転校生の鈴江姫香です!!!
それからというもの、私と麗奈はよくつるむようになった。休み時間も放課後もずっと一緒だ。私たちは遊ぶといっても何をするでもなく、とにかく会話をすることを楽しんだ。
今日も二人で駅向こうのファミレスに来ている。ドリンクバーと甘いものだけ頼んで数時間は粘るつもりだ。
店にとってはいい迷惑だろう。しかし私たちみたいなピチピチの若い女の子が店にいるだけで店のイメージアップに繋がるからいいじゃないか、とこんなバカみたいなことを考えるくらいには私は回復してきた。
「そんでさ~、さそりがマジうざいんだよね。今朝だってしつこく挨拶してきてさ~、私が無視しんてのに全然諦めないの。そんなに仲直りしたいなら菓子折りでも持ってこいってんだ。物で誠意を見せたまえよ」
「物でって……普通逆じゃない? 物より気持ちでしょ。羨ましいな、真智君優しくて」
私は別に真智君に好意を抱いているわけではなく、ただ高評価を与えているだけなのだが、
「な、なに⁉ 姫香も好きなの、さそりのこと?」
火を見るよりも明らかに麗奈は狼狽した。
「私は好きじゃないよ」
「そ、そうだよね。てゆうか転校してきたばっかで、さそりのことあまりよく知らないもんね」「うん。全然知らない。麗奈から聞いた話しか知らない。喋ったこともないもん」
「へえ~あいつ人見知りだから転校生に冷たいのね」
転校生という言葉に反応して、私の片頬がひくついた。
「麗奈、私こっち来てからもう三か月になるんだから、そろそろ転校生扱いするのはやめてくれないかな?」
「ごめん。部外者扱いしちゃって」
そう言って両手を合わせて拝むようなポーズをする麗奈。
「あの、そこまでは……」
たまに垣間見える言葉選びの雑な部分が、その見た目に反して彼女がいまいちモテてない理由なのだろう。
ちなみに麗奈が最近私と遊んでくれているのは現在真智君と喧嘩中だかららしい。私は都合の良い暇つぶしに利用されているわけだ。根っから失礼な女だと思う。でも、その優しいのか優しくないのかよくわからない性格は凄く好ましく、心地いい。島にはこういう老人が沢山いた。
真智君との仲直りが上手くいってからも、麗奈は私と遊んでくれた。暇つぶし相手から友達に昇格できたのかと思うととても嬉しい。こんなこと考えるのは卑屈すぎるかも……。
どうも私は自分は余所者だということを意識しすぎてしまっている。日本という島国の中でもさらに小さな島で生まれ育った私は、新しい土地にきても限られた人としか交流できていない。私は高校を卒業したら島に帰るのだろうか、それとも東京のもっと都会の会社に就職するのか。その答えは決まっていて、できれば東京で働きたい。だとすれば、私は閉じられた自分の殻を壊していかなければいけない。麗奈は大切だけど、他の友達も作らなくちゃ。リハビリも頑張ってバレー部に復帰しなきゃ。
いざ変わろうと思ってしまえば変わることは簡単だった。元々島ではリーダー気質だったし、私は私が思っているほどそういうことが苦手ではないと自信がついた。放課後はクラスの皆とカラオケに行ったり、電車に揺られて遠出したりするようになり私の生活は充実の一途あるのみ。夏休みが明けるまでは大体そんな感じ。
始業式の日に約束して、夏休みが明けてから最初の土曜日に二人で天体観測をしに行くことに。ラムネの炭酸も抜ける頃なのに、私たちの夏休み気分はまだまだ抜けていなかった。
重たい。背中のリュックの中には、双眼鏡と予備の懐中電灯とレジャーシートと水とお菓子とパーカーと……がぎゅうぎゅうに詰め込んである。私の目線の先にも、どこぞの考古学者が背負ってそうな巨大なカーキ色のリュックが揺れている。リュックに足が生えて歩いているようにしか見えない。心配になった私は、麗奈が無事かどうかを確認してみる。
「麗奈~大丈夫? 潰されそうになってない?」
「大丈夫よ……このリュックは見かけ倒しで実質は空気みたいなもんだから」
「苦しさの滲んだ声でそんなこと言われてもね~」
「大した距離じゃないし」
そう、麗奈の言っていることは正しい。今私たちが登っている裏山はせいぜい三〇〇メートル級の低い山だ。本来ならここまで大荷物で登るわけがない。
「ちょっとテンション上がって調子乗っちゃったよね。双眼鏡とレジャーシートだけでよかったかも、しかも」
と言いかけた私を遮るように、
「文句ばっかたらたら垂れないでよ」
そんな制止も構わず続ける。
「しかも、どしてこんな時間に?」
もし映画ならば、ここでズームアウトしてバックに夕陽が映るようにするだろう。
この位置から麗奈の顔は見えないが、おそらくすっとぼけたような顔をして、
「う~ん、場所取り?」
「そんな人来ないと思うけどなぁ」
難なく頂上を制することに成功した私たちは、ひとまず山頂ティータイムと洒落こむ。麗奈が水筒に紅茶を入れて持って来てくれていた。対して私はお菓子を提供させてもらう。
「明日ね、水族館行くんだ。品川の」
「誰と?」
「そんなの聞かなくてもわかってるでしょ」
「え、島田君?」
「は? そいつ私がクラスで一番嫌いな男子じゃん」
「失礼な奴だなー」
「お前の方が失礼だよ!」
茜さす日に照らされた山頂で、最低の会話をする。
すぐに日が暮れるものだと見くびっていた私たちは自然の脅威を思い知る。午後七時になろうとしているのに未だ辺りは暗くならない。
と、視界の端に素早く動く何かが映った。
「麗奈、今何か動いたよ」
二人で目を凝らしてみる。その正体は小さなリスだった。
「え、すごい! リスだ!」
「珍しいの?」
麗奈に見つかったリスは怯えたように逃げ去って行った。
「待てー!」
弾かれたように追跡を始める麗奈に、私は嘆息する。正直他にやることがないので、麗奈はやけに真剣だった。
それにしても、麗奈は明るくて良いなあ。
もしも麗奈がいなかったら、私どうなっていたかな。
学校に行く理由も、ここにいる理由もわからず。ここにいてはいけないような違和感を抱きながら、すまし顔で授業を受けて、人が見ていないところでは存分に怠けて、虚勢を張って笑顔を繕って、幸せなふりをして生きていく……
私たちはずっと一緒だ。卒業しても、町を離れても、麗奈と真智君が結婚しても、ずっとずっと。
「きゃあああああ!」
「?」
疑問だけが浮かぶ。女性の悲鳴が聞こえた、誰の?
