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遥かな時を越えて残るモノ

はいどうも。久し振りの短編です。

こっちじゃ珍しく、愛そのものをテーマにした作品です。


ではどうぞ。


百年、経った。


また百年経った。


想い出と、落ちる雫程度の陽しか無い世界で私は悪戯に時を伸ばし続ける。

ごつごつした岩の壁を五十年毎日殴り続けた事がある。無駄なのだとわかって泣き崩れ、涙が枯れるのに二十年使った。

食事はある日から摂らなくなった。ふと、食べなければ死ぬのだろうかと思って。でも、死ぬことも痩せこけることも臓器に支障を来すこともなかった。変わったのは、精々が排泄行為をせずに済むようになったことくらい。

十年、寝ずに過ごした事もあった。なんの意味もないと知ってからは、逆に二十年くらい眠ったりもした。

…あの人が聞いたら…見てくれていたら、『冬眠するなよ』などと言って笑ってくれただろうか。

そうやって意味の無い妄想に百年近く耽る事もあった。


ああ。

こんなにも我が身を呪わしく感じたことがあっただろうか。これほどまでに身の生まれを後悔した仲間がいただろうか。

いや、きっといたのだろう。

私なんて長い長い歴史の中にあっては小さな点でしか無いんだ。

たかだか千年程度の苦痛で何をヤケになっているんだ。私は。

…あぁ、いや、違う。

私は、千年たった頃、もう、数えるのをやめたんだった。


『たかだか千年』


そう思い込むことで自分は普通なのだと、何も特別ではないのだと言い聞かせていたんだ。


己の愚かさに気がついてからまた、五百年が経った。









今頃外の世界はどうなっているんだろう。


それが何百年か、何千年振りかの示した興味だった。

今日まではただひたすらにこの空間に居た。存在し続けた。気が狂いかけ、途方も無い何かに押し潰されかけた日もあったが、それでも、何故か自ら命を断とうとは思わなかった。

だから私は私を怖くなった。

今日の今日まで、唯の一度も、彼を疑う事をしなかったから。


産まれながらにして不死の身を待ち、ある時から不老の身体を持つ私たちにとって、万年程度の時は何の意味も持たない。

そう。身を焦がすほど…気が狂うほどの恋でもしない限りは、唯の一息に過ぎてしまう一瞬だ。

なのに、私は寿命という概念を待つ彼をひたすらに待ち続けている。今もこのように、彼が目の前に現れる瞬間を待っている。

それが恐ろしくなった。

自分は気が狂っていたのだと気が付いてしまったから。もう、仲間の元に戻っても、誰も、姿を見せてくれないのだと悟ってしまったから。

あの人たちは多種族を決して認めない。

特に寿命を待つ生き物を見下している。


[生に終わりがある]


その考えをどうやっても理解出来ず、また、終わりがある故に儚く美しいものだとで詩まで創る姿を嫌悪しているからだ。

私もそうだった。

何もせずにいても百年も経てば死んでしまう彼らを。友人のため、仲間のため、親のため、誰かのため、ただでさえ薄い命を燃えるように使い続ける彼を。

私は理解出来なかった。


『だからじゃないか?』


あの日、彼は私にそう答えを示してくれた。


『分からないから知りたい。知りたいから近付きたい。近付いたならそいつを無視出来ない。無視出来なければ、少しずつ心は惹かれていくんだろうな』


今でも美しく輝いている笑顔。照れると子供みたいな顔をして笑う彼を、私は、まだ信じている。








かずというものが嫌いだ。


私たちは悠久を生きる中で一つの掟がある。


[必ず生きた日数を記憶する]


