02話 迷宮泥棒
「俺たちが一番乗りだよな?」
鬱蒼とした森の、さらに最深部。
「……ああ、間違いねえ。門番がいたってことは、この奥が終着点だ」
会話する傷だらけの青年三人の前には、狼の亡骸が横たわっていた。
──ただし、それはただの狼ではなかった。
青年たちの倍以上ある身の丈。人間の腕並みに太い牙。針のような白銀の剛毛は、至る所が血に濡れていた。当然、人間界に存在する生き物ではない。
だがここ、『迷宮』でこんな怪物を見るのは日常茶飯事であった。青年たちも驚いた様子はなく、狼を倒した喜びを分かち合っている。二人の仲間たちに向け、リーダーと思われる男は笑顔で声をかけた。
「久しぶりだな、中規模迷宮の攻略は。二人ともお疲れ。今日は焼肉だな」
それを聞いた二人は喝采を上げ、思いのままに喜びを表現している。
「それじゃあ終わりにするか」
リーダーは巨大な狼の向こうに見える、石造りの門へ足を向けた。そこが終着点──
「……あれ?」
そこでふと、リーダーは首を傾げた。
「どうした?」
不思議に思ったメンバーの一人が声をかけると、
「門が……開いてる」
その返答に、メンバー二人は絶句した。
この門が勝手に開くことはない。
自分たちが最速だと確信していた三人は、「先を越された」ことを表すその事実が受け入れられなかった。
「……んな、馬鹿な。俺たちが門番を倒したんだぜ? お、おい。人影なんて見たか?」
「いや、全然……気配も感じなかったが。風で扉が開いたとか――」
メンバーの言葉を遮ったのはリーダーだった。
「まさか……!」
青ざめた表情で、両開きの門へ向かって走り出すが――時既に遅し。
ザン、という鋭い切断音。
同時に、周りの風景がぐにゃりと溶けた。
「くっそ、やられた……ッ!」
ダン、と足踏みする。リーダーは怒りを露わにしていた。だが、もうその事実は揺るがない。
木々は色を失い、世界が崩れていく。
視界が白く染まり、五感が遠のいていく。
それは迷宮が誰かの手によって攻略されたことを意味し。
「迷宮泥棒のハガネだ……ッ!」
手柄を横取りされたことを意味していた。
☆★☆
「あんなところでくっちゃべってるのが悪いんだよ」
俺は巨大な宝石のような塊――迷宮の核をお手玉するように宙へ投げ、人気のない大きな道路の真ん中を歩く。
見事に「いいとこ取り」をした俺は、上機嫌で『ギルド』への最短経路を進む。
人間の手入れがなくなり、雑草が生え始めているアスファルト。
使われなくなって久しい錆きった鉄道。
傾き、窓ガラスの割れた高層ビル。
地面から十センチほどのところには薄紫色のガスが充満している。
数十年前までは首都として賑わっていたこの地も、今や廃墟と化していた。何度も見ている光景だが、静かな廃墟の雰囲気が、俺は好きだった。
『相変わらず酷いやり方だよね。友達いなくなるよ?』
そこに水を差したのは少女の声であった。
ただし周りには今、人気がない。
「元から友達なんていねえよ」
――そう、この声は俺の体内から響いてきている。
『悲しいなぁ。仕方ないからボクが友達になってあげるね』
「結構だよ」
『なんで!? こんなに美少女なのに!?』
「いや見えねえよ」
とある事情で俺の体に勝手に住み着いているこの自称美少女は、すぐにこうやってちょっかいを出してくる。傍から見たら俺がブツブツと独り言をつぶやいているように見えるので話しかけるなと言ってあるのだが、『そんなのつまんないじゃん』の一言で一蹴された。
『ああ~~~見せたい。見せたいなぁ、このスタイル抜群のボディを』
すると、俺の脳内にそれはそれは美しく、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだスーパー美少女のイメージ画像が浮かんだ。
「俺の脳を勝手にいじるのはやめろって言ってるだろっ!?」
『別に悪影響がある訳でもないんだし、細かいことは気にすんなよボーイ』
この女は俺の「血」に住み着いているので、脳を経由して変な映像を流し込むなどということは平然とやってくる。
――分かるか? 俺はこの女に四六時中監視されているのだ。風呂に入るときも、トイレに行く時もだ。最悪だ。俺にはプライベートな時間が存在しないのだ。
『そういう時は黙っててあげてるじゃない』
「俺のモノローグに話しかけてくるな! お前と話していると疲れるんだよ……っと」
そんな他愛もない話をしていると、背後から足音が聞こえてきた。
見当はついている。門番を倒した、あの青年三人組だ。
『取り返しに来たんじゃない?』
「取り返すも何も、これは俺のものだ」
俺は迷宮の核をサイドポーチにしまい、振り返った。
