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9/18

敗北を知る

<敗北を知る>


結衣さんが隣に越してきたのはまだ桜が咲く前だった。

だけど早いもので、今は夏。

すっごく暑い。


クーラー欲しいー


デイトレの成果で20万円ほど証券口座内のお金も増えているし、クーラー買っちゃおうかな。

グッタリしながら着替えをしていると、隣の窓のカーテンが開く。


「健二君、出発しようか?」


今は朝の6時。

これから、結衣さんのリハビリの手伝いである。

実は結衣さんは、こっちに引っ越してくる前から早朝にリハビリをして、それからデイトレをしていたらしい。

どうりで、僕がどんなに早起きしても、結衣さんの部屋から音楽が聞こえていたはずだ。

だって僕は、どんなに早起きしても7時まえには起きないから。


で、歩行補助マシーンの訓練の話の中でそんな事を聞いたので、だったら朝のリハビリも手伝いましょうかという事で、今に至わけです。


いつものように結衣さんが窓越しに鍵を投げてきたので、それを受け取り僕は結衣さんの家に入る。

朝なので静かに結衣さんの部屋に行くと、肩を貸して階段を降りた。


玄関から電動カートを出すと、僕らは朝の静かな街の中、公園に向う。

まだ6時なのに、駅に向う会社員風の人をチラホラ見る。

社会人って大変だな…。


10分ほどで公園についた。

この公園は、もともとは熊本藩のお狩場だったところを、戦後に公園にした場所らしく結構広い。

公園の周りには学校も沢山あるので、お狩場はかなり広かったのかなと思ってしまう。

公園の中には大きな池や、花壇とかもあって散歩するには丁度良い場所だ。


公園内の広場に着くと朝の体操をしているご老人達に挨拶をする。

「おはようございます。」


するとご老人達が、ワラワラとゾンビのように集まってきた。

「あらおはよう。毎朝頑張ってるわね。」

もう結衣さんは、ご老人達のアイドルにみえる。

足が動かなくても、どっちかといえば美人だし愛想もいいしね。


少し腰が曲がった中島さんと言うお婆ちゃんが楽しそうに声をかけてくる。

「おはよう結衣ちゃん。今日も早いわね。」

「中島さんおはようございます。今日もコレつかいますか?」


そういいながら結衣さんは僕の肩を借りて立ち上がる。

すると嬉しそうに中島さんが電動カートに乗り込んだ。


「うふふ、いつも悪いわね。これとっても楽しくて。ちょっとお借りしますね。」

そういうと、公園内の散歩ロードを走り出した。


他のご老人もワラワラ「次は私が借りても良い?」とか「バイクに乗っていた頃を思い出すな。俺にも貸してくれ」言いながら寄って来る。


結衣さんはニコニコ受け答えるた。

「私は7時までここに居ますから、ご自由に使ってくださいね。」


嬉しそうにご老人達は、順番を決める話し合いを始めた。

これって、公園一周100円とかとれるんじゃないかな。


もしかして結衣さんが人気なんじゃなくて、電動カートが人気なのか?

