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16話 追憶/鮮血の記憶 前編

「私でよければ、話してくれないかな。ケイスケ君の過去に、何があったのかを」

 負傷して帰還した聖ヶ丘凛の病室を出たところで、アカネはケイスケに問いかけていた。


「……」


 問い詰めてくるその真紅の虹彩には有無を言わせぬ迫力があった。

 しばらく黙考し――やがて、折れる気配はなさそうだと判断した俺は、ため息をついた。

「分かったよ」と言って歩き始めた俺の後ろを、ちょこちょことアカネがついてくる。

 病院を出て、自宅へ。その道すがら、俺は今まで誰にも話してこなかった過去を――忌まわしき過去を、語り始めた。


★☆★


 二〇二七年。

『運命の日』から十年が経ったある日、この日本に生まれた謎の裂け目。そこに、当時八歳だった刃鉄卿介(おれ)は放り込まれた。

 新世代と呼ばれる子供にしか侵入できないその空間は、異世界と言って差し支えなかった。鬱蒼と生い茂る極彩色の樹木。ありえないほど大きい昆虫や獣。子供が見たらまともに立っていられないような、『恐怖』を体現した化け物たち。

 放り込まれた十数名の新世代は、みるみるその数を減らしていった。

 一人、また一人と。

 無我夢中で、がむしゃらに、闇雲に、俺たちは走り続けた。どこかに存在するという、『迷宮の核』を求めて。


「い、今何人残ってるっ!?」


 息を切らしながら俺の隣を走るのは、俺の一つ上――研究所では姉貴分だった聖ヶ丘凛(ひじりがおかりん)だ。

 研究所では落ちこぼれメンバーである俺たちをまとめ上げる、優しいリーダー。俺はそんな彼女が好きだった。

 だが――いや、だからこそ、こんな時にまで持ち前の正義感を発揮している彼女に、俺はわずかな苛立ちを感じた。


「分からねえよ! そんなことより、自分の心配しろよ! そんな怪我、してるのに……っ」

「大丈夫! ……私は、大丈夫」


 それがやせ我慢だなんて、子供の俺にだって理解できた。額から流れる血は右目を覆い隠し、本来は透き通るような白さを持つ肌のあちらこちらに、獣による噛み傷が刻み込まれていた。

 そして何より。

 リンは、少女を一人背負っていた。


「カズハは俺が背負う! だからっ――」

「ダメだよ。両手が空いている、身軽な人間がいないと……どちらにしろ、この後死んじゃう」

「ご、ごめんね、二人とも・・」


 背負われているカズハが弱弱しく声を漏らした。俺は唇を噛み締め、手元のコンバットナイフ握り直した。


「頼りにしてるよ……男の子」


 にかっと笑うリンを見て、俺は目元に浮かんでいた雫を拭い去った。

 神代和葉(こうじろかずは)。ハンチング帽がトレードマークのおっとりとして心優しい少女は、運動全般が苦手だった。そんな彼女がこの世界で生きていけるはずもなく、真っ先に喰われる――その瞬間を、リンが救った。

 リンは九歳とは思えない頭の回転速度で、いきなり政府の役人に手渡されたアサルトライフルの仕組みを即座に把握した。そしてカズハに迫るイノシシ型の巨大生物を撃ち殺したのだ。もちろんリンは銃の反動に耐えられず思い切り吹き飛ばされたが、結果的にカズハもリンも死なずに窮地を乗り越えたということは、最高の結果と言えた。

 だが、カズハは足を捻挫し、リンは反動で腕が使い物にならなくなっていた。そして、その場に駆けつけた俺が二人を連れて逃げている――それが今の現状だった。


「たぶんこっちだ。なんとなく、強い龍脈エネルギーを感じる」


 俺は二人を連れて、耳をすませて周囲を警戒しながら進んだ。

 新世代である俺たちには、漠然としてはいるが龍脈エネルギーの存在を感じ取ることができる。俺たちはそれを頼りに、この探索の目的である『核』を破壊するべく進んでいた。

 木々をかき分け進むと、やがて森が壁を背に半円形に開けた場所に出た。同時に、龍脈エネルギーの存在がより強く感じられるようになる。


「これ、は……」


 そこには、この森で初めて見る人工物があった。

 両開きの門だ。高さ十数メートルはありそうな高い岩壁に、まるで洞窟への入り口のようにその門は鎮座していた。細かく紋様が刻み込まれているが、意味は理解できない。よくはわからないが……どうやら、ここが終着点(ゴール)のようだった。


