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NGワードは彼女だけが知っている  作者: 紅涙詩穂璃
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灰色と水色の世界.B

玄関の電気を点ける。レイナさんは靴を脱ぎ、揃えながら、

「久しぶり、なのかな。ここがさそりくんの家か~」

 珍しそうに視線をめぐらす。

「あんまり色々見るなって」

見るなと言いながらも、プライベートな生活空間に立っているレイナさんを、不思議な思いで見つめてしまう。

ワンチャンあるんじゃないかって勘違いしちゃうよな。こうも簡単に俺の家に来るだなんて。はたしてこの寄り道は正しかったのだろうか。

「さ、さあ。どうぞ、こちらへ」

 自宅でこれほど緊張することもない。自宅が地獄と化している。

 リビングへとレイナさんを案内し、ソファに落ち着かせた。

「ごゆっくりどうぞ」

「え、どしたの」

 俺は恭しく頭を下げてキッチンへ。どう接したらいいか分からない時は、腰を低くしとけばいいんだ。そして料理に取りかかる。


 十五分後。リビングテーブルの上には有り合わせのアドリブで作った二人分の他人丼が。

「うわ~おいしそう! 卵がとろとろしてる」

「卵をとろとろさせたらお前が喜ぶと思ってな」

「さすがさそりくん、かっこいい」

 おだてるでも褒めるでもなく、ぽろりと零れたその言葉はまるで自然に出た本音のようだった。このシチュエーションなのだから、都合の良い解釈をしてしまうのも無理はない。

「おいし~」

 レイナさんの感想を聞き流しながら、俺は食べることに没頭した。雪からもたらされた衝撃の真相は、俺の身体と心を酷く疲弊させていた。空腹と心労は最高のスパイスだ。心労で味が分からなくなることもあるんだろうけど、俺はまだ大丈夫みたい。

「やっぱり美味しいね、卵と肉と白米」

「そうだな。あと、俺の味付けが絶妙だ。普通に卵と肉と白米だけを混ぜて食ってもこうはならないぞ」

「た、大将……」

 その声は感動に震えていた。

 それから俺たちは、ゆっくりすることも急ぐこともなく家を出た。もう真っ暗だしレイナさんを送ってやる。

「さそりくんが私の家に来たことは何度もあったけど、こうして夜道を送ってもらうのは初めてかも」

「うん」

 家まで送るという、どこか甘ったるい趣のあるイベント。女性を一人で夜道を歩かせないために家まで付き添うという、大人っぽいイベント。

「さそりくんも成長したんだね」

「なに感慨深いこと言ってんだよ」

「いいでしょ、嬉しいんだもん。さそりくんが男っぽいところ見せてくれるのが」

「そんなに男っぽいかな」

 どうやら家に送るという行為はコストパフォーマンスが高いらしい。ただ横を歩いてついてってるだけなんだがな。

「楽しい時間はあっという間に終わっちゃうね」

 そう呟いてレイナさんは立ち止まった。気づけば、おなじみの戸泉麗奈の家の前。めっちゃ近いな。

 改めて、ここでレイナさんが暮らしていることに驚く。

「あっちが姫ちゃんのアパート」

 レイナさんが指さす方向へ振り向く。そこには、築三年といった風情のシックなデザインのアパートがあった。

「鈴江ってここ住んでたのか~」

「そうだよ」

「部屋はどこなんだ?」

「二階の左端から二番目の部屋、今電気点いてるあの窓のとこ」

 特に意味もなくぼーっとその窓を眺めていると、突然、がらっと窓が開いた。

 そこに現れたのは鈴江じゃなく黒マスクの雪だった。左手にカップ麺を持っている。

「え? あいつ、まさか鈴江に拾われたのか⁉」

 寝所を見つけたらしい家出少女の雪はくるりと回転して窓の外に背中を向け、そして黒マスクを剥いだ! 

