13話 激走迷宮 後編
「うわっ」
「ぎゃっ」
俺は迷宮のスタート地点である、渦巻く次元の裂け目の前にまで戻されていた。裂け目から体が投げ出されると同時に、ちょうど先ほど同じようにはじき出されていたアカネの上に落下した。
「ちくしょうあの毛玉め……!」
普通の迷宮生物にやられるより、よほど腹が立つ。次に視界に入ったら八つ裂きにしてやる。
「あの」
「ん?」
「どいてくれないかな」
「お、おう」
どこかで見たようなやり取りをして、俺たちは立ち上がった。
「あの毛玉は厄介だが……一度見れば対処できない相手じゃない。次で登り切るぞ」
「うん」
『うーん、この迷宮にはヤバい敵とかいないのかぁ』
そこで口を挟んできたのはサリアだ。
『もっと面白いものが見たいなぁ』
「あぁ?」
サリアはこうして時々『面白いものが見たい』と口にすることがある。体内でじっとしているのが退屈なのか、はたまた享楽主義者なのかは知らないが、こいつはいつだって変化を求めている。
『だからさ……アカネちゃんとケイスケ、どっちが先に頂上にたどり着くか、競争してみない?』
「はあ?」
「楽しそう!」
正反対の反応を示す俺たち。競争だなんて、迷宮は遊びではないというのに。
『いいじゃん。この迷宮は見た感じ危険性はなさそうだし。あの毛玉ちゃんに叩き落とされては登山を繰り返すなんて苦行、ボクは嫌だね』
「登るのは俺だろうが」
『心拍数が上がるとボクも息苦しいんだよ』
「いいじゃない! やろうよケイスケ君!」
アカネは乗り気なようで、ぐっと腕を握りしめてキラキラな目でこっちを向いている。
「嫌だよ、余計な体力を使うつもりはねえ」
「負けるのが怖いの?」
それは、陳腐な煽り文句だった。
「……今、なんつった?」
「負けるのが怖いのかって聞いたんだよ?」
依然笑顔のまま、されど目の奥は好戦的な色を宿している。
そこから、俺はアカネの腹積りを推測した。アカネと俺は一週間ともに行動したが、二人で戦うことはなかった。出会った当初ならまだしも、今のアカネと俺を比べた際、『どちらが強いのか』は分からなくなっている。つまり――
自信をつけたアカネは、どちらが『上』なのか白黒つけたいのだ。
「飛行は禁止にしてあげてもいいけど?」
「……ハッ、舐めてんのか? ハンデなんていらねえ」
俺は指をパキポキと鳴らし、
「上等だ。受けてやるよ、その誘い」
『そうこなくちゃ。さすがケイスケ』
そして、突発的迷宮登頂レースが始まった。
☆★☆
『ルールは単純。先に門番のいる大岩までたどり着いた方の勝ち。門番は倒さなくていいよ。それ以外は何でもあり! どんな能力を使ってもいいよ!』
サリアが意気揚々とルール説明をする。
『それじゃあボクの合図でスタートするよ。二人とも構えてね』
俺は姿勢を低くして、すぐにでも飛び出せる体制に移行し――
『三、二、一――』
小さく息を吸い込んで――
『スタートッ!』
強く地を蹴り、走り出した。大岩に腕から射出した魔血アンカーを飛ばし、突き刺しては巻き取りを繰り返して次々と岩を渡り歩いていく。
同時に飛び出したアカネはさすがの身体能力だった。気流に拐われないようにうまく翼を利用しながら加速を繰り返している。速度的には、わずかにアカネの方が速い。
「どうしたのケイスケ君! そんなスピードじゃ追いつけないよ!」
「調子に乗っていられるのは――」
俺は、アカネが次の岩目指して飛び上がった瞬間を狙い、
「今の内だぞ」
扇形に薄く展開した魔血、つまり強大な団扇を力いっぱい振った。
「おわぁあっ!?」
前を行くアカネはこれに対応できず、見事にバランスを崩した。上空へ放り出されたアカネは猛烈な気流に捕まって一気に吹き飛ばされ――
「まだまだっ!」
