泣かないでと声をかけて
「あら、ノルン。血相を変えて。どうしましたの?」
「リアム!」
見張り塔から歩いてしばらく。
ノルンが私を探して、あちこち走り回っている姿を見張り塔の小窓から見ていたのに。私は今はじめて血相を変えて私を探しているノルンに出会いましたと言わんばかりの態度で彼へと声を掛けた。背後で気配を殺しているランクのため息が聞こえる。
この場でイエロオークへ会いに行ったと密告するようなことはしないだろうが。遅かれ早かれ事実は露呈するだろう。ランクは真面目だから、黙ってはいられない。逆に言えば、私とイエロオークの間にいかがわしい行為はなかったと証言してくれる、数少ない信頼の置ける人物だ。
ノルンも5年間ランクの働きぶりを見ていれば、嘘つくような男ではないとわかるだろう。事実を知って怒り出すのか、愛想を尽かすのかは見当もつかないけれど……。今、私の口からイエロオークに会っていたと話すべきではないことくらいは猿でもわかる。
「ランクが着いていながら……!なぜこのような場所まで歩いてきたのだ!」
「道に迷ってしまいましたの」
「ここが何処か、理解しているのか!?この見張り塔は、恐ろしい魔物が住む塔なのだぞ!?リアムの身に何かあれば、我は……っ」
「きゃあ!?」
思わず悲鳴を上げたのは、ノルンが恐ろしい形相を隠すように。勢いよく私へ抱きついてきからだ。私達はノルンの勢いよく抱きついてくる力を殺し切れず、二人で地面に沈む。
「なぜリアムは、我の腕から抜け出てしまうのだ……っ!」
「ノイン、く、くるしい……。くるしい……わ……」
「ああ、リアム。俺だけの女神……っ。やっと戻ってきてくれた……。これからもこうして、我の腕で大人しくしていてくれ……。我の腕から抜け出るようなことは、けして許さぬ。リアムは、我のものだ!将来を誓い合った、我の……っ」
誰にも渡したりしない、と。
ノルンは全身を震わせながら、私の骨が折れてしまうのではないかと思わずには居られないほど強く抱きしめる。
私はキャロリエンヌの力を借りて強くなったはずなのに。
私が新しい世界へ自由に羽ばたこうとするたびに、目に見えてノルンが弱っていくのはなぜなのだろう。
私のことが好きなら。自分の気持ちすらまともに告げられず。ただ曖昧に笑ってその場の流れに身を任せることしかできなかった私が、自分の足で立って意見を言えるようになったことを……。祝福してくれるのではないだろうか。
ノインは私に祝福の言葉を述べるどころか、昔の私に戻れと必死に声をかけてくる。
先程だってそうだ。咄嗟にキャロリエンヌの真似をして、お嬢様言葉が出てこなかっただけなのに。ノルンは私が昔のように戻ったと喜んでいる。
昔の私に戻るなんて嫌。冗談じゃないわ。
ノルンは、誰かに虐げられる弱い私が好きだったというの?誰にも虐げられることのない、強い私を受け入れてのその婚約者でしょう。弱い私ではないと好きになれないと言うのならば。それはノルンがあの女狐と娘と同じように。加害できる存在を探していた証明に他ならないわ。
『坊やが欲していたのは、リアムの姿をしたお人形なのよ。私のように妖しく美しく輝くブラックダイヤモンドなど、彼の、人生には必要ないみたいね?うふふ。醜い男の嫉妬で、リアムのような美しい少女を逃すなんて。本当に見る目がないわ』
昔の私であれば、馬鹿にしたように笑うキャロリエンヌへ、ノルンを庇うような言動をしたことだろう。
「ノルンはそんな人じゃないわ」「ノルンは私のことが大好きなの」「馬鹿にしないで」今となっては、庇う価値もない。
ノルンの好感度はキャロリエンヌよりもはるかに下だ。6年も経てば人は変わる。私はいい意味で変わったのに。その変化を受け止めきれずに過去へ縋るならば、ノルンなど私の人生に必要ない。たとえ泣かれたって、私の考えが揺らぐことなどないわ。
『ふふふ。本当に?』
キャロリエンヌは私に揺さぶりをかけてくる。
大好きだった人を捨てて、カメリアム・シンヘズイとしての人生をたった一人で取り戻すなど無理だと否定するように。
なんでもかんでも、ノルンに守られていなければ何もできない子どもではないわ。私だって、キャロリエンヌやノルンの力を借りなくたって生きていける。最終的には、たった一人で女狐と娘に立ち向かうことも覚悟していた。
「ノルン……。ねぇ、ノルン……苦しいわ……。声が震えている……。顔を見せて……?」
覚悟、していたのだけれど。
私の言葉を聞いたノルンは、涙で濡れた顔を私に見せてきた。
ノルンの泣き顔などはじめてみた私は胸の奥がざわついていることに気づいてしまう。
この感情は、一体なに?
