青木行徳②
「兄貴。兄貴は沙依の記憶も能力も縛ってるな。沙依が自身の能力で視た未来は変えられないなんて、どうしてあんなでたらめを信じ込ませる必要があった?どうしてあんなものが確定してるって信じ込ませてあいつにあんなことさせる必要があるんだ?」
幼い頃からあまり自分を出すことがなかった双子の弟である高英が珍しく詰め寄ってきて、行徳は心の中で苦笑した。全く末姫には困ったものだと思う。どんどん力が強くなって自分の能力では縛りきれなくなっている。そのせいで弟が余計なことを知ってしまった。本当に末姫には手を焼かされる。俺のことは好きにさせてくれればいいのに、どうしてあいつは俺を諦めてくれないのだろう。そんなことを考えて、行徳はこの身体に生まれる前の遠い昔に想いを馳せ、実際に苦笑した。
「沙依の視た未来を見たなら解るだろ?それが一番いい選択だ。そのために今はまだ沙依は本当のことを知らなくて良い。お前も忘れろ。」
そう言うと高英があからさまに激昂した気配を醸し出して、行徳は本当に手が焼けると思った。高英に沙依の世話を押しつけた当初はここまで入れ込むとは思っていなかった。ただ自分以外の誰かと生活を共にすることで、他人に心を閉ざしている弟が少し外に目を向けられるようになればいいと思っていた。それが今では沙依への想いが強すぎて縛れない。自分にとって都合の悪い余計なことを強制的に忘れさせることができない。自分と同じ事ができるとは言え原本の俺と複写に過ぎないお前では力の差は覆らないのに。最初の兄弟である俺とそれより後に生まれたお前では魂の強度自体も違うのに。俺の能力に抵抗すればそれだけ消耗するだけなのに、どうしておとなしく言うことを聞いてくれないのだろう。これも末姫の差し金か。いや、結局これも自分が種をまいた結果か。いつだって俺がよけいなことを望むから悪い。そんなことを考えて行徳は苦い思いがした。
「何が一番良い選択だ。あの未来はなんだ。この国が戦火に焼けて一度滅ぶだけじゃない。あいつは敵に捕まって、それであんなこと。兄貴があいつに異常なまで厳しく訓練を積んで感情の切り離し方を覚え込ませて、成人の儀が済んだ後には俺にあいつを抱かせようとしたその理由は解った。解ったがこれは回避できる話しだ。わざわざそれを体験させる必要はない。」
静かにそう憤る高英に行徳は、お前は沙依に恋慕してるからなと言った。
「沙依はそんなに柔じゃない。その程度ではあいつの魂は壊れない。そして俺の宿願に協力することはあいつの望みでもある。全てが終われば遠い未来でちゃんとあいつも幸せになれるんだ、問題は何もない。」
そう言う行徳に高英は、兄貴は何を考えているんだと言った。そう言われて行徳は最初自分は何を考えていたんだろうなと思った。自分が何をしようとしているのかは解っている。でも自分がどんな想いでこんなことを始めたのかは知らない。それでもこれが一番の良い選択だと思うからこれを続けている。そしてそのことで自分はずっと昔から一番下の妹と不毛な諍いを続けている。それこそ妹が生まれたその瞬間からずっと自分は妹と諍いを続けている。つまりこれはとても個人的な私事だ。だからお前達は何も気付かなくて良い。本当のことは何も知らなくて良い。お前達には関係のないことなのだから好きにさせて欲しい。そう思うのにどうしてそうさせてくれないのだろうか。そう思うと行徳は自然と困ったような笑みが浮かんだ。
「沙依を手に入れて幸せか?」
その行徳の問いに高英は答えなかった。
