悪女の誘惑
イエロオークが近衛隊隊長と姿を消した後。そのまま社交を続ける気にもなれなかった私達は、早々にノルンの私室へ引き上げてきた。
「……ブルズメイカー様へご挨拶をする前に、引き上げてきてしまったわ……」
「兄者は忙しい身の上だ。イエロオークとの騒ぎが起きる直前には社交場を後にしていた。あやつらは我が見て見ぬふりをすると思い、兄者がいなくなったことを確認してからイエロオークを加害したのだろう。ずる賢い奴らめ。我は心を入れ替えたのだ。リアムが弱きものを助けろと我に命じるのならば、見て見ぬふりなどせぬ!」
私が命じなくとも、普段から弱きものを助けてほしいのだけれど……。
ノルンは私の思いに答えてイエロオークを助けたことを褒めて欲しいらしく、ご褒美を強請っている。
これではどちらの身分が上なのか、さっぱりわからないわ……。
私は公爵令嬢だけれど、ノルンは王子だ。当然ノルンの方が立場は上なのだけれど。見張り塔から戻ってきた私と再会し、涙を流してから。ノルンはどこか様子がおかしかった。
まるで幼児返りしたかのように。
母親の愛を求めるような感覚で、より一層私にベッタリとくっつくようになったのだ。私の自由を奪うなと怒鳴りつけたお陰で、最近は私にお伺いを立てるようになっていた。
鬱陶しいったらありゃしないわ。
どうせ嫌だと拒絶しても、そんなこと言わないでくれと泣き落としに掛かるか、むりやり私へ触れてくるくせに。
「兄者に挨拶をしたいならば、頃合いを見計らい、我が兄者の執務室へ連れて行ってやろう。どんなに忙しくとも、挨拶くらいならば問題なく対応してくれるはずだ」
「……そう。ならいいのだけれど……」
「……リア厶。やはり……君の身体には触れぬ方が良いか……?」
そんなのいちいち私に聞かないで欲しい。今まで散々私の意志を無視して触ってきたくせに。こういうときだけ、都合よく許可を求めるのだから……。
『限界まで男に我慢させてあしらうのも、悪女として有効なテクニックだけれど。坊やの場合は、焦らさない方がよさそうよ。限界を超えた時、リアムの嫌がることを率先してしそうなタイプだもの』
私もキャロリエンヌと同意見だ。
ノルンは堪え性がない。私が無断で姿を消すと、私を探し求めて大声で叫ぶ。あの女狐と娘に監禁され、助け出された際。今にも死にそうな姿が堪えたのだろう。もうあのような悲劇を繰り返すわけにはいかないとノルンは間違った方向に努力をしているのだ。
ノルンにとって、悲劇を繰り返さないように。自分ができる唯一のことは、私から目を離さないようにすること。自由を求める私とは、相容れない考えだ。
本当はもっと強く言いたい。
束縛しないで、と。
私を閉じ込めて部屋から出さないようにするノルンなんて大嫌いと言いたいのだけれど。そんなことを言えば、ノルンは今度こそ私を私室に監禁して自由を奪いかねない。
今日、私の隣に立ってイエロオークの一件を大きなトラブルなく片付けられたのはノルンがいたからだ。私だけでは、身を守る為に魔力持ちであることが露呈していたか、イエロオークの力によって誰かが命を落としていた。
「……お互い婚約破棄を申し出て、同意しなければ……。私達は婚姻するのよ……。ノルンに、触れてほしくない訳では無いの……」
「よいのか」
「……ノルンが居てくれたからこそ……。イエロオークも危ない目に合うことなく……私達も、大きな怪我をしないで済んだわ……。ノルンは……私を抱きまくらにしたいの……?」
「……抱き枕にしたいのではない。リア厶のぬくもりを感じたいのだ」
「……生きていると、実感したいのね」
「うむ」
「……いいわ。頑張ったご褒美よ……」
私は自らノルンに両手を伸ばし、ゆっくりと胸元に顔を寄せる。
ノルンは興奮しているのだろうか。耳を澄ませば、心臓が高鳴る音がよく聞こえる。
とくとく、どくどくと。
聞いていていい気分がするものではないけれど。心臓の音を聞いていると心地がよくて眠ってしまいそうだ。
「リアムが我の音を聞くのか」
「……私も……ノルンが生きていると。確認したい時だってあるのよ……」
「互いの音を聴き比べるのも……悪くはないな……」
私が目を閉じれば、ノルンも私の音を聞こうと私の胸へ顔を寄せようとする。私がノルンの胸に顔を埋めている限り、ノルンが私の音を聞くのは無謀なのに。パチリと目を開けば、首を痛めてまでも無理矢理心臓の音を聞こうとしている……。彼の必死な瞳とかち合ってしまった。
「その体勢では無理よ」
「無理ではない」
「仕方ないわね……」
自分からノルンの顔が胸元にくるように誘導するのは気が引けたけれど。これはいやらしいことではなく、あくまで彼に心臓の音を聞かせるための儀式だ。