ま、いいか。


鉄棒の運動や腹筋とかを手伝うと、次は芝生でゴロゴロ暴れだす。

この芝生でゴロゴロは、結衣さん的には外せないリハビリらしい。


ひとしきりゴロゴロすると、

座りながらジャンプして横に移動したり、

僕の補助で立ち上がったあとわざと前に倒れて前周り受身したり、

立った状態から僕の補助でユックリ倒れながら頭を守る練習をしたりする。


それが終わると、最後に足の曲げ伸ばしをする。

もちろん自分で動かせないので、僕がまげて伸ばしてをするのだ。

動かないからと言って、動かさないのは良くないらしく、外部から無理やる動かすことで足が弱りすぎることを防ぐのだ。

この作業のお陰で、実は僕も筋肉がついた。


人の足を動かすのって、かなり重労働だから。

お陰で引き篭もりな僕も健康体です。

時々、ご老人が足運動のお役目を代わってくれる。


若い結衣さんに触りたいだけな人もいるし、良い運動になるからと言う人もいる。

他にはカートを借りたお礼にという人もいるけど、そういう人には足首の曲げ伸ばしだけお願いしているんだ。

足全体の曲げ伸ばしは重たいから。


そして7時くらいに帰宅する。

公園には40~50分くらいしかいないのに、随分充実した運動をしていると思う。

1人でボーっと部屋で過ごしていたころの一時間はあっというまだったのに、運動の1時間は長い。


家まで電動カートで移動していると、時々カゴの中にお菓子が入っていることに気づく。

ご老人はお菓子をあげるのが好きらしい。


この御菓子はデイトレード中に食べるのに丁度いいので有りがたいです。


家に帰り着くと、そろそろ結衣さんのお母さんが起きているので、引き渡して朝リハビリ終了だ。

正直、僕も良い運動になるので汗だく。

でも先にご飯を食べるかな。

凄くおなかすいたから。


リビングではお父さんが朝食をとりながらテレビを見ていた。

僕も座ると、置いてあるコーヒーを自分のカップに入れる。


「おはよう」

「おはよう」


目の前のパンをトースターに放り込む。

お父さんがコーヒーを飲みながら僕を見た。


「最近は結衣ちゃんのリハビリを手伝ってるそうだな。リハビリっていうのは大変なのか?」

「どうだろう。僕にとっては対したことしてるようには見えないけど、結衣さんには大変かもね。とくに毎朝やる前回り受身は『があぁ』とか叫びながらやってるな。」


お父さんの顔が明らかに驚いた。

「え、前回り受身?そうか、倒れたら踏ん張りが利かないから勢い良く倒れそうだものな。そういえば叶さんに結衣ちゃんの安全の為に、健二に介護のバイトとして付き添ってもらえないかって頼まれていたんだが・・・。」


「そんな事頼まれていたんだ。でもそういう事は教えてよ。」

「そうなんだが、だけどお母さんが『弟子が師匠の面倒を見るのは当たり前なんですから、こき使っていいんですよ。文句言ったら、私がゲンコツ入れておきますから遠慮なくやってください。』って言って断ったんだよ。それで話はなくなった。」


「マジか。まあお金なんて貰わなくても良いけど、そういう事は本人に教えてよ。」

「そうだな、うっかりしていた。すまんすまん。」


するとお母さんがキッチンから卵焼きを持ってきた。

「ほらアンタの分だよ。そうそう、明日はお隣さんで食事会をするから予定入れないでよ。」

「わかった。まあ予定はないから問題ないけど。」


そのあたりでお父さんが会社に出発したので、僕も水シャワーを浴びて部屋に戻る。

暑い日は水シャワーに限るよ。

部屋に戻ると、窓の前で結衣さんがドライヤーで髪を乾かしていた。


別の家の別の部屋のはずなのに、距離的な問題のせいで生活の距離が近い。

なまじ同じ家に住んでいるよりも結衣さんの部屋との距離は近いと思う。


おたがい1メートル程度しか離れていない窓を開けているから、本当に1日のうち12時間くらいは同じ部屋にいるような錯覚すら覚える。


「結衣さん、そういえばそっちの部屋にはクーラーついてるんですか?」

「え?ごめん、ドライヤーの音で聞こえなかった?なんか言った?」


最近は僕も遠慮がなくなってきたな。

「あ、すいません。そっちの部屋ってクーラーるいているですか?僕の部屋はクーラーがないから暑くって。」

「クーラーついてるよ。なんだったらコッチの部屋で過ごしなよ。クーラーつけると足が冷えて痛くなるから私はあんまり使わないけど。」


「え、痛くなるんですか?だったらクーラー付けないほうがいいですよね。」

「うーん、そうでもないんだよね。上半身は暑いから足に毛布をかけてクーラーを入れことはあるんだよ。でも1人だと動かないし喋らないからすぐ足が冷たくなっちゃうんだよね。人がいると話したりして血が循環するせいかクーラーいれても大丈夫なんだ。」


