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05話 少女の葛藤

 歓楽街に行くのはやめて、俺の家へ向かう。

 スラム街から歩いて十五分。潜入者レイダー以外にも、研究者やその家族が住む居住区の外れ、俺の家はひっそりと居を構えている。


「わあ、この家に一人で住んでいるんですか?」

「んだよ、悪りぃか」

「いえ、その年ですごいなと思って……」


 霧沢は俺の家を見上げ口をポカーンと開けている。

 潜入者レイダーは命を賭ける仕事である。もちろん報酬も馬鹿でかい。俺はその金でこの家を買い、一人暮らしをしている。

 そもそも、潜入者レイダーに親と暮らしているような人間はいないが。


「その年ったって、お前も同じようなもんだろ?」

『アカネちゃんは何歳なの?』

「あ、私は十六歳です」

「いつからそんなに仲良くなったお前ら」

『いやー、女の子の友達っていいよね。ガールズトーク? みたいな?』

「私もあんまり友達とかいなかったので」

「『ねー』」

「意気投合してんじゃねえよ……」


 俺はキャピキャピする女どもを捨て置き玄関のドアを開けた。


「お邪魔しまーす……え、すごい」


 確かに一人で暮らすには多少広い家かもしれない。霧沢は目を丸く見開いてキョロキョロ辺りを見回している。


「とりあえずお前はシャワー浴びてこい。血生臭え」

「え、あ、ああ……そうか、体を洗える……。何日ぶりだろう……」


 軽く感動している霧沢を脱衣所にぶち込み、「服は棚に入ってるやつを適当に着ろ」と声をかけ、返事を待たずに俺はリビングに向かう。


「っはぁ~~~……」


 迷宮用の装備一式を外し、ソファに腰を下ろして体を投げ出す。


「なんなんだ、まったく……」

『いや〜、面白いことになってきたね。まさかまさか、†孤高の一匹狼†刃鉄卿介に弟子ができるなんて』

「てめェ、もうレバー食ってやらねえからな」

『まって! ごめんね! 今のなし!』


 サリアは魔血イコルに住み着いているような状態なので、血を作る食べ物が好きなのだ。食うのは俺だが。


「ここらでどっちが上なのか、しっかりと示しておきてえよな?」

『ああぁハガネ様! ハガネ様には是非これからもレバーを食していただきたく……!」

「レバーあんま好きじゃねえんだよな」

『おい今ボクはちゃんと誠意を見せたぞ』

「なんのことだ?」

『……いいよ。そっちがその気なら徹底抗戦だ。戦闘中にエロ画像のイメージを脳内に投射するからね』

「マジでやめろ」


 こいつは本当にやりかねないので怖い。厄介すぎる同居人である。


「まあレバーはどうでもいいとして。今はあの女をどうするかだろ」

『成り行きとはいえ一ヶ月はちゃんと面倒見るつもりなんでしょ?』


 浴室の方からシャワーの流れる音が聴こえる。


『ってことは、彼女はここに泊めるの?』

「……まあ、そうなるか」

『大丈夫? 女の子と一つ屋根の下なんて。ムラムラしない?』

「しねえよ…………」


 俺は頭を抱えてため息をついた。ご覧の通りこの生命体の相手をするのは疲れるのである。


『でもでも、霧沢緋音ちゃんだっけ? たぶん、身なりを整えたらものすごく可愛いと思うよ。ケイスケのお友達のあのエロババアより美少女だよ絶対』

「姐さんのことをエロババアって呼ぶのはやめろって言ってんだろ」

『はぁ? あんなドスケベ野郎はエロババアで十分だよ。ボクはケイスケの身体の隅々で把握してるんだよ? あのドスケベボディ眺めてるときのケイスケの下半身の反応を事細かに口で説明してあげようか?』