キャロリエンヌのように豊満な胸を持っていたならば、胸に顔を埋めさせるのが恥ずかしいと思うことだってあるのだろうが……。ない胸の元へ誘導した所で、恥ずかしがる必要などない。どうせ、頭を胸元に持っていった所で。柔らかな感触など感じないのだから。
「夢のようだ……」
何がそんなにいいのだろうか。ノルンは私の胸元へぴったりと頬を寄せると、満足そうに頬ずりし始めた。ない胸に頬を寄せたところで、何が楽しいのだろうと冷めた目で見下しながら、私はじっとノルンの奇行を眺めていた。
『たとえまな板だとしても。愛する女性の胸元は、男にとってロマンなのよ』
よく理解できていない私に、キャロリエンヌが補足説明してくれる。愛する女性の胸元に頬を寄せることは、男の夢を叶える行為であるらしい。そう言うものなのだろうかと考えながら、私は腰に巻き付く彼の手共々。拒絶することなく受け入れ続けたのだった。
*
イエロオークを加害したクソガキ共は、貴族としての心得を一から学び直すことになったようだ。立派な大人になるまでは、社交場に姿を見せることなどないとノルンから聞きホッとする。
イエロオークは、人間として普通の暮らしがしたいと言っていた。
私からそその願いを聞いたノルンは、第一王子であるブルズメイカーに声を掛けると、兄弟3人で話し合いの場を持ったという。
「シンヘズイ公爵令嬢は、凄いな……。兄上とは、すれ違えば挨拶する程度に交流はあったが……。君のお陰で、俺は始めてブルズメイカー様と言葉を交わせた……」
ノルンが王妃に呼ばれ、名残惜しそうに私室を後にしたのを見計らい。私はイエロオークの元へ訪れていた。
ノルンに散々一人で出歩くなと大騒ぎされたので、今日は手紙を置いてきた。
──ランクと一緒に、イエロオークの私室へ遊びに行って参りますわ。
イエロオークは長年暮らしていた見張り塔から、本来第三王子の為に用意されていた空き部屋へ移動した。王城の作りはよく知らなかったのだが、王族の私室は一箇所に固まっているらしい。イエロオークの部屋は、ノルンの隣。第一王子は将来国王になる身分であるため、他の兄弟たちとは真逆の王に近い位置に私室を設けているようだが……。
見張り塔でイエロオークが暮らしていた時は、わざわざ王城の外に出て数十分薄暗い森を歩かなければならなかった。今ではノルンの私室を出て、隣の部屋をノックすればいいだけだ。流石にノルンが怒り出すようなことはないだろう。なんと言っても壁一枚隔てた隣の部屋だ。これで怒られるのならば、手の施しようがない。
「ブルズメイカー様のことは、兄と呼びませんのね」
「言葉を交わすだけでも恐れ多いというのに……。すぐには、無理だ……。ブルズメイカー様も、俺のことなど……弟扱いしない……。彼にとって、弟は……。兄上だけだ……」
「ノルンは弟として扱うのに、イエロオークを弟扱いしないなど。不思議な話ですわ。彼がそのような態度だから、あのようなクソガキの蛮行を許すのではなくて?」
「……さぁ……。俺には、なんとも……」
イエロオークはクソガキに加害されることがなくなり、ノルンの隣へ引っ越すと。人間として静かな一人暮らしを満喫し始めた。相変わらず社交場に出る時以外は部屋に籠もっているようだが。使用人の出入りを許すことなく静かに日々を過ごす彼は、やっていることが見張り塔で過ごしていた時とまったく同じだとしても何もかもが新鮮に感じるらしい。
「シンヘズイ公爵令嬢のお陰で、ワイゲイ隊長とも縁ができた……。俺はシンヘズイ公爵令嬢には、感謝しても感謝しきれない……」
「お礼はリアム呼びで構わなくてよ」
「……兄上に怒られてしまうから、無理だ……」
「名前でさえも呼ぶ気にはなれませんの?」
「俺のような人間が……。シンヘズイ公爵令嬢の名を呼ぶなど、烏滸がましい……」
「自分を卑下することからは卒業しなくては!また誰かに加害されてしまいましてよ。今こそ新たな一歩を踏み出す時ですわ。さあ、イエロオーク。私の名をお呼びなさい!」
つい悪ノリをしてしまいテンション高くイエロオークへ迫れば、彼はたじろいで一歩後ろへ下がった。
私はイエロオークが名を呼ぶまで、彼への追求をやめる気はない。一歩、また一歩と後ろへ下がるイエロオークを壁際まで追い詰めた私は、顔の横に両手をついてイエロオークの逃げ場を奪う。
『ふふふ。壁ドンね。恋が始まる予感がするわ』
キャロリエンヌが私の耳元で笑う。
イエロオークはすっかり私へ気を許しているようで、人気がない時は緑色の顔を隠すことなく露出していた。
ノルンの婚約者でなければ、好ましく思うと発言していたくらいなのだ。イエロオークの私に対する好感度は、こうして逃げ場を奪っても急激に急降下することはないだろう。
「し、シンヘ……」
「リアムですわ」
「その名では……」
「リアムが無理ならば、カメリアムとお呼びなさい!」
「……だが……兄上は……」
「このまま唇を奪いましてよ」
「な……」
