青木沙依①
沙依が目を覚ましたとき、そこは医療部隊の病室だった。ずいぶんと長い夢を見ていた気がする。どんな夢だったのか覚えていないが、何か忘れてはいけないことがあった気がして沙依は焦燥感に似た思いを感じた。起き上がろうとして酷く身体が重く感じて、沙依は今の自分の状況を思い出した。そうだった。出兵し、自分は死にかけたのだった。そう考えて、沙依はいったい自分はどれだけ寝ていたのだろうと思った。
「まだ動けるような状態じゃないぞ。横になっていろ。」
病室に入ってきた沙衣にそう言われて沙依はおとなしく横になった。
「運ばれてきた時は生きていることが奇跡ぐらいの状態だったんだ。いくらお前が生死に関わるほどの怪我をすると自分の意思と関係なく人体蘇生術が発動し怪我の修復が行われるとはいえ、戦闘で練気を消耗した後にあれだけの怪我を治すほどの練気を消費すれば動けなくなるのも当然。たった三日寝込んだだけで意識が戻る方が驚きだぞ。」
そう言いながら沙衣は点滴の準備をし、沙依の腕に針を刺した。
「今まで面会謝絶にしておいたがその様子だと面会を許しても大丈夫そうだな。今後の状態にもよるが、あと二日程様子を見て退院予定にしておこう。」
簡単に診察をしながら沙衣はそう言って軽く微笑んだ。
「無事で良かった。話しによるとお前、一馬を追い込むためにわざとあの編成で出兵したそうだな。第二部特殊部隊をまとめる事がたやすいことでないことは解っているが、あまり無茶はするな。命あっての物種だぞ。無理だと思ったら引いたっていいし、こんなバカな事をしなくては部隊を纏められないというのなら軍人なんて辞めてしまえ。もしこのままの状況が続いてお前に何かあったら、お前の部隊はわたしが皆殺しにしてやる。」
沙衣が狂気に満ちた冷たい視線を自分に向けながら静かな声でそう言ってくるのを、沙依は静かに見つめていた。見慣れた沙衣の顔。彼女の言動も表情もいつもと変わらないはずなのに沙依は何故かそこに違和感を覚えた。
「沙衣にそんなことをさせないように善処するよ。」
それだけ言って目を伏せる。沙衣に対する違和感が拭えず何故か胸が苦しくなる。三日も眠っていたからまだ感覚がおかしいのかもしれない。そう考えて沙依は目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。そして夢を見た。幸せな夢だった。自分が家庭を持って、夫と子供に囲まれている夢。夢の中に出てきた夫は・・・。
「いや、あり得ないよ。」
そう言って目が覚めて、沙依は何があり得ないんだ?と怪訝そうな顔をした一馬と目が合った。
「お前の意識が戻ったって言うから様子見に来たんだが、思ったより元気そうだな。」
そう言って一馬が気まずそうに、悪かったなと呟いた。
「俺が悪かった。もう二度と同じ事はしない。これからはお前の命令に従うよ。」
そう言って一馬が真っ直ぐ真剣な目を向けてきて沙依は笑った。それを見た一馬が顔を顰める。
「お前どっか変なとこ打ったのか?それとも三日も寝てておかしくなったか?」
一馬にそう言われて沙依は疑問符を浮かべた。それを一瞥して、まあいいやと一馬が呟く。
「俺がバカだったのは良く解ったから、これからはお前の副官としてちゃんとする。お前を隊長と認めない奴は俺がぶっ飛ばしてやるから、とりあえずちゃんと休んでから戻ってこい。」
そう言って頭を撫でられて沙依は不思議な気分がした。
「わたし一馬に前にこうされたことあったっけ?」
そう言う沙依に一馬は怪訝そうな視線を向けて、沙依の頭に乗せている自分の手を見つめて、多分ないと言った。
「こう見るとお前本当にどちびだな。」
「お前が無駄にでかいだけだから。確かに背小さい方だけどそこまで小さくない。」
沙依が憮然としてそう言うと、一馬は目を細めて沙依に暖かい眼差しを向けた。
「何だろうな。今日はお前が普通のガキに見える。」
