14話 戦乙女と予兆
時は、一週間ほど遡る。
「引け! ここは……私が抑える」
「戦乙女! っ、しかし……」
「ここで全滅したいのかッ!」
「……」
食いさがる部下に、言外に「邪魔だ」と告げる戦乙女と呼ばれた少女。
「……ご武運を」
そう残して、補給部隊とそれを守るB級潜入者たちが、迷宮口へと引いていく。
部下たちは戦乙女に大きな信頼を寄せていたが、その反面、それを一人に背負わせてしまっていることを許しがたいことだとも感じていた。
だが、しかし。
当の本人に、そのような気負いはなく。
むしろ、それが自分のあるべき姿だと感じていた。
「大切な人を失うのは、とても辛いことだわ」
一人、自分だけが残された戦場で、少女は独白する。
「私は、今まで何人も失ってきた」
一振りの聖剣を地面に突き立て。
「でも――いや、だからこそ。逃げることなく」
その姿はまさしく、戦場に凛々しく咲く一輪の聖花。
「私は、此処に立つ」
血臭漂う戦場においてなお目立つ、特徴的な白銀の長髪は、さながら一筋の光。
「あなたが何者かは知らないけど――私の仲間を『食った』以上、見過ごすわけにはいかないわ」
「グ……ぎ、ァ……ッ!」
少女が見据える先にいるのは、人間の少女をぐちゃぐちゃに歪めて薄水色の結晶でつなぎ合わせた、見るもの全てが生理的嫌悪を抱く怪物だった。
その怪物の口元は、戦乙女の仲間だった者たちの血で、濡れていた。
「私を食いたいなら、今まで死んでいった仲間たちの魂を背負う覚悟を持ってから来なさい」
戦乙女は、返り血で赤く染まった愛用のハンチング帽をかぶり直し、裂帛の気合いとともに地を蹴った。
大阪、大規模迷宮。
ちょうどアカネやケイスケが東京で潜入者登録を行っていた頃。
大阪には、大規模迷宮の発生に伴い、全国からA級潜入者が集められていた。
しかし。
今回の迷宮は、どこかおかしかった。
その迷宮は、人工物に溢れかえっていた。通常迷宮内に存在する『人工物』と言えば、終着点である門だけだ。
そのはずなのに。
この迷宮には、ビルが林立していた。縦に、横に、デタラメに地面や壁からビルを生やしたような、人間が作った世界ではないが人工物だらけの、不可思議な世界。
そこにいた門番も、異常だった。
人間の形をしているというだけでも異常なのに、その怪物は、屠った潜入者を『食った』のだ。そして、食うごとにその力を増していき――
最後には、もはや誰にも手がつけられないほどの化け物になっていた。
――否。
唯一、対抗し得る存在がいた。
名を、聖ヶ丘凛。
当代最強のマギ使いにして――
戦乙女の称号とともに、多くの仲間たちの『死』を背負った、一人の少女。
☆★☆
応急手当などを済ませて、ようやく大阪遠征組が東京に帰還したのは、あの『惨劇』から一週間後だった。行きは補給部隊含めて十五人いた遠征組は、今やその数を五人減らしていた。
リンが命を賭けて守り抜いた九人は「自分たちはいいから彼女を」と言って、傷のない箇所が見当たらないほどにボロボロになるまで戦い抜いた戦乙女を潜入者専門の病院へと預けた。
リンの存在は、東京が誇る財産でもあった。
かつて、まだ潜入者が数えるほどしか存在しなかった頃。単身大規模迷宮に乗り込み、そして見事に攻略して見せたリンは、当時から皆の心の拠り所として、その才能を遺憾なく発揮していた。持ち前の正義感やカリスマ、そしてそれを貫き通せるだけの実力。「綺麗事を現実にしていく」その姿、合わせて白銀の長髪と現実離れした美貌は、人々を魅了するのに時間を要さなかった。
しかし。
迷宮攻略初期――最初の迷宮攻略に参加した数少ないメンバーのうちの一人でもある彼女は、多くの失敗も経験してきた。
体に、もしくは心に傷を負って潜入者を辞めていく仲間たちの背中を見ながら、そして時には仲間の屍を超えて、それでも少女は自分に課せられた使命を疑わず、進む。
「あいつは……なんだったんだろう」
リンは病床で天井を見上げる。傷は深かったが、龍脈エネルギーが代謝を引き上げる潜入者の傷の回復は早い。
あの門番――いや、もはや門番かどうかも怪しい謎の生物。
決着は、意外な形でついた。
超硬質な薄水色の結晶に覆われた奴の体は、リンの剣を通さなかった。防戦一歩となるリンは自らの死を覚悟したが、人型の門番は、ふと。興味を失ったかのように、消えたのだ。リンは九死に一生を得た訳だが、どうも腑に落ちなかった。
次元の狭間――まるで、潜入者が迷宮に入る際の狭間のような場所を通って、奴は消えたのだ。追いかけようとしたが、狭間は奴を吸い込むとすぐに消えてしまった。
「間違いなく、奴はまだ生きている」
迷宮を攻略すればそこに存在する迷宮生物はすべて消失するが、あのもぬけの殻となった大規模迷宮を攻略したからといって、人型門番が消えたとは、考えにくかった。
そんなことはありえないが、あの存在はすでに矛盾の塊なのである。
「久しぶりだなぁ……負けたのは」
何よりも、あの人型が狭間に消える瞬間。
「笑ってた……間違いなく」
そのことが、少なからずリンのプライドを傷つけていた。
「ああ~~~~、もう、悔しい! 悔しい悔しい悔しい!」
「リンのソプラノボイスは傷に響くぜ……」
そこで、隣のベッドから呻き声にも似た苦情が寄せられた。
「あ、ゴメンなさい……」
「ああ、いいよいいよ、MVP様は何をやっても許されるさ」
「この私を甘やかしてくるのはあなただけよ、ミスター」
親しみを込めて「ミスター」と呼ばれる青年の名は内田・レイモンド・総司。日本人と黒人のハーフで、十八歳という年齢の割に大人びて見える、ガタイのいい好青年である。
二丁拳銃という潜入者としては珍しい武器を扱う彼は、今回の門番の硬質な結晶と相性が悪かったようで酷くダメージを受け、早々に戦線を離脱していた。
「にしても、今回の人型は一体何だったのかしら……」
「今まであんな奴見たことねえ。人間を食って、強くなるなんて……」
空気は重く沈んでいた。あの対処法の分からない、そしてもしかすると今後再び現れるかもしれない化け物に、どう対処すればいいのか。
「とりあえず、全潜入者にその存在を伝えて注意喚起を――」
「姐さんッッ!!!!」
ドガンと音を立てて病室の扉を開けたのは、黒髪の少年。
「っ、その声……?」
「ん、こりゃまた懐かしい顔だな」
リンとレイモンドは突然の来客に――その見覚えのある顔に面食らった。
刃鉄卿介。
二人のかつての戦友にして、現在は前線からその姿を消した――
当代最強のユニ使いである。