青木沙依②
目が覚めた時、自分の隣に誰もいないことに沙依はものさみしさを感じた。誰かと一緒に寝たことなどこの身体に生まれてきてから一度もない。なのにどうしてこんなにもそれが寂しく感じて人恋しい思いがするんだろう。そんなことを思いながら起き上がり、沙依はそこが自分の部屋でなく第三管理棟内にある医療部隊の病室だと言うことに気がついた。
「ようやく目が覚めたか、無事で良かった。」
ドアが開く音と共にそう声がかかり、入ってきた高英が抱きしめてきて沙依は戸惑った。高英からこんな風に抱きしめられたことなど今まで一度もない。今までどんなことがあったってコーエーがこうやってわたしを抱きしめてくれたことなんて無いのに、どうして。そんなことを思って、でもその温もりが心地よくて沙依はそのままされるがままにしていた。本当はずっとこうして欲しかった。不安なとき、辛い時、こうやって受け止めて欲しかった。子供の頃からずっとそれを望んでいた。本当はずっと泣きついて甘えたかった。でも良い子でいなくては見捨てられる気がして、泣きついて甘えたりしたら捨てられる気がして、子供の頃からずっと我慢をして気を張っていた。
「すまない沙依。」
高英の声がして、沙依はどうしてコーエーが謝るんだろうと思った。
「俺はお前の父親代わりにはなれない。俺はずっと前からお前のことが好きなんだ。」
そう言われ高英に唇を奪われて、沙依は訳がわからなくなった。
沙依の養父であり彼の双子の兄の行徳から世話を押しつけられて、高英は彼女が子供の頃からずっと面倒を見て一緒に暮らしてきた。ほとんど家に寄りつかない行徳より、ずっと傍にいてくれた高英の方が沙依にとって父のような存在だった。だからといって沙依は彼を父だと思ったことはなかった。でも家族だとは思っていた。沙依にとって高英は一緒にいる事が当たり前な存在だった。そんな彼から好きだと伝えられ唇を奪われて、沙依は本当に意味が解らなかった。ずっと前からとはいったいいつからなんだろう。ずっと好きだったなら、なんでわたしが成人したときコーエーはわたしを抱いてくれなかったんだろう。そんなことを呆然と考えながら沙依はただされるがままになっていた。
「お前は兄貴から言われたから俺に抱かれようとしてただけで、俺のこと別にそう言う意味で好きじゃないだろ。」
人の頭の中が読める高英が自分の疑問に答えるようにそう言ってきて、沙依はやはり意味が解らないと思った。そうあの時コーエーは言っていた。そういう事はちゃんと本当にそういうことをしたいと思える相手ができた時にしろと。なのにどうして今はわたしの意思とは関係なく唇を重ねたんだろう。そんなことを考えながら沙依は高英の腕の中でそっと目を閉じた。
高英に抱きしめられ、彼の胸に頭を埋めて彼の心音を聞きながら、沙依は何かが違うと思った。彼の想いがどうであろうと、自分がこうやって人に触れることをずっと望んでいたことは変わらない。ずっとこうやって抱きしめて欲しかった。ずっとこうやって受け止めて欲しかった。今でも恋愛感情は良く解らない。彼が好きかと問われれば好きだが、彼とそういう関係になりたいかと言われたら解らない。でも彼がそれを望むならそれでもいい。そんなことを考えながら沙依はやはり何かが違うと思った。何が違うのかは解らない。でも何かが違う。自分が求めているものはこれではない気がして沙依は良く解らない感情に支配された。
「お前のことは俺が絶対に守るから。ずっと俺の傍にいてくれ。」
高英にそう言われて、沙依はそういえば自分は死にかけたのだと思い出した。最初から生きて帰るつもりもなく出兵した。いや、死ぬつもりで出兵したわけではない。死んだってかまわないと思っていただけだ。本当は自分が死ぬなんて思っていなかった。まだやらなくてはいけないことがあるのだからまだ死ねない。そう考えて沙依はいったい自分は何をしなくてはいけないのだろうと思った。意味が解らない。自分の感情も、この状況も、全て意味が解らない。
「軍人を辞めろって事?」
沙依の問いに高英はそれは好きにすれば良いと言った。