そう言う一馬に沙依は不機嫌そうにわたしもうとっくに成人してるけどと言った。そんな沙依の頭をぐしゃぐしゃ撫でて、一馬は行くわと言って病室を出て行った。そんな一馬の背中を見送って沙依は意味が解らないよと心の中で呟いた。わたしがおかしいんじゃなくて、一馬の方がおかしいと思う。何あの態度。あんなの一馬じゃない。そんなことを考えながら沙依は撫でられた頭を自分で触ってみて、なんとも言えない思いがこみ上げてきて泣きたくなった。あんなの一馬じゃない。いつだって人の話し聞かないで、怒鳴って殴って投げ飛ばしてぼこぼこにして、いつだってわたしのこと追い出そうとしてたくせに。わたしを第二部特殊部隊から追い出すのを諦めたのは解ったけど、だからといって急にあんなに態度変わるとか本当に意味が解らない。そう思いつつ、撫でられた感触が酷く懐かしい気がして、向けられた温かい眼差しが酷く懐かしい気がして、沙依の心はざわついた。こんなの知らない。解らない。誰かにこんな風に触れられたことなんてないはずなのに、なんで・・・。そんなことを考えて沙依は誰かの背中を追う幻を見た。四兄様、わたしも一緒に連れて行って。そんな言葉が頭をよぎって沙依は苦しくなった。四兄様って誰?そんな人知らない。帰りたい。何処に?皆の所に。皆って?解らない。怖い。ダメ。わたしにはやらなくちゃいけないことがある。それができるまで他を望んだらいけない。誰も頼っちゃいけない。一人で頑張らなきゃいけない。そんなことが頭の中をを巡って、やらなきゃいけないことって何?わたしは何をしなきゃいけないの?そんな疑問が頭に浮かんで、深く考える前に睡魔に襲われ沙依はそのまま眠りに落ちた。
○ ○
「さすがにまだ調子戻らないか?死にかけるのは昔からしょっちゅうだったけど、三日も意識戻らなかったのは初めてだもんな。」
あんみつを食べながら隆生がそう言ってきて沙依は眉根を寄せた。
「別に調子悪くない。病み上がりだと思って隆生がいつも以上に手を抜いてたんだとしても、わたし別にそんなに動き悪くなかったし。調子悪いって言われる意味が解らない。」
それを聞いた隆生が動きは普段以上に良かったなと言ってきて、沙依は怪訝そうな顔をした。
「身体の方は戻ってるみたいだけど心の方がさ。訓練所でお前俺にくってかかってきたじゃねぇか。いいかげん子供扱いして手を抜かずに本気で相手しろってさ。今までも同じようなこと言ってきたことあったけどあんな感情的になったことはなかっただろ。」
そう言われて、そういえばそうだなと沙依は思った。隆生とは自分が子供の頃からお互いの非番が重なると訓練所でおやつを賭けて勝負をしていた。そして毎回自分が勝ってこうして甘味処で甘味を奢ってもらっていた。沙依はいつも自分が勝つのは彼が手を抜いているからだと昔から思っていた。それが対等と認められていない気がして昔から嫌だった事は確かだが、今までそれに対し本気で噛み付いたことはなかった。彼が自分を舐めてかかって手を抜いているのではなく、これ以上はいくら訓練用の模造刀であっても軽い怪我で済まなくなってしまう危険性があるからだと解っていたし、男相手ならそんなこと気にしないくせにとは思うが、女子供相手なら誰に対してもこうなのだからしかたがないと思っていた。それなのにどうして今日はかっとなってしまったんだろう?そんなことを考えて、沙依は自分の感情が理解できなくて頭を悩ませた。
「死にかけたのが関係ないなら、流石のお前もあの第二部特殊部隊の隊長つくことになって限界来たか?一馬を手懐けて出だしはなんとかしたみたいだけど、お前にゃ荷が重すぎるだろ。行徳に言われたからって理由だけでこなすには限界があるぞ。」
諭すようにそう言われて、沙依は別に行徳さんに言われたからやってるんじゃないと呟いて、不服そうな顔をした。それを聞いた隆生がじゃあどうして隊長してんだよ、と訊いてくる。
