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助けてと声が枯れるほど叫んでも

 ──助けて。


 誰か助けてよ。誰でもいいから。ここから出して!


 何度叫んでも、私の声を聞いて助けに来てくれる人はいなかった。殴る蹴るは日常茶飯事。早く死ねと言われ続け5年の時が経つ。


 お母様が亡くなり、お父様はある女性と婚姻した。その女性はお母様の保険金を狙って後妻に入った女狐だったのだが、お父様はその女性が女狐であることに気づくことなく。

 女狐とその娘を、私と同じくらい愛情を持って可愛がっていたのを覚えている。


 そんな人たちに実の娘である私と同じくらいの愛情を注いで接する必要などないと、もっと強く言い聞かせれば。

 私にはもっと違った未来が待ち受けていたかもしれないのに。


 女狐とその娘はお父様の恩を仇で返した。


 お父様を丸め込んで。保険金の受け取り人を私から自分自身に変更した女狐は、不審に思われない程度の時間を置いて私からお父様を奪った。

 不慮な事故だと偽って二人分の保険金を手にした女狐とその娘は、私とお父様の屋敷で好き勝手振る舞い始め……。


 私はホコリ臭い1帖ほどの窓すらないクローゼットに閉じ込められてしまった。


 平民上がりのくせに。


 爵位を持つお父様と結婚しただけで公爵夫人を名乗り始めた女狐とその娘は、屋敷の使用人達をすべて解雇すると私を奴隷のように扱った。


 もっと早くに助けを求めるべきだった。後悔しても遅い。


 使用人たちが解雇されたのは私を助けようと手を伸ばしたものがいたからで──私が助けを求めなかったから、彼らはあの女狐と娘に酷い扱いを受けることなくこの屋敷を追い出されたのだ。


 屈辱的な扱いを受けるのは私だけでいい。私が我慢すれば、誰かが傷つくことはないのだから。


 立て続けに両親を亡くした私は、女狐とその娘に殴る蹴るの暴行から精神的な攻撃を受け疲弊していた。


 抵抗する気力もなく、一日3度だけお手洗いに向かうためにクローゼットから出してもらえる。

 食事は閉じ込められた当初は3度与えられたが、年月が経つに連れてどんどんと減っていき──5年経った今では3日に1度のみとなった。

 お手洗いにすら連れて行って貰えなくなった私は、クローゼットの中に置かれたバケツの中でする羽目になっている。


 鼻につく臭いは慣れたものだが、3日に1度やってくる女狐とその女たちが私に向ける顔だけは忘れられない。


 絢爛豪華なドレスを着て、毎日身を清め。暖かな食事を口にする権利を持っているのは私なのに。

 私とあいつらは貴族と平民。本来であれば、真逆の立場であるはずでしょう?


 どうして私がこんな目に。


 どうして私だけが。


 どうして、誰も助けてくれないの。


 どうして。


 どうして──


 最近、意識を保つのも難しくなってきた。いよいよお迎えが来たのかもしれない。私を置いて行ってしまったお父様とお母様が、劣悪な環境で生きる必要はないのよと迎えに来てくれたんだわ。きっと、そうに違いない。


 お父様、お母様……。


 私、もう疲れてしまったわ。


 眠ってもいいかしら。このまま、目を覚まさず……。眠るように息を引き取っても、いいわよね?


『リアム』

『リアム、諦めては行けないよ』

『勇気を出すの。今日は貴女の誕生日。15歳の誕生日よ。おめでとう、リアム』


 お父様とお母様の声が聞こえる。


 幻聴が聞こえるようになったのなら、いよいよかもしれないわ。お父様は諦めないでと私を生前と同じ優しい声で包み込み、お母様は今日が私の誕生日であることを教えてくれる。


