第15話 吸血鬼
「──我が成したのだ、アーギンよ」
背格好こそ違えど、それは確実に、シロガネ・シュテルだった。
「し、シュテル……っ! こ、殺したはずでは……っ!?」
まるで幽霊を見ているかのようなアーギンに、いつもと雰囲気の異なるシロは、低い声で、厳めしく答える。
「人間における、"殺す"という言葉の定義は、吸血鬼には当て嵌まらぬ。人間や悪魔の血が触れるたび、吸血鬼は何度でも蘇る!」
「ば、吸血鬼、だとっ!? ま、まさか、い、いや、そんなっ!」
不死である吸血鬼が入学できるはずがない。
いや、それ以前に、人間や悪魔の生活圏に顔を出せるはずがない。
百年戦争以降、吸血鬼というのは、"悪"の象徴なのだから。
「フッ、事態を即座に飲み込めぬか? ……愚か極まりない。愚昧の境地に達したと見えるな」
「だ、黙れッ! クソ! あの場で寝続けなかったお前の方が愚かだと、その身に叩き込んでやる!」
目の前の煩わしい存在を打倒しようと、アーギンは魔法杖の先をシロに向け、詠唱を始める。
しかし、彼の身体は、
「《平伏せ》」
どしゃ……ッ! 巨石に上から潰されたみたく、地面に倒れ込んだ。
「ぐぁ……ァ! な、なにを……!?」
「貴様は礼儀がなっておらぬな。偉大なる我に対し、些か頭が高すぎる」
アーギン以上に尊大な口振りだ。
だが、命令にも等しい一語で、言葉通りに平伏させたとなれば、その口振りさえ納得できてしまう。
通常、魔術では他者の人体に干渉は出来ない。
魔術とは、自身の魔力を火や水といった、物理的な存在に変換し、運動や固定といった、物理的な現象を行うにすぎないからだ。
もし他者の人体に干渉できるとすれば、それは魔法の世界で、呪術と定義される技術に他ならない。
とは言え、相手の髪や爪といった触媒を要し、複雑な工程を経て、始めて効果が表れるものだ。
決して、《平伏せ》の一単語で成し得るものではない。
「クソォ……! 呪術を魔術の詠唱で行ったのか……ッ! あ、あり得ねぇ! そんな芸当が出来るのは──」
「吸血鬼魔法だけ、か?」
「くっ……!」
はっきり言って、今のシロは違う。
身長や、髪の赤みの話ではない。
存在としての次元が、人間とは明らか違う。
「さぁ、アーギンよ。では始めるとするか?」
「な、何をだ……!」
地面に平伏したまま、身じろぎひとつ出来ないアーギン。
彼の生殺与奪は、眼前の吸血鬼が完全に握っている。
シロは情けない彼を睥睨すると、ばっと両手を広げ、高らかに宣言した。
「我が友に傷を負わせた、その悪事への断罪だ!」
「ひィ……っ!」
強烈な恐怖を、至上の怖慄を、無限の畏怖を感じ、アーギンは顔を引き攣らせる。
近づくシロの足が、かつ、かつ、と音を踏み鳴らすたびに、鳥肌が立っていく。
肩がわなわなと震え、その震えは徐々に、指先や足先にまで浸透していく。
そして、その恐怖を一切和らげることも出来ず、俯いて怯える両の眼の視界に、シロの靴が入った。
「級友を殺めるのは、我とて心が痛む……。なれどッ! アーギン、貴様のしたことは万死に値する!」
「ま、ま、待ってくれ……! お、俺は頼まれただけなんだ! 違う! 悪いのは俺じゃない!」
しかしその言葉は、シロの耳には届かない。
彼は、これから振り下ろすと言わんばかりに、手刀を高く掲げた。
「我、シロガネ・フォン・シュテルプリヒが断ずる! 貴様は死刑なり! 死をもって償うがよい──」
必然、振り下ろされる手刀。
その速度凄まじく、先程の吸血鬼魔法を見るに、何かあるに違いない。
だが。
手刀の結果が訪れるより早く、尋常ならざる恐怖にアーギンは気絶。
白目を剥いて、意識を失った。
されど、決して止まることのない手刀は──
すかっ!