「わたししかできる人がいないから。行徳さんだって本当はわたしじゃなくて一馬を隊長にしたかったと思うよ。でも一馬はああだから隊長としての役割こなせないじゃん。一馬がちゃんとすればわたしだって用済みだよ。だからわたし一馬を何とかしようとしてこないだ出兵したんだし。」
ふて腐れたように沙依がそう言って、隆生がデコピンをした。
「しょうがないからじゃなくて、お前は自身はどうしたいんだよ。結局お前は自分がどうしたいかじゃなくて、どうすることが効率的かとか、集団利益に繋がるかとか、行徳が望んだ結果になるかとか、そんなことしか考えてないだろ。それで自分の命や人の命まで粗末にしやがって。そういうこと繰り返すことも、今の立場の重荷も背負い切れてないから、今まで通りができなくなってんだろ。もういい年なんだからいいかげん行徳の犬なんてやめて自分の意思で歩いてけるようになれよ。」
そう言われて沙依は、ちゃんと自分で考えて動いてるしと言って不機嫌そうな顔をした。
「自分で考えることと自分の意思で歩くことは違うからな。自分が本当に何したいのかもちゃんと解ってないくせに、それで自分の意思で動いてると思ってるなら大間違いだ。能力で縛られてなかったとしても今のお前は結局行徳の操り人形でしかないんだよ。」
苛ついて吐き捨てるように隆生はそう言うとそっぽを向いた。
「結局俺が何言ったってお前は行徳の言うことが絶対なんだろ。全くあのバカはガキの頃から徹底的にお前のことこんな風に妄信的に育てて何考えてんだ。高英もそれを放置して。あの双子は本当にろくなもんじゃない。」
「行徳さんやコーエーを愚辱するのはいくら隆生でも許さない。発言を撤回して。」
そう言って沙依が隆生に殺気を向けて、隆生は絶対に撤回しないと言って沙依を睨み付けた。
「お前らが喧嘩するとか珍しいな。」
そう声がして、沙依はいつの間にか背後にいた成得に抱きしめられた。
「相変わらず小さいな。背はそんなに伸びなかったくせに胸はこんなに立派に育って、尻も良い感じに肉ついてるし、成長に必要な栄養全部胸と尻に回っちまったんじゃないのか?」
そんなことを言いながら成得が胸をもんでくる。
「こんないいもん持ってるのに使わないとか本当にもったいないよな。お兄さんがこれの有効的な活用方法を教えてやろうか?」
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべ沙依の耳元でそんなことを言う成得に、隆生は沙依に向けていた視線をそのまま向けて、お前いいかげんにしろよと言った。
「お前も本当にこいつがガキの頃からそんな風に付きまとってそんなことばっかして、何考えてるんだよ。沙依ももうガキじゃないんだから自分が何されてんのかわかってるだろ。されるがままになってないでちょっとは抵抗しろ。」
「だって反応すると相手を刺激するから無視しろって。」
「また行徳に言われたからか?そういうことされてお前は嫌じゃないのかよ。もう勝手にしろ。」
そう言って憮然としてそっぽを向く隆生に沙依も憮然とした視線を向けた。
「実年齢はともかく沙依は中身がガキなんだから大好きな父親を悪く言われたら話聞かなくなるなんて当たり前だろ。言いたいことは解るけどお前もう少し言葉選べよ。」
成得は隆生にそう言うと沙依の頭を撫でながら沙依に話しかけた。
「お前は大好きなお父さんのために頑張ってるだけだもんな。お父さんが大好きだから頑張ってるだけで、強制されてる訳じゃないんだもんな。お前は自分の意思であいつに従順にしてるんだもんな。」
成得の声が何故か優しい響きで耳に入ってきて沙依は気持ちが落ち着いた。そうだ。わたしは自分で決めてそうしてるんだ。行徳さんに強制された訳じゃない。小さい頃は徹底的に訓練されて色々言われたけど、今は別にどうしろとか言われたことはない。小さい頃の訓練だってわたしがちゃんと生きていけるように行徳さんは厳しくしてただけだもん。言うこと聞けとか従えとか言われた事なんてない。わたしはわたしの意思であの人について行ってるんだ。そんなことを考えながら沙依は成得の声に耳を傾けていた。
