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NGワードは彼女だけが知っている  作者: 紅涙詩穂璃
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転校先の鈴江姫香です!!

 試合中に膝をやってしまったのは、夏の気配が漂う六月の梅雨明けの頃だった。

 病院の先生の診断だと、半年以上は部活を休まなければいけないらしい。

 誰が悪いわけでもない、恨むべき人がいない。そんな時は決まって、自分を責めてしまうのが私という人間だ。


 一人ぼっちのアパートの一室、眠ることもできず、精神的な自傷行為を繰り返す。肉体的な自傷行為はしない、すれば救われるもんでもないし。第一、スポーツマンが自分の体を傷つけてたまるか。

 タオルケットをかぶり、言ってもどうにもならないことを、くどくどと、いつまでも、誰かに聞かせる。

 疲れてきて舌が回らなくなる。黙り込んだ私は、次に泣くことにした。

 そして涙も枯れてしまう。だけど、何かをしていなければ心に闇が広がってしまいそうで。

謎の胸騒ぎが止めらなくて。胸が、苦しくて苦しくて苦しくて。


少し落ち着いた私はスマホのカメラロールを見ながら昔を懐かしむ行為をし始めた。

指でスクロールしながら思い出を遡っていく。どうして時間は過ぎていくのだろう。どうして楽しいだけじゃ生きていけないのだろう。どうして……

 東の空が白み始める。その明るさにウンザリした。やはり私は眠ることができなかった。一睡もしないまま学校に行くのは、こっちに引っ越してきてからは初めてのことだ。


 

 バレー部が朝練中の体育館に少し遅れて顔を出す。怪我をしているとはいえ、朝練に遅刻するのも初めてだ。私の最も信頼している先輩である部長が、私の出現に気づいて、とてとてと走りよってきた。

「おはよう。鈴江、怪我の具合どうだった?」

「半年で治るみたいですよ!」

 努めて明るく言ったつもりだった。でも、人の好さそうな部長はとても悲しげに瞳を潤ませた。怪我をしたことが悔しくて、皆に申し訳なくて、消えてしまいたくなった。

「半年って……私たちもう引退してるじゃん」

「あっ! そうですね」

「怪我なんて、して欲しくなかった。もっと鈴江と一緒にバレーしたかった」

 部長は声までも、涙声になりかけている。そのことが私には意外だった。

「私とですか? 短い間に、そんなに私のこと気に入ってくれてたんですか?」

「そうだよ。だって鈴江上手いし……私よりも」

「そんなことないですよ」

 私は目を伏せ、朝日を反射して輝く体育館の床を見つめる。

「あるよ。鈴江はこのチームの誰よりも一番上手い。皆を引っ張って行ける統率力もある……だから……いや、あの、ごめん」

 部長はそこで涙を拭い、言葉を続ける。

「私が泣いてもしょうがないね。一番悔しいのは鈴江だもんね、ごめん」

「いえ……」

 何て返すべきか適当な言葉を見つけることができなくて、ただ濁すだけだった。

「鈴江は泣かないんだね、偉いね。強いね。鈴江ならきっと大丈夫だと思う」

 違う。私は強くなんかない。昨晩から朝にかけて泣きすぎて、今は泣けないのだ。

「ありがとうございます」

「どうする? 朝練見てく? 見てるだけじゃつまらないと思うけどさ」

「えっと……遠慮しておきます」

「え⁉ あっ、そう。じゃあ、またね」

「失礼します」

 早口にそう言って、早足で辞去した。

 見てるだけじゃつまらない、まさにその通りだ。指をくわえて見てるだけなんて嫌だ。自分がいたかもしれない場所を未練がましくぼーっと遠望し続けるなんて、我慢できない。

 その日から私は、部活に参加しなくなった。

 朝は普通の生徒より遅く、遅刻すれすれに登校。帰りは普通の生徒より早く、授業が終われば即下校。どの教師も私のことを怒ることはなかった。特に反抗するでもなく、ただ堕ちていく生徒に、教師は冷たい。けどそれは好都合で、私はどんどん自堕落な日々に溺れていった。

 

 遅刻、早退は当たり前だ。学校にいる時間は順調に短くなっていく。そんな私がいつも考えていること。どうして私はここにいるのだろう? どうして転校なんかしてきちゃったんだろう? あのまま、ずっと、島にいれば……こんなことにはならなかったのに……。

 私の不幸な境遇は、学校中に知れ渡っているみたいで、よく知らない女子から同情とか優しさとか、そういう何の得にもならないものを突き付けられた。私の他にも、きっと不幸な生徒は何人もいるのだろうが、そのことを周りに知られているか知られていないかは大きな違いだ。誰にも知られず、ひっそりと不幸になれたら幸せだろう。

 ある日私は数駅先の繁華街にある美容院に行き髪を染めた。髪を染めてからは、かつて向けられていた周囲からの同情の視線は無くなった。数日間はそのことがとても嬉しくて、体が軽くなったみたいに、うきうきしながら学校に通えた。けどすぐに虚しくなった。

