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NGワードは彼女だけが知っている  作者: 紅涙詩穂璃
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灰色と水色の世界.A

 世界が止まった。どっちが劇か分からない。レイナさんは麗奈役者か? だとしたら俺は何役なんだ? 俺は俺じゃないのか?

 しかし俺の混乱はほんの一瞬だった。

 すぐにすんなりと合点がいった。だって、ずっとそうじゃないかって思ってたから。レイナさんと麗奈が別人だって、ずっと思ってた。

 その答えがようやく分かって、霧が晴れたような。

 でも、釈然としないこともあったりして。

 そのことを箇条書きに並べ立ててみることにしてみる。

 一、雪のいう泉はどこにあるのか。

 二、泉は一つではない?

 三、レイナさんは人間? てか意味分かんなくね?

 四、麗奈にはまた会えるのか。

 五、麗奈に会えるとしたら、その方法は? 俺はその方法についてとても恐ろしい、しかし妥当な憶測を立てている。

 六、レイナさんと麗奈を……なんというか……チェンジ! する時期はいつ?

 七、鈴江はこのことを知っているよね? 当然その通りだ。だとしたら、彼女の意味深な発言の真意とはいかに。 

 

 もう一度、しっかりとレイナさんへと目を向ける。劇の練習に一生懸命なレイナさんを眺める。その身を着飾って舞台の上に立てば、その美しさはより輝くだろう。本当に綺麗だ。まるでこの世のものではないみたいに。

 何度目だろう。また俺はレイナさんに見惚れてしまっている。彼女の正体が判明した今でも、俺の審美眼は変わらない。

 ふと、彼女の涼やかな瞳が俺を捉えた。俺をばっちりと見据えたまま、微笑んだ。

「……」

 柄にもなく照れてしまう。いつまでも慣れることはできないだろう。もしも慣れることができたとしても、いずれにしろ別れてしまうことに相違ない。彼女はこの世界の住人ではないのだから。やがて泉の世界へと帰還する存在だから。

 と、レインさんはこちらに近づいてきた。俺の耳元へ小声で囁く。

「今日、一緒に帰ろうね」

 どうして、いつもそんな約束せずとも自然と帰りは一緒になるのに。その疑問は口に出して言わなかった。

「お、おう」

「よかった!」

 嬉しそうに飛び跳ねんばかりのレイナさん。どうして今日に限って、いつもと違う態度なんだろう。それとも真実を知った俺の脳が勝手にフィルターをかけていて、そのせいでこの違和感は生まれたのだろうか。

「……」

 ……俺が何も言えないのは、何故? 

 去りゆくレイナさんの背中。

 さっきから、きゅっと胸が締め付けられっぱなしだ。切ない、凄く切ない。

 なあ、おかしいぜ。どう見たって生きてるんだぜ。泉の世界とか、そんなの荒唐無稽に過ぎるよ。変だよ、嫌だよ。レイナさんとお別れなんて、そんなの耐えられないよ。


 呆然として、ともすれば現実逃避に走ってしまいがちな俺の隣に、雪は静かに立っている。黒マスクの口元から語られた真実を俺はもう一度確かめるように、

「本当に……?」

「うん」

 俺は深い納得と自失の海に沈みこんだ。 


 そういうことだったんだな……

 麗奈消失事件の真相をようやく知った俺は、今さらながら事件が勃発したばかりの頃を思い出す。そして自分の発言を顧みて、しょげかえる。

「レイナさんと初めて会った頃さ、俺、かなり酷いこと言っちまった……」

「……」

 雪は俺の気持ちに共感してくれているのか、とても悲しい顔をした。

「あの頃のこと、何も謝ってない。レイナさんは優しいから、気にしてない素振りをするから、それに甘えてた。本当は謝らなきゃいけないのに……」

「私もね、人に謝らなきゃいけないこと、沢山あるよ。沢山残してきてここまで来た」

「……まあ、そうか。家出するくらいなんだからそれ相応のシリアスな理由があるんだろうな」

「街を出た時から、この黒マスクが相棒なんだ」

「は?」

「ううん、なんでもない」

 黒マスクが相棒ってのは置いといて。俺はレイナさんとお別れする前に謝らなきゃいけないよなあ。別れの挨拶に謝罪をしなければいけないなんて……最後の最後まで先延ばしかよ。