 このクローゼットに閉じ込められてから5年。私はいつの間にか、15歳になってしまった。

 まともな食事を与えられていないせいで。5年前とそう代わりがない容姿は、やや肉付きのいい子どもの骸骨みたいにやせ細っている。

 婚約者に「かわいい」と褒められたのは遥か昔のこと。


 5年も梨の(つぶて)では、私の合意がなくとも勝手に婚約破棄されているかもしれない。


『諦めてはダメ。勇気を出して、リアム』

『リアムが勇気を出せば、奇跡は起こせる。これが最後のチャンスだ。私達も心配で、これ以上は見ていられないのだ』

『彼がこのチャンスを活かせないなら、彼にリアムを任せられないわ。私達と共に行きましょう。だから、もう少しだけ。もう少しだけ頑張るのよ、リアム』


 お父様とお母様は、勇気を出してと私を励ました。姿は見えないけれど。お父様とお母様が、私を見守っていてくださるわ。


 奇跡が起こると言ってくださった。


 私はすっかり衰えた足を震わせながら、ガタガタとクローゼットの引き戸を揺らし──


 扉が開いた。


 まさか扉が開くと思わず、突如としてクローゼットの中に差し込んだ光に目をやられぬよう思わず目を覆う。


 姿の見えないお父様とお母様の声は、なるべく急ぐようにと私を急かした。


『さあ、リアム。窓を開けて』

『彼の声が聞こえるでしょう?力いっぱい叫ぶのよ』


 彼の声?


 私は目を抑えながらヨロヨロと身体を起こし、一歩一歩を踏みしめながら窓まで歩いていく。

 窓には醜い私の腫れ上がった顔と、骨と皮でできた到底年頃の少女には見えない顔が映っている。


 私は自分の容姿に絶望しながら、必死に鍵を開き、重たい窓を両手いっぱいに右側へ引く。


「リアムを出せ!」

「あの子は病弱なのよ……毎年誕生日に顔を見せてくださるけれど……。あの子より、うちの子の方がよほどいい女よ?ノルドレッド様、あの子ではなくうちの娘と、」

「婚約破棄はせぬ!リアムを出せ!もう5年も会っていないのだぞ!?公爵が亡くなってから5年だ!悲しみも癒えただろう!まさか、もうすでに死んでいるなどとは言わぬだろうな?」

「ふふ、まさか……」


 5年ぶりに待ち望んだ声を聞いた。


 名前と同じ赤色の美しい髪を靡かせた彼の名はノルドレッド・ワンダルフォン。この国の第二王子であり、私の婚約者であった人。

 私の誕生日に毎年、名前の由来となった椿の花を両手いっぱいに抱えて会いに来てくれていた。


 ノルンにこんな姿を見られたら……。嫌われてしまうわ……。


 私は一歩を踏み出せず、窓を締めてクローゼットに戻ろうとした。何年も身を清めず、軟禁されていたのだ。

 ノルンの記憶に焼き付いている私と今の私は、簡単に結びつくものではないだろう。


 お父様とお母様はもういない。


 私が唯一頼れる相手は、ノルンだけなのに。もしも彼に嫌われてしまったら。私はとてもじゃないけれど生きて行けないわ。


『リアム。頑張って』

『このまま何も出ずに死に至れば、後悔するぞ』

『お願い、リアム。駄目なら、私達がちゃんと、迎えに行くわ』


 …そうだ……。ノルンに嫌われても……。


 お父様とお母様が助けてくださると、耳元で囁いてくれている……。どうせ死ぬなら、一度くらいは全力で抗っても罰は当たらないでしょう。


『さあ、理不尽な扱いを怒りに変えて』

『さあ。抑え込んでいた感情を爆発させて』

「────っ!」


 ノルン、助けて。


 ここにいるわ!


 私は何度も叫んだが、5年も声を出していなければまともに声など出るはずがない。どうにかしてノルンに私の存在を知らせなければ。


 目に入ったのは、お父様が大切にしていたゴルフクラブだった。私が監禁されていた場所は玄関の真上。ノルンの姿は見えない。

 私はあの女狐に追い出されたノルンが、振り返って私の方を向いてくれるまで待とうとした。


「さすがにもう、我慢できぬ。今年中にリアムの生存確認ができなければ、父上に働きかけて貴様の爵位を剥奪する」

「いくら王といえども……。私共の爵位を剥奪するなど、簡単にはできませんわ」

「今に見ていろ。目に物を言わせてやる」

「まぁ。楽しみにしておりますわね」


 ふざけるな。今すぐに爵位を剥奪しろ!その女は私のお父様を殺害し、私をクローゼットに閉じ込めた重罪人だ!


 いかないで!ノルン!助けて!来年までになんて悠長なことを言っていたら、二度と会えなくなってしまうわ!


 それでもいいの!?


 お父様とお母様が迎えに来てくださったのよ!私を深く愛しているのなら、屋敷の中まで入ってくまなく捜索してよ!あの女に断られたからって、帰らないで!


「ゃ……。ぃ………………あ………………!」


 ノルンの後ろ姿が見えた。


 彼は何度か振り返って名残惜しそうにしているけれど、1階の部屋を見るだけで、私には気づいてくれなかった。


 私はここよ!いかないで!みつけてよ!


