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堂島ゆうの霊能ファイル

 一

 何かが右手首を引っぱったような気がして、青木久弥は、はっとして右手を見下ろした。

 見る前から、誰もいるはずがないことは分かっていたが、確かに何か、羽毛でこすられるような感触を抱いたのだった。微風ひとつない、晴天だった。風でないことは、確かだった。虫かなにかだろうか。気にはなったものの、あまり深くは考えないことにした。いまは、美幸のことだけを考えていたかった。

 美幸とは、数か月前に知り合った。豊満な肉体とは釣り合いのとれないアイドル顔が、久弥の心を満たすようになって、やっと、あの鬱々とした日々から解放された気分だった。彼女となら、久弥が望む、理想の未来、家族を築いていけそうだった。

 無意識に、右の手首をさすりながら、なにか忌まわしいものでも振り払うように手首を払った。そうして、どこか汚いものでも見るような目つきで、右手首を凝視した。ふいに、里佳子の顔が水面に映された鏡像のように頭に浮かんできて、あわてて久弥は、その顔を頭から振り払おうとした。

 あの日、久弥は、知人から里佳子が死んだことを聞いたのだった。一年半、付き合った里佳子は、美しい女性だったが、どこか儚げで、それゆえに、どこか守ってやりたいと思うような父性本能とでもいうべき何かを刺激するような女性だった。図書館で、ぼうっと、書棚を眺めていた里佳子がなぜか気になり、久弥が声をかけたのがきっかけで、付き合いが始まった。そんな恋の始まり方も、悪くなかったし、どこかドラマ的な感じさえしたものだった。里佳子にしてみれば、驚いて、最初、全く声が出なかったと言っていたが。そういえば、里佳子の顔は、どこか蒼白気味で、久弥を怖がっているのではないかと思えたほどだ。実際には、里佳子は、男性に声を掛けられるという経験が初めてで、どう対応していいのか分からなかったということらしかった。そもそも、彼女は、どこか人間関係を避けているようなところもあった。近寄りがたい雰囲気というものが、確かに里佳子にはあって、だから、どうして、久弥も自分から声を掛けたのだろうと不思議に思うことがいまでもある。

 小さいころ、広場をさまよっていた子猫を拾ってきたことがあった。痩せ細っていて、そのまま放っておけば、間違いなく餓死してしまうのは明らかだった。久弥は見過ごすことができず、子猫のそばによって手を差し伸べた。子猫は、一瞬びくっと怯えた仕草を見せ、硬直していた。が、しばらくすると、久弥の指先に顔をこすりつけ、甘えはじめた。

 あの子猫はどうしたんだっけ? 確か、家に連れて帰ってそれからどうしたのか?もう小学生のことだ、久弥の記憶から、子猫の記憶はほとんど消えていた。捨てられていたあの子猫の悲しく苦しそうな顔を、あの日、里佳子の顔に重ねたのではないか。そう、思うこともあった。

 そう、里佳子の顔は歪んで見えた。歪んで悲しそうで、苦しそうで。何かを求めるように、じっと本棚を見つめていたのだ。

 久弥は、顔を左右に振り、重い溜息を吐いた。里佳子の記憶を搾り出すように。

 もう、消えてくれ、お願いだ、と久弥は心の中で呟いた。

 

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