「あーあーあーあーあーあーッッ!!!!」


 俺は再び頭を抱えて深いため息をついた。ご覧の通りこの生命体は俺を尻に敷いているのである。

 ──まったく、どちらが宿主か分かったものではない。


☆★☆


「っはぁ~~~~~~~~………………」


 全身に熱いお湯が打ち付けられ、悲しいほどになだらかな胸元を勢いよく流れていく。同時に、何日分も溜まった汚れが少しずつ洗い落とされる。

 汚れ以外にも、たくさんのものから解放されていくような心地がする。

 熱が身体に染み込んでいく。それに合わせて、身体の内側からも熱が込み上げ──頬を伝い、それはお湯と一緒に排水溝へと飲まれていった。


「…………生きてる」


 湯気が立ち込め、風呂場全体を曇らせていく。

 信じられなかった。

 まさか、自分に手を差し伸べてくれる人がいるなんて。

 初めてだった。

 忌まわしい吸血鬼の血が流れる私を知ってなお、顔色一つ変えなかった人間は。


「まだ、生きてる」


 流れ落ちるのはお湯か、それとも涙か。私にも分からなかった。ただただ、自分がまだ生きているという実感だけが胸の内から溢れ出る。

 刃鉄卿介。そしてサリア。

 なぜ私を助けてくれたのだろう。

 同情だろうか。それとも利用価値があると判断したのだろうか。彼らの打算は、なぜ私を助けるという行動を許したのだろうか。

 分からない。

 でも、私は生きている。彼に、救われたのだ。

 その事実だけで十分だった。彼が何を思って助けたのかはどうでもいい。

 人の悪意に晒されて生きてきた私にとって彼は異質で、異常で、理解不能な人間であった。

 私を政府に売って金を手に入れようという方がまだ分かる。欲望に忠実で、分かりやすい。今の私が見ればそんな人間は一目で判断がつく。そういう人間を逆に騙して生き長らえる、なんてことは何度もあった。

 でも、彼は。

 彼のことは、何も見通せなかった。

 目先の欲なんてどうでもいいと言わんばかりに、そして他人なんてどうだっていいと言わんばかりに、真っ黒に染まって何も写していない瞳。

 だからこそ──

 私は縋りたくなったのかもしれない。

 気が付けば身の上話を始め、いつの間にか、助けを求めていた。


「……ダメだなぁ」


 人に頼るのはもうやめようと決めたのに。

 いいことなんて、一つもないのに。


「……しっかり、しなきゃ。お父さんとお母さんに、再会するために……」


 腕を前に伸ばす。

 どこを見ても傷一つない。切り傷や打撲であんなにもボロボロだった肌には、どこにも外傷が見当たらない。体調も万全であった。


「あの人たちが治してくれたのかな……」


 それに、彼の血を吸ってから身体が火照って仕方ないのだ。今はだいぶ落ち着いたが、吸った直後はもう動悸が止まらなかった。一種の酩酊状態のように頭がふわふわして、身体が疼いて仕方ない。

 端的に言って、ものすごく美味しいのだ。

 細胞一つ一つに染み渡るような得も言われぬ快感。完全に死にかけていた吸血鬼としての能力が、あの一度の吸血で復活してしまった。

 久しぶりの血だったからだろうか? それともやはり、彼の血に秘密があるのだろうか……?

 あのサリアと名乗った少女……の人格は、一体何なのだろう。彼女が喋ると、血が共鳴するように私の脳内にも声が響いてくる。あの子は血に住んでいる、と言っていたが……。

 そして、一カ月。

 その期間の協力を約束してくれた彼は今、何を思っているのだろうか。


「…………っ、ダメだ、ダメだ、ダメだ」


 彼らのことが気になって仕方がない。初めて出会った異質な人間に、どうしても興味を抱いてしまう。

 でも、ダメだ。心を許してはいけない。今は外面だけ取り繕って、可愛らしい少女を演じて、警戒は怠らずに様子を見るのだ。

 ──そう思う一方で、彼のことを信じたいと思う自分がいることも、心のどこかで分かっていた。


「……」


 十分に身体を洗い流した私は浴室を出て、そばに置いてあったタオルを手に取った。ふんわりとしていい匂いのするタオルで身体の水分を拭き取り、彼が言っていた棚の引き出しを開けてみる。

 どうやら几帳面な性格のようで、Tシャツやスウェットなど、部屋着が綺麗にたたまれて収納されている。


「…………なっ!?」


 そこで私の目に飛び込んできたのは──


「ぱ、パンツ……」


 …………………………………………………。

 私は一気に顔が熱くなっていく感覚を知った。

 そこには、使い込まれていると思しきダボダボのトランクスが詰まっていた。


「これ、穿くの……? 私が……?」


 彼は「適当に着ろ」と言っていたが、ということはこのパンツを私が穿くのを彼は了承しているのだろうか? 全然気にしていなかったが、本当に大丈夫なのか……?

 ──私はそこで十五分ほどうんうんと唸りながら悩み続けた。


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