「どうせお前は兄貴の言うことが絶対だろ。」
そう言われて沙依はそうだなと思った。わたしは行徳さんの傍にいなきゃいけない。あの人を独りにしちゃいけない。そしてあの人の言うことを聞いて良い子にしてなきゃいけない。わたしはいつだってあの人の味方でいなくてはいけない。泣いちゃいけない。わがままを言ってはいけない。全てが終わるまでわたしはそれ以外を望んだらいけないんだ。全て終わらせないと、行徳さんは助からないし、皆も帰ってきてくれないから。そんなことが頭をよぎって沙依は全てを終わらせるって何だと疑問に思った。皆って誰のこと?それ以外を望んじゃいけないって、それっていったい何だろう?わたしはいったい何がしたいんだろう。解らない。
「お前は何も考えなくていい。」
深く考えようとした所にそう言われて、沙依は意識を手放した。
○ ○
「コーエー大丈夫?」
沙依がそう問いかけると高英はそれに何も答えずに口づけをした。そのまま押し倒されて沙依は高英にされるがままになっていた。彼の大きな手が自分に触れ、指の一本一本までその形を確かめるように丁寧に愛撫され、その場所に唇を寄せられる。そんな彼がまるで自分の存在を確かめているように感じて沙依はなんとも言えない気持ちになった。ここのところあからさまに高英は疲弊していた。第三管理棟、通称司令棟と呼ばれる軍の中枢ともいえる場所の統括管理官である彼が多忙であることは知っている。その職の特殊性から何か起きていたとしても口外できない事が多いことも解っている。元々自分のことをあまり語らない彼が関係が変わったからと言って自分に何かを話すことはないというのも解る。でも沙依は彼のその変化に心がざわつき、胸が締め付けられるような思いがした。そもそも彼は自分に何かを求めていないと思う。いや、何かは求めているのかもしれない。沙依には彼がいったい自分に何を求めているのか解らなかったが、ただきっとこうやって求めに応じてくれる相手は必要なのだろうとは思っていた。そして彼にとってその相手は自分でなくてはいけないのだともなんとなく感じていた。だからいつも沙依は彼の求めるがままされるがままにしていた。彼の自分に対するその想いがきっと恋愛感情という物なのだろうと理解していたが、相変わらず沙依にはその感情が解らなかった。自分が彼にそう言う感情を持っているかと言われれば、多分持っていない。彼に恋愛感情を持っていないのにこんなことをすることが良いのかどうかさえ沙依には解らなかった。でも彼に自分が必要だというのならそれに応えようと思った。彼が自分を求めるように自分が彼を求められなくても、自分にとって彼が大切な存在だということは確かだから。
男女問わず常日頃から生死を賭けた戦いに身を投じ続けている軍人が、精神的な負担を軽減させるための手段として行為に依存することはよくあることだった。でも彼のこの行為はそれとはまた違うように思えて沙依には理解できなかった。人の気持ちが読める彼が彼に恋愛感情を持てないままの自分を抱いて空しくならないのだろうか。本当にコーエーは何を求めてるんだろう。以前にも増して彼が何を考えているのか解らない。人に触れるということは安心感を得られることのように思っていたのに、こうして彼に抱かれていると胸騒ぎがして沙依は不安感だけが募っていった。
「お前は何も考えなくていい。俺の傍にいてさえくれればそれでいい。」
そう言われて沙依はいったいコーエーは何をしようとしているのだろうと思った。何か良くないことが起こる気がする。なにか良くないことが・・・。
「コーエー。わたしの記憶何かいじった?」
沙依のその問いに高英は何も答えなかった。
「もしコーエーがわたしの記憶を操作したなら、それはきっとわたしのためだって信じてる。でもコーエー。わたしはあなたに守ってもらわないと何もできないほど弱くはないよ。わたし、何か良くない未来を見たの?それでコーエーはわたしからその記憶を消したの?」