思考が五秒ほど停止して、そして次に急加速した。
麗奈だ。麗奈以外ありえない。
無意識のうちに立ち上がっていた。猛然と駆け出して、声のした方向へ。
一体どこまでリスを追いかけていったのだろう。私は深い林をかきわけていく、
「麗奈? 麗奈?」
「……」
返事はない。もう一度、もっと大きな声で呼ばわる。
「麗奈~? 怪我してない? 聞こえてたら返事して~」
おかしい。この近くにはいないみたいだ。
気配がしない。大げさだけど、生きるものの気配が。木々のざわめきも、虫の歌う声も、小さな動物が動く音も。
今まで経験したどの静寂な空間よりも、無音だった。時が止まったらこんな感じになるのかな、と脈絡の無い思考が頭をかすめる。
水を打ったような静けさとはこんな状態を表すのだろう。
と、おぼろげに音が聞こえた。
それはなんの偶然か、水の音で。
私は吸い寄せられるように水音の源へと向かう。
早鐘を打つような心臓の鼓動を抑えながら、
「そ、そこに誰かいるんですか?」
なぜか、麗奈がいるとは思わなかった。だから、誰かいるんですかと言ったのだ。
返事はなかった。けど、確実に気配があった。林をかきわけ先へと進む。気配と水音が次第に明瞭に感じられるようになっていく。
そしてついに私は辿り着いた。美しい泉へと。
青い髪をした綺麗な女性が、泉の上に浮かんでいた。純白のローブのようなものを身につけている。私はそのことには特に驚くことはなかった。むしろ驚いたのは、その女性の美しさだ。あまり迷信深いほうではないのだが、女神様かなと本気で錯覚してしまうような。現実感が乏しいような。境界の向こうにいるような。
眩い光を纏うその女性に麗奈のことを聞いてみる。
「小さい女の子見ませんでしたか? 小さいって言っても、背が小さいってだけで私と同い年のコなんですけど」
声が届いているかが不安だったが、女性は私の方へ向き直ってくれた。端麗な面差しに、思いがけず目を丸くしてしまう。
「このコ、かな?」
え……このコって?
瞬間、女性の隣に少女が浮かんでいることに気づく。その少女の顔だけを見て、私と同い年か少し年上くらいのコかなと判断した。
「違います。もっとロリっぽい感じの」
「あなたは正直だね」
褒めるようにそう呟く。優雅な微笑みに目を奪われた。
やがて、何秒か過ぎたのち、ふっと消えた。
女性がいなくなって、辺りは少し暗くなった。
「え? あれ? あの~……」
どこに行ったのだろう。あの人は天使? それとも女神なの? 幽霊だとは思わない。彼女から負の性質は感じなかったから。別に私は負の性質に敏感だとか、そういうデンパな設定は無いのだけれど。
泉の縁には一人の少女が倒れていた。
「うそ⁉ 大丈夫ですか⁉」
私は少女を大慌てで抱き起こした。口元に耳を当ててみると寝息が聞こえる。
「なんだ、寝てるだけか」
いや、こんなところで女の子が寝てるのも大きな問題だと思う。起こすべきなのか寝かしといてあげた方がいいのか迷う。いったん私は少女から腕をほどき、そっと地に横たわらせた。
しかしこの涼やかな寝顔が誰かに似ているような? 髪が綺麗で手櫛で梳いてみたくなるほどだ。
それにしても麗奈どこ行っちゃったのかな……。さっきの悲鳴は結局誰のものだったんだろう。このコがあの女神さまを目撃して叫んでしまったとか?
十分間待ってみたけど少女は一向に起きようとしない。じれったく思って肩を揺すってみる。
「もしもし? あの、大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
「……う、う~ぅ」
「あ、えっと起きましたか?」
「え? なに?」
ぱちっと瞼が開いた。その黒い瞳。見たことがある? 違う。見たことがあるなんてそんなレベルじゃあない。私のよく知っている人。さっきまで私はこの人と一緒にティータイムを満喫していた……そんなわけ、ない……
「姫ちゃん?」
「あなた……」
「ん? どしたの? そんな顔して」
目覚めたばかりの少女は、まだ口調が弱弱しい。私の目を見ながら静かに微笑んでいる。
「あなた、誰?」
その質問はしてはいけないと、私の頭の隅で警告が発せられていた。私は警告を無視して、禁断の誰何を重ねた。
「誰?」
「なに言ってるの……私は、戸泉麗奈、だよ?」