彼の言っていた誕生日というものとは少し違う。

今日は自分が生まれた日から数えて三千日目。という風に、事細かに日にちを記憶するのだ。

それは、あまりに長すぎる時を生きる私たちが時間を忘れて過ごすことを戒めるための約束事。

幼い頃から習慣付けられたそれは大人になってからも決して忘れることはない。むしろ、息をするように自動的に記憶してしまう。

昔はそんなこと気にもならなかった。誰もがしていて、するべきだと知っていたから何も恐ろしくなかった。

けれど今は違う。

日を数えるということは今日もまた彼が訪れなかったと再確認する作業に他ならない。

それがまた一つ、二つ、三つと増えていくことに恐怖を覚え始めた日からは、もう、心が折れ始めていた。







ーーーー ーーーー ーーーー ーーーー ーーー




目が醒めるとどこからか音が聞こえた。


今日まで生きていてそんな事は一度もなかったから、酷い動機が起きた。居心地の悪い、吐き気を催すような不快な音は少しずつ持てる感覚全てを覆いだす。


全身を巡る血液の流動音。


通り道となる血管の収縮感。


耳障りな鼓動の音と、少しずつ荒くなる呼吸。


ゴリゴリと眼窩を削る眼球の動く音。


私は、我慢出来ずに両耳を塞いだ。

どれもこれも体外からするものでは無く、体内から発する音なのだから、そんな事をすれば余計にハッキリ聞こえてしまうと言うのに。

それでも、私には耳を塞ぐことしか出来なかった。こんな時、彼がいたならばきっと心安らぐ話をして音を消してくれたはずだ。

だから。

だから。

だから早く私のそばに来て欲しい。貴方の手であの日のように私の手を握って欲しい。ぎこちなくて痛かったけれど想いの詰まったあの大きな手で私の手をまた握って欲しい。私を抱き寄せて欲しい。恥ずかしくて素っ気ない態度でいい。あの態度がいい。私をまた自信なさげに引っ張って思いっきり抱きしめて欲しい。他に何も望まない。何もいらない。貴方が望むなら、私の命だってあげる。だから。だからどうか。外の音が、わたしの音が聞こえないように私の全てを貴方で塗り染めて欲しい。


