鈴が鳴る場所へ
次の日。今日は土曜日、レイナさんと鈴江はピクニックに行くとかなんとか。ちなみに俺は堀北の家へ行く。
どうしてわざわざ堀北の家へ? スーパーカブぐらい自分一人で取りに行けよ。そんな不満を感じつつも勝手に体は動いていた。午前中特有のささくれだった気分も自転車に乗っていると次第に薄れていく。
昨日初めて行った堀北の家の位置を奇跡的に覚えていた俺は、オンタイムで目的地に到着する。到着と同時に、堀北の家のドアが開いて、誰かと思いきや堀北本人が登場。
挨拶もそこそこに、俺の自転車の後ろへと堀北が飛び乗った。特に断りも入れずに俺は急発進する。
「わっわっ! 急に漕ぎだすなって」
「これくらいで慌ててるようじゃ、俺の後ろに乗る資格はないぜ」
「めんどくさ」
その言い方は心底嫌そうで、唾でも吐くかのようで。やっぱりこいつは不良少女なんじゃないかという無限ループに陥りかける俺であった。
休日の学校ではあるのだが、各部活動は絶賛稼働中のようで、駐輪場にまでも元気な声が響いていた。たぶん女子バレー部も体育館かどこかで練習中なのだろう。鈴江は練習には出てないみたいだな。
やがて賑やかな部活動の掛け声に微かな雑音が混じり始めた。堀北がスーパーカブのエンジンを入れたのだ。
「堀北って部活してねえの?」
「あたしは一応英語部に入ってるよ。行ってねえけどな」
「ふ~ん。そういや今日って劇の練習ないんだよな?」
エンジンを切る堀北。文化祭まではあと二週間といったところ。ふと、静寂が訪れた。かと思えば、校舎から吹奏楽の演奏が聞こえてきた。
「ねえよ。さてと、足も手に入れたことだし」
俺は堀北の台詞の末尾だけをオウム返しして、
「ことだし?」
「その泉ってのを探しに行くか」
「ああ、泉か」
泉の在り処って雪に聞いてないよな。聞いたかな。聞いてないな。
「雪に聞けば教えてくれるかな」
「雪って黒マスクのこと?」
「おう。じゃあまず雪が居候してる鈴江のアパートに行こうぜ」
「鈴江って鈴江姫香か。顔とかその他色々情報は知ってるけど話したことねえな」
「情報って、女子バレー部の件か?」
「うん。バレーのために転校して来たのに怪我しちゃうなんてなあ。あたしだったら、いやあたしじゃなくても、何のために転校してきたのかな……って落ち込むだろうなあ」
「だよな。この学校で他に楽しいこと見つけられたらいいな。こういう言い方だと、なんか上から目線みたいになっちゃうけど」
堀北は心を痛めるように目を伏せた。そしておもむろにとスーパーカブのエンジンを入れ、
「行くか、黒マスクちゃんのとこに」
俺は首肯した。冷たい風が頬を掠めた。
「おい! もっとスピード出してくれ!」
さっきから浴びせられている、やかましいその声。
雪の居場所である鈴江のアパートを知っている俺は、必然的に堀北の先に立って案内役を引き受けることになる。そしてもう一つ必然的に、自転車がスーパーカブのスピードに合わせられるわけはない。
「いいだろ別に、そんなに遠くないし時間なら大丈夫だって」
「時間の問題じゃなくてだなあ! 低速走行苦手なんだよあたし。もっとスピードがなきゃ逆に怖いんだって!」
スーパーカブ運転したことないからわからん。仕方なく俺は前傾しケイデンスを上げた。
「よし、いいぞ。そんくらいのスピードをキープな!」
この状況なんなんだよ。
「おい落ちてきてるぞ。ぶつかっちまうぞ。キープキープ!」
スパルタな特訓を受けている自転車競技部員みたいじゃね。
そんな奇妙な図に困惑しつつも、俺はゴールテープを切った。
「お疲れ、帰りも道案内よろしくな」
ぽんと肩に手を置かれる。振り払ってやりたくなる。しかしあえてそうしなかった。肩に置かれた堀北の白い手の上に、そっと自分の手をのせた。
「小さくて滑らかな手だ。まるで普通の女の子の手だ」
堀北は慌てて手を引っ込めた。
「やめろ変態。こんなのセクハラだぞ」
「見える。俺の心眼には見えるぞ」
「な、なにがだ?」
「お前の心の中にいる、純情な少女がな。それがお前の真の姿なんだろ」
「あたしの正体を見破られている⁉ って違う! そもそも隠してない! 私はずっと前から普通の女の子のつもりだったぞ!」
「まあ落ち着けよ。雪の部屋は二階にある」
「くそぅ。からかいやがって……」
アパートの階段ってのは大抵狭くて急で上がりづらいのだが、ここのアパートは違う。きちんと安全に設計されている。そんな宣伝みたいなことはさておいて。
「雪~。あの、俺、真智さそりだけど」
インターホンを押してから、緊張しつつ自分の名をはっきりと示す。その反応として、ドア越しに足音や物が倒れる音が聞こえた。泥棒と格闘中なのかな。
「待ってて!」
急いでいるであろうことはすでに十分察している。待たされるだろうとは思っていた。
数分後に、俺と堀北は家主不在の部屋へ招き入れられた。広めのワンルーム。ダイニングテーブルは二人分の席しかないから、ソファとカーペットにそれぞれ座った。
「そんで、何の用? あ、冷蔵庫に冷たいの入ってるから勝手に飲んでていいよ」
「その冷たいのは鈴江のものだから」
俺はそう言って遠慮したのだが、堀北は無遠慮に冷蔵を漁りはじめた。
「ん~炭酸とか甘いもんがないじゃん。どんな乱れた食生活してるんだ鈴江は」