「へー、じゃあ定期的に僕が足の稼動リハビリ運動を手伝えば良い感じですか?」

「それは凄く助かるよ。」


っというわけで、いつもどおり結衣さんの部屋に移動したら窓を閉めてクーラーが入った。

涼しい・・・

クーラーは人類三大至宝の一つだね。


さてさて、ではいつもの流れ。

いま8:30分。


ここで証券口座のアプリを起動しつつ、WEBで今日買う銘柄の会社の情報を検索する。

っというのも、証券取引は15時までなんだけど、会社の良くない情報は15時以降に発表されるんだ。


だから、まずは目的の銘柄の会社が昨日株価に影響を与えるような発表をしていないか調べるところから始める。

ついでに5~6秒ほど中国市場とNYダウのグラフを見て、さらにドル円の動きを見る。

最後に日経平均を確認。


そして目的の銘柄の売買ページを開いて準備完了になる。


だけどこの日は少し異常があった。

どうやら昨日、僕がいつも1円作戦で買う大手の建設会社が耐震強度の偽装をしていたのがバレたらしい。


そのことを結衣さんに報告する。

「昨日やばい事になったみたいです。どうしましょう?。」

「あちゃあ、これは今日はダメだね。もしも健二君が信用取引の申請をしていたなら儲けるチャンスだけど、まだ現物取引(口座内のお金だけで取引する)だけしか出来ないから、この銘柄はしばらく関らないほうがいいよ。」


なんか、やっぱり厄介な事になるらしい。

「っていうことは、この銘柄は株価が落ちまくるってことですか?」

「うん、開始早々落ちてるだろうし状況によってはストップ安になるかもね。」


ストップ安と言うのは、その銘柄が決められた値段よりも低くなると強制的に取引が中止になること。

逆に、急激に値が上がりすぎてもストップ高という状況で取引が止まるらしい。

どちらも、株価の安全装置として設定されているらしいんだけど、珍しい現象らしくて、僕はまだ一度も見たことがない。


困っていると、結衣さんがプリントアウトして一枚の紙を渡してくれた。

そこにはビッシリと箇条書きの文が書かれている。


「丁度いいからルールつくりについて説明しようか。そこに書いてあるのが私のルールだよ。ルールは毎日一度は目を通して確認するくらいの方がいいから、健二君もルールを作ったらプリントアウトして毎日読むんだよ。」

「おお、これが結衣さんのルールですか。結構な量がありますね。」


「そうだね。でもこの1年以上は変更されていないんだよ。健二君も少しずつ作っていくといいよ。」

「ふーん、ルール作りか。これで本格的に始めるて感じがしますね。」


「そうだね。じゃあ今日は1円作戦以外でやってみて。一日の中で大きく値動きのある銘柄で、なおかつ売買出来が多いもので選んであるでしょ。20万くらいは授業料として捨てるつもりでやるんだよ。じゃないとかえって損するからね。」

「メンタルですね。了解です。よーし、デイトレーダー健二の伝説を作っちゃうぞ。」


「ふふふ、がんばってね。」


急いで今日買う銘柄を選ぶ。

実のところ、今までコツコツ調べていたので候補はとっくに決まっているのです。

某金融ローンの会社。


売買高も多いし、一株400円と手ごろで、一日に10円以上動く。

ここしかないでしょ。


寄り付き(開始と同時)で1500株購入の予約でセット。

いつもなら400円くらいの銘柄だけど、確実に買うために405円以下で指値セット。


これは設定した金額よりも、株の実値が低ければスグに買えるので多めの金額でセットしたのです。

べつに400円の株価に405円とセットしても、多めに設定した金額は取られないので、問題なし。


二ヶ月前なら3000株購入するところだけど、今日は我慢した。

持ち金の全額突っ込みは結衣さんに注意されているので、今回は持ち金の半額『60万円』だけ投入。


現在8:59分。


う、ちょっとドキドキする。


リアルタイムで値動きが見えるアプリを睨みつける。

さあ来い。


時計が9:00を示す。


アプリの画面の数字が動き出す。

開始値は・・・406円。

え!