つい最近、沙依が視た未来を彼女が視たのと同じように視て高英は彼女からその記憶を奪った。そして今まで押し殺していた想いを彼女に告げて彼女を自分の物にした。沙依の心が現在正常に動いていないことを知っていながら。彼女が自分にそういう感情を持っていないことを知っていながら。彼女が依存心から自分の求めに応じることも解っていながら、高英は沙依に手を出した。でもその後ろめたさから高英は沙依に全てを打ち明けることもできず、彼女の心が正常に動くようになって自身が拒絶されることを怖れ、彼女が本当に求めている物を知っていながらそれは与えない。自分の手の届くところに彼女がいる事に安心感を覚え失いたくないと思い、自分の物にならない彼女の心を感じて枯渇感を感じ苦しくなる。それでもあの未来を知ってしまった今止まれなくなった高英を、沙依を想う気持ちと自己保身で複雑に絡まり合った感情を抱える弟を見て、行徳は小さく笑った。
「お前は昔の俺とよく似てるから、将来俺みたいにならないように気をつけろよ。」
そう言う行徳を高英は睨み付けた。
「兄貴。兄貴には俺の能力は効かないことはよく理解してる。兄貴が今俺に全部忘れさせようとしてるのも解ってる。でも俺は屈しない。あんな未来起こさせない。沙依をあんな目には遭わせない。」
そう言って高英は苦しそうに眉根を寄せた。
「それとは別にだ。本当に兄貴は何を考えてるんだ。その未来に兄貴はいないだろ。遠い先の平和な世界に兄貴は存在しない。必要もないのにわざわざ沙依にあんなことをさせて、自分もいなくなっていったい何がしたいんだ?あれを見れば兄貴の目的がアレを倒すことじゃない事ぐらい解る。兄貴は本当はなにがしたいんだ?」
そう言われて行徳は困ったように笑った。
「お前がその調子ならどうせこの未来はお前が見たものとは違うものになる。あの未来が嫌なら好きにすれば良い。でも俺のことは詮索するな。俺を探ろうとすればお前が消耗するだけだ。別に俺はお前らを害そうとしているわけじゃない。好きにさせてくれ。」
その行徳の言葉に高英は納得しなかった。能力を使い無駄と解っている詮索を続け消耗していく弟を見て、行徳はなんとも言えない気持ちになった。本当にどうして好きにさせてくれないのだろう。どうしてそんなに本当のことを知ろうとするのだろう。本当の事なんて知ったところで意味なんてないのに。そう意味なんてない。自分がしようとしていることはただの自己満足だ。それが解ってはいるがだからといって止まることはできない。自分が満足するためには止まることはできない。知られれば余計邪魔をされる。そう思うからこそ何も言えない。本当に放っておいて欲しい。俺のことは諦めて好きにさせて欲しい。
『みんな兄様が大切だからだよ。大切だから知りたいと思う。大切だから放っておけないと思う。』
末姫の声がした。
『もう止めなよ。そんなこと望んでるのは兄様だけ。誰も兄様にそんなことは求めていないよ。』
その言葉を聞いて行徳は苦笑した。俺を諦めさせるためにお前は本当に手段を選ばないな。心の中でそう呟くと、笑う幼い妹の姿が見えた気がした。
『わたしじゃないよ。皆の意思がそうさせてるだけ。わたしは促すだけだから、それを受けて決断するのはそこにいるその人。いくらわたしが促したところで自分の心にないことは誰もしない。それだけ皆も兄様を助けたいって思ってるんだよ。だから兄様、そろそろ諦めて普通に兄様も幸せになる未来に行こうよ。』
末姫の誘惑を行徳は断ち、そして声は聞こえなくなった。
「俺はそれ以外は何も求めてなんかいない。だから邪魔するな。」
