06話 向き合う二つの仮面
「あ、あのー、シャワーありがとうございました」
リビングのドアがガチャリと、恐る恐る開かれる。
「ん、ああ……」
霧沢はサイズが合っていないブカブカのジャージを着て、長い黒髪をタオルで拭いながら、なんだか若干引きつった笑顔で会釈してくる。
……確かに、汚れを落とした霧沢は美しい少女であった。
水に濡れ、黒曜石のように硬質で艶やかな輝きを放つ黒髪。ほのかに赤く上気した柔らかそうな頬。ジャージのサイズが合っていないため分かりにくいが、この少女は十六歳にしては相当スタイルがいい。胸はつつましいが足は長く、腰まで届く黒髪がよく映える。あと、良い匂いがする。
……湯上がりの女からは、何か男を引き付けるオーラのようなものが出ている、ような気がする。
――危ない。この女は、いろいろと危ない。
謎の危機感を高めていた俺だったが、当の本人は何かそわそわしている。
「……どうかしたのか」
「え、あ、いや……」
キョロキョロモジモジしている霧沢に尋ねてみると、風呂上がりだからか顔を赤くして、どもりながら言った。
「と、トランクスっていいですねっ! すごく動きやすい! 風が通る! なんかスースーします!」
ぐっと拳を作って、少し内股で力説する霧沢。
「…………」
…………なるほど。そうか。そうなるのか。
『ぎゃはははははははっ!! さいこーだよアカネちゃん! くふ、あはははははっ!』
体内でサリアが爆笑していて非常に腹立たしい。
『ケイスケが、ふふ、適当な指示を出すからだよ! ふはっ、ひひひっ……あーお腹痛い』
「お前に腹なんてねえだろうが……。まったく、言わなければ意識しなかったものを……」
「ご、ごめんなさい……」
『ケイスケ、体温が上がってるよ?』
「お前も懲りねえなサリア……ラーメン食いまくって血液ドロドロにしてやろうか?」
『そうやって食事で攻撃してくるのよくない!』
「あはは……仲がいいんですね」
「よくねえよ」
『めっちゃ仲いいよ! ケイスケはボクにゾッコンなんだよ!』
乾いた笑い声を漏らす霧沢をよそに、俺はサリアに説教をした。サリアは反発したが「血液がドロドロになると風邪ひいたみたいになるからやめて」と言って折れた。
「サリアさん? って……ハガネ君の『特性』なんですよね?」
霧沢が不思議そうに尋ねてくる。確かに、はたから見ればこいつは意味不明すぎるだろう。ただ、声が聞こえる人間は今まで俺しかいなかったので誰もそんな疑問を抱かなかったが。
「まあ、そうだ。特性みたいなものだと思ってくれればいい」
「傷を治してくれたのも……?」
『ボクだよ!』
「うわあ、すごいんですねサリアさんって! その節はありがとうございました」
深々とお辞儀をする霧沢に、サリアは『よいよい』と偉そうに返した。
血を吸われまくって腹を立てていたサリアだったが、家に移動する際に霧沢に「あの血、今までで一番美味しかったです……!」と言われて以降、やけに機嫌がいい。霧沢にもやたらと優しい。
なんだろう。サリアが血を褒められるのは、人間の女が「キミ可愛いね」と言われたような感じなのだろうか。
……俺もサリアの生態はよく分かっていないのである。
「これから一ヶ月もこの調子で騒がしくなるのか……」
『ちゃんと面倒みてあげなよケイスケ』
「よろしくお願いします……」
「はあ……」
なんとなく、ため息をつく回数が増えている自覚がある。
「とにかく、一ヶ月間はここに住んでもいい。迷宮での戦い方も教える。だが、迷宮で稼いだ金は、お前の分も含めて全部俺がもらっていく。それが授業料だ」
「あ、なるほど。分かりました」
霧沢は向かいのソファに座り、ピンと背を伸ばして話を聞いている。
「あの、本当にありがとうございます。住むところまで……」
「今更いいよ。てか、俺もなんでこんなことになってんのか分かんねえしな……」
「は、はあ」
こいつが来てから本当におかしい。明らかに、自分の行動原理を外れている。
「明日から早速迷宮に行く。今日は……そうだな、お前の必要なものを買いに行くか」
「わ、すみません助かります」
「もちろんお前にツケておく」
「ですよね」
『ケイスケはがめついんだよ』
「口を挟むな」
『はい』
俺はまた喋りだしそうなサリアに釘を刺し、立ち上がった。
「……そうだな、お前はこれを着とけ」
フード付きのパーカーを霧沢に向かって放り投げた。
「一応素性は隠しておいたほうがいいだろう」
「はい……ご迷惑をおかけします」
霧沢はことあるごとに頭を下げる。ただ、本気で心の底から感謝している……というより、「こうする事で上手く生きてきた」ような、そんな事務的なお辞儀である。
信用できる、とは言えない。もしかすると俺に取り入って金を掠めとる算段なのかもしれない。
他人は信用ならない。
たった十六年だが、俺の積み上げてきた人生から導き出された結論だ。この女だって生きるのに必死だ。迷宮での戦い方を知るまでは、おそらくおとなしくしていると思うが……。
この女、戦うこと自体は手慣れているように感じた。あの脇腹への一撃――目を覚まして条件反射的に攻撃が出たことからも分かる。きっと、何人もの人間を殺してここまで生きてきたのだろう。俺だって、寝首を掻かれるかもしれない。
警戒するに越したことはない。
『……考え過ぎじゃないかな。素直に感謝されておけばいいんじゃない?』
サリアが俺だけに声を響かせる。
「……ほっとけ」と、俺は小さく返した。
――別に、感謝されたくてやっている訳ではない。ただ、あの場面で見逃したら後味が悪いから、手を貸しただけだ。
「……行くか」
「はいっ」
愛想よく返事し、立ち上がる霧沢。
その笑顔にも裏があるのではないか。
あの時の流していた彼女の涙も、偽物なのではないか。
仮面の向こうで、まんまと利用されている俺を嘲笑っているのではないか――
ついそう考えてしまう自分が、少しだけ嫌いだった。