体勢を崩しながらも、アカネは真下の俺を睨み付けた。そして言い放つのは、この一週間の成果とも言えるものだった。
「展開――万影の貪狼ッ!!」
迷宮の疑似太陽と、上空のアカネを結ぶ直線上。地面に刻み込まれたアカネの影が、ぬるりと蠢く。そこから這い出たのは、漆黒の狼だった。
否。狼の形をした影だった。
奥行きを感じさせないマッドブラックの毛並みに、一般的に想像される狼より一回り大きい図体。その狼は、アカネの呼びかけに素早く反応すると、自らの体を液体のように溶かし、そして鎖状に変化した。
鎖はアカネに向かって勢いよく伸びて足に張り付くと、流されかけたアカネの体を地面へと引き戻していった。
「う、うまくいった~……」
アカネは胸をなでおろしつつ、すぐさま再始動する。
見事にリードを保ったまま、アカネはコース復帰を果たした。
「便利だな、そのユニ……」
「ケイスケ君の魔血を参考にしたからね!」
――『万影の貪狼』。
アカネがこの一週間の中で、彼女の中の吸血鬼像と利便性を掛け合わせて生み出したユニクスである。
アカネが考える「吸血鬼らしさ」を昇華させたこの能力は、自らの影から実態を持った影を作り出すことができる。その初期形状は狼(アカネが「吸血鬼的に考えて」イメージしやすい物でないと呼び起こすことができないから)だが、その狼の形状はほぼ自由に変えられる。先ほどは鎖にその姿を変え、地面とアカネの体を繋ぐ役割を果たしていた。
俺の魔血を参考にしたという言葉通り、汎用性の高い能力である。
もちろん、アカネの影の面積分しか操作できなかったり、ぼんやりとしたイメージだと狼が言うことを聞いてくれなかったりするという制約もあるらしいが。
ただ一つ言えるのは、それが厄介な能力であるということである。
――まあ、多用してくることはないだろう。まだあの能力の成功率は低い。
「さて、どうするか……」
現在までに二メートル近いリードを許してしまっている。道のり的には残り半分といったところだろうか。だがそろそろ――
奴が現れたポイントである。
「あっ……」
俺は、先を行くアカネから息を飲むような気配を感じ取った。ワンテンポ遅れてアカネのいる大岩に飛び移ると、そこにはやはり、
「キュー」
「んんぅ……っ!」
その鳴き声に身もだえする女子一名と、自分以外の生き物に見とれている主人が気に入らない様子の狼一匹。
……まるで隙だらけである。
「……卑怯とは言わせないからな」
俺はアカネに向かって細く伸ばした魔血を飛ばした。そして隙だらけのアカネの足に絡みつき――
「――――」
音もなくそれを断ち切ったのは、影だった。
「チッ、あいつ、知性でもあんのか……ッ!?」
「わっ、ありがとうヴォル君!」
『いつの間にか名前がついてるね……』
「………………」
リードを奪い返せない状況が続き、だんだんイライラしてきた。
「ちくしょう、もう全力で潰しに行くか……?」
『怖いからその言い方やめようよ……』
と、苛立ちから視界が狭くなっていた俺は。
目の前にまで『奴』が迫っていることにさえ、気が付いていなかった。
「キュー」
「――ッ!」
反射的に俺は、自らの危機察知能力に身を任せ、その言葉を口にした。
「血式纏装――!!」
瞬間。
周囲を漂っていた魔血が、俺のふくらはぎに突き刺さり、ぎゅるりと回転すると、魔血は俺の足を覆う紅い足甲へと変化した。
そして、超速で眼前に迫る毛玉を――
「シッ!」
目にも留まらぬ速さの蹴撃によって彼方へ弾き飛ばした。
「キュぅぅうううぅぅー……ぅ……」
だんだんと小さくなっていく鳴き声に何事かと振り返ったアカネは、気流に乗ってどこまでも遠く飛ばされていく毛玉の姿を見て唖然とした。
「嘘……こんな酷い仕打ちってある……?」
「俺の邪魔をしたあいつが悪い」
「毛玉ちゃんの仇……絶対取るからね」