しまった405円で設定していたのに。

僕は慌てて指値を406円にする。


よし設定完了。


そして画面を見ると、もう407円になっていて買えていなかった。

うがあああ。


慌ててすぐに407円・・・いや念のため409円に設定して購入。


画面を見ると「約定」となっていた。

408円で買えたようだ。

ふう、一安心。


そこで値が動かなくなる。

むむ、どうした金融ローン。お前の力はそんなものか?

さあ、高金利で平民共を苦しめて真の資金力を開放するのだ。


見ていると、ピコっと409円になる。

遅い。


もうしばらく見ていたら、またピコっと410円になる。

ま、開始してまだ5分だしな。

だめだ、見ているだけで疲れる。


そこで結衣さんが覗き込んできた。

「お、すこし上がったね。ちゃんと目標設定で何円上がったら売るかスグに設定しちゃってね。それと逆指値(指値と反対の動きをする値段指定法)で、暴落対策もするんだよ。」


「おっと、そうでした。すぐに指定します。」

あわてて、目標金額を考える。


この銘柄は一日の中で12円くらい動く。

開始が406円だったから、最大で418円まで上がる可能性があるとしよう。

念のため8円分だけ狙うとするなら目標金額は414円だ。


408円で買ったから、利益は9000円。

手数料を引いて7000円。

20%の税金が引かれて5600円が純利益か。

悪くない。


僕は気を取り直しまずは売り設定を414で設定した。

次に逆指値。

つまり損をするならいくらにするかを決める。

4000円くらいでいいかな。

購入値段よりも3円下の405円に設定した。


ここまで設定して値を見ると411円まで上がっている。

あれ、この勢いならすぐに414円になりそうだぞ。

もっと多めに狙ったほうがいいかな?


あわてて売値を416円に増やす。


よし、これで儲けは純益9440円に増える。

あれ、これって密かに新記録じゃないかな。

夢が膨らみんぐ。


一時間後


夢がふくらむ?

そんな事を考えていた時代が私にもありました。


なんと、414円まで上がったところで値の上がりが止まり、ジリジリと値が下がりだしたのだ。

うおおおお、上方修正するんじゃなかった!


でもまだだ、まだ俺の金融ローンは死んではいないぞ。

がんばれ!闇金をしてでもがんばれよ!


しかし、無常にもピコっとまた1円値が下がった。

現在408円


買ったときの値段だ。

今売ったら、手数料が引かれる分、損をすることになる。

もっと下がるのだろうか?それとも回復するのだろうか?


悩む。


悩んだら結衣さんに聞こう。

「結衣さん、一瞬いいですか?。」

するとヒョコリと画面を覗き込んできた。


「困ったことでも起きた?。」

「実は失敗した可能性が・・・。」


結衣さんは僕の画面を操作して、日足と分足のチャートを見比べる。

「ああ、これは多分賭けになるよ。わたしなら今損切りするかな。このロウソク足っていうチャートでみると、このところ陰線(寄りの株価よりも大引きの株価の方が低い状態を示す)で終わっているでしょ。今回もそうなるんじゃないかな。移動平均線の5日線も25日線にぶつかって跳ね返られそうだし。」


「久しぶりに、結衣さんの言っていること意味がわからない。でも・・・僕はコイツを信じてみようと思うんです。こいつならやってくれそうな気がするから。」


「そうかあ、よし、だったら何も言わないよ。健二君の道をあゆむのだ。」

「はい、師匠!」


結衣さんは、紙になにか書き記すと、その紙を裏返しにして僕のノートPCの下に差し込む。

「困ったことが起きたら、その紙を読んでね。」

「え、あ、はい。」


そのまま値は一進一退をくりかえし、なかなか動かない。

時々思い出したように、気分転換の為に結衣さんの足の屈指を行いつつ、あっという間にお昼になった。


一旦お昼を食べに家に戻る。

お昼を食べながら考えることは、『このまま負けたらかっこ悪い』という事だ。

勝たねばならないのです。

初めて1円作戦以外のトレードをしたんだもの、勝ちたい。


食べ終わるとすぐに結衣さんの部屋に戻り、結衣さんをトイレに運ぶ。

そこで、ふとさっき結衣さんが渡してくれた紙を思い出した。

部屋に戻るとそっと引っ張り出して中身を読む。


すると・・・・


『その銘柄は、これからしばらく値が下がるよ。

今日売らないと、身動き取れなくなると思う。』


予言が書いてあった。

なんと・・・・。

結衣さんはこのチャートと呼ばれるグラフからそれが予想できるんだろう。

どうする俺?