高英と行徳の双子は精神支配の能力を持っており、人の思考が読めるだけでなく、記憶を操作したり人の身体を乗っ取って行動を縛ることもできた。そして沙依は未来視の能力を持っている。しかも確定されてしまった未来が自分の意思とは関係なく不規則に視えると言う全く役に立たない能力。自分の中にある意味の無い悪い予感は自分が視てしまった未来に関係があるのではないかと沙依は思った。そして自分が子供の頃からずっと自分の頭の中を自身の能力で覗いていた高英がそれを知り、そして隠した。今までなら絶対しないようなことを彼がしたのもそのせいではないか、そんな考えが頭に浮かび沙依はそれが事実のような気がした。
「お前が知る必要は無い。お前は何も考えなくていい。」
そう言われて沙依は胸が詰まる思いがした。どうして兄様もコーエーもそういうことばかり言ってわたしを除け者にしようとするの?そんなことを考えて沙依は兄様とは誰なのか疑問に思った。何だろう解らない。解らないけど、何か大切なことを忘れているような気がする。
「頼むから、それ以上考えないでくれ。沙依。俺はお前を失いたくない。」
そう珍しく懇願するような高英の声が聞こえて、沙依はそれ以上深くつきつめる事を止めた。
○ ○
ある日、人気のない路地で普通に成得と遭遇して沙依は不思議な気分がした。彼とこうやって普通に遭遇することなんて今までなかった。いつもなら気配を消していつの間にか背後に回られて抱きつかれて胸やお尻を触られるのに、そんなことを考えて沙依は眉根を寄せた。
「ナルがわたし見つけて抱きついてこないとかなんか凄く変な気がする。」
沙依のその言葉に成得は、司令官の女にそんなことできるわけがないだろと言って人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべ酷く冷たい視線を向けてきた。彼のその態度はいつものことのはずなのに、彼が酷く遠く感じて沙依は何故か胸が苦しくなった。
「ちょっとお前に確認したいことがあるんだけど・・・。」
そこまで言って成得が言葉を詰まらせ沙依は疑問符を浮かべた。急に手を引かれ屋内に連れ込まれて沙依は全く状況についていくことができなかった。
「ナルがそんな焦ってるの初めて見た。」
そう呟く沙依にそりゃ誰だって焦るだろと成得は返すと、誰にも見られてないよなと周囲を確認し、胸をなで下ろした。
「とりあえずそれなんとかしろよ。」
そう言われてタオルを渡されて沙依は疑問符を浮かべた。それを見た成得があからさまなため息をついて沙依の手からタオルを取ると、それで沙依の顔を拭く。その接し方が存外に優しくて沙依は胸の奥から何かこみ上げてくるものを感じた。
「お前な、人が拭いてやってるのに余計泣くなよ。何なんだよ。ガキの頃からあんだけ暴言暴力受け続けても涙一つ見せたことないくせに。意味分かんないから。本当にやめて。」
本当に面倒臭そうに小言を言われているのにその声音が優しく聞こえて、沙依は余計涙が溢れてきた。
「ごめん。わたしも意味が解らない。解んないけど・・・。」
そう言いながら沙依は衝動的に成得の胸に飛び込んで彼にすがりついて泣いていた。解らない。どうしてわたしはこんなことをしてるんだろう。でもこうしていると彼の鼓動が聞こえてきて酷く安心する。どうして?子供の頃から付きまとわれて、胸とかおしり触られて、あんなに日常で遭遇したくない人だったのに。いつも抱きつかれて嫌だったはずなのに。どうして今はこんなに彼にくっついていたいんだろう。どうして涙が止まらないんだろう。コーエーにさえこんなことしたことないのに。きっと恋人がいながら他の男の人にこんなことするなんていけないことなのに・・・。
「お前、いったい何を企んでる?」
酷く冷たい成得の声が聞こえてきて沙依は笑った。そうだよな。わたしがこんなことしたらそう思われるのが普通だよな。こんなこと今まで誰にもしたことがない。もしいろんな事が耐えられなくなって誰かに縋り付くとしてもナル相手なんてあり得ない。なのにどうしてわたしは今こうしたんだろう。こうしてるんだろう。どうしてこの人なら絶対受け止めてくれるって思うんだろう。小さい頃からずっと傍にいてくれた、今は恋人でもあるはずのコーエーにすらこんな安心感覚えたことないのに。どうして・・・。