「それが俺のことなら返り討ちにしてやる」
俺はグンと加速し、アカネを追いかける。今までより遥かに速いその動きは、魔血によってサポートされたものだ。
電動自転車を想像してほしい。
俺の足は今、ふくらはぎに突き刺さった魔血による操作で、強制的に筋力が増幅されている状態にある。これによって、一時的ではあるが人間の限界を超えた身体能力を手にすることができるのである。
便利ではあるが、使用後に筋肉痛でしばらく動けなくなるので多用はできない。
『これ使うのいつ以来だろうね』
「……」
サリアにそう言われて、俺は自分が本気になっていることに気が付いた。
いつ以来、か。
きっと本当の意味で戦うことをやめた、「あの日」以来だろう。
……俺はいつの間にか、あの女と競い合うのを楽しんでいたのか。
「あと少し……ッ!」
アカネの呟きに、俺は意識を前方に戻す。見ると、遠くにうっすらと見えていただけだった終着点が、はっきりと見える距離にまで近づいている。目算あと百メートルといったところか。
隠し玉まで使ってようやくアカネに並んだ俺は、早くも痺れ始めてきた両脚に鞭を入れるようにさらに回転数を上げる。
「く……ぅああああああッ!」
「う……ぉおおおおおおッ!」
残り五十メートル。
「――ケイスケ君」
「ああ……? なんだよっ、こんな時に……」
残り四十メートル。
「楽しい?」
「は、はぁ?」
残り三十メートル。
「だってケイスケ君、私と会ってから一度も笑ったことなかったのに……今は、笑ってる」
「……!」
残り二十メートル。
「……そんなに不愛想だったかよ」
「不愛想だったよ。私といるのが、そんなに迷惑なのかなって思った」
残り十メートル。
「お前は、純粋すぎるよ。辛い目に遭ってんのにずっと笑顔で……。それにあてられて、俺までおかしくなっちまったんだ」
「……」
残り、五メートル。
「……お前といると、楽しいよ」
「……やっと素直になったね」
残り――――
☆★☆
その迷宮の門番は、例の毛玉をそのまま巨大化したような毛むくじゃらの塊だった。迷宮生物が一体しかいなかったり、門番がそれと同じような奴だったりと、明らかに「お前道中の作り込み頑張りすぎて他めっちゃ手抜いただろ」といういびつな迷宮だったが――
『ケイスケはきっとクーデレなんだろうね』
どうやら、得るものもあったようで。
「クーデレ?」
『クーデレというのはだねアカネくん、クール気取ってるけど中身は甘えたがりの――』
「俺がそうだっていうんなら相手になってやる今すぐ俺の体の中から出てこい」
『えぇ~無理だよぉケイスケ~。ボクたちは体の深いところで繋がっちゃってるんだから』
「繋がっ……!?」
アカネは大仰に驚いてみせるが、口もとはニヤついている。
「俺をからかうのはそんなに楽しいか?」
「楽しい」
『楽しい』
「そうかそうか、それは良かったなクソアマども」
ギルドへ成果報告に向かう帰り道。
アスファルトの隙間から生える雑草を踏みつけながら、無人の都会を歩く。静かで、自分の息遣いさえ感じられた廃墟街だったが、今は違う。
その静寂をぶち壊すような、姦しい女たちの声――でも。
不思議と今はもう、耳障りとは思わない。
「ねえ、ケイスケ君」
「んだよ、まだなんかあるのか」
「今度、私の昔話聞いてよ」
「……なんでいきなり?」
「代わりに、ケイスケ君の昔話が聞きたいから」
「……」
「嫌ならいいよ」
「……嫌ではねえよ」
得体のしれない女だと思っていたが、ふたを開ければ年相応の女の子だった。そんな印象だ。
「そのうち、な」
誰かにこの記憶の話をすることになるとは思わなかったが――
「楽しみにしてる」
こいつなら……俺より辛い人生を歩んできたこいつになら。
話してみても面白いかもしれない。