「あ、つ、ついた……のか?」


 俺は震えながら、その門に近づいた。

 だが、そこで。


「ケイ君ッ!」

「えっ――」


 瞬間。



 グゴァァァァアアアアアアアアアッッ!!!! と、おどろおどろしい吠え声が森中に響き渡った。



「うわっ!?」「なっ!?」


 俺とリンは揃って縮こまった。また獣かと身構えた俺たちの前に、『それ』は地響きを轟かせながら着地した。


「こいつ、は……っ」

「嘘でしょ……?」


 揃って息を飲む憐れな俺たちを前に、土煙をかき分けて現れるは――漆黒の巨体。

 異常に発達した口からは絶えず唾液が零れ落ち、眼は血走っている。見るからに頑強そうな鱗が全身を覆う姿は、かつて存在したという恐竜に近いか。


「ひっ……」


 カズハの悲鳴が呼び水となって、ゆっくりと巨大生物の顔がこちらを向く。

 金縛りにあったように動けなくなった俺は、どうすることもできなくて――


「ケイ君ッ!」


 はっと我に返った俺は、爆速で突進してくる巨大生物――門番ボスを横っ跳びに躱した。

 ドガァアンッと木々を木っ端みじんに破壊しつつも、大したダメージを受けていなさそうな門番ボスはすぐさま振り返った。


「っ、走れ!」

「うん……っ!」


 俺たちは門へと走った。しかし門番ボスは一歩でその間合いを詰めてくる。逃げきることは、不可能だ。


「くっそ……っ!」


 俺は肩のアサルトライフル――使い方はリンの見様見真似――を構え、乱射した。


「グルルルゥァ……」


 しかし、強靭な鱗がそれを阻んだ。舌打ちをした俺はライフルを捨て、コンバットナイフを構える。

 刃先が、震えていた。


「グォアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!」


 ビリビリと鼓膜を叩く吠え声が、一層恐怖を煽る。徐々に加速しながら迫る大顎。濃密な『死』の雰囲気を漂わせるその(あぎと)が、俺を飲み込み――

 その、刹那。

 鼓膜に突き刺さるような大音声とともに、激しい爆発が門番(ボス)の巨体を大きく揺らした。その正体は――


「大丈夫かケイスケッ!!」


 駆けつけたのは、同年代でも背が高めな尖った男。

 名を、水嶋流次みずしまりゅうじ。気性は荒いが情に厚い少年だった。

 リュウジが手に持っているのは手榴弾だ。アレで門番ボスを攻撃したのだろう。わずかだがダメージがあったようで、鱗が何枚か欠け、そこからぶすぶすと煙が上がっていた。だが、リュウジが持っている手榴弾の残りは二発。それで、この巨大生物を倒しきれるかと言われれば……不可能だろう。


「俺たちでこのバケモンをひきつける! その間にリンが核を破壊すれば、この世界もぶっ壊れる! そうだよなッ!?」

「……ああ、おそらくは」

「百パーセントじゃなくてもやるしかねえんだよ! ……もう何人も残ってねェんだ」

「分かってる!」


 俺は額に浮かんだ汗を拭った。

 茂みから現れたリュウジの背後に、何人かの新世代の姿があった。誰もが怯えて、抱き合っている。ここに飛び出してくることができたたリュウジの方が異端なのだ。彼らの反応は正しい。でも――

 俺たちがここを突破しなきゃ……全員が死ぬ。

 リンはもうすぐ門にたどり着く。それまでのわずかな時間を俺たちが稼ぐのだ。


「そら、こっちだ!」


 リュウジが手榴弾のピンを抜く。俺は反対側に回り込み、足を攻撃するべくナイフを構えた。

 爆発と同時、俺は揺れる巨体を支える足に切り込んだ。鱗の隙間を縫うような繊細な攻撃だったが、龍脈エネルギーによってわずかながらも強化された新世代の体がそれを可能にした。

 ジャクッ、と硬質な肉を裂く生々しい感覚。巨体にさしてダメージは入っていないが、それでも気を引くことはできたようで、門番ボスはギロリとこちらを睨み付けてくる。


「よ、よし……」


 恐怖を抑え込みながら、俺はニヤリと笑った。もうじきリンが門に辿りつく。


「リン、どうだッ?」


 だが――


「それが……っ」


 リンの返事は、暗く、沈んでいた。


「重くって……っ!」


 リンは体全体を使って門を推していた。だが、門はじりじりとしか開いていかない。


「くそ……っ!」

「ケイスケ! お前はあっちを手伝いに行け! ここは俺一人で十分だ!」

「だ、だけど――」

「口答えしてる暇があったら走れェッッ!!!!」


 俺はその気迫に背中を押されるように走り出した。

 背後から門番ボスの唸り声と、裂帛の気合を発するリュウジの叫び声が一体となって聞こえてくる。俺はもう、リュウジを信じて走るしかない。

 背後から最後の手榴弾と思われる爆発音が聞こえた頃、俺は門にたどり着いた。そこではリンとカズハが二人がかりで門を押していた。俺はすぐさま加勢し、じれったい門の動きを少しでも速める。