彼のことが愛おしい。私のために涙など流さないでほしいなど、思ってはいけない。ノルンは私の自由を奪う酷い男で。私の気持ちを尊重してくれない、私の隣に並び立つには到底ふさわしくない男なのよ?泣き顔一つで絆されるようなことなど。あってはならないはずなのに……。
どうしたら、いいのかしら。
ずっと心の奥深くに沈めていた気持ちが、浮かび上がって来てしまっている。ノルンのことが好きだ。こうしてずっと抱き合っていたい。彼の隣に居ることこそが幸せなのだから、独り立ちする必要なんてないじゃない。このまま抵抗せず、彼の腕に抱かれて眠ることこそが私の幸せなんだわ。私は、ノルンの暖かなぬくもりを捨ててまで。これから生涯一人で生きていくつもりなの?
『一人で生きていかなければならないわけではないわ。男は坊やだけではないもの。彼の弟や、騎士。王城の外へ一歩踏み出したならば、様々な男に出会えるわ。坊やに執着する必要などないのよ』
キャロリエンヌの言う通りだ。私がノルンを愛したのは、両親が決めた婚約者だから。愛のない結婚よりも、愛ある結婚をしたかった私は、ノルンにお願いをした。お互い好きになる努力をしようと。そうして努力した結果の今なのだ。努力しなければ、私達は冷え切った関係のまま婚姻を迎えていただろう。
結局、5年近くノルンと引き離されたせいで。ノルンを好きになった努力は、すべて無に帰してしまったけれど。
『他の男よりも秀でた所が見つかるか、坊やが心身共に成長した大人になったなら、このまま坊やと添い遂げるのは悪いことではないとは思うけれどね?ご両親は坊やにリアムを任せたかったようだし。リアムがどうしても坊やがいいと思える何かが見つかるまでは、絆される必要などないのよ。可能性を広めるためにも、適当にあしらっておきなさい』
悪女としての立ち振舞をキャロリエンヌに囁かれた私は、これ以上ノルンの泣き顔を見ないように目を閉じる。
ドキドキと心臓が高鳴るのも。彼を慰めたいと思うのだって、すべて気の迷いだわ。あの絶望を思い出すの。ノルンは私を助けてくれなかった。もう一度あのような出来事が起きたとしても、助けてくれるかわからない人を信頼して共に歩こうなど決意する方がおかしいのよ。ノルンと共に歩く決意をするのは、私が命の危機に貧した際。彼がどんな立ち振舞をするかどうかを見極めてからでも遅くはない。
「泣かないで、ノルン……」
泣きたいのは私の方だわ。
私は彼の髪に触れると、優しく撫で付ける。さらさらとした金色の髪は、よく手入れされていてとても触り心地がいい。私とは大違い。助け出された当時に比べれば、随分と髪にも艶が出てきたけれど……。栄養不足で髪の色素が薄れて茶色になってしまった髪は、ノルンの足元にも及ばなかった。
「リアム……。頼む……。我が、我でなくなってしまう前に……。我の前から黙っていなくなるようなことはしないでくれ……」
「ノルンの許可を取れば、外出してもいいんですの?」
「……俺の目が届く場所にいてほしいのだ。もしもまた、リアムが何者かに監禁され……加害されるのかと思うだけでも……。我は身が引き裂かれるような思いがするのだ……。もう二度と、あのようなリアムの姿など見たくはない……。我がリアムを守るのだ。そのために、我は力をつけると決めた。リアムを守るために権力が必要だと言うならば、兄者に決闘を申し込み、王位継承権争いに名乗り出ることも厭わぬ」
現在、王家には3人の子どもがいる。次男ノルドレッド、三男イエロオークの他に、もう一人。彼の名はブルズメイカー。ワンダルフォンの長男であり、王は彼に王位継承権を譲ると名指しで指名している。
ノインはあくまで、有事の際繰り上がりで国王になる可能性があるスペアだ。その為婚約者として私が選ばれた。将来の国母となるべく、一通りの英才教育に根を上げぬような。身分に申し分のない、大人しく従順な娘。
結局英才教育は最後まで受け切ることはできなかったけれど。家庭教師には筋がいいとよく褒められていた。11歳の時点で、約8割ほどのカリキュラムを叩き込まれていた私は、その気になれば国母として立派な女性として振る舞うことも不可能ではない。不可能ではないが……。6年近いブランクがあるので、それなりの努力をしなければすぐに実践するのは難しいだろう。
「ノルンが、私を理由にして……。王になりたいだけでしょう……」