「もう一度レイナさんと初めて会った頃からやり直したいな。今の記憶を持ち越したまま」

「そうだね」

「そしたら悲しませたり泣かせたり絶対しないのに……レイナさんがくれた優しさを受け止めて、返してやれるのに。楽しい思い出だけを残してお別れできるのに」

 悔しい? 情けない? 名前をつけられない感情に苦しめられる。

「さそりは上手くやってるって」

 雪がそう言って励ましてくれた。

 けど俺は自分が上手くやれたなんてまったく思えない。


 頭の中に二人の自分がいる。思考停止してる部分と俯瞰するように自分を見下ろしている部分に分離している。俺は今、魂が抜けている。そして同時に周囲の様子も眺めている。

 劇の練習はひとまず休憩ということで、堀北が疲労の色濃い表情でこっちに近づいて来る。

「私じゃない誰かを演じることがこんなに辛いだなんて……」

 ひとりごちて、糸が切れた操り人形のようにしゃがみ込んだ。雪は堀北を物珍しげに見つめている。

「びっくりした~。すっごい演技上手なんだね。さっきまでと別人だ」

 ちら、と堀北が雪を見上げた。

「だって、役のイメージでもっとおしとやかなお嬢さんなのかなって思ってた」

 堀北は自嘲気味の笑みを浮かべて、

「正体はこんなんだよ。悪かったな」

「パンツ盗まれたとこの演技とか最高でした!」

 こいつ、俺と会話しつつも意外としっかり観劇してたんだな。

「てかあんたこの学校の生徒じゃないよな? しかもその黒マスクは何なんだ?」

「黒マスクは愛! 黒マスクは命!」

「へえ~元気がいいね。そんであんたは誰かの友達なの? 真智?」

「そうよ!」

「おいおい、いつから俺とお前は友達になったんだ?」

「さそりに自転車で轢かれた時から」

「お、おい真智。お前なんてことしてんだよ!」

「それはたしかに事実だけど、あれはお前が急に飛び出してくるから!」

「痛かった……けどさそりに悪いから、我慢した。なのにこの仕打ち! ねえ、もう一度聞くよ? 私たち、友達だよね?」

「論理がめちゃくちゃだぞ。お前なんか知らん、急に現れてきて何なんだよ」

 あ……。こういう台詞をレイナさんにも言っちゃって、後悔してるのに。また言っちまった。

「ごめん……」

「ううん。いいの、だってその通りだもん」

 雪はゆっくりと首を左右に振った。すると堀北が、

「おいおい、なんだよ湿っぽくなっちまってさ」

「お前も疲れが顔に出てるぞ。お前こそ大丈夫なのか」

「あたしのことはいいんだよ」

「たまには悪いことして発散しとけよな」

「そんな悪いことなんてしたことねーっつーの!」

「悪いことをする時は私も一緒に手伝おうぞ!」

「おい黒マスク、誤解すんなよ。あたしは不良でもなんでもないんだよ!」


 いつもの帰り道。レイナさんと二人。いつもと決定的に違うこと、それは俺がレイナさんの正体を知ってしまったこと。到底信じられないようなファンタジー過ぎる真相だけど、俺は雪が教えてくれた真相を信じている。

 この真相をレイナさん本人に直接伝えるべきなのだろうか。伝えたらどうなる? おそらくそう安々とは信じてもらえないだろう。信じてもらえないとどうなる? 信じてもらえるまで話し続けるのか? 無理だよそんなこと、だとしたらどうすれば……

「そう言えば私、姫ちゃんに登山に誘われたんだ。登山っていっても裏山はそんなに高くないけどね。でも頂上から見える景色が凄く綺麗なんだよね~」

「そうか、よかったな。鈴江と遊ぶのは久しぶりなんじゃないか?」

 と、適当に相槌をうつ。

「うん。きっと話したいことでもあるんじゃない?」

 便宜的にレイナさんと名づけたこの少女は、もうすぐ消えてしまう。まるで夢みたいだ。こうして隣を歩いているのに、会話もできて見つめ合うことも、手を伸ばせば触れることもできるのに。

「あの、レイナさん」

「ん?」

 振りむいたレイナさんはやはり美しかった。正面から見ても、横顔も、全部全部。

 なんの未練も抱かずにこの人と別れるなんて俺にはできない。別れたら、俺の目の前から消えてしまったら、きっと探してしまう。いつでも、どっかに、彼女の姿を。まるで麗奈が消えた時と同じように。ん、麗奈が。そうだ! 麗奈が帰ってくるんだ! それは良いことだけど、手放しでは喜べない……。

「登山っていつ行くの?」

「土曜日」

「日曜は?」

「空いてるよ」

「水族館」

「え?」

「前さ、水族館に行く約束してたの覚えてるか?」

「覚えてますよ」

「どうして敬語?」

「堀北さんみたいでしょ?」

「なんであいつが出てくんだよ。」

「最近仲良くなってきたからね、色んな人と。嬉しいなあ、やっぱ文化祭っていいね」

「その文化祭の、ピザパン係は文化祭の役に立ててるかい?」

「うん。さそりくんの料理は良い気休めになってるよ」

「気休めかよ、その言い方に多少の鬱積は残るが今は置いておくとして。日曜、水族館に行ってみない?」

「水族館! 本当に、いいの? 私と一緒に行ってくれるの?」

「うん。だって元々お前と一緒に行くために堀北から五千円で買ったんだからな」

「やった」

 レイナさんは小さく呟き、これまた小さくガッツポーズをした。意外と幼い仕草に俺の心は弛緩する。

 水族館の帰りにでも真相を伝えるか。それってタイミング的には最悪だったりするのかな。デートの終了間際に? しかし何気ない日常の瞬間にぽろっと漏らすよりかは幾分マシな気もする。タイミングなんかにこだわってたら言いそびれちゃうし、段々言いづらくなるし。なんて思い巡らしていたら、もう別れ道まで来てしまっていた。

「さそりくん、私もう少しだけパン食べたいな」

「なに? 焼きそばパン? ローストビーフパン?」

「違うよ。ピザパンに決まってるじゃん。あ、でもなんでもいいや。お腹空いた」

 柔らかい口調の要求。特に断る理由もなく、

「じゃあ、家きちゃいなよ」

「行く!」

「いいのか? 帰り遅くなっても大丈夫なんか」

 家は近いから心配する必要はない。でも、一応こういうことを言ってみる。

「そんなにゆっくりしてかないって」

「別にゆっくりしていってもいいんだがな」

「言ってることめちゃくちゃだよ」

 話している内に到着。まさかレイナさんを家に招くことになるとは思ってもいなかった。こんなの予定してない。当惑しながらドアを開けると、濃密な闇が俺たちを出迎えた。誰もいない家に、二人きりか。


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