両耳を塞いで、自分の音で覆われた耳で、それでも外の音がかき消せない中。

真っ暗になった視界で私は、遠い日の夢を観た。


初めて彼と出会った日。

私の住む村からほどない場所にある湖畔で倒れている人の子。

彼の種族で言うところの二十歳くらいに見えたその男を、私は介抱している。

いくつもの擦り傷と、ボロボロの服。水に浸っていた脚はふやけていて、助けるとなると少し大変そうだ。

それでも私は何故か近くにあった見張り小屋まで彼を運んでいる。


凶暴だと知っていた。


無知だと聞いていた。


裏切りを得意とすると読んだ。


この世で最も欲深い生物だと語られてきた。


何度も何度も頭の中で繰り返される知識を肯定しながら私は彼を治療している。


傷口は薬を塗り。熱い額に皮袋に入れた氷を乗せ。機能していない服は脱がせて、大きな布を被せる。

本当なら他の種族には使っちゃいけない秘術を、彼の脚を癒すために唱える。

時間はまだある。

私が見張りの番だったから、ここには後十日くらいは誰も来ない。だから、その間に治せればあの人は助かる。

それを過ぎれば、それが運命と受け入れてもらうしかない。

寝床の上で、時折動く彼の姿に一喜一憂しながら、見張りを続ける日々。

見た目の傷はもう無い。

薬は間違いなく効くし、秘術は完璧。服がなくて布を被せただけだけど、あのたくましい身体なら風邪もひかないはず。

なのに、なのに彼は五日経っても起きなかった。

私は焦っている。

期限まで後半分を切ってしまったからだ。

時を追うごとに天秤が傾いていく。

見張りに乗せていた重りが少しずつ彼に移っていくのが観て取れる。

明日が期限と知った時には、もう天秤の皿は地に付いていた。




ガコンという、鈍く広い音が響く。

今の私には夢の始まりを観続けることすら許されないらしい。

分かっていた。

だって彼は人間だ。

エルフである私をみすみす逃すはずがない。

彼が私にしてくれた事の殆どには痛みがあった。

手を握る、抱き寄せる、手を引く、身体を持ち上げる、言葉を交わす。

その全てに痛みが伴っていた。

私が今ここにいるのだって、彼の口車に乗ったからだ。

きっと、私を弱らせた後に奴隷商人なり見世物小屋なりに売り飛ばす手筈だったんだ。

そうでなければ話が合わない。

こんなにも多種族を、寿命のある…特に人間を毛嫌いする種族を、私を愛してるだなんて言うはずがない。


暗いばかりだった空間に一筋の光が射す。二本、三本と増えていき、重なり、一つの帯となり布となり広がる太陽の明るさは、私が彼の次に待ち望み、何よりも恐れた存在。


見たくなかった。

こんな光景は見たくなかった。

鼻腔に広がる土と草の香りは、暴力のような岩の臭いと異臭を瞬く間に凌駕してくれる。

何よりも好きだった風の調べがしなびた髪を梳かしていく懐かしい感覚は、今日にあっては新鮮で心が洗われるようだ。


でも、でもでもでもでも。

この胸の内を曇らすモノはそれらを受ければ受けるほどに広く分厚くなっていく。

だってそうだろう。

だって、彼はもうとっくにこの世にはいないんだから。

私が心を込めて塗った薬も、想いを込めて唱えた祝詞も、苦笑いしながら掛けた布も、もう何もこの世にはないんだもの。

この開きつつある岩の壁の外に広がる世界は、間違いなく二千年以上経っている。

三千年だって、四千年経っていたっておかしくない。

そんな、そんな世界に、あの人が生きていてくれるはずがない。待っていてくれるはずがない。探しにきてくれるはずがない。また手を取ってくれることも、抱き寄せてくれることも絶対にあり得ない。

どれだけ悪態をついても、あの時のように顔を赤くして怒ってくれることなんてもう無い!


だって、寿命があるんだもの!


あの時、岩の壁を殴り続けたのは外にいるはずの彼に気がついて欲しかったからだ。

あの日、食事を摂らなくなったのは、汚物で汚れて異臭の漂う二人の住処に呼びたくなかったからだ。

十年寝ずに過ごしたのは寝てる間に彼が来てしまったらどうしようと考えたからだ。二十年寝続けたのは彼の語ったお姫様の話を信じたからだ。

それでも、それでも彼との想い出を観続けたのは、彼を信用したままでいたかったからだ!