予言に従うか?運命に抗うか?

決めるのだ勇者健二。


悩んでいると結衣さんが帰ってきた。

結衣さんをベッドに移すと僕はもう一度悩む。


売るか?待つか?


そんな僕を結衣さんは生暖かい目で見ていた。

「私は午前中で沢山稼いだから午後はヒマだよ。いつでも声掛けてね。」

「はーい。」


しばらくすすると結衣さんが僕を手招きする。

「ほらこの画面見て。今回不祥事をい起した会社の株価だよ。」


いつも1円作戦でお世話になっている、某建設会社のチャートが見える。


でも昨日まで198円だったのに、今は118円になっている。

しかも、11時くらいから、5分足のチャートが止まっている。

「11:5分で取引が止まっているでしょ。これがストップ安だよ。大暴落だね。もうこの銘柄は今日は売り買いできないの。売りそこなった人たちは、いまごろ阿鼻叫喚だと思うよ。今日は金曜だから、眠れない土日を過ごすんだもの。可哀想だよね。」


ぞっとした。

もしも5000株買ったなら、40万円の損だ。

今日初めて、株って恐ろしいんだって実感した。

だって、不祥事のニュースを調べないで、いつもみたいに1円作戦をしたら、そういう結末もあったかもしれないのだもの。


呆然とする僕の肩を結衣さんが叩く。

「もしもスウィングトレードで昨日この株を買って今日も持っていたら、逃げることも出来ずにこのダウンバーストに巻き込まれたんだよ。これって一瞬でこの3ヶ月の健二君の稼ぎがなくなるような事件だよね。これがあるからデイトレードが一番安全だって事なんだよ。スィングは効率が良いけど、コレが怖いでしょ。」