「お、お前! 迷宮泥棒の刃鉄卿介だろッ!」
そこに現れたのは、やはりあの男たち。門番を倒し、俺の迷宮攻略に一役買ってくれたチームである。
「泥棒なんて失礼な。俺は何も盗っちゃいない」
「ふ、ふざけるな! お前、核を持ってるんだろ! 返せ!」
「何を言ってる? 迷宮を攻略したのは俺だ。この核も、もちろん俺のものだ」
「き、貴様……ッ!」
完全に堪忍袋の緒が切れたと見えるリーダーらしき男は、右手をこちらに向けた。メンバーの二人もそれに追従する。
「俺たち三人を相手にして勝てると思ってんのか……?」
やる気満々のリーダーの威圧を無視し、俺は警告を投げかける。
「……迷宮外での戦闘は禁止されいるが、いいのか?」
「どの口が言うかッ!!」
俺は「だから法は犯してないって言ってんのに……」とひとりごちて、
「やりたきゃやれよ」
「こいつ……ッ! いいさ、やってやる! 展開――」
リーダーの青年の右手に、目に見えない『何か』が集まっていく。そして、花開くように顕現する紅い円環――魔法陣。
三人分の魔法陣から、それは一斉に放たれた、
「「「咲き誇れ紅炎の薔薇ッッ!!!」」」
迫る火線。適度に散らされた狙いが、連携のとれたチームであることを示していた。だが俺は慌てることもなく、ニヤリと笑った。
「いくぞ、サリア」
俺が体内の少女に呼びかけると――
『……仕方ないなぁ』
ゾクリ、ゾクリと。
言葉とは裏腹に、血が疼き始める。
――早く、早くボクを出せ。戦わせろ。
そんな好戦的な感情が、俺の脳内に直接流れ込んでくる。
それに逆らわず、俺は袖に仕込んだナイフで手首を切った。すると、傷口から勢いよく血が吹き出し――
そこで、火線が爆発。轟音とともに次々と着弾し、アスファルトを削って煙を巻き上げた。
「はは、ははは! ざまあみろ! 泥棒なんてするから報いを受けるんだ! ハハハ!」
「だから泥棒じゃねえって」
「…………は?」
勝利を確信し、勝ち誇っていたリーダーの高笑いが、止まる。
そしてゆらりと風に吹かれて、煙が晴れていく。
「あーあ、服が少し焦げたじゃねえか」
俺の目の前には、赤黒い壁が出来上がっていた。爆発はすべてそこで受け止められ、俺の元に届いている火線は一つとしてない。が、横から漏れ出た爆炎にズボンの裾が少し焼かれていた。
「な、なんだそれ……!? 何でお前、無事なんだよ……ッ!」
赤い壁はどろりと溶けると、液体となり俺の周囲を回り始めた。
これは俺の血液と、俺の中に住む人格「サリア」の魔力を掛け合わせて作られた特殊な液体だ。俺たちは魔血と呼んでいる。魔血は意のままに操ることができ、俺はこれを壁の形に成形して硬質化させることで爆風を防いだのだ。
だがもちろん、そんなことをあいつらに教えてやる義理はない。
「お前ら、攻撃したな?」
「だ、だから何だ!」
「じゃあ、こっから先は正当防衛だよな?」
俺は相手の返事を待たず、腰を落とした。
そして靴の裏に魔血を集め、バネのように押し出した。自分の脚力も併せ、風を切って勢いよく俺の体が飛び出す。
「なっ――」
リーダーの青年は完全に虚を突かれている。俺はリーダーの横をすれ違うように通り抜けて背後に回り込むと、膝裏をちょんと蹴って体勢を崩し、鎌の形に成形した魔血を首元に押し当てた。
「今回は諦めてくれ。攻撃したことに関しては黙っといてやるから。な?」
「……っ」
何か言いそうだったので、鎌をさらに強く押し当てる。首筋から血が一筋流れ落ちた。
「わ、分かった! もう何も言わないからその物騒なもんをしまってくれ!」
和解、成功である。
メンバーの二人が構えていた手を下ろしたのを確認し、俺は魔血を体内に戻した。
『他のやり方はないのかい?』
体内からサリアの声が聞こえてくる。
「ねえよ。俺には、これしかできねえんだ」
俺は茫然とする青年たちを置いて、ポケットに手を突っ込み再びギルドを目指して歩き出す。
こういったことはよくあった。「いいとこ取り」されて、気分のいい人間がいるはずもない。その度に俺は、文句を言いに来た人間を返り討ちにした。
中規模迷宮の門番程度なら、俺一人にだって倒せる。だが俺はそれをしない。面倒だからだ。人に倒してもらった方が楽だし速い。何せ、俺には仲間がいない。一人で門番を倒すなんて面倒なこと、やっていられる訳がない。
『まあ、キミがそのやり方で行くっていうなら、ボクは止めないよ』
「ああ、やり方は俺の勝手だからな」
『でもさ』
サリアの表情は見えない。だがその声は、少し悲しそうだった。
『……一人で戦うのは、辛くない?』
「……別に」
『本当に?』
しつこいサリアに、俺は少しだけ腹が立っていたのかもしれない。