「……っ!の……、ぅ……!」


 声はなかなか言葉になってくれない。

 私はゴルフクラブを振りかぶり、力いっぱい窓に向かってフルスイングした。


「!?」


 ガシャン、ととんでもない爆音が響く。衝撃に耐えきれずゴルフクラブが宙を舞い、ノルン目掛けて飛んでいった。

 窓ガラスが割れた音と共に、恐ろしい勢いで空を掛けるゴルフクラブが。どこから飛んできているかを確認したノルンは、遠目から見ても青ざめた様子で私を凝視していた。


「ぁ……っ。けて……っ。たすけて!ノルン!」

「リアム……?」

「たす……っ、ぁう、たす……け……!けほっ、けほ!」

「リアム!」

「カメリアム!何やってんのよ!?」


 久しぶりに大きな声を出したことにより、声帯が驚いているのだろう。

 私が蹲り窓の縁にしがみつくと、女狐の娘が私の頭を強打した。


 遠くから、ノルンが見ている目の前で私の名前を呼び頭を叩いたのだ。


 言い逃れなどできるはずもない。視界の端に、ノルンが従者を伴って駆け寄ってきている姿を捉え。必死に窓の縁から離れるもんかとしがみつく。


「離れ、離れなさいよ!どうやって出てきたの!?」

「けほっ、げ……っ、ゃ……っ!」

「あんたがあのまま死ねば、ノルドレッド様はあたしのもんになるのに!さっさと殺しておけばよかった!」

「ゃ……っ。ゃめ……っ」

「口答えするな!」


 5年間切っていない髪は、とんでもなく長い。女狐の娘は私の長い髪を両手で鷲掴み、強い力で窓枠から両手を剥がそうと髪を引っ張る。


 痛い、苦しい。死んじゃう。死にたい。


『もう少しだ』

『私達が力を貸してあげる』


 私が諦めかけた時、私を優しく包み込むような突風が吹き荒れた。その突風は、女狐の娘を怯ませる。


「ぎゃああ!」

『さあ、行ってらっしゃい』

『行っておいで、リアム。今度こそ、幸せになるんだよ』

「ぁ……っ!」


 両親が生み出したと思われる強い突風が、掴まれていた私の長い髪を切断し──背中を押してくれる。

 ぱっと窓の縁から手を離した私は、上半身から身を乗り出して1階へ転落した。


「リアム!」

「カメリアム様!」


 5年間。ずっと聞きたくて堪らなかった。


 愛しい声が聞こえると同時に、私の身体を包み込むお父様とお母様の声が聞こえなくなっていることに気づく。両親が力を貸してくださるのは、ノルンと再会するところまで。そこから先の未来は、自分で切り開かなければならないのね……。


「……っ、……っ」

「ああ、なんて酷い……」


 腫れ上がった顔、骨と皮になった身体。5年も経つというのに、大して成長していない私を見たノルンは絶句していた。惨状を目のあたりにしてドン引きしていると言ってもいい。

 百年の恋も冷めた。そんな表情をされて、愛し続けられる馬鹿は、ここにはいなかった。


 ああ。私の王子様は、ノルドレッドではなかったのね……。


 ノルドレッドは私を心配してはくれたけれど、私を助けてはくれなかった。


 ──絶対に許さない。


 私を愛しているならば、どんなに酷い状態を見ても愛を貫くべきだわ。

 私が真逆の立場ならば、あなたを愛せると誓うもの。


 どうして?ノルン。こうなっているかもしれないと、予測していたのでしょう。あなたが5年間の私を放置していたからよ。


 私がこうなったのはあなたのせい。全部全部、あなたのせいなの。あなたが責任を取ってくれなければ、私は。生きている価値など存在しないのに──


「城へ運ぶぞ」

「はっ。シンヘズイ夫人はどうなさるおつもりで……?」

「リアムに受けた傷をすべて把握するのが先だ。同時に本人確認を行う。よもや別人が成り代わっているかもしれぬと……疑いたいほどに……原型を留めていないからな……」


 ノルンは私の中身ではなく、容姿に惹かれたのね。私はノルンの中身を愛おしく思ってたのだけれど。


 ──あなたが私の存在を疑うのなら、それでも構わないわ。あの女狐と娘に受けた苦しみと絶望は、必ず私が数千倍にして返してやる。


 あなたが私の復讐対象になるか否かは、あなたの態度を見て決めるわ──

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