イエロオークは私とキスなどしたくないのか。両手で口元を覆うと激しく首を振った。イエロオークは人間として生きると決めたが、化け物呼ばわりされて加害されていた傷がすぐに癒えるわけではない。純血の人間とは異なる肌色のイエロオークが、純血の人間たる私と唇を触れ合わせるなどありえないと……私を拒絶する。
ノルンとだって、唇を重ね合わせたのは幼い頃の一度だけ。キャロリエンヌのような悪女を目指すならば、こうした色仕掛け攻撃も必要だろう。
『身体を重ねるのは、恋愛感情がなくてもできるのよ。もちろん、唇を触れ合わせることだってね……。ふふふ』
私はキャロリエンヌの言葉に背中を押されるようにして、唇を近づけていく。私から大胆に、婚約者の弟に迫る。とても悪女らしい行いをしていると思うわ。この背徳感──なんだか癖になってしまいそう。
「……っ、ぅ……っ、カメリアム……っ」
「やっと私の名を呼んでくださいましたわね?」
私が笑いかければ、イエロオークは目を白黒させた。元々の顔色が緑色なので、顔が赤くなっても違いがよくわからないのだ。目の動きだけで、動揺していることはよくわかるのだけれど。
「い、いや……こ、これは……」
「この調子で、今後は私をカメリアムと呼んでくださいませ。シンヘズイと呼べば、また唇を触れ合わせてしまいますわよ」
「そ、それは……無理だ……」
「どうして無理ですの?」
「シンヘズイ嬢が、兄上の婚約者だから……っ」
「言った側から、すぐに呼び方が戻る。唇を触れ合わせたくて、わざとやっていますの?」
「ち、ちが……っ!カメリアム……っ。や、やめるんだ。その気がなくとも、冗談でもそれは、兄上が──」
「──我が、なんだ」
「あ、兄上……」
イエロオークの震える声が聞こえた後、ノルンの怒りを押し殺した声がやや遅れて私の耳へ飛び込んでくる。
私がノルンの姿を確認しようと首を回せば、私の両手が壁にぴったりとくっついているのをいいことに。私の腰をしっかり抱くと、壁から無理矢理引き剥がし抱き上げた。
「あ、兄上……。これは、誤解だ……」
「ああ。わかっている。悪いのはイエロオークではなく。リアムであることは……」
「い、いや……たしかにそうかもしれないが……。その、カメリアムの悪気があったわけではな……いかと……」
「あら、私はからかってなどいませんわ。イエロオークにもご褒美をあげなくてはならないと思っただけですの。私には悪意しかありませんわよ?」
「悪意、だと?」
「私はノルンの婚約者です。イエロオークと唇を重ねたならば、当然浮気になりますわ。そうしたら私たちは、お別れするしかなくなりますわよね」
「リアム……。イエロオークと唇を重ねた程度で、我から離れられるわけがないだろう。唇など、上書きすればよいだけだ。このようにな」
ノルンは私が止める間もなく唇を触れ合わせた。ムードもへったくれもないキスを受けた私は、思わず唇を抑え顔を赤らめる。煽ったのは私とはいえ、私が唇を重ね合わせたかったのはノルンではなくイエロオークの方だわ!
『くすくす。これは坊やに一杯食わされたわね』
ノルンは私とイエロオークが唇を重ねたと勘違いしているから、このような暴挙に出たのだわ。どうせ唇を重ね合わせるのならば、思いを通じ合わせた状態か、もっとロマンチックな状態で重ね合わせたかったわ。
『次の機会に期待するしかなそうよ?』
くすくすと耳元で笑うキャロリエンヌの声がより一層羞恥心を私から引き出す。
「……兄上とカメリアムは、お似合いだ……」
「当然だろう。我の婚約者だぞ。リアムとの婚姻は運命づけられておる。リアム、他の男へ現を抜かすことがないように。気分を変えて外へ出よう。こうしてリアムと過ごすことになってから、我らはデートらしいデートをしたことがなかったな。原点回帰すれば、新たな発見もあるだろう。さぁ、行くぞ!」
「ちょ、ちょっとノルン!?」
「……カメリアム、兄上。ごゆっくり。俺もこれから、ワイゲン隊長の元で鍛錬に励もうと思う……」
「うむ。では、失礼する」
「聞いてますの!?こらっ。下ろしなさい!ノルンー!」
イエロオークはテーブルの上においてあった仮面をつけ直し顔を隠すと、出かける準備を始めた。イエロオークは親衛隊隊長ワイゲンの弟子となり、有り余る力のコントロールをする為日々鍛錬に明け暮れていた。
私はよく知らなかったのだが、あのスケベ隊長はかなり腕の立つ人物であるらしく、鍛えていない人間へ迂闊に手を出せば殺害してしまうほどの人並み外れた超人的な力を持つイエロオークと互角に渡り合える人間なのだとか。
イエロオークにも、人間として普通に話せる人がいたのは僥倖だ。
キャロリエンヌ曰く、彼も魔力を持っているというので、ワイゲンの元でぜひとも鍛錬を重ねて実力をつけて魔力を扱えるようになってほしい。