「姫香は私がカップ麺食べてても注意してくるよ。私が料理作るから待ってなさいってね」
と、雪が鈴江の意外な女子力エピソードを披露した。
「でも、相当スポーツやってたみたいだし。さすに食事の管理が行き届いているな」
乱れてるのはあんたらだろ。料理に関しては俺もこだわるタイプだし、共感を覚える。
だがしかし今はそんなことどうでもよくて、俺は本題に入るべく膝を進める。
「泉の場所を教えてくれ。もしかして泉の在り処は秘密だったりとかしないよな?」
「ん? 言ってなかったけ。まだ言う必要なかなって思ってたから黙ってただけだったんだけど。やっぱり皆知りたいみたいね」
「おう。教えてくれるんだな」
「学校の裏にある山の中にあるよ。具体的な位置は説明しづらいんだけど、あなたたちも案内してあげる」
「ちょっと待って」
堀北がふいに話をストップさせた。
「皆とか、あなたたちもとか、引っかかってるんだけど。真智は気にならないのか?」
「どういうこだ?」
「だからさ、私たち以外にも誰かが黒マスクに」
「雪です!」
「ゆ、雪に泉の話を聞いてるってことだろ?」
確かにそうだ。でも多分それは鈴江のことだろう。
「というか、あなたも泉の話を知っていたのね。さそりと仲良さそうだし、知ってて当然かもしれないけど」
はにかむ堀北。
「まあ、そうだな。知ってるよ、あたしも」
そんな堀北を横目で見ながら、俺は話の続きをする。
「もしかして鈴江にも話したのか?」
「うん。一緒に住んでるし、戸泉麗奈と仲良いみたいだし」
「じゃあやっぱり鈴江も色々知ってるんだな。あとさ、言いづらいんんだけどさ……」
「何? 言って」
雪はその表情を引き締めた。
「レイナさんと別れる時って……レイナさんを、その、泉の中に……」
雪は逡巡した後、言いづらそうに、
「そうなの。泉に入ってもらわなきゃいけないんだ」
「なんかそれ、エグいね……」
堀北は重々しく呟いた。
ほんと、エグい。かわいそうだ。想像するのも嫌なくらいに。
「レイナさんに真相を伝えて、いざ最後の時が訪れた時……レイナさんはどんな気持ちで泉の中に入っていくんだ……」
とか思いながら、結局想像して悲しくなってる俺。
部屋中が重たい空気で満たされる。てかさ、皆本気でこんなファンタジー信じてるのかよ。堀北なんて麗奈とレイナさんの違いも分からないだろうに。
「戸泉がこの突飛な話を信じるとも限らないよな」
と、その堀北が沈黙を破った。
「それも問題なのよね」
「そうか……」
俺たちはどうすればいいんだろう……。どこに向かって歩けば幸せな結末があるんだ。絶対にレイナさんを傷つけることなく、そんなの不可能なのかな……。
俺はつい口を閉ざしてしまう。どんなに陰気な顔をしていることだろうか。ありがたいことに堀北が積極的に意見を出してくれて、
「鈴江も交えて四人で相談してみないか? 皆で考えれば良い案が浮かぶかもしれないし。なあ雪、鈴江は今どこにいるんだ?」
「えっと、たしか地元の友達に会いに行くって」
きっと地元の友達が恋しいんだろうなあ。こんな田舎にわざわざバレーボールしに単身引っ越してきて、怪我して、相当辛いはずだ。
あれ?
「雪? 鈴江がどこに行ったって?」
「地元の友達のとこ……いいなあ……私も、友達に会いたい……」
「居候だっけ、どうして? 家出とか?」
「うん」
今日は土曜日だ。土曜日に鈴江はレインさんとピクニックに行くと聞いていた。他の誰でもないレイナさん本人からそう聞いた。レイナさんが嘘をつくはずはない、嘘をついているとしたら鈴江か? これめっちゃ偏見だけど。
いや偏見じゃない! あいつの言っていた意味深な台詞の意味がようやく氷解してきた。
『最近あのコと仲良いね……けどいいよね、最初から偽物なんだし』
『私が元通りにしとく。泉のレイナを、元の麗奈に。お互い戸惑ったよね。もう大丈夫だから』
『作戦は決まってないんだけど、今週末までにはうまく片を付けとくつもり』
意味深どころじゃない! どストレートに物騒だ!
人が自分の行き先を嘘つく時、それは後ろ暗いことがある時。
危ない。レイナさんが……鈴江の奴まさか、強引に泉に落とすとかするつもりじゃないだろうな!
「雪! 今すぐ俺を泉の元まで連れてってくれ!」
「今から?」
「どした?」
「鈴江は嘘をついている。あいつは今日レイナさんと登山に行くんだ。これはレイナさん本人から聞いていたことだ」
堀北が驚愕して口を開ける。
「もしかして、それって……」
「なに?」
まだ分かっていないらしい雪へと向き直って、俺はこの危機的状況を伝える。
「この近くで登山と言えば学校の裏山しかない。鈴江にはなんらかの思惑があって、しかもそれを雪には内緒にして、レイナさんと一緒に裏山へ向かったんだ!」
「えええ! 嘘でしょ……姫香がそんな、私に嘘つくなんて」
雪はしょぼんと肩を落とした。雪と鈴江の間にどんな絆があるかは知らないが、雪はとても悲しそうに見えた。
「雪……いいか? 案内してもらえるか?」
「……うん。ごめん、ちょっとショック受けちゃった。ごめん、急がなきゃなのにね」
俺と雪は自転車、堀北はスーパーカブで、急造の鈴江&レイナさん捜索チームを結成した。
安全運転で学校の裏山へ! 無事でいてくれよ、レイナさん!