「次兄様、大好き。」
自分の口から思いもがけない言葉が飛び出して沙依は戸惑った。次兄様って誰?今何でわたしはそんなことを言ったの?そんなことを考えながら顔を上げると驚いた顔で固まる成得と目が合った。
「末姫ちゃん・・・?」
成得の呟きが耳の奥で響いて沙依は一気に沢山のことを思い出した。そうだ、わたしは末姫だ。ターチェの始祖となった地上の神と人間の間に生まれた最初の兄妹の末っ子。わたしはずっと兄様に言われて狂わされてしまった父様が起きないように父様を封じていた。父様が正気に戻ってわたしは兄様を助けるために出てきたんだ。兄様と一緒に父様を狂わせたアレを倒すためにわたしはこの身体に生まれてきた。そして兄様からアレを倒すための訓練を受け、時が来るまで全て忘れていろと記憶を封じられたんだった。
成得がそっと沙依の頬に触れてまた末姫ちゃんと呟く。
「次兄様。」
沙依がそう言うと、成得は沙依を強く抱きしめた。
「末姫ちゃん。何でお前がここにいるんだ?どうやってあそこから出てきた?とりあえず無事でよかった。くそ兄貴に狂った父親と一緒に閉じ込められて怖かっただろ?大丈夫だったか?」
そう言う成得に優しく頭を撫でられて沙依はまた涙が溢れてきた。
「違うの次兄様。わたし兄様に封じられたんじゃないの。父様がおかしくなって、わたしと母様が解らなくなって、わたしを抱え込んで引きこもったの。わたし怖くて、父様のこと夢封じで封じた。兄様は父様を狂わした悪い人をやっつけようとしてた。わたしはそれまで父様が起きないように、ずっと父様を夢の中に送り続けてた。悪い人をやっつけたら兄様が迎えに来てくれるって約束したから、わたしずっと言いつけ守って待ってただけだよ。みんな悪い人やっつけるのに忙しいから、わたしは父様とあそこで待ってるように兄様に言われてたの。悪い人をやっつけたらまた皆戻って来てくれるって、兄様達も姉様も皆戻ってきてくれるって、そう思ったから、わたし我儘言わないで待ってた。全部終わるまで我儘言っちゃいけないって、泣いて皆のこと困らせたらいけないって、そんなことしたら皆に嫌われて皆帰ってきてくれなくなっちゃうと思って、わたし。言いつけ破って出てきてごめんなさい。父様が正気にもどったから、父様が送り出してくれたの。」
そんなことを話しながら泣き続ける沙依の頭を優しく撫でて成得は、あのくそ兄貴はお前が思ってるような奴じゃないぞ、と呟いた。
「どうしてあのクズはお前の記憶を封じてお前にあんな過酷なことさせてた。何回お前は死にかけた?ガキの頃から訓練つまされてよりにもよって死傷率が一番高い第二部特殊部隊なんかに突っ込まれて、ろくずっぽ愛情なんか注いでもらったこともないだろ。あんな天真爛漫だったお前から笑顔奪って、素直に甘えることもできなくさせて。自分勝手な理由で俺たち殺しただけでもそうとうなのに・・・。」
そう怒りを露わにする成得に沙依は懇願した。
「次兄様。兄様を怒らないで。わたしに嘘もついたし間違った事も沢山したかもしれないけど、兄様はいつだってわたしたちを大切に想ってる。兄様は一人で全部抱えちゃって周りが見えなくなってるだけだよ。わたしもナルも兄様の力を破って思い出した。今ならきっと兄様と向き合えるよ。だからお願い。兄様のこと怒るんじゃなくて助けてあげて。わたしと一緒に兄様を助けて。」
そう言われて成得は難しい顔をして少し考えさせてくれと言った。