「いいんだよ。他人を当てにするのは……もう止めたんだ」
俺が少し声を荒立てるとサリアは口を閉ざし――それ以降、しばらく喋りかけてくることはなかった。
☆★☆
「こちらが今回の買い取り金になります」
「どーも」
制服を着た受付の女性から「迷宮の核」の代金を受け取り、俺は窓口を後にする。
ギルド――正式名称『迷宮管理局』。
都心のとある高層ビルに拠点を構えたここは、迷宮に潜る俺たち潜入者のサポートを主な仕事とする機関だ。
ロビーには今日もたくさんの潜入者の少年少女たちが集まっており、賑わいを見せている。
――そう、潜入者には大人がいない。
正しくは、十九歳以上の人間がいない。ギルドの職員を除き、この場所には十八歳までの子供しかいないのだ。先ほどの青年三人組も、十六の俺より一回り大きかったのでおそらく十七~十八歳くらいだろう。
ガキはとにかく騒がしい。今日もロビーで何人か大騒ぎしている。俺は金をサイドポーチに突っこんで足早にギルドを立ち去ろうとしたのだが、
「おいおい~、まーた横取りで金稼ぎかァ? ハガネ君よォ~」
「……チッ」
来た。
この男――水嶋流次は、何かと俺に突っかかってくるかまってちゃんである。潜入者とは思えないチャラチャラした服装に、ワックスで固められたテカテカ光る髪の毛。俺には良さが全く分からないが、彼の中ではこれがかっこいいのだろうか。俺に突っかかってくることといい、よく分からない人物だ。
「無視すんなよォ~! どうせいつもの泥棒なんだろォ? それが恥ずかしくて黙っちゃってるんですかァ~~~~?」
人の感情を逆なでする技術だけは認めてやりたいと思う。同い年のクセに俺より十センチ近く身長が高いこの男に見下ろされているのも、そこはかとなく腹が立つ。
「だから言ってんだろ。何も盗んじゃいない。それとリュウジ、お前だろ。『迷宮泥棒のハガネ』なんて嘘の二つ名を流したのは」
「ああァ? 事実だろうが」
「ちげえよ。第一お前の方がいつも悪質な横取りしてるじゃねえかロリコン」
「ふざけんなッ! 俺はお前みたいにコソコソ盗み取ってるんじゃねェ! 真正面からブチ破ってんだッ! 一緒にすんなハガネッ! あとロリコンじゃねえッッ!!!!」
この男は、先に門番にたどり着いたチームにケンカを売り、そしてそいつらをぶっ飛ばして終着点を横取りするという暴挙を平然と行っている。俺なんかよりよほど悪党らしい。リュウジ曰く、「弱い奴が悪い」らしいが。
「リュウジはまーたハガネ君に絡んでいるのですか」
「もー、ハガネ君のことが大好きなんだからぁ! やっほーハガネ君。今日もぼっち探索かな?」
そこに、リュウジとチームを組んでいる二人が現れた。半眼で俺たちを眺めているのが御堂冷華。俺を小馬鹿にしているのが御堂神奈だ。姉妹である二人は顔も瓜二つであるが、サイドテールの向きと性格で判断は容易(サイドテールが左側でぶっきらぼうな性格なのがレイカ、サイドテールが右側でフレンドリーな性格なのがカンナ)である。
そして、この十三歳姉妹をチームに抱えていることが、リュウジがロリコンと呼ばれる所以だ。
「……チッ、ハガネッ! 次迷宮であったら覚悟しとけよ……ぶちのめしてやる」
どうやら、リュウジは御堂姉妹にあまり素行の悪いところを見せたくないらしい。ゴールに着いたチームにケンカを売ったりするのも、ソロで迷宮に潜っている時だけだ。
リュウジは「おーぶちのめしてやるー!」と騒ぐカンナと「……ご迷惑をおかけしました」と頭を下げるレイカを連れて去っていった。
御堂姉妹にだけ従順なのもロリコンたる所以なのだが、本人にはもちろん言わない。俺はこいつを一生ロリコンネタでいじっていくと決めているからだ。
『面白い人たちだよねー』
とのんきに漏らすサリア。俺はため息を一つついた。
「何でこんなに目の敵にされているんだ……」
よく分からないが、いつもこうなのだ。ロビーにいる他の人々もと無視を決め込んでいるほど、この絡みはよくあることなのである。
『ケイスケの卑怯なやり方が気に入らないんじゃない?』
サリアは『あいつ、戦うの好きみたいだし』と付け加えた。
「何で戦うのが好きだと俺が嫌いになるんだ?」
『分からないの? そりゃ、ケイスケが戦わないからでしょ』
「…………そういうもんなのか」
確かに俺は極力戦おうとしない。逃げられるものは逃げるし、先ほどのように他の潜入者に門番を倒させる、なんてこともよくやる。
だが、そんなのは俺の勝手ではないのか。俺のやり方をリュウジが気にする理由がない。
……やはり謎だ。俺には、他人の思考がよく分からない。
分かろうという気にも、なれない。




