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08話 初潜入

 窓から日が差し、それに誘われるように俺は二度目の起床を果たした。


『おはようケイスケ!』


 朝からテンションの高いサリアの声が頭に響く。

 俺はあくびしてリビングへ向かった。ドアを開けるとそこには、


「あ、おはようケイスケ君」

「……あ?」


 ふわりと漂うのは……白米の甘い香り。

 テーブルには二人分の皿が並んでおり、焼き魚が丁寧に盛り付けられ、これぞ日本の朝食という光景が広がっていた。


「私、家事やりますんで! 迷惑かけてばっかりだし!」


 むんっとおたまを握りしめ、どこから出てきたのかエプロンを付けたアカネが意気込む。


「あー、そういう。まあ、やりたきゃ勝手にやってくれ」

「うんっ!」


 俺に媚を売っておこうということだろうか。まあ、面倒な家事を引き受けてくれるというなら任せてしまえばいいだろう。俺は再びあくびをしながら席に着き、湯気を立たせる味噌汁を口へ運んだ。ちなみに俺に毒は効かないので、ここでためらう必要はないだろうと判断した。

 一口。味噌の香りに誘われるように、俺はその熱い汁を啜る。


「……」

『うまいってさ!』


 内心暴露マシンことサリアが勝手に喋る。


「よかったぁ。久しぶりに作ったからちょっと心配だったんだ」


 アカネが微笑みかけてくる。俺は目を逸らした。


「お母さんが作ってくれたお味噌汁の味を再現してみたんだけど……やっぱりお母さんには敵わないなぁ」


 常にどこか虚ろな瞳をしているアカネだが、その時だけは本心からの言葉だったように思えた。


「……食ったらすぐに行くぞ」

「……うん」


 アカネも席に着き、俺たちは食事を始めた。

 確実に彼女の本心と言えるのは、「両親に会いたい」の一点くらいのものだ。

 ――この少女の仮面の向こう側は、俺にはまだ見通すことができない。


☆★☆


「お待たせしました」


 リビングの隣の部屋(自室にしたらしい)から出てきたアカネは、エプロン姿から迷宮用の服装に着替えていた。

 ショートパンツに防刃仕様の特殊な繊維で編まれた黒タイツ。同じく黒い上着は、念のために顔を隠す用のフードが付いており、さらにその上からたくさんのポケットが付いた迷彩柄のベストを着ている。ショートパンツと黒タイツ以外は、おおよそ俺と同じような格好である。


「どうかな、似合ってる?」

『うん、似合ってるよ!』

「はぁ? 遊びに行くんじゃねえんだぞ」


 俺は「そんなことじゃ早死にするぞ」と笑い飛ばした。サリアは「素直じゃないなぁ」とニヤニヤしている(気がする)が、無視した。


「とりあえず、これ。俺のお下がりだけど使え」


 どさっと机の上に広げたのは迷宮用装備各種だ。迷宮に巣食う怪物どもには、刃物や銃を始めとする人間の開発した武器が通用しない。奴らの皮膚を貫くのは龍脈エネルギーのみだ。

ゆえに持ち込むのはどれもサポート用。強い龍脈エネルギーを感知する腕時計型のレーダーや暗視ゴーグル、迷宮内でも相互通信可能な無線機器、手に入れた龍脈エネルギーの結晶をしまうためのサイドポーチなど。直に迷宮へ潜ることのできない人間──迷宮管理局や在野の研究者たちによる、僅かながらの援護である。


「んじゃ、行くぞ」


 俺は立ち上がり、軽く肩を回す。


「わ、待ってよ、これ付け方が……」


 あたふたしているアカネを置いて出て行こう……かと思ったが、家に施錠をするのは俺なので、こいつが出てこない限り迷宮に向かうこともできないことに気がついた。

 俺は盛大にわざとらしくため息をつき、緋音を手伝った。


☆★☆


 東京都心、旧新宿に居を構える高層ビル。

 現在は第一区画――別名『迷宮区』と呼ばれるこの近辺は、そびえたつ迷宮管理局ビルを中心に蜘蛛の巣状に再開発されている……と言っても、邪魔な建物を壊して道を作った程度で、それ以外は放置され、廃墟と化しているが。

 だがとにかく、東京はかつての姿から大きく様変わりしていた。

 旧港区、渋谷区周辺が第二区画『行政区』。日本から独立して統治される東京における行政を担当する。

 新宿以東の各区が第三区画『研究区』。まだ謎の多い迷宮や龍脈エネルギーについての研究がおこなわれている。

 練馬区や世田谷区、そして西東京の一部が第四区画『居住区』。迷宮区に住む潜入者レイダーを除き、研究者やその家族などはここに住む。

 第四区画に囲まれるように存在する旧杉並区、中野区が第五区画『商業区』。歓楽街はここにある。

 このように、新宿を中心に東京は作り変えられていた。

 わざわざこのような構造にしているのにはきちんとした訳がある。

 迷宮は龍脈エネルギーの濃い場所に発生する。その発生を、迷宮管理局は操作しているのだ。

 通常地表の隙間から噴出するガスを、地下の管を通して周辺地域から集め、第一区画に集中させる。これによって迷宮の発生を潜入者(レイダー)の集まる第一区画に限定し、対処しやすいようにしているのだ。