「俺はお前みたいに純粋に兄貴のことを想えない。あいつに殺された四郎の死体を見て、姉貴と殺し合いしてるあいつの姿を見て、目の前で姉貴が殺されて、そんでもって俺も殺された。どうにか逃がした三郎も結局はあいつに殺されたんだ。いくら肉体を失っても魂が続く限り俺たち兄弟は記憶を保持し存在し続ける事ができると言ってもだ、父親を狂わした奴に俺たち兄弟の力を奪われないためとか言って最初から俺たちを蚊帳の外に置いて、いくらあいつの能力が反則的だったとしても自分一人でどうにかできる訳ないのに、あいつは俺たちを全く頼りにせず、こっちの話しは全く聞かず、自分の妹や弟たちを手にかけたんだぞ。しかもそれを倒すまで俺たち兄弟の魂が現世に留まらないように、コーリャン狩りの風習作って直接ではなくても俺たちを殺し続けた。しかもそのせいで俺たちだけじゃなく、全く関係ない奴も狩りにあうようになって根強い差別ができた。ここまでターチェの数が増えて多数の国が存在するようになって、間違った風習がこんなにも覆せないほど深く根付くまで、いったいどれだけの時間があった?その間あいつは何か一つでも成果が出せたのか?成果が出せなかったくせに間違ったまま突っ走って無駄に犠牲を増やしてきたんだ。許せるわけがないだろ、あんな奴。」
そう吐き捨てる成得に沙依は許さなくて良いよと言った。
「兄様のことを許して欲しいとは言わないよ。でも今だけは、少しの間だけそれは置いておいて。時間がないの。多分、わたしまだ思い出せてないことがあるんだと思う。何を急がなきゃいけないのか解らないけど、急がなきゃいけないんだよ。次兄様の気持ちが落ち着くまで待ってられない。次兄様が一緒にやってくれないならわたし一人でも兄様の所に行くよ。行って話しをしてくる。」
そう言うと沙依は笑った。
「ナル。思い出してくれてありがとう。おかげでわたし本当にやらなきゃいけないことが何か解った気がする。わたし兄様に従順にするんじゃなくて、兄様の目を覚まさせてあげなきゃいけないんだ。小さい頃からずっと兄様を独りぼっちにさせちゃダメだって思ってた。わたしだけは兄様の味方でいなきゃいけないって、傍にいなきゃいけないって思ってた。それがどうしてだか今なら解る気がするよ。」
そう言って沙依は、ナル大好きと言ってそっとその額に口づけをした。自分のその行動に驚いてはっとして成得を見ると彼が驚いた顔で固まっていてなんだか不思議な気分だった。
「お前、俺を殺す気か?こんなことして高英がほっとく訳ないだろ。」
そう言って成得が疑問符を浮かべた。
「そういえば高英は?あいつがこんなこと許すわけがないだろ。なんで割り込んでこない?」
成得のその問いを聞いて沙依は走り出した。それを成得が追う。
「何処行くんだよ。何が起きてんの?」
「解らない。でもコーエーの様子がずっと変だった。最近すごくやつれてたし。コーエーわたしの記憶いじってるんだよ。わたしが思い出そうとしたら、知らなくて良い、何も考えるなって言ってた。わたしのことは自分が守るから傍にいてくれってコーエーわたしに言ったんだよ。だけど軍人辞めろとかそういうことじゃなくてさ、良く解らないけどコーエーきっとわたしを何かから守ろうとしてくれてるんだよ。コーエーは兄様によく似てるから、きっと何か一人で抱えて思い詰めて、一人で何かしようとしてるんだと思う。それできっと何かあったんだ。」
そう言う沙依に、成得は何処に行けばいいか解ってるのかと訊いた。
「わかんないけど、解るよ。こっちにいる。急がなきゃダメだって言ってる。じゃないと・・・。」
そこまで言って沙依が止まった。
「急がなきゃいけないんじゃないのか?」
「ダメ。ナルは来ちゃダメだ。」
呆然と立ち尽くした沙依のその呟きを聞いて成得が怪訝そうな顔をする。
「ダメだ。これはダメな未来だ。」
そう呟いてすっと沙依から表情が消えた。それは一瞬の出来事で沙依は困ったように笑って成得を見た。
「ナル。先に言っておくね。ありがとう、大好き。そしてごめんなさい。」
そう言うと沙依は表情を引き締めて再び走り出した。成得がそれを追ったが沙依は何も言わなかった。
○ ○
「兄様、どうして?」
静かに響く沙依のその問いに行徳は何も答えなかった。
「コーエーは兄様にとって特別だった。コーエーが一緒に生まれて兄様はいつも通りができなかったって、コーエーが普通に生きられたら自分も救われる気がするって言ってたじゃん。」
沙依のその言葉を聞いて、横たわる高英の横に静かに立っていた行徳は、全部お前のせいだと言った。