思わず呟いたその言葉に目の前にいた高英が怪訝な顔をして、行徳は微笑んだ。ぎりぎりの状況にならなければ沙依も俺を諦めてくれない。ぎりぎりの状況だからこそあいつは俺の願いを叶えてくれる。俺に話かけてくる末姫と沙依は違うから、沙依はまだ俺の掌でころがってくれる。それでも末姫と沙依は同じ存在だから、末姫は沙依を介して俺の邪魔をしてくる。これ以上沙依の想いが強くなって沙依と末姫が同化してしまうことは避けなくてはいけない。同化しなくても沙依が末姫を認識できるようになってしまえばとてもやっかいだと行徳は思った。より強固に沙依の記憶と力を封じたくても今は高英からの干渉にも対応しなくてはいけないのであまりそちらに力を割けない。それに自身の力で記憶を封じている最初の兄弟達への干渉も弱めるわけにはいかない。中でも次郎の想いは強くて只でさえ縛ることが困難だというのに、力を弱めればきっとあいつは思い出す。今あいつに記憶を戻られるとやっかいだ。そんなことを考えて、これも全部末姫の策略かと思うと行徳は複雑な思いがした。
○ ○
「そろそろ俺のことを詮索するのは止めないか?そのままじゃお前の命が危うくなるぞ。」
そう言うと高英が兄貴がいいかげん俺をどうにかするのを諦めればいいだろと言ってきて、行徳は苦笑した。
「アレを倒すにしても、他からの脅威が絶えない中そちらに戦力を割くには結局兄貴をなんとかしなければどうにもできない。人に邪魔するなって言うなら兄貴こそ俺のしようとしてること邪魔してくるな。俺の邪魔をするなら、いいかげん兄貴がどんな目的で何をしようとしてるのか口を割るべきじゃないのか?」
高英に強い意志を持った視線で貫かれて行徳は、お前にも本当に手を焼かされるなと呟いた。
「お前がそんな激情を持てるようになるなんて思っていなかった。本当に、あの子は人を狂わせるな。さすがは父を狂わせ子供達に神殺しをせざるを得なくさせた末っ子、厄災の御子と言ったところか。」
その行徳の言葉に高英は激昂し、膝をついた。
「そうやって感情を爆発させるからそこに付け入られる。激しい感情は精神を侵食し肉体も侵すぞ。ただでさえお前はもうだいぶ消耗しているのだから。」
そう言う行徳を恨めしそうに睨んで高英はわざとかと呟いた。
「お前は次郎にも似てるな。ひどく懐かしい感じがする。あいつも死ぬとき俺のことをそんな目で見ていた。今だって何も思い出せなくても俺への嫌悪や怒りがあいつの中に渦巻いてる。」
本当に懐かしそうに目を細めて遠くを見ながらそう言って、行徳は高英に視線を落として忘れろと言った。
「無駄な抵抗は止めて全部忘れろ。それができないなら、しかたがないから死んでくれ。」
「誰が忘れるか。兄貴を殺してでもあんな未来防いでみせる!」
高英がそう叫んで、攻撃を仕掛けてくる。高英の攻撃をいなしながら行徳は本当に懐かしいなと思った。ターチェの始祖、地上の神と人間の間に生まれた六人兄弟。その長子として生まれた自分は、父に別空間へ連れ込まれた末っ子を除いて全員をこの手にかけた。自分が殺した弟の死体を目の当たりにして激昂した妹は、今の高英のように自分を殺しにかかってきた。今の高英と同じように怒り苦しみながら。どうして何も言ってくれなかったのか、どうして何も言ってくれないのか、どうしてこんなことをしたのか、あんなことをしようとしているのか、そんな思いと、こんなことをするのは何か特別な事情があるのだと兄を信じたいと思う気持ちの葛藤。そしてそれでも大切な何かを守るために兄を殺してでも止めなくてはいけないと思う強い意志。高英の姿が自分が殺した妹の姿と重なって行徳は顔を顰めた。
「いいかげん諦めろ。お前じゃ俺には敵わない。」
そう言って行徳が突き出した鞘が高英の鳩尾を直撃して、高英は吐血しその場に崩れ落ちた。倒れる高英を見下ろし行徳はどうして自分は今刀を抜かなかったのだろうと思った。抜き身の刀で刺せば確実に息の根を止められたのに。
「兄様、どうして?」
声が聞こえてそちらを見ると、沙依が成得と連れだってそこに立っていた。
「コーエーは兄様にとって特別だった。コーエーが一緒に生まれて兄様はいつも通りができなかったって、コーエーが普通に生きられたら自分も救われる気がするって言ってたじゃん。」
