15話 揺れる『最強』
「姐さんッッ!!!!」
俺は音を立てながら病室のスライドドアを開けた。二つ並んだベッドには、それぞれ見知った顔が並んで寝ていた――が、突然の来客に何事かと上体を起こしていた。
「ケイ、君……?」
「お久しぶりです、姐さん」
一年ぶりだろうか。久しぶりに見るその顔は包帯だらけで、いつも自慢していた新生代特有の色素異常による白い髪は、いささか艶やかさを失っているように見えた。少し背が伸びただろうか。ベッドに腰かけているので判然としないが、昔に比べてどこか大人びたような雰囲気を纏っているように感じた。
俺たちの年齢において、一年はあまりにも長すぎる時間だった。
「姐さんが大怪我したって聞いたから……」
「それで、心配してきてくれたの?」
「はい。姐さんがやられるなんて……いったいどんな化け物が……」
「おいおい、俺のことは無視か?」
隣でひらひらと手を振っているのは内田・レイモンド・総司。通称「ミスター」だ。俺は意識してしかめっ面でミスターを睨んだ。
「お前ははなっから心配してない。どうせ殺しても死なないようなやつだからな」
「ひでえ言われようだ。俺だって怪我したら痛いんだぜ?」
俺はヘラヘラ笑っているミスターを無視し、姐さんに向き直った。
「医者から聞きました。とりあえずは命に別状なし、後遺症もないだろうって」
姐さんは苦笑いしつつ「ありがとう」と答えた。だが、その返事にいつもの姐さんのような気迫は感じられない。
「は、早いよっ、ケイスケ君……」
そこで新たにドアから現れたのは、俺の急増のパートナーだった。
「ギルドに着いたと思ったらいきなり走り出すんだもん……」
真紅の瞳に漆黒の長髪。息を切らして俺を追ってきたと思われるその人物は、霧沢緋音だ。
「ケイ君……どちら様?」
首をかしげる姐さんに、俺は説明しようとしたが――はて。なんと説明したらいいものか。信頼の置ける姐さんであれば一から事情を話してもいいのだが、そんな悠長にしている場合ではないだろう。
そういえば、前もこのようなことがあったような――
「俺の彼女です」
「「彼女!?」」
姐さんは目を大きく見開き、ミスターはベッドから落ちそうになっていた。
「い、一体この一年でケイ君に何があったというの……?」
茫然自失。怪我の影響か若干血の気の薄い顔色が底辺を突破し、ついに青色ゾーンに突入した。
「う、嘘よ……認めないわ。私は絶対に認めな――」
「こちら、聖ヶ丘凛。トップ潜入者。俺の最も尊敬する人だ」
「あ、えと、霧沢緋音です。新米潜入者です。よろしくお願いします」
「っ、尊敬・・」
姐さんは、ぼんやりとした表情でうわ言のように何かブツブツ呟いている。しばらく待つと「はっ」と我に帰り、
「私がケイ君から『最も』『信頼されている』聖ヶ丘凛です。よろしくね……彼女さん?」
「ひっ」
アカネの口元がわずかに引きつった。当代最強である姐さんの迫力に押されたのだろうか。ミスターは「女の嫉妬は怖いなぁ」と独り言を呟いた。
「そんなことより、だ」
俺はベッド横の椅子に座り、姐さんい問いかけた。
「姐さん……一体、何があったんですか?」
「……」
真剣な表情になった姐さんはしばらく沈黙した。やがて、傍らに置かれていた血に濡れたハンチング帽――姐さんのトレードマークであるその帽子を手に取り、そして答えた。
「人型門番が現れた」
「ひとがた……?」
俺は言葉を飲み込めず、疑問符を浮かべた。迷宮生物には、二足歩行型はいても完全な人型は存在しない。それは迷宮発生以来変わっていない事実だ。
「そいつは……私たちの仲間を食った」
「なっ!?」
「しかも、食えば食うほど強くなったの」
「そ、そんな……」
居合わせただけのアカネも息を飲んでいた。
そして、姐さんは自分が見た『怪物』について語り始めた。
俺たちは、ただ呆然とするしかなかった。その「有り得ない事象」の数々に翻弄され、言葉を失うことしかできなかった。
結晶を纏った醜女。