「あと、少し……」


 リンが祈るように声を上げる。間に合え、間に合え、と。果たして、その願いは――


「ケイスケッ! そっちに、ばけもんが――ッ!!」


 不意に響くリュウジの声に振り返った時。

 そこには、『死』があった。


「――――ッ」


 息を飲むひますらなかった。もうあと数歩――門番ボスの巨体なら一瞬でたどり着くであろう距離にまで、怪物は迫っていた。

 死んだ。

 間に合わない。

 ここで、全滅――――、



「ぅぁあああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」



 悲鳴にも似た叫び声が聞こえたかと思うと、俺の視界はグンとスライドした。

 体が、投げ出されていた。

 それをしたのは――


「カズハッ!?」


 俺と同じように投げ飛ばされたリンが驚愕に顔を歪めている。

 カズハの生来の臆病さが、いち早く怪物の存在に気づかせていた。そして彼女は、自らを切り捨てることが最善だと、そう判断したのだ。

 そして―――――――――――――、



 突き出していたカズハの右腕が、食い千切られた。 



「ぃ、ぁ、ああああああァ……ッ!?」


 鮮血が、俺たちの額に降り注いだ。

 生暖かいカズハの命のカケラが、俺たちを赤く染めた。


「この……野郎っ」

「ケイスケ、くん」


 カズハは俺を諫めるように、残った左手で後ろを指さした。

 ――門番ボスがぶつかった衝撃で、門が開いていた。


「ダメだよ、カズハ……」

「は、やく」

「グルァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」


 遮るように発せられたのは門番ボスの叫び声だった。カズハに狙いを定めたのか、門番ボスは今にもカズハに襲い掛かろうとしている。


「カズ――」

「リン、ダメだッ!」


 俺はリンの腕を思い切り引っ張って、門の内側へ転がるように飛び込んだ。


「カズハっ! カズハぁぁぁぁああああああああああああああああっ!」


 俺は飛び出していきそうなリンを必死に抑え込んだ。


「なんで、なんで…………カズハっ! 絶対にみんなで帰ろうねって、言ったのに……」


 一瞬こちらを振り返ったカズハは、顔中を涙で濡らし、悔しそうに言った。





「私だって、生きたかったよ」





 直後だった。

 大顎が、カズハを飲み込んだ。


「カズハぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」


 崩れ落ちるリンを、俺は支えることしかできない。


「あぁ……いやぁ……いやだよ……っ」


 ぐちゃり、ぐちゃりと肉を裂き骨を砕く音が聞こえる。「助けて、ケイスケ君」という台詞が咀嚼音に混じり聞こえてくるも――すぐに、掻き消された。俺は思わず胃の中のものをすべてぶちまけそうになった。悔しさに、あまりの理不尽さに、そして世界の残酷さに、俺は涙を止めることができなかった。だが、いくら泣いたところでカズハはもう、帰ってこない。

 衝撃に煽られて飛んできた、彼女のトレードマークであったハンチング帽が、虚しく地に落ちた。

 どうしようもなかった。

 彼女がこうして自らを犠牲にしてくれなければ、もっと程い結果だってあり得たのだ。

 だから。

 だから、こそ。


「リン、行こう」

「ぅぐっ、えぅう……」


 滂沱の如く流れるリンの涙を止める術を、俺は持っていなかった。

 門番ボスは俺たちに食いかかろうとしていたが、この狭い通路にあの巨体は入ってくることができないようだった。だからといって、もたもたしてはいられない。狙いを変えたら、リュウジたちが危険にさらされるのだから。


「行こう」


 俺はもう一度リンに声をかけた。

 リンは、そばに落ちていたカズハのハンチング帽を胸に抱き寄せ、立ち上がった。

 俺たちは、二人で支え合いながら『核』へとたどり着いた。

 洞窟の中に、太い木の根が張り巡らされている。その根の奥、一筋の光が漏れ出す地点。そこに、核はあった。

 最後まで握りしめていたナイフをあてがう。


「終わりにしよう、こんな戦いは」

「……うん、これ以上友達が死ぬのなんて……見たくないから」


 そして、俺はナイフを突き立てた。




 これが、刃鉄卿介が抱える過去。

 忌まわしき、鮮血の記憶の『序章』だった。




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