「高英がこうなったのも全部お前のせいだ。お前がいなければ高英が俺にたてつくこともなかった。お前が余計なことを望まなければこの国がコーリャン狩りを廃止することもなかったし、現世に俺たち兄弟の魂がそろうこともなかった。だからこれは全部お前のせいだ。これは全部お前のわがままが起こした結果だ。」
それを聞いた成得が激怒した。
「ふざけるなよ。それがあんたの見解か。いい加減にしろよバカ兄貴。全部お前のせいだろ。末姫のせいにしてんじゃねぇ。」
その言葉と共に成得が術式を展開させる。
「高英、このくそ兄貴をぶっ飛ばすまでまだ死ぬなよ。お前の援護がないとこいつぶっ飛ばすのも楽じゃない。」
静かにそう言って戦闘をはじめようとする成得の隣で沙依は静かに行徳を見つめていた。
「兄様、解ってるはずだよ。わたしは諦めない。何を言われたって、どういう扱いされたって、わたしは兄様のことも絶対に諦めない。何度仕切り直ししたって、何度ダメだったって、わたしは絶対に諦めないから。他の皆がどんなに兄様のことを許せなくても、どんなことがあったって、わたしだけは絶対に兄様の傍にいる。兄様だけに全部背負わせたりなんかしない。兄様が望まなくてもわたしは兄様と一緒に兄様の罪を背負うから。兄様の方がはやく諦めた方がいいよ。」
それを聞いた行徳はなんとも言えない顔で微笑んだ。
「そうだな、お前は絶対に俺を諦めてはくれないな。本当にお前の存在は迷惑でしかたがないよ。」
行徳のその言葉を皮切りに壮大な兄弟喧嘩が始まった。それを沙依は静かに眺めていた。こんな戦いは意味がない。どちらが死んでも未来は変わらない。兄様が折れない限りどちらも生き残るという道はない。そして今の時点では兄様は絶対に折れない。まだ足りない。兄様が折れるにはまだ足りない。
「お前は戦わないのか?」
「わたしに兄様かそれ以外かを選べって言うの?知ってるでしょ?わたしは欲張りなんだよ。どっちかなんて選ばない。」
「お前には何かを成すための覚悟が足りないな。」
「兄様もわたしもそんなに変わりがないよ。覚悟がないのはどっちさ。自分が間違ってたって認められない弱虫のくせに。」
そう言うと沙依は目を伏せ、術式を展開し高英の傷を癒やした。
「コーエー、ごめんね。ずっとありがとう。申し訳ないけど後は頼んだよ。」
そう言うと沙依は瞬間的に行徳の後ろに回り術式で動きを止めた。
「兄様。一緒にいこう。」
成得の叫び声が聞こえて沙依は胸が痛んだ。既に成得が攻撃のための術式を発動させていた。行徳と共に閃光に包まれて沙依は次兄に想いを馳せながらその生を終えた。
成得が行徳を本当に殺すつもりがなかったことを沙依は知っていた。ただ本気だということを見せつけたかっただけ。避けられると思っていたからこそ本気で放った。そんな成得の攻撃が直撃するように沙依はタイミングを計って行動を起こした。でも知っている。兄様なら本当はどうにでもできた。兄様なら避けられた。それなのにそうしなかったのは、きっと兄様が罰を望んでいるから。いつだって兄様は許されることは望んでいない。次兄様、今回悪いのは兄様じゃなくてわたしだよ。次兄様にそんなものを背負わせたのはわたしだよ。わたしが悪いんだよ。沙依はそう思うが、これで次兄が長兄を許せなくなることも知っていた。自分たちが次に生まれてくるまでに全て終わっている。能力で全てを把握した高英が指揮を執ってアレは倒される。今まで長兄が一人でできなかったことを皆ならできてしまうから、次兄様は兄様を許せない。だけど次兄様はわたしのことは許してくれる。次に生まれてきたとき、こんな酷いことをしたわたしを次兄様は受け入れて受け止めてくれる。わたしはそれを知っている。次兄様、どうしてわたしにはそれができるのに兄様の事は許せないの?次兄様、兄様は許されることを望んでいないから、罰を望んでいるから、いつだって次兄様を怒らせるために嘘を重ねているだけなんだと思うよ。だって結局いつだって次兄様が兄様を許せるようになるのは取り返しがつかなくなってしまった後だ。そんなことを思って沙依はどうして自分がそんなことを知っているのか疑問に思った。そうして沙依はこの生の終わりへと歩みを進めてその命を終えた。