並々ならぬ強度を持つその結晶は、聖ヶ丘凛の刃さえ通さず。
食えば食うほどその強度は増すばかり。
戦場に広がる血の海を見て――その人型は、小さく嗤ったという。
「で、でも!」
俺は聞かずにはいられなかった。
だって。
だって――
「姐さんが、倒したんですよね? だからこうして、ここに――」
「確かに迷宮は閉じた」
「ならっ」
「でもね」
姐さんは苦い表情で唇を噛み締めていた。
当代最強と謳われ、その期待を一身に背負って立ってきた少女なのだ。俺とは違って、あの場所から逃げ出した俺とは違って、正義を信じてただ前に進み続けてきたこの少女に、勝てない敵など――
「あいつはきっと――死んでない」
「それは、どういう――」
「私は、あいつを殺した訳じゃない。逃げられたの」
「門番が逃げるなんてこと、あるんですか……?」
「門の守護なんてどうでもいいって感じだったわ。あの人型にはおそらく知性がある。何か目的を持っているような……。分からない。あれが一体何なのかは全く分からない。でも、一つだけ言えることがある」
姐さんは拳を握りしめ、震える声で言った。
「あの人型は、危険すぎる」
俺は背筋に嫌な震えが走るのを実感した。今まで感じたことのないような悪寒だった。
あの戦乙女・聖ヶ丘凛をして「危険すぎる」と言わしめるその化け物。全く底が見えない。今まで俺たち東京の潜入者は、「聖ヶ丘凛」という絶対の存在を心の支えとしてきた。
「どんな迷宮が来ようと、彼女ならばなんとかしてくれる」。そう思って精神の弱い子供だって自分を奮い立てて迷宮に潜ってきたのだ。
その絶対的存在は今、傷だらけになって帰ってきた。
俺は初めて見た。姐さんがここまで傷ついた姿を。正義の体現者である彼女が負けた姿など、想像すらできなかった。だが現実に、彼女の刃は届かなかった。
つまり、その怪物を倒せる存在は、もう東京には――
「ケイ君」
姐さんの声に、俺はハッと顔を上げた。
「お願いがあるの」
「……」
姐さんの言おうとしていることが、手に取るように分かった。きっと――
「もう一度、最前線に復帰してもらえないかな」
やはり。
想像通りの「お願い」だったのに、俺は言葉に詰まった。
アカネは突然の出来事に戸惑っている。
ミスターは静観している。
サリアも、無言だ。
「俺は……」
「私の怪我が治るまででもいい。あなたのその力が必要なのよ」
「でも、これは、俺の力じゃないんだ……」
「え・・?」と、アカネがわずかに息を飲む気配がしたが、それに構っている暇はない。
「たとえ君の力じゃなくてもっ! それで救える命があるなら……救ってほしいよ」
「……」
「昔みたいに――」
姐さんは、苦しみをごまかすような、心を痛みを押さえ込んだような掠れた声で言った。
「昔みたいに……凛って呼んでよ」
その言葉が意味するところを、俺は理解していた。
俺が「姐さん」と呼び始めたのは、俺が最前線――A級潜入者の集団から消えたことがきっかけだった。それ以前は、「凛」と。そう読んでいた。
俺たち二人はかつて、パートナーだった。
基本に忠実なマギ使いの聖ヶ丘凛と、応用性の高い刃鉄卿介。
俺たちはその相性の良さで数々の迷宮を踏破してきた。だが、とある『事件』をきっかけに俺は前線から消えた。それから対照的に、姐さんはその正義感を強めていった。いつしかその少女は、一人で『最強』に上り詰めていた。
「俺は、あなたの隣に並ぶ資格はないよ」
「そんなことっ……」
「ごめん」
「…………そっか」
「人手が足りない時は、手伝いに行くよ」
「うん、わかった」
俺は「今日はもう行く」と伝え、席を立った。病室を出ると、慌ててアカネが後を追ってくる。
「よ、よかったの?」
「……」
俺は答えられなかった。
このままでいいはずがなかった。
「ケイスケ君」
アカネは俺の前に回り込むと、まっすぐに俺を見つめた。
「やっぱり、知りたい」
混じり気のない、澄んだ瞳だった。
「私でよければ、話してくれないかな。ケイスケ君の過去に、何があったのかを」