泣きそうな顔でそう言う沙依に行徳は全部お前のせいだと言っていた。
「高英がこうなったのも全部お前のせいだ。お前がいなければ高英が俺にたてつくこともなかった。お前が余計なことを望まなければこの国がコーリャン狩りを廃止することもなかったし、現世に俺たち兄弟の魂がそろうこともなかった。だからこれは全部お前のせいだ。これは全部お前のわがままが起こした結果だ。」
そう言うとそれを言われた沙依ではなく成得が激昂し、行徳は次郎は相変わらずだなと思った。沙依の頭の中を覗いて、ここまでかと思う。最善の選択ではないがこの未来もそんなに悪くない。自分の求める結果に繋げるにはもう一手間必要だが、それは些細な問題だ。
「ふざけるなよ。それがあんたの見解か。いい加減にしろよバカ兄貴。全部お前のせいだろ。末姫のせいにしてんじゃねぇ。」
静かに怒りに身を震わせた成得がそう言って攻撃用の術式を展開させた。
「高英、このくそ兄貴をぶっ飛ばすまでまだ死ぬなよ。お前の援護がないとこいつぶっ飛ばすのも楽じゃない。」
吐き捨てるようにそう言って戦闘態勢をとる成得の横で沙依が静かに自分を見つめていて、行徳はこれは末姫だなと思った。完全に同化している訳ではないが繋がっている。
「兄様、解ってるはずだよ。わたしは諦めない。何を言われたって、どういう扱いされたって、わたしは兄様のことも絶対に諦めない。何度仕切り直ししたって、何度ダメだったって、わたしは絶対に諦めないから。他の皆がどんなに兄様のことを許せなくても、どんなことがあったって、わたしだけは絶対に兄様の傍にいる。兄様だけに全部背負わせたりなんかしない。兄様が望まなくてもわたしは兄様と一緒に兄様の罪を背負うから。兄様の方がはやく諦めた方がいいよ。」
それを聞いて行徳はなんとも言えない気持ちが胸の中に広がった。繋がっている。でもこれは俺の邪魔をしている末姫じゃない。これはただの末姫の記憶を取り戻した沙依だ。末姫はこの未来で何とかしようとするのは諦めたか。でも別の時間軸の俺をなんとかするために、別の時間軸の俺へ伝えるためにこんなことを沙依に言わせている。そんなことを考えて行徳は微笑んだ。
「そうだな、お前は絶対に俺を諦めてはくれないな。本当にお前の存在は迷惑でしかたがないよ。」
その言葉を皮切りに壮大な兄弟喧嘩が始まった。怒り露わに自分に攻撃を仕掛けながら冷静さを失わない成得の動きを見て行徳は、本当に相変わらずだなと思った。本気で怒ってるくせに俺を殺すのではなく屈服させて降参させるつもりか。そんなことを考えながら行徳は自分たちの戦いを静かに見つめる沙依に声を掛けた。
「お前は戦わないのか?」
「わたしに兄様かそれ以外かを選べって言うの?知ってるでしょ?わたしは欲張りなんだよ。どっちかなんて選ばない。」
「お前には何かを成すための覚悟が足りないな。」
「兄様もわたしもそんなに変わりがないよ。覚悟がないのはどっちさ。自分が間違ってたって認められない弱虫のくせに。」
沙依のその言葉を聞いて行徳は小さく笑った。お前は何も解っていないから。このまま何も知らないままでいい。このまま何も解らないままでいい。この時間軸だけじゃない。どの時間軸でもこのままお前は何も気づかなくていい。お願いだから、このまま俺の掌で転がっていてくれ。そんなことを思って行徳はわざと沙依の術を受けて動きを封じられた。
「兄様。一緒にいこう。」
沙依の声が優しく耳に響いて、行徳は彼女と共に閃光に包まれた。成得の叫びが聞こえて少しだけ胸が痛くなる。でもこれでいい。お前もそれでいい。これで次郎は俺を許せなくなる。もう俺を信じようとすらしなくていい。お前が俺を許さないでいてくれるから、この未来でも俺は望んだ未来にたどり着ける。そんなことを思いながら行徳はその生を終えた。