「違う。我は王になど、なりたくはない。リアムが健康な身体を取り戻してから1年の時が経つ。リアムは……。力を欲しているのだろう。誰にも加害されぬように。我は王子だ。大抵のことは退けられるが、100%すべてのものをひれ伏せることはできぬのだ。100%歯向かうものをひれ伏せる力を持たなければ、リアムの伴侶に相応しくないと言うのなら、我も今の境遇に甘んじることなく。リアムのために高みを目指すと誓おう」
「……必要、ないわ……。私は、私一人で立てるもの……」
「リアム。我は心配なのだ。もう少しだけで良い。我を頼って欲しいと……。そう願うのも、リアムにとっては罪なのか……?」
私にとっての罪とは、加害されている人間を助けもせず。自分には関係ないと見捨てる存在だ。それは私が加害者であることだけには留まらない。ノルンは現在進行系でイエロオークが加害されている姿を見て見ぬふりして放置している。社交が苦手ということになっているらしいので、彼が加害されているのを知らない可能性はあるが。イエロオークが化け物と呼ばれていることは知っているのだから、王城でどのような扱いを受けているかなど。知らない方がおかしいのだ。
「私は……私のような弱き立場の人間を見捨てるものが許せないわ……」
「リアムは弱くなどない」
「……私は強くなったわ……。けれどまだ、この王城には……。殻を破れず自分の足で立ちたいのに。立てないものがいる……」
「……リアム。他人の心配などしている場合ではないだろう。まずは自分の心配から始めなければ」
「そうね。あの女狐と娘を始末するまでは、私はいつまで経っても弱い存在のままだわ……」
「リアム。あのような女のことは忘れるのだ。我がもう二度と、あのような女をリアムには近づけぬと誓おう」
「……それでは意味がないのよ」
「リアム」
涙で濡れた瞳のまま、ノルンは切なげに私を見下した。私を押し倒している彼の頬から涙が滴り落ちれば、私の胸元にひんやりとした水滴が落ちていく。
ノルンは理解しているのかしら。頑なに拒絶すれば拒絶するほど、私達の関係が悪化すると言うことを。
「イエロオークの、力になりたい」
「しかし、リアムは病み上がりだろう。イエロオークには加害される理由がある。本人があのような扱いを望み。甘んじて受け入れているのだ。リアムがわざわざ助け出さなくとも……」
「ノルンがイエロオークを助けたくない気持ちを勝手にイエロオークへ押し付けて。彼の気持ちを代弁しないで。彼は言ったわ。この環境を変えたい。人間として、普通の暮らしがしたいと」
「イエロオークに会ったのか……!?」
泣くほど私のことが大切ならば、私の思いを汲んでもらわなければ困る。
イエロオークと話をしたことは黙っているつもりだったが、次の茶会に出席する為にはノルンの許可が必要だ。ノルンの婚約者として出席するならば当然、ノルンと揃って出席する必要がある。ノルンが再び、私を腕に抱くため身体を密着させてくるので、仕方なく彼の耳元で残酷な言葉を呟く羽目になった。
「イエロオークを助けたいの。次の茶会。ノルンと一緒に出席したいわ」
「……!」
ノルンの顔色を覗うのは難しい。彼は私を抱きしめるために、私の慎ましい胸に顔を埋めているからだ。耳元で囁くにあたり、私が首元に両腕を絡めているので、彼の意思だけでは私の顔を見るのは難しい。
「ぐ……っ」
「お願い、ノイン」
ノインは今にも怒り出しそうな声を上げたが、ぐっと胸にノインの顔を押し付けることで二の句は紡がせない。キャロリエンヌのようなたわわに実った胸元ならば、窒息死も夢ではなかったのだが。貧相な胸では、大したダメージを与えることなどできそうにない。
「……う、う……っ!」
どのくらいノルンの顔を胸元に押し付けて居ただろうか。だんだん彼の耳元が赤く染まってきた。くぐもった……苦しそうな声を出したので、私はノルンの首元から両手を離して耳を塞ぐ。怒鳴られると思ったからだ。けれど彼は私を怒鳴りつけるでもなく。胸元から顔を上げると、顔を真っ赤にした状態で私を見下し──
「こ、このような屈辱的な辱めを我に行った罰は、後でたっぷりと償って貰うからな……!」
「……な、なんのことですの?」
「我を置いて茶会に出席することは許さぬ!最高に美しきリアムの姿を皆に披露するぞ!」
ノルンはあっさりと茶会出席を決めたのだった。