想い出が、今日までの過ぎた時が、瞳から溢れていく。

ボロボロ音を立てて雫が岩の床を濡らしていく。

冷たくて痛い感覚が掌を支配している。

ああ、私は今日まで、今日まで一体何をしていたんだろう。

何度だって気づく機会はあった筈なのに、あの時から今日まで、毎日欠かさずずっと岩の壁を殴り続けていれば、あるいはここから出られた筈なのに。

でも、それをしなかったのは、私がもう、狂ってしまっていたから。

恋い焦がれて身を焼くほどの恋の谷に身を投げていたから。

彼なら、もしかしたら、不老不死の妙薬を手に入れてここに戻ってきてくれるかもしれないと思っていたから。

夢を見て居たかった。後千年くらい…ううん。それこそ私が死ぬだけの長い間、ずっとここに閉じ込めたままにして欲しかった。

そうすれば、私は彼のことだけを想って生きていられたのに。


「お、重いいいい…!動かないいいいい!!」


ああ、やっぱりだ。

声というモノを忘れるのに充分なだけ閉じこもって居たにも関わらず、この声が何なのか分かってしまう。

野蛮で、品性に欠けて、下品な響きを持つこの声は、間違いなく人間のものだ。そして、間違い無く、彼のものではない。


…いっそ、舌を噛み切って死んでしまおう。


思い立つも行動には移さない。

食事をしなくても死ななかった身体だ、今更一つや二つ器官が減ったところで、呼吸ができなくなったところで死ぬとは思えない。

どうせ死なない身体なんだ。逆に人間の手に堕ちてしまうというのも良いかもしれない。

少なくとも、今日までほど空虚な日々ではないだろう。

痛くて辛くて恥ずかしくて死にたくなるような日々に違いないだろうけど、胸が苦しくないだけマシだ。


「うううっ!はぁ!う、動いた!」


一際明るくなった視界の先。

眼が焼けるそうになる熱量の光を久々に見る。

影が見える。

逆光で、驚くほど真っ黒に見える姿は、違和感はあるが男で、間違い無く彼ではない。


「うっ!酷い臭いだ…!」


頭にくることに、思いやりのない発言だけは似ている。

目の前に女のエルフがいるのに、酷い臭いとか言うか、普通。


「…って!誰かいる!!!???」


懐かしい音が耳に届く。

土と草を踏みしめる音だ。

けど、すぐに聞き慣れた、岩を蹴る音に変わる。


「大丈…って、これ、まさか、本当に!?」


ペラペラと拠り所のない薄い音。多分、紙だ。けど、随分と質のいい紙みたいだ。薄いくせにしっかりしてる音だ。


「お伽話じゃ無かったんだ…」


お伽話。

彼が私に何度もしてくれたお話が頭を過る。

囚われたお姫様を悪魔から救い出して結婚して王様になる。

そんな、ありふれたつまらない話。

でも、どうしてか、彼が話すと胸が高鳴って頬が赤くなって笑顔になった。

そんな、遠い遠い昔のお話を、思い出した。


「あの、えっと、に、日本語、分かります?…ハロー?…ボンジュール?…スパシーヴァ、は違うか…

えぇと、えー?」


耳に届くのは彼の使っていた言語と、よくわからない単語。

駆け寄って、私の前で身振り手振りをしながら言葉を尽くそうと試みるこの男に、多分敵意はない。


「…分かる。うん、とてもよく分かる。すごく、懐かしい感じがする」


鳴き声が叫び声かくらいでしか使っていなかった喉は普通に機能する。

自分で言うのもおかしいけど、やっぱり彼からすればバケモノなんだろうな。


「うわ、ホントに『綺麗な声』」


それは、時が止まるような一矢ひとや

移り行く陽の流れを拒み続けたいと願う私の時間を突き動かす一つの魔法。

あの日、嬉しいと感じたものは今日までに至上の喜びへと色を輝かせ。あの日、僅かに嫌だと感じた出来事は今日までに忌避すべき悪事と色を深めた。

そんな、歪んだ想いで色の増した遠い日の全ての中で、ただ一つだけ残っている本当の彼の記憶。

起き上がり、痛みに声を漏らすよりも、お礼を言うよりも、裸であることを問い質すよりも先に口にした、あの言葉。


「う〜ん、こうも手紙通りだとちょっと怖いなぁ。

…そもそも、これって手紙なのか?」


私の胸の内に生まれた気持ちを知る事のない目の前の男は見たこともない程大きな、背負えるだけの大きな袋から何かを取り出す。


「おわ!?」


見えない力で身体が動く。

弾けたように男の手にあった何かを奪い取る。

曲がりなりにも[神]が付く種族がとって良い行動じゃない事くらい分かってる。

それでも、私の身体は無意識のうちにそれを手にしていた。


「あ…あぁ…あああ…!」


久々に浴びる太陽の光は身体を焼く。悶える程痛く、気が狂うほどに全身を覆う。

でも、そんなものは些細なことで。

今はただ、この胸に抱きしめた、彼の最後の言葉を何度も何度も心の中で反芻し続けたかった。


照らし続けて焼けば良い。

濃い匂いでむせ殺せば良い。

虫や獣がいるならば食い殺してくれたって構わない。


今はただ、陽が沈むまで、彼の残したモノを鼓動の近くで感じていたいだけだった。


ーーーー ーーーー ーーーー ーーーー ーーー


「…そろそろ、夜だけど…まだそうしてたい?」


隣に座る男が恐る恐る口を開く。

破け、汚れ、臭いのこびりついた私の服の上に、持っていた布らしきものを掛けた男。私を、流れる時の中に引き戻したあの男。

この男、名を一洞いちどう そらと言うらしい。

泣き崩れていた私の隣に座った時に、聞いてもいないのにそう名乗った。


『僕が君を知らないのは良いけど、君が僕を知らないと一緒に居辛い』


人間らしい身勝手な理由だ。

それから一洞はここに来た理由を口にした。



『[遥か昔。

人は、ピクシーやドワーフやエルフ、巨人や魔人、果ては神や悪魔といった様々な種族と暮らしていた。]


