2082年桜餅事変
「爆弾でも落ちてこないかな」
始業式、校長の第一次世界大戦に絡めた道徳的話を聞きながらそんなことを考えていた。
校長の話が退屈というのもあるが、それにしても退屈だった。
あまりに僕の世界には彩がなかった。
文字通り僕たちの世界にはなかった。
色が
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昔、信号機は左が進むで右が止まるでは無かったようだ。
かき氷のシロップはいちごにレモン、ブルーハワイなんて物もあったらしい。
夢のような話だが、夢にまで色がついていたそうだ
約四十三年前僕が生まれる二十七年前
ある論文が発表された。
「モノクローム理論」
・人種差別への対策
・スマホやゲームの依存症への予防
・グロテスクな表現の緩和
これらを、一括に担えるのが色を消すこと、それこそが「モノクローム理論」だった。
その理論の有用性が度重なる思考実験によって証明され政策として施行される事となった。
具体的な政策として最初は、テレビやスマホなどの媒体の色から白黒になっていった。
これにより、劇的な改善が見られたのはスマホの無駄な使用時間の減少だった。
何かの改善がみられてからは拳銃の引き金を引き人を殺すみたいに一瞬だった。
政策はどんどんエスカレートしていき、三十年前には国民全員に見える世界が白黒になってしまうコンタクトが手術によって取り付けられた。
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校長の話も終わり、クラスに戻ってホームルーム、始業式の日に恒例となっている大掃除を終わらせ帰りの支度を済ませようとしていた時、やけに背の高い一反木綿のように面の薄い男が話しかけてきた、よく顔を見るとクラスメイトの指輪 敬だった。
「俺の家でパーティをやるから来い」
「パーティ?」暗に行きたくないという意識が乗り移った堅いクエスチョンマークだったと思う。
「お菓子があるぞ」
「ん?」先ほどより少し柔らかいクエスチョンマークだった気がする。
「桜餅や大福に草団子」
「人をもので釣るのか、僕はつられる魚にはならない」
「魚じゃなく、人を釣ろうとしているから菓子なんだ、お前を釣ろうとしているから和菓子なんだ」
僕の求めていた答えだった。
気が付くと荷物を家に置いた僕は自然と自転車に腰をかけていた。
僕の家から高校までの距離はかなり近かったので、自転車を使うことはない。
それこそ僕の大親友である指輪の家に行く時くらいだ。
三十分程こぐと、彼の家が見えてきたとても大きな家で先ほどのパーティという言葉には似ても似つかない「私は日本のこころです。」と言わんばかりの家だ。
着くと、少し回りを見まわしてからインターフォンを鳴らした。