「どうしてお前はそんなにお父さんのことが大好きで、どうしてお父さんのためにそんなに必死になるんだ?」
静かな成得の声が耳に入ってきて、沙依はわたしはあの人の傍にいなきゃいけないからと言っていた。
「行徳さんを独りにしちゃいけない。わたしが助けなきゃいけない。わたしだけは何があってもあの人の味方で、あの人の傍にいなきゃいけないんだ。じゃないと皆が帰ってきてくれない。皆ばらばらになっちゃう。」
そう言葉にして沙依ははっとした。怪訝そうな顔でこちらを見る隆生と目が合う。今わたしは何を言った?行徳さんをいったい何からわたしは助けるの?皆って誰?意味が解らない。沙依は自分の言葉に混乱した。自分を見失いそうな不安定な感覚の中で自分を抱きしめる成得の温もりだけは妙にはっきり感じることができて、沙依はそこに安心感を覚えた。
「ナルは何を知ってるの?わたしは何?」
「それは俺が知りたいな。いつも訊いてるだろ?はっきりしない情報でもいい。お前の知ってること全部吐いちまえよ。どうしてお前は行徳にあんなに妄信的なんだ?行徳はお前にいったい何をさせようとしてる?お前はその答えを知ってるだろ。」
成得の声に誘導されるように自分の思考深くに意識が落ちていって沙依は幻を見た。顔の見えない誰かが、少し困ったようにお前は俺を諦めてくれないなと言った。その誰かに大きな手で頭を優しく撫でられ、そしてわたしは・・・。
「ナル。ナルはいつもわたしのこと捕まえて胸とかお尻とか触ってくるけどわたしとそういうことしたいの?」
沙依のその言葉に成得がはぁ?と声を上げ訳がわからないという顔をした。
「いや、お前この流れでその質問っておかしくない?今日こそはお前から何か聞き出せるかと思ったのにそれかよ。」
呆れたようにそう言う成得に、沙依はナルは本気でわたしから何か聞き出すつもりがあったの?と訊いた。
「なんとなくだけどナルの目的はそっちじゃない気がする。知りたいことがあるのは事実なんだろうけど、知ることが目的じゃないと思うんだ。違う?」
そう言われて成得の雰囲気が一気に冷たいものへと変わった。
「沙依。お前第二部特殊部隊なんか辞めてうちにこいよ。お前のその勘の良さもその容姿も全部情報司令部隊の戦力になる。他に必要な技術は全部教え込んでやるからさ、だから俺のものになっちまえ。」
冷たい響きの成得の声。言っていることとちぐはぐな暖かな雰囲気。意味が解らない。
「ナルはわたしが欲しいの?」
「ぜひ欲しいね。」
「それはどういう意味で?」
成得の返事を待たずに沙依は言葉を続けた。
「ナルはわたしと一緒になりたいと思う?わたしと家庭を持ちたいなって思う?」
「お前何言ってんの?意味がわかんないんだけど。」
冷たい声のまま見下すような視線を向けて成得がそう言ってきて、沙依は自分でも良く解らないと思った。
「ナルと家庭を持って子供に恵まれる夢を見たんだ。それを見たときあり得ないと思った。でも今こうされててわたしさ、ナルにこうやって抱きしめられるの嫌いじゃないって解ったんだ。胸やお尻触られるのは嫌だけど、こうやってぎゅってされるのは嫌じゃない。むしろ好きかもしれない。ナルにこうされてると凄く安心する。だからそういうのもあり得なくないのかなって思ってさ。」
そう言って俯いて黙り込む沙依を見て成得は腕を放して離れ、頭を掻いた。そして、今日は調子が狂うと言って沙依の頭をぽんぽん撫でると去って行く。その後ろ姿を見送って沙依は不思議ともの寂しい思いがした。
「お前、どっから何処までが本気なんだ?」
成得が去った後、訝しげに顔を顰めた隆生にそう訊かれて沙依は全部と答えた。
「わたし嘘はつかないよ。コーエーが嘘つかれるのは辛いって言ってたから、わたし嘘つくのはずっと前にやめたんだ。」
そう言って沙依は机に突っ伏した。