『そう書かれた古い本をじぃちゃんの家の蔵で見つけて、その本が積み重なってた場所をもっとよく探すと、すごく小さな箱を見つけた。

あんまりにも古過ぎてホコリまみれだったけど、拭いてみたらびっくりするくらい立派な小箱で、開くかどうか試してみたら簡単に開いたんだ。

そしたら、その中にとっても汚れた紙が入ってた。それが今君が持ってるやつ。

それで、なんて書いてあるか読んでみたらびっくり。ちょっと前に読んだ本に出てきた生き物のことが書いてあるんだもの。しかもどこに居るのか書いてあって、家から割と近い位置だったから試しに来てみたんだ。

そしたら君がいた、ってわけ』


ペラペラと自分勝手に誰も聞いていない事ばかり話す一洞の、けど、その中に私が求めていたものがあった。


彼は、ずっと大切にしてくれていたんだ。

私が気まぐれであげたあの薬箱を。

エルフにしか作れない、どんなものでも入れていれば永遠に守り続けてくれる秘密の小箱を。

いつかの未来に誰かがこれを開けて私を探し出してくれることを信じて。


「…もう、大丈夫。

あなたは…一洞はこれからどうするつもり?」


抱き締めていたあの人を一洞の持つ薬箱に戻す。それを、りゅっくと呼ばれた背負い袋にしまうと、立ち上がって大きく宣言した。


「勿論、この手紙が本当だったんだ。日本中を回って歴史をひっくり返す!」


日本。その言葉の意味はまだ分からないけど、歴史をひっくり返すなんて大きな事を言うのは、少しだけ彼に似ている。


「…なら、私も付いて行っていい?私の知る世界とはだいぶ変わってしまったようだし」


「勿論!むしろ君にはついて来てほしいと思ってたくらいだから!

なにせ、神代の生き証人な訳だし?」


夕焼けと星が頭上を取り合う頃。照れたように笑う一洞。

年齢は十七歳。人間の世界ではまだまだ子供で。

夢は、子供の頃に聞いたご先祖様の持つ、あるお守りを手にする事だそうだ。

そのご先祖様と言うのが。


「セイ様のことをバカにした男共に目にもの見せてやるんだ!」


私の待ち続けていたあの人のことだった。


とても運命的な出逢いだ。まるで、我らの守護神様が導いてくれたかのよう。


一洞が語るにはこの世界には神様や悪魔といった存在を知識としては知っていても、実際に見た事のある人間は殆どいないらしい。

そんな世界で私がこう感じるのは…やはり、あの方たちが存在した世界で生きていたからだろう。

…それにしても。


「…ところで、さっきの『がち恋ぜい』とはどう言う意味なんだ?」


一洞の口にする言葉はどれもこれも聞き慣れないものばかりだ。

いや、正しくは[知っている単語と意味のわからない単語とが繋がっている]せいで聞き慣れない事が多い。

『マジ』や『ヤバイ』が頻繁に出て来て、『すまふぉ』、『くるま』『でんしゃ』など普段から使っているような雰囲気の道具?らしき物など、とにかく挙げだしたらキリがないほどだ。

中でも、『がち恋ぜい』は聞いていた中で群を抜いて意味がわからない。

恋はわかるのだが、その前後が全く今がわからない。

そうして問うてみると、意外にも簡単に教えてくれた。


「え?あぁ、本気で恋してるって事かな」


そう、あろう事か私の前であの人に本気で恋をしていると。つまり、生涯をあの人のために捧げる事もいとわないと、そう言ったのだ。


「あーでも、ちょっと違うかな。なんて言うか…そう!心の底から好きだけど、その人に好かれたいってわけじゃないって言うか…うん、そんな感じ!」


かと思えば、やはり訳のわからないことを言う。

互いに想いあいたいと思わないのであれば、それは恋ではないだろうに。


「…人間は今も昔も愚かなところは変わらないんだな。

なにを言ってるかさっぱりだ」


「あー、昔はいない感じかー。ガチ恋勢。

ま、ゆっくり覚えていけばいいんじゃないかな。言葉なんてそのうち覚えるでしょ!」


「…うん?」


星が夢を誘う時、薄暗い中で一洞が手を差し出す。


「ほら、立てないでしょ?」


邪気のない微笑みで手を握るよう促される。

…どうもこの時代の男というのは恥じらいが足らないらしい。


「いや、大丈夫。

私たちエルフは心に決めた想い人がいるなら他の男の手を握ってはいけないんだ」


こんなこと説明するまでもない筈なのだけれど、まだ子供だというのだし大目に見てやるのが長く生きている者の務めというものだろう。


「へぇ〜。なら大丈夫!僕、女だし!ほれ!」


そう言うと一洞は、上着の裾を一気に捲り上げ…。


「えぇ!?