そんな話をしていたら、午後の後場が始まる。


僕が買った銘柄は406円まで落ちていた。

しかし、もう僕に迷いはない。


損切りをした。

そのとき結衣さんから

「損きりの時は『成り(こちらの指定した値段ではなく、相場の値段で即対応する売買方法)』で売らないとダメだよ。迷うと被害が大きくなることが多いから。」

と言われたので、『成り』で売り捨てた。


一瞬407円に上がる場面もあったけど、大引きの時は403円まで下がっていたので、結衣さんの判断の正確さに驚くばかりだった。


取引が終わり、僕は損害を計算する。


約5千円の損害。

でも結衣さんは嬉しそうだ。


「負けを経験するのは大事だよ。人の慎重さは傷みの中でしか身につかないんだからね。」


なるほど、今回はあんまり口を出さないから不思議だったけど、この一言で納得がいった。

僕に失敗を経験させたかったんだ。


「そうか。これがメンタルの動きの体験かあ。ほんとに軽々と誘惑に負けるんですね。納得です。」


今日の取引の記録を表計算ソフトに記入して終了。

そこで結衣さんのお母さんが入って来た。

「今日のお仕事は終了でしょ。歩行補助ロボットの訓練に行きましょうか。」


そう、あの歩行補助マシーンの訓練へ毎日のように行っている。

移動は結衣さんのお母さんの仕事。

車で行くので、楽チンだ。


訓練場所に着くと、訓練は2時間ほどかかる。

結衣さんの訓練中はヒマなので、僕も歩行補助マシーンを使わせてもらったり、電動カートや電動車いすに乗ったりして遊んでいた。


すると聞き覚えのある声で後ろから呼ばれた。

「もしかして健二君じゃないの?」

ふりかえると、朝の公園で毎日会うご老人達だった。


ここには6人で来たようだ。

「あ、こんにちわ。こんな所で会うなんて意外ですね。」


すると、ゾンビのようにワラワラ僕を囲む。

なにかデジャブが襲う。

いや、同じことが朝に起きたばっかりか。


「実はこの電動カートっていうの?これが欲しくてね。みんなで見に来たのよ。」

中島さんが上品に微笑む。


結衣さんが乗ってるの見て欲しくなったのか。

気持はちわかるなー。嬉しそうに電動カートに乗ってる油井さんを見ると、僕も乗りたくなるもの。


「でしたら、ここで試乗できますよ。結衣さんのは最高級で50万円と高いですけど、安いのなら10万から買えますから。安くて乗りやすいのを選べると思います。」


それを聞くと、楽しそうにご老人達は並べられたカートに近寄ってった。

うん、あの公園に電動カートの走り屋集団が産まれるのも近いない。

時速6kmという早歩きの速度で駆け抜ける老人達。


やべ、面白いかも。


ご老人達には、電動車椅子よりも電動カートの方が人気があるっぽい。

さらに地味なオプションだけど、カゴが二つ付いているのが人気有るみたい。

あとは操作性の簡単さも重要そう。


さっそく結衣さんと同じモデルを注文した中島さんが嬉しそうにこっちにやってきた。

「こんな便利なものがあるって、案外みんな知らないのよ。結衣ちゃんお陰でいいもの見つけられて良かったわ。自転車で行っていたような場所でも、これがあればお買い物にいけるのですもの。カゴが付いているのが良いのよね。」


やっぱカゴは重要なんだ・・・・


別のおばあちゃんは、電動カートではなく、乳母車みたいのを買っている。

「足腰を鍛えるのも大事ですからね。私はこれで充分ですよ。」


なるほど楽をしすぎてもダメってことかな。

ベストバランスは難しそうだな。


そこに、歩行練習をしている結衣さんが歩行アシストロボットを装着したまま現れた。

「健二君、今日で基本訓練終わりだって。次回から応用訓練だよ。」


杖を突きながら抱けど、結衣さんは器用に歩いてくる。

それをみてご老人達は興奮しだした。


「まあ結衣ちゃん、それは凄いわね!ロボットって奴でしょ。科学の力ね。」

「こりゃすげえや。役に立たなくなった俺の股にもこういうの着けてくれねえかな。」

「ちょっと玄さん、結衣ちゃんにシモネタ言わないでよ。ゴメンね結衣ちゃんジジイは品がなくて嫌よね。」

「すごいね結衣ちゃん。コレがあれば走れたりするんでしょ。最近の道具はすごいわねー。」


老人アイドル結衣さんが大人気の巻。

ご老人でも、あのウィィィィンっていうモーター音を出しながら動く道具には興奮するんだな。

高血圧の方は気をつけてくださいね。


そして何故か「若いっていいわね」「若いっていいなあ」という大合唱で話が占めくくられる。


次の日。

朝、結衣さんと一緒に早朝の公園に行くと、早くも暴走族が形成されていた。

ぱっと見、8台はカートが並んでいる。

昨日会った人たち以外も買ってたんだ。


みな上機嫌で電動カートで結衣さんを取り囲む。

やばい、暴走族感が半端ない。

いつもシモネタを言うお爺ちゃんなんか、口で「パラリラパラリラ」って言ってるし。


そして結衣さんの前に電動カートを止めると、かっこよくクイっと親指を立てる。

「どうだいお嬢ちゃん、一緒に一周走らねえか。」

「なんか楽しそうですね。ではご一緒させてください。」


すると暴走族はノロノロと風を切って去っていった。

ぽつんと残されて途方にくれていると、次は手押し車を押すご老人の集団が僕の周りに近づいてきた。


ヤバイ、これはぜったいお菓子をポケットにねじ込まれる!。

しかしもう逃げ出す隙間はなくなっていた。

この手押し車の集団、電装カート暴走族よりも遥かに素早いぞ!

昨日の損切りよりも絶望を感じる。


僕は諦めて、とりあえず朝の挨拶をするのだった。


ちなみに、歩行アシストのマシーンはまだ個人で購入するのは難しいらしいです。

でも気にしない、だってこれ小説だもの。

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