 弱った私に狙いを定めて、何人かの男子が告白してきたりもした。鬱陶しくて全員フった。弱った私を狙ってなんてのは邪推かもしれない。中には、私のことが本当に好きで、放っておけなくて、救いになりたくて、そんな想いを告白してくれた奇特なコもいたのかもしれない。しかし男子と付き合うなんて今の私にできるわけない。純情な恋が凍りついた心を溶かす、そんなことはありえない、ささくれた私の瞳には何もかもが邪魔に映る。それに、信じて送り出してくれた島の人たちに顔向けできなくなる。バレーもしないで、一人暮らしのアパートに男子を連れ込むのは最低すぎる。

 

 久しぶりに麗奈と話したのは、とある蒸し暑い雨の日だった。篠突く雨が煙る通学中、何故か私は何もないところで転んでしまった。膝の怪我の影響で歩きづらかったっていうのもあるけど、おそらく余所見をしていたのだろう。悩むことが多すぎて、歩くことすら下手になっていたとは情けない。

 擦りむいたり打ったりはしなかった代わりに、制服のスカートが盛大に汚れてしまった。

「こないだスカート洗濯したばっかりなのに……」

 イライラした。

 ふいに泣きたくなった。もう嫌だ、こんな生活。もう立てない。

 どこか遠くに行きたい、ここではないどこか、島でもないどこかへ。でも、激しい雨粒を背中に受けながら私はその場に縫い付けられたように動けない。動くためのエネルギーが、残ってない。

 きつく唇を噛み締める。痛くて、血が出そうなくらいに。

「姫香?」

 この声、どこかで聞いた。どこで? 

 そうだ、あれは初めて東京に来た日。サンドイッチの並ぶショウケースの前で。人ゴミの中で。私を見つけてくれた人の声。

「転んじゃったの? まあ聞かなくても、見たらわかるよね」

「……麗奈」

「立って」

「立てないよ。だって私、こんなに惨め……」

「いいから立って」

 麗奈は赤い傘を放り投げた。傘は綺麗な放物線を描いて田んぼへ落ちていく。強く投げすぎじゃない?

 そして空いた両手で私の腕を掴んで力いっぱい引っ張り上げた。すると、魔法にでもかかったみたいに私はすんなり立ち上がることができた。

「スカートが……」

 麗奈は汚らわしそうに私の泥だらけのスカートを見やる。

「クリーニング出さなきゃだめね。姫香、クリーニング屋さんがどこにあるか知ってる?」

「知らない。私、この町のこと何もわからない」

 呆れたようにため息をつく麗奈。

「ほらほらそうやって悲壮感漂わせてないで、さっさと行くよ」

「どこに?」

「あなたの家よ。スカート代えなきゃ、それにそのブレザーもね」

 私は自身のブレザーのあちこちを検分しながら、

「こっちは汚れてないみたいだけど?」

 と不思議に思いながら、ブレザーの潔白を表明する。

「も~今何月だと思ってるの?」

「え?」

「いつまで冬服着てんのよ!」

 あっと小さな呻きが咽喉をついて出た。

「じゃあ行くよ。緊急事態につき我々は授業をふけちまいます! レッツゴー! ってあれ? 私の傘はどこ?」

「田んぼ……」

「あああああ!! 傘が……」

 これは笑っていいものなのか、凄く悩む。 


 一つ傘の下、肩が触れあう距離。私より背の小さい、だけど傍にいてくれると心強い麗奈と、並んで歩く。

「学校は行かなくていいの?」

「いいわよ。姫香と違って私は毎日真面目に通ってるんだから、今日くらい」

「あはは。そう、だね」

 その尖ったジョークには苦笑するしかない。

「なによ、その微妙なリアクションは。ねえ、どうして拗ねちゃってるの?」

「そりゃあ、拗ねるよ」

「そうかな? 私なら部活休めてラッキーって思うけどね」

 このコ、ふざけてんの?

 私は努めて怒りを押し殺した声で、

「私は部活を、バレーをするためにわざわざ転校してきたの! バレーができなかったら、私がここにいる意味なんかない!」

「けど、部活には参加できるじゃん」

「できないよ! 半年は安静にしてなきゃ治らないもん!」

「バレーができなくても色々できることはあると思うよ? マネージャーやったりとか、作戦考えたりとか?」

 それはジョークでもなんでもなく、真剣な口調で。的を射た正論で。私は耳をふさぎたくなった。

「嫌だ……皆がバレーしてるところなんて、見たくない。見てられない」

「まだまだだね、姫香は」

 うるさい、と言いそうになったけど我慢した。代わりに私は冷静に自分の非を認めて、

「うん。私だめだ。もっと強くなりたい……」

 と、願った。その方が建設的だと思った。



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