い、いやまぁ確かに男にしては随分女っぽいと思ったが…しかし、その髪の長さと服装からして…えぇ…?」


柔肌を惜しげもなく私の前に曝け出した。

時は夜。

普通なら目が闇に屈し、視力によるあらゆるものの認知を拒んでしまう時分だ。

しかし、私のようなエルフや一部の種族は夜目が効く。

だからこそ、一洞の言った言葉が嘘でない事が分かる。私を謀って笑い者にしようという類の人間でないことが。

だとしても理解できなかった。


「あーそっか。昔の人は髪短かったり、肌を露出し過ぎる格好はあんまりしなかったらしいもんね!じゃあ分からないのもしょうがないか!

そんなことより、君の名前は?」


言葉では否定しつつも、納得した私の機微を感じ取ったのか、裾を下ろして頭をかく一洞。


「そんなこと…!やはり人間は…いや、この時代がおかしいのか…?

普通、性別を間違えたら殺されても文句言えないんだけどな…」


とてもじゃないが付いていけそうにない。森の賢人とまで謳われたエルフの理解をこうも容易く凌駕するものなのか、現代の人間は…。


「かもねー!

てか、それより名前は?」


そんな私の溢れんばかりの動揺に気がつかないのか、それとも気がついた上で聞いているのかはさておき。

私の名を尋ねながら、勢いよく腕を引っ張り私の身体を立ち上がらせた。


「…私の名前はフゥ。小神族・エルフのフゥ。

不老不死のこの身を、セイに尽くすために今日まで生きて来た…」


「生きて来た?」


詰まらせた言葉を何の疑いも持たず答えさせようとする一洞。その泉のように透き通る瞳に悪意は無い。

意を決し、私は続きを口にする。


「生きて来た、憐れな女だ」


「あっはは!やっぱいつの時代も女の子がヤな目にあうんだなー!」


「わ、笑うな!そこは普通怒るところだぞ!!!!」


ケラケラと、私が生きた時代のように星空の広がる天を見上げて笑い声をあげる一洞。

まさか、そこまで感覚が違うのか!?


「はー。つまり、アレ?女が生意気言うなー!男が偉いんだぞー!的なそれ?

あっはははは!無い無い!今時そんなの無いよ!寧ろ逆!男が女に手を挙げたー!ぶっ殺せー!よ!」


「はぁ!?」


一洞は一度治った笑いを再び高らかに響かせ、私の肩に手を置いて腹を抱える。

いやしかし、そんなはずは…


「はー、はー、いやー、これがジェネレーションギャップ…つまり、世代間の差ってやつかー。一緒に旅するんだし、これからは気をつけないとなー。命に関わる。笑い死ぬ」


「ま、まさか、本当にそうなのか?」


恐る恐る伺う。

いや、流石にこれは私の早とちり。早合点というやつだろう。いくらなんでもそんな…。


「本当だよ。今時、男尊女卑なんて古い古い。時代は男女平等を求め、そして、女尊男卑へと移りつつあるんだよ」


見ているものは別として、心地よい笑顔の終わりを目尻に溜まった涙を拭う事で迎えた一洞は、今度は両手で私の手を強く握る。


「だから、フゥちゃんはセイ様の事を大きな声で、愛してるー!って叫んでも良いんだ。

あんな事はしないで。こんな事はしたくない。でも、貴方を愛してるー!って大声で叫んで良いんだ。今は、それが許される時代なんだよ」


真っ直ぐな、晴天の空よりも広く柔らかく曇りのない眼で、私は祝福された。


「…はは。やはり意味がわからない。

手綱のない子供のように振る舞うこともあれば、知恵の神ですら口にしないような真理を語ることもある。

あぁ、うん。やはり、私はあの人が、人間が、好きなんだろうな」


あの頃から彼に悪態をつかなかった訳では無い。ただ、二人だけの時にだけ許された一つの幸せに過ぎなかった。けれどもし、人前で軽口を交わせることが許されるなら。バカだアホだと子供のように言い合えるなら。それはきっと、見ている者の目に焼き付けることが出来るだろう。

私たちの果てない愛の形の一つを。

それがどんなに喜ばしく、幸せなひと時なのかを私はまだ知らない。

でも、もしもそんな日が来るなら…私は…。


「ちょ、まだ泣くの!?

