの?
とても大切なことを忘れているわ。私のハッピーエンドとは、ノルンと添い遂げることではない。二度と虐げられることがないように、加害者を完膚なきまで屈服させるための力を手に入れることだ。あの女狐と娘を始末するまで、私は死ねない。幸せになどなってはいけないのだ。
私の中に宿る、幼い頃に芽生えたノルンへの恋心が暴れている。
私はノルンが好きなのに。どうして見て見ぬふりをするの?復讐なんてしたって意味のないことよ。ノルンが好きな気持ちを認めて、幸せになりましょう。私がノルンに好きだと言えば、それだけで人生はバラ色なのに。どうして私は、素直な気持ちを彼に伝えられないのかしら。
ノルンが好きだ。ノルンを愛している。でもその気持ちはけして認めてはいけない感情だ。私は醜い心の持ち主。私を恐怖のどん底に陥れた女狐とその娘に、同じ苦しみを味合わせるまで。私は幸せになる権利を放棄し、男を誑かす悪女を演じる。
もっとたくさんの男を手玉に取って。
もっとたくさんの男に媚を売って。
あの女狐とその娘を屈服できるほどの強い力を得るのよ。
私はそのために生きている。
私はこれからもそのためだけに生きていく。
「……。ごめんなさい。カメリアの花がたくさん落ちる姿を見たら……。気が動転してしまったみたいだわ……」
「リアム」
「……なにかしら」
「一人では……抱えきれなくなってしまっているのではないか」
「私は一人ではないわ」
「イエロオークに相談しているのなら、それでも構わぬ。我は婚約者として、真っ先に相談し会える理解者になりたいのだが……強制はしない。我が願望を押し付けることにより、関係が拗れるくらいならば……。一番の相談役は弟に譲ってやろう」
一体どんな心境の変化なのかしら。
あれだけ独占力を剥き出しにしていたノルンは、相談役を弟に譲ると言ってきた。ノルンへの不満を解消するためにイエロオークを使うことは許すと言うことだろうか。よくわからない。
「ずっと、黙っていたのだが……。我には良からぬものが見えるのだ」
私が困惑していると、ノインはずっと隠していた秘密を打ち明けてきた。
彼にとっては秘密でも。私にとっては公然の秘密だ。キャロリエンヌが教えてくれたから。彼が魔力を持って生まれたことを。
「この世ならざるものから、悪意の塊まで。それがどんな種類のものかまでは分からぬが、よくないものであることだけははっきりと認識しておる。6年前までは、リアムの周りは眩いほどの美しい光に包まれていた。悪いものなど一つも見当たらないほど澄み渡っており、我はリアムが美しく輝く宝石のように見えていたのだ」
「……でも、今は?私はもう……美しく輝く宝石には見えないのかしら」
「そのようなことはない!今もリアムは美しく輝く宝石である!しかしその輝きが異なるのだ。今のリアムは、妖しく鈍い輝きを放っている。リアムの周りには、6年前ならばまず姿を見せるはずがなかった悪意の塊達が、うじゃうじゃとひしめき合っていた……」
私が助け出されてすぐは、私の身体を奪って外に出ようと。悪意の塊達が私の周りを彷徨いていた。今は健康な体を取り戻し、キャロリエンヌが睨みを効かせてくれているから。恐ろしい目に合うことはないけれど……。
「うじゃうじゃとひしめき合う悪意の塊は、リアムが健康な体を取り戻すことにより、一つの邪悪な塊に変化した。長い髪の女であることは我にもわかるが、それが何かはわからない。悪いものを浄化する我の力を持ってしても簡単には浄化できぬものだ。リアムは、その邪悪な悪いものを知っているのか」
キャロリエンヌは、私が助け出されてすぐ。ずっと私の傍で美しい声を響かせているのだけれど。
ノルンが見えるようになったのは、つい最近のことらしい。ノルンの魔力がだんだん強くなっている証拠なのだろう。ノルンにはキャロリエンヌが見えないと言っていたもの。
キャロリエンヌの声は聞こえない。
デートだとノルンが言うから。気を利かせて出てこないのだ。
キャロリエンヌに頼ってばかりもいられないだろう。私は一人で生きると決めたのだから。私の秘密をノルンに打ち明けるかどうかは、私が決めなくては。
「……それがどんなものか、理解しているつもりよ」
「ならば!なぜ、退けようとしないのだ!それに頼るのは危険だ!我はもう二度と、リアムを見捨てないと決めた!我に頼ればいいではないか……!」
「ノルンにとっては危険なものでも、私にとってはとても大切なものなのよ」
「大切なもの……?それは悪意の塊だぞ!?」
「いいえ。私にとってはとても大切な……。相談に乗ってくれる、姉のような存在よ」
キャロリエンヌは亡霊である。私と同じ時を永遠に生き続けることなどできそうにないけれど。私にとってとても大切な存在だ。ノルンに、たった一ミリでもいいから。この気持ちが伝わるといいのだけれど。
「私は死者の声が聞こえるの。ノルンが悪意の塊と称している髪の長い髪は、キャロリエンヌ・アーバン。またの名を、希代の悪女キャロリエンヌ・ワンダルフォン。ノルンのご先祖様でもある方よ」
「死者の、声が聞こえるだと……?リアムは……我と同じ、選ばれし人間なのか……」
ノルンも私が自由に身体を動かせるようになってから、キャロリエンヌの肖像画を気にしていると気づいていた。
それと同時に、魔力を持つものがこの国でどういった扱いを受けるのかよく理解しているのだろう。ノルンは一度距離を取っていた私を強く抱きしめると、耳元で囁いた。
「ああ、なんということだ……。今まで、辛かっただろう……。もう、大丈夫だ。リアムは、我が守る。リアムとの婚姻は誰にも邪魔などさせぬものか。魔力を持つ者同士、我と同じ道を歩もう。もう二度と。死んだほうがよかったなどとは言わせない……」
違うの。違うのよ、ノルン。
私はあなたに守ってほしいから、秘密を打ち明けたわけではないの。キャロリエンヌを悪者扱いして欲しくなかっただけ。キャロリエンヌは悪い霊ではなく、いい霊なのよ。だから、浄化しようと躍起にならないで。
「リアムは……唆されているだけなのだ……。悪意の塊が消えたら、またいつものように。我だけへ微笑みかけてくれる……」
秘密を打ち明けるべきではなかった。
ノルンは勘違いしたまま、より私を守ると独占力を強めてしまった。違うの、そうではない。私にはキャロリエンヌがついているから、ノインをパートナーとして必要としていないの。
私がノインに固着する必要はない。王城で暮らす人々ならば、婚姻相手は誰でもいいのだ。
けれどノインは、私と過ごした過去の思い出が忘れられなくて。わたしとずっと一緒に居たがっている。一緒にいて心地のいい人と、将来を見据えて関係を持たなければならない人は違うわ。
素直になればいい。私が心の奥底に沈めた感情を吐露すれば、いつでもハッピーエンドを迎えられるのに。
私はキャロリエンヌに教わった、悪女としての立ち振舞を活用し。自身の立場をより強固なものにするべく活動を続けるつもりだ。
それはノルンに対する裏切りでもあり、ノルンからしてみれば浮気だわ……。
複数人の男を誑かす私のことも。ノルンは愛し続けてくれるのかしら。
それとも、地面に落ちたカメリアみたいに。綺麗に花を咲かせたまま捨てるのか。
なるようにしかならないわ。
私は考えることを放棄し、私へ縋って泣くノルンの声を聞いていた。