 ここ東京のほかに、迷宮の管理をしている場所――『独立迷宮管理特区』は大阪、福岡、青森の三か所存在する。これらの地以外では、今も昔と何ら変わらない日常が繰り広げられていることだろう。

 そう、日本はこの『異常』を隔離したいのだ。一か所に集めて、管理を独立した機関に放り投げれば、わずかな土地と引き換えにいつも通りの『日常』を手に入れることができる。

 俺たちは、今日もそんな『日常』を支えるため、『異常』へと向かっていく。


「ここが、迷宮管理局……」


 吹き抜けになっている高い天井を口を開けて見上げるアカネ。


「ちっ、やけにいつにもまして騒がしいなここは……。おい、お前は潜入者(レイダー)登録をしてこい。窓口はあっちだ」


 俺は喧しさにしかめっ面をしながら、人混みの向こうに見える窓口を指さす。


「名前とか書いても大丈夫なのかな」

「平気だろ。ここにお前を追ってくる政府の人間はいねえよ」

「わかった」


 とてとてと受付に向かっていくアカネを見送り、俺は前方の巨大掲示板へ目を移す。

 ホログラムによってリアルタイムに情報が更新されていくこの掲示板には、第一区画全域のマップとともに迷宮発生情報が記されている。

 潜入者レイダーはこれを見て自分の力量に合った迷宮を探し、そこへ向かうのだ。

 迷宮潜入の登録は備え付けの端末から行う。潜入者レイダー全員に支給される特製の指輪を端末にかざしログイン。行きたい迷宮を選び、申請。子供ばかりの潜入者レイダーのために、簡潔で分かりやすい仕組みになっている。

 俺は適当に小規模な迷宮を選び……わずかな逡巡の後、久しぶりに「二人」の欄にチェックを付け、申請を出しておく。そうして少し待つと、登録を終えたアカネが戻ってきた。


「簡単な情報入力くらいしかしないんだね」

「そりゃガキも多いからな、潜入者レイダーには。んじゃ早速だが、ここから二百メートルくらいのところに小さな迷宮が発生した。そこに向かう」

「うん、分かった」


 こくりと頷くアカネ。


『よーし! それじゃあアカネちゃん初の迷宮探索、行ってみよーっ!』

「おーっ!」

「やめろよこの声俺らにしか聞こえてないんだから」

「あっ」


☆★☆


 学校の跡地だろうか。寂れた校庭に、植物の蔦が這う校舎。都心の学校らしく敷地は小さいが、立派な校舎だったのだと推測できる。もちろん今この校舎に通う学生なんて、一人もいないのだが。

 寂寥感漂う校舎の中を、俺たち二人は進む。人の手が入らない廊下は埃にまみれ、一歩踏み出すたびにふわりと舞う。口を袖で押さえつつ、アカネが嫌そうな顔をした。


「夜に来たら怖そうだね……」

「こんな場所はザラだ。いちいちビビってたらキリがねえぞ」


 そこで、俺たちは一つの教室に入る。


「ここか……」


 そこには、人間一人分ほどの小さな次元の裂け目が渦を巻いていた。

 裂け目の向こう側はぐにゃり、ぐにゃりと景色が歪んでいて詳細が分からない。

「これが、迷宮……」


 アカネが警戒しながらも不思議そうに裂け目をのぞき込む。


「向こう側に行ったら帰ってこれなくなったりしないよね?」

「まあ、怪物に殺されでもしなけりゃ大丈夫だ。裂け目は一方通行じゃねえ」

「その怪物が向こうから来たりは……?」

「知能のない奴らに裂け目を目指そうなんて考えはねえよ。原理的には超えてくることも可能だが……化け物どもは龍脈エネルギーが空気みたいなものだからな。『外』に出れば息ができなくなり、死ぬだけだよ」


 迷宮内には濃縮された龍脈エネルギーが満ち満ちているが、現実世界での濃度はその三分の一程度だ。

 酸素が突然三分の一になったと考えれば分かりやすいだろう。そんなことになれば人間は真っ先に死ぬ。つまり怪物もあくまで迷宮内だけの存在であり、迷宮がもたらす人間への被害は『裂け目による空間の侵食』のみに留まるということだった。