んー、まぁいいけどさー。けど、ここだともう肌寒いし、取り合えず僕の家に来たら?

エルフの口に合うかは分からないけど、ご飯もあるし。それに、今思い出したけど、フゥちゃん今すごい臭いだし」


「あ、あぁ、そうだな。うん。悪いけど、世話になる」


「おっけい!じゃ、早速!」


一洞が私の手を引く。私より夜の中を生きるのが不便なはずの人の子が。

これは、そう。あの日ととてもよく似ている。

村の仲間たちに見つかり、裏切り者と罵られる私を、ろくに歩いた事のない深森を私の手を引いて逃げてくれる彼に。


「…ありがとう」


「いーっていーって」


「それより、帰ったら何が食べたい?」そんな事を聞いてくる一洞の声はとても明るく、夜の中にあっては太陽のように輝いて見えた。



ーーーー ーーーー ーーーー ーーーー ーーー



太陽が天上で光を放つ。

あらゆるものを平等に照らす陽の光は、しかし、ある場所は拒む。

そこはとある岩山。

遥か昔は人の身で登り詰める事が困難であったその場所は、今は地殻変動により幾分標高が下がっている。

その岩山の中腹付近に、僅かに陽が差し込む空洞があった。

そこに生物は住んでいない。

在るのは、時を越えた物と時を得ようとする物。

古い紙に記された物と、真新しい紙に記された物。

二つを納める、一つの小さな宝箱。



[セイ。

貴方が私に…私と一洞に残してくれた薬箱の手紙は、ちゃんと届いたよ。

貴方が、力と体力以外で唯一誇っていた文字は私の胸にちゃんと届いたよ。

けど、貴方らしくもない。

あんな遺言にも取れるものを書くなんて。

でも、貴方らしいといえば貴方らしいのかも。

だって、私、貴方がこんなにも深く愛してくれていたなんて知らなかったもの。

雑で痛くて無理矢理なことばかりしたくせに、こんなに優しく愛してくれていたなんて想像もしなかった。

だから、私は貴方を探します。

会って、一言「バカ男」と皆んなの前で言ってやる事に決めたんです。だって、それが許されるらしいから。

けれど、もし、私が貴方を探す旅に出た後、この家に帰ってきたとしたら、一洞の家で待っていて。

連絡をくれても構わない。

貴方は知ってるかもしれないけど、でんわ、というものがあるらしいから。

でも、私としては少しだけ待ってほしいと思ったりしてる。

だって、貴方が生きた時間を私は知らないから。それを知る旅をしたいの。

…じゃあ、長くなってしまったけど、いつかの日のようにこの言葉を。いつかの日のためにこの言葉をここに残していきます。


お帰りなさい。

行ってきます。]







[世界を旅して不老不死の薬を必ず手に入れる。だからそれまで待っていてくれ。いつの日か絶対に俺か、俺の血を引く人間がお前を迎えに行く。

そうしたら二人の愛を心いくまで確かめよう。

もしも俺を待たず子孫も待たずに俺たちの家から出てしまった時は…

その時は、多分、きっと、俺を探しに出ると決めたんだろうな。

だから俺は俺が旅した地に書き置きを残す。お前がそれを見つける頃までに残っているかは分からないが、そこに記しておこう。

次に向かう先を。

俺とお前が静かに暮らす場所への道しるべを。

じゃあ、行ってくる]




二つの手紙は二人の未来を写すかのように小さな宝箱の中で寄り添っていた。





END.


ええ。この書き方のくせに続きは無いです。

書こうと思えばかけるけど(王者の風格)、好きなように転がせる分、早計に決めるのは良く無いよねって事で取り敢えずの完結です。

まぁ、気が向いたら続きを書くかなって感じです。


ではでは、連載の方でお会いしやしょー。

さよーならー。

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