「隆生、わたし変だ。自分の感情も感覚も本当に意味が解らない。自分が言ってることも意味が解らない。さっきはごめん。隆生がわたしのこと心配して言ってくれたって解ってる。でもさ、行徳さんもコーエーも悪い人じゃないよ。二人ともわたしの家族で、わたしのこと大切に想ってくれてるって信じてる。わたしは別に何か強制されていろんな事をしてるわけじゃないんだ。それだけは信じて。」
そう言う沙依に解ったから顔上げろと隆生は言った。
「俺も悪かった。やっぱお前まだ本調子じゃないんだろ。」
そう言ってもう一個なんか食うか?と隆生から品書きを渡されて沙依は遠慮なく注文した。
○ ○
沙依は第二管理棟の統括管理官執務室へと足を運んだ。そこには養父である行徳がいる。沙依は彼に会いに来た。父に、いや一番上の兄に沙依は会いに来た。
「兄様、わたし思い出したよ。」
そう言う沙依に静かな瞳を向けて行徳は穏やかに笑いかけた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
そう言われて沙依は俯いた。
「兄様、一つ訊かせて。どうして兄様はこんなことを続けるの?」
沙依のその問いには答えず、行徳は全部お前のせいだと言った。そう言う行徳の顔が、遠い昔、自分がこの身体に生まれる前、彼と兄妹だった頃に彼が向けてきた顔と重なって沙依は胸が苦しくなった。あの頃から兄様は変わらない。あの頃兄様がわたしにまだ知らなくていい事だから忘れろと言ったわたしが見た夢は、きっと忘れちゃいけないことだったんだ。そう思って沙依はどうすれば良かったんだろうと思った。きっとあれは夢じゃなかった。きっとわたしが見ていたものは自分が辿ることになる未来の可能性だった。それを思い出した今、自分は兄様の嘘を知っている。兄様がわたしの記憶を書き換えて勘違いさせて、嘘が本当だと思い込ましていた事を知っている。でも沙依は、本当は兄が何をしようとしているのかも、自分がどうすれば良いのかも解らなかった。
「今まで起きたこともこれから起こることも全部お前のせいだ。全部、お前が俺を諦めないから悪いんだ。」
行徳はそう言って立ち上がると沙依に近づいてその頭をそっと撫でた。
「解ってるだろ?自分が一番幸せな未来がどれかって事ぐらい。お前はいったい何が不満なんだ?」
「でも兄様はいない。いつだって兄様はそこにいない。わたしは兄様もいなきゃ嫌だ。」
泣きそうな声でそう言う沙依に行徳は困ったように笑った。
「本当にお前のわがままには手を焼かされるな。」
そう言って行徳は沙依に忘れろと言った。
「解ってるだろ?そのままじゃ最悪の未来しかない。決心がつかないなら忘れなさい。忘れれば全部今まで通りに戻って、多少の誤差があってもお前が視たままの未来が訪れるだけだ。多くの犠牲は出るが平和な時代が訪れる。辛いことも多いかもしれないが、お前も幸せになれる。」
そう言われて沙依の目から涙が零れた。
「兄様、どうして?どうして・・・。」
何かを言おうとした沙依の言葉を遮って行徳はまた、全部お前のせいだと言った。
「お前こそそろそろ妥協しろ。お前が望むような全部が上手くいく未来なんてあり得ない。そんなことはお前が一番よく解ってるだろ?お前には全ての分岐が視えるんだから。」
そう言って行徳は忘れろとまた言った。
「お願いだから言うことを訊いてくれないか?俺にあまり近づくな。忘れさせても想いが強くなるとお前はすぐ思い出してしまう。あれが起こるまではお前は何も思い出すべきじゃない。そうしないとお前は俺だけじゃなくて全てを失うことになるんだぞ。未来を視れば視るほどお前の想いは強くなって俺の力が効かなくなる。だからお前の記憶も力も俺が能力で封じているというのに。本当にお前には手を焼かされる。」
そう言って行徳は少し辛そうな顔をして笑った。
「次郎にもまだ思い出されたら困るんだ。だからあいつにもあまり近寄ったらいけないよ。」
そう行徳の声が聞こえて、優しく頭を撫でられる感触と共に沙依は意識を失った。