「あ! マスク取った!」

 しかしその素顔を覗くことはできなくて。

「ゆこちゃん姫ちゃんの家に居候してるんだって、さっきもそんな話したじゃん」

「さっきっていつだよ。覚えてられるかいそんなこと」

 まあ、雪の素顔に大して興味があるわけでもないし早くレイナさんを家に帰すか。

「俺帰るわ」

「お疲れ~」

 お疲れですよマジで。そろそろ脳に休息を与えなければいけない。明日は金曜だっけ? 多分金曜だ。金曜に違いない。てことはつまり……


 つまり、宿題を忘れた俺は居残りをさせられた。解放された時すでに遅く、教室に顔を出してみると劇の練習は終了していて、残っていたのは真っ白に燃え尽きた堀北だけだった。

「そんなハードな練習してるのか?」

「ん? おう、真智か。ちょっと手貸してくれ、起き上がれないんだ」

 思いのほか小さい手を取って立ち上がらせる。不良少女はもっとごつい手をしているという偏見を打ち砕かれた。

「ふらふらじゃんか、一体何をしたらこうなるんだよ」

「肉体的ダメージよりむしろ精神的な摩耗が大きくてな。演技とはいえあたしにあんなあざといお嬢さまキャラはしんどすぎる……」

 弱った堀北を介抱して更衣室まで連れて行く。

「ここでいいか? 待ってるから早く着替えてこいよ」

「いい。ジャージのまま帰る」

「ああ、たしかにわざわざ着替える必要もねえか。疲れてるんだしな」

「あたしのカブのところまで連れてってくれればそれでいい」

 なんとか絞り出すような調子の声に、知らず懸念を感じずにはいられない。

「カブは学校に置いとけよ。俺の自転車の後ろに乗っとけ」

「は? お前と二人乗りするぐらいなら今日は学校に泊まってやる!」

「めちゃくちゃ言ってんじゃねーよ。泊まれるわけないだろ」

 あくまで優しくたしなめる。

「何だよその妙な口調は。まるであたしが変なこと言ってるみたいにさあ」

「そんなことないって。お前のロッカーどこだ? 自分で靴に履き替えられるか?」

 残光も乏しい時間帯で、昇降口前ロッカーは薄暗かった。そもそも建物の構造的に四六時中あまり陽が当たらないんだがな。それでもレンガ色のタイルが西日の強い光を受けて燃えるようだった。

「靴くらい余裕だっつーの」

 と言いながら危なげによろめきながら靴を履く堀北。

「よくできました。ちょっと待ってて」

 俺も自分のロッカーへ向かう。鞄から数冊の教科書を抜き取りロッカーにしまっておく。この作業をするたびに俺は一日の終わりを感じる。ついでにロッカーの中を整理しておくか。なんか窮屈そうにごちゃごちゃしてる私物たちのために秩序を形成してやっていると、

「おい、早くしろよ」

 堀北が俺の後ろに立っていた。

「ごめん。なんかロッカーを整理したい衝動に駆られちゃって」

「あたしを自転車に乗せるんだろ? あんま待たせんなよ」

「お前は疲れてるんだから、まだもうちょっと休んでおけ」

 不愉快そうに顔を歪めた堀北を無視して再び作業を再開する。ちょろい男だとは思われたくない、俺は俺のプライドを保つためにわざと堀北を手間取らせてやるのだ。我ながら面倒くさいことをしている自覚はある……。

「あたしもロッカーの整頓しとくわ」

 言い残して、とぼとぼと歩み去っていく。

 自分のロッカーの場所は、入学時にクラス順で決められる。進級してもロッカーの位置は変わらず入学から卒業まで同じロッカーを三年間使う。次第に愛着も深まるってもんだ。

 やがて整頓し終えた俺は堀北の様子を見に行く。

「お~い。帰るぞ~」

「まだ終わってないっての」

 今度は俺が待つ番みたいだ。特に意識せず、俺は堀北の真後ろに立つ。

その時だった。それはまったくオートマティックに浮かんできた思考だった。

今、こいつを抱きしめたら……

「それ以上を時間をかけるならば、こっちも相応の手段に出るぞ」

 堀北は呆れかえったように、

「あのなぁ、真智が先にあたしを待たせたんだっての」

 無防備に両腕を伸ばし背中をさらしている堀北の、細い腰に、俺は手を……いやだめだ! こういうことは許可を取ってからじゃなきゃ。

「だ、抱きしめたい」

「ああ? なんか気持ち悪いこと言ったか?」

「抱きしめたい」

「え、ちょっと真智、真智?」

 そっと、包みたい。そんな気持ちで抱きしめた。

「おい、頭でもおかしくなったのかよ」

 こつんと軽く頭を小突かれた。その優しい一撃は、深い深い許容の意思表示であるような気がして、俺はもっと隙間を無くすように……


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