「とりあえず俺が見てくる。お前はそこで待っとけ」

「う、うん。気を付けて」


 俺は躊躇なく裂け目へ飛び込んだ。

 一瞬の酩酊感。後に、世界が構成されていく。

 白い世界に物質の輪郭が描かれ、実体を得る。そこに着色がなされ、新たな世界が顕現する。


「ここは……山岳地帯か」


 起伏の激しい山々。雲が近い。地表に草木は生えておらず、寒々しい土色の斜面が続いている。眼下には青く澄んだ海。一応遠くまで景色は見通せるが、小規模の迷宮では、実際に存在する土地はこの裂け目を中心に半径一キロといったところだ。それ以上はそもそも世界が存在していないので、進むことができない。だが一キロ圏内のどこかに、必ず迷宮を構成する核とそれを守る『門』が存在する。核を回収すれば攻略完了――迷宮は崩壊し現実世界の元いた地点に戻される、という仕組みになっている。


「まあ、これなら平気だろう」


 アカネの訓練を兼ねているので、あまり特殊な地形は避けたかったが、これなら問題ない。


『いきなり海の中に出た時は死ぬかと思ったよね』

「ああ……あったな……」


 思い出したくもない苦い、いやしょっぱい記憶である。

 俺はとりあえず学校側に戻り、アカネを呼んだ。迷宮側で数秒待つと、裂け目からアカネが飛び出してくる。


「お、わわっ」


 たたらを踏みつつ、それでもなんとか着地。興味深そうに、きょろきょろとあたりを見回している。


「ここが迷宮だ」

「ふわぁ……なんかもっとこう、遺跡とか洞窟とかを想像してたけど……」

「まあ、そういうのもあるっちゃあるがな」

『それでそれで、どう? 初迷宮の感想は?』

「うーん、なんというか……空気が澄んでる? あと、体が軽い?」


 迷宮に初めて来た人間はまず真っ先に感じることだ。

 迷宮内に漂う龍脈エネルギーは、新世代たる俺たちの身体能力を全体的に向上させる。初めてここに来た人間はみな「なんかめっちゃ体の調子が良い」という感覚に襲われるのだ。


「んじゃあ、まあ……始めますか」

「お、お願いします先生!」

『しまーす!』

「サリアには何も教えねえし先生でもねえよ」


 右手を高らかに挙げたアカネに、声だけのサリアが付随する。一般的には元気はつらつであると歓迎されるのかもしれないが、俺から言わせてもらえば喧しいだけである。


「……あー、まず。この迷宮の仕組みと俺たちの目的について」


 俺は腕にはめたレーダーをチラリと確認する。周囲に怪物の反応はない。


「立ち話も何だし、座れよ」

「え? いきなりバババッと戦闘が始まるものと思ってたんだけど」


 ファイティングポーズをとったところで小規模迷宮に潜む怪物などたかが知れているし、めったに襲ってこないものばかりだ。俺は腕を下ろさせて座らせると、


「見たところ、お前戦闘訓練なんて必要ねえだろ」

「へ……?」


 俺はここに来るまでの間アカネを監視していた。その結果ではないが、分かったことがある。


「お前、常に周りを警戒して動いているだろ」

「……!」


 そう、この女。

 外面は笑顔を振りまく可愛らしい少女だが、その実常に「周囲からの奇襲」を想定したような立ち回りをする。

 俺が潜入者レイダー登録をさせに行った時だ。

 最初は緊張でもしているのかと思ったが、違う。人間、いくら緊張しようが利き手の指先だけピンと張り続けているなんておかしいのだ。間違いなくあれは、初対面の時俺の脇腹を抉った貫手の準備だった。このことだけでも、この女が戦闘慣れしていることなど、容易に察せられた。


「ま、まあ、ずっと逃亡生活が続いていたから。あはは……」


 頭を掻き、「癖になっちゃってたのかなぁ」などと乾いた笑い声を漏らす。しかし、目は一切笑っていない。

 まるで「これ以上立ち入ってくるな」といわんばかりに、目の奥だけで俺を睨み付ける。俺はそれに怯えることも竦むこともないが、お望み通りそれ以上は詮索せず話を戻した。


「まあなんでもいいが、お前が知るべきは戦闘云々より先に迷宮についてだろう。何せ、全く知らないままここにきているんだからな」

「確かに、迷宮についてはテレビで見た程度しか……」

「普通は学校なり専門機関なりで教育を受けてから潜入者レイダーになるんだが、まあ今回は場合が場合だ。一度しか言わねえからよく聞けよ」

「はいっ」


 なぜ俺が教師の真似事なんて……という感情もあったが、実際のところこれは臨時の仕事が入ったようなものであった。

 中規模以上の迷宮に出向く必要はなく、安全に初心者にレクチャーをするだけ。まったく、楽でいいじゃないか。それでアカネが稼いだ分の金が給料として俺に入ってくるのだ。よくよく考えてみれば実に合理的だ。


『レッツスタディ』

「スタディ!」

「なんでそうも息ピッタリなんだお前らは」


 どうやっても向こうのペースに飲まれてしまう俺は、この喧しさも一カ月の辛抱、と念仏のように唱えつつ、内心「一カ月もいらなくね?」と己の計算ミスを嘆くのであった。


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