頭上を空振った。
「我は立っているのだぞ。平伏す相手に、どうして手刀を中てられようか? ……やはり、貴様は愚昧だな。我自ら手を下す必要もあるまい」
今にも泡を吹き出しそうな顔で気絶するアーギンに踵を返し、シロはリタに相対する。
「リタ、大事ないか? 先程はすまぬかったな、蘇るためとはいえ、魔術で指を切ってしまい」
「う、うん、大丈夫だよ。そ、それより、シロガネ・フォン・シュテルプリヒって……」
心なしか声の上擦ったリタに、シロは軽く頷く。
「左様だ。百年戦争で討伐された、不死王その人である」
「……はは。ははは……」
「どうした? 普段との変わり様が受け入れられず、気でも触れたか?」
「い、いや、もう驚きを通り越して、変な笑いしか出てこないよ……はは」
いつもは、可愛らしい少年を見下ろしていた。
だが今は、伝説の大罪人である青年を見上げている。
まさか、あのひ弱そうな少年が、これほど強大な存在だったとは……。
それに、吸血鬼の特性なのか、これだけ短時間で、身長から話し方まで、その全てが変わるとは。
「はは……ごくっ」
──シロって、こんなにもかっこよかったっけ?
吊り橋効果なのか、彼から醸し出されるどこか儚げな美しさからか、何故か心臓が強く打つ。
恥ずかしさを感じて視線を逸らそうにも、瞳が言うことを聞いてくれない。
まるで、強力な《魅了》をかけられたみたいだ。
「……ん? 我が顔に、なにか付いておるのか?」
「い、いや、なんでもないよっ! ……ははは」
誤魔化すように、愛想笑いを浮かべるリタ。
小首を傾げるシロ。
と、そこへ、
「主様! 無事かの!」
ピンクの髪をした小さな少女が、背後に厳つい黒服二人を従えて、いきなり部屋に突入。
柳眉を吊り上がらせ、身の丈以上の大鎌を構えた。
彼女は、シロの隷属魔であり、この学園の理事長でもあるリリーだ。
主人の危機に、遅ればせながら参上したようだ。遅ればせながら。
「む、リリーか?」
「さようじゃ。リリーじゃ……って! あ、主様!?」
普段より背の高いシロを見るなり、リリーは慌ててかしずき、頭を下げる。
背後の黒服二人も、それに倣った。
「いかがしたのだ、リリーよ?」
「不肖、リリー・グラム。微力ながら、助力に参った所存で御座います」
「既に片した」
「申し訳ありません! 此度の遅参、わらわの不手際に御座います!」
「無論、刻限が存在する訳ではないのだ。責め立てるつもりなど、毛ほどもない。頭を上げよ」
言われ、リリーは頭を上げ、シロに視線を合わせる。
「やはり、この威厳ある御姿こそ、わらわの主様……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何でも御座いません! それより、主様に仇名す不届者は、あの者でしょうか?」
リリーはアーギンを見やった。
正解だ。
察しがいい。
「左様だ。我が友を傷つけたゆえ、この帝国の司法にて、それ相応の罰を……と言いたいところだが、何やら不穏な事を言っておってな。……続きは、言われずとも分かるな?」
「はい、勿論です」
情報を聞きだせ、と言いたいのだろう。
リリーは黒服を顎で使い、気絶したアーギンをどこかへと運ばせた。
「奴が何を企んでいたのか、すぐに吐き出させて見せましょう」
「一応、まだ年若い学生だ。お手柔らかにな」
「はっ。それと……今宵は、その御姿のまま、お帰りになられるのでしょうか?」
顔が……ニヤついている。
下心が隠しきれていない。
しかし天然なのか、シロはその事を気にも留めず、実直に疑問を呈した。
「何か不都合でもあるのか? あぁ、我を見知った者に気が付かれると、面倒な事になる、と?」
「いえ、いつものように夜の御寵愛を賜りたく……ゲフンゲフン」
普段のシロは、素っ気ない。
思春期の少年みたいに、卑猥な事をわりかし避ける。
だが、この姿の時だけ、リリーは夢魔としての"報酬"を得ることが出来るのだ!
ゆえに普段は、無理やり身体の自由を奪って、魔力の通った粘液や血液を摂取させる。
そして、本来の姿を取り戻した主に、彼女の求める寵愛を頂く……と。
されど残念ながら、
「外にはまだ日が照っておる。その上、魔法を使ってしまったのだ。いかに血液を摂取したとはいえ、この姿は保てまい。じきに、魔力無き我に戻る」
「ぐっ……! わらわがもっと早くに着いていれば……ッ! 魔法を使わせずに済んだのに……!」
主に聞こえない程度の声で、悔しそうに呟くリリー。
それと同時、ふらっ、とシロの身体が傾く。
じきに、とは言ったが、実のところ、既に魔力は切れかけだったのであろう。
このままでは、確実に床に倒れてしまう。
「シロ!」
リリーの代わりに動いたのは、リタだった。
正義感からか、身体が反射的に動き、ふらつく彼の身体をすんでのところで抱きかかえた。
「重っ! ……くない。軽いって事は……」
顔を覗き込むと、いつもの少年